甲にしきの現在は東京宝塚劇場の支配人を退任!宝塚初の女性として務めた23年

甲にしきの現在は東京宝塚劇場の支配人を退任!宝塚初の女性として務めた23年

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甲にしきさんの現在を調べていて、「テレビで見なくなったけれど、今は何をしているんだろう」と思った方は多いのではないでしょうか。

実は甲にしきさんは、芸能界を離れたあと、ずっと舞台の”内側”にいました。

しかも就いていたのは、宝塚歌劇団の歴史で初めてとなる女性の劇場支配人という椅子だったというから、驚きですよね。

この記事を読むとわかること
・甲にしきが2024年7月8日に東京宝塚劇場の支配人を退任するまでの23年間
・芸能活動が実質的に止まった1986年の報道と、その後の7年間
・花組トップスター時代から現在までの経歴と、いまの年齢

甲にしきの現在は東京宝塚劇場の支配人を退任

甲にしきさんの現在は、テレビや舞台に立つ側ではなく、劇場を運営する側での長い仕事を終えたところ、というのが正確なところです。

まずは退任の事実から、そこに至るまでの流れを順番に見ていきますね。

2024年に東京宝塚劇場の支配人を退任

甲にしきさん(本名・小川甲子さん)は、2024年7月8日付で東京宝塚劇場の支配人を退任しました。

この日付、実は甲にしきさんご自身の誕生日です。

1942年7月8日生まれなので、自分の誕生日をそのまま区切りにして職を離れたことになります。

退任時の様子については、関係者やファンのSNS投稿で「ご退任の宴」「ご退任の会」といった集まりが開かれたことが伝えられていました。

大々的な会見や記者発表があったわけではなく、劇場に関わってきた人たちが静かに送り出した、という形だったようです。

ここ、なんだか甲にしきさんらしいなと感じました。

スターとして華々しく退団したときとは違い、今度は裏方としての区切りだったわけですから。

つまり甲にしきさんの現在は、宝塚の劇場運営という仕事を退いた状態ということになります。

宝塚初の女性支配人として23年務めた

甲にしきさんが東京宝塚劇場の支配人に就任したのは2001年のことでした。

この年、東京宝塚劇場は改装を終えて新しい劇場として生まれ変わっています。

その新装オープンのタイミングで支配人に就いたのが甲にしきさんで、宝塚歌劇団の歴史上初めての女性劇場支配人でした。

就任から退任まで、単純に数えて約23年です。

出来事
2001年改装後の東京宝塚劇場の支配人に就任(宝塚初の女性支配人)
2014年宝塚歌劇の殿堂に最初の100人の1人として選出
2024年7月8日東京宝塚劇場の支配人を退任

元トップスターが古巣の劇場に戻ってくること自体は珍しくありませんが、劇場そのものの責任者になるとなると話は別です。

公演の運営、客席の管理、劇場で起きるあらゆることの最終責任を負う立場ですから、舞台に立つのとはまったく違う種類の仕事だったはずです。

しかも23年というのは、トップスターとして在任した期間よりも、宝塚に在籍していた14年間よりも、はるかに長い時間です。

甲にしきさんの人生でいちばん長く続けた仕事は、実は「支配人」だったんですね。

就任した2001年はどんな年だったか

東京宝塚劇場は、建て替え工事のため一度その姿を消し、2001年に新しい劇場として再開しています。

つまり甲にしきさんは、生まれ変わった劇場の「最初の支配人」でもありました。

新しい劇場の運用ルールを作っていく側に、元トップスターが座ったということになります。

芸能活動から退いたきっかけは不倫報道

甲にしきさんの現在を調べると、「なぜ芸能界から消えたのか」という疑問に必ずぶつかります。

1974年に宝塚を退団したあと、甲にしきさんはテレビの時代劇や舞台に多数出演していました。

1985年には文化庁芸術祭賞も受賞していて、女優として順調に評価を積み上げていた時期です。

流れが変わったのは1986年でした。

俳優・萬屋錦之介さんとの交際が報じられ、当時の萬屋さんは女優の淡路恵子さんと結婚していたため、報道は一気に過熱します。

ワイドショーで連日扱われるような状況になり、甲にしきさんへの批判は強まりました。

その結果、仕事が入らなくなり、事実上この時点で芸能活動が止まってしまいます。

賞を取ったばかりのタイミングでこれですから、キャリアとしてはあまりに惜しい止まり方でした。

正直、当時の報道の量を考えると、本人が受けた圧はかなりのものだったはずです。

甲にしきさんが表舞台から姿を消した直接の原因は、この1986年の交際報道でした

萬屋錦之介を看取るまでの7年間

報道のあと、萬屋錦之介さんは1987年に淡路恵子さんと離婚しています。

そして1990年、甲にしきさんは萬屋錦之介さんと正式に結婚しました。

ここから先が、この人の経歴のなかでもっとも重い時間になります。

萬屋さんは1996年6月に咽頭がんを発症します。

そして1997年3月10日、入院先の千葉県柏市の国立がんセンター東病院で、肺炎のため亡くなりました。

享年64でした。

結婚してから死別まで、約7年です。

出来事
1986年萬屋錦之介との交際が報じられる
1987年萬屋錦之介が淡路恵子と離婚
1990年萬屋錦之介と結婚
1996年6月萬屋錦之介が咽頭がんを発症
1997年3月10日萬屋錦之介が肺炎のため死去(享年64)

時系列を並べると、結婚生活の後半はほぼ闘病と重なっていたことがわかります。

批判を浴びて仕事を失い、その相手を看取るまでの7年間だったと考えると、想像するだけで胸が締め付けられます。

この期間、甲にしきさんが女優として表に戻ってきた形跡はありません。

芸能活動の空白と、萬屋さんとの結婚生活の期間は、ほぼそのまま重なっているんですね。

2014年に宝塚歌劇の殿堂入りを果たす

支配人として働いていた最中の2014年、甲にしきさんに大きな出来事がありました。

宝塚歌劇団の創立100周年を記念して設けられた「宝塚歌劇の殿堂」の最初の100人に、甲にしきさんが選ばれたのです。

殿堂入りは、宝塚の長い歴史のなかで功績を残した人物をたたえるものです。

最初の100人という枠は、歴代のスターや関係者のなかから選ばれる、かなり狭い枠でした。

同じ「3K」と呼ばれた古城都さんも、この最初の100人に名を連ねています。

報道で叩かれた過去がある人が、古巣から改めて功績を認められた形になります。

……なんか、いいですよね、これ。

退団から40年後に殿堂入りしたという事実は、甲にしきさんの宝塚での実績がきちんと評価され続けていたことの証明だと言えます。

現在の年齢と退任後に伝わる近況

甲にしきさんは1942年7月8日生まれなので、2026年8月時点の年齢は84歳です。

支配人を退任したのが2024年7月ですから、退任から2年ほどが経ったことになります。

退任後、甲にしきさんがテレビや舞台に出演したという情報は確認できていません。

公式SNSやブログの類も見当たらず、本人が発信しているものはない状態です。

現在の様子として伝わってくるのは、退任の会に参加した宝塚関係者やファンの投稿にある、当日の写真や労いの言葉くらいです。

逆に言えば、80代に入っても劇場の責任者を務めていたわけですから、体調面での不安が報じられたこともありません。

甲にしきさんの現在は、芸能活動も劇場運営も離れ、公の場に出ない静かな生活に入っているとみられます

甲にしきの現在を調べる人向けの関連情報

ここからは、甲にしきさんの現在とあわせてよく調べられている、若い頃の実績や結婚まわりの話をまとめていきます。

宝塚時代を知らない世代にとっては、ここがいちばん意外に感じる部分かもしれません。

若い頃は3Kと呼ばれた花組トップスター

甲にしきさんは兵庫県神戸市の出身で、旧姓は井戸といいます。

1960年に宝塚歌劇団の46期生として入団していますが、このとき首席で入団しています。

翌1961年5月1日に花組へ配属され、そこから男役として実績を積んでいきました。

身長は162センチで、男役としては小柄な部類でした。

それでも素養を磨いて頭角を現していったと評されています。

そして1970年、麻鳥千穂さんの退団にともなって花組の主演男役に就任します。

愛称は「コウちゃん」。

同期の上月晃さん、古城都さんとあわせて「3K」と呼ばれ、当時の宝塚を代表する人気スターとして扱われていました。

相手役を務めたのは竹生沙由里さんと上原まりさんです。

退団は1974年2月1日でした。

入団から数えて14年間の在団で、そのうち約4年がトップスターとしての期間になります。

小柄というハンデを実力で覆した男役、というのが宝塚時代の甲にしきさんの評価です

宝塚時代の代表作は小さな花がひらいた

甲にしきさんの代表作として挙げられるのが『小さな花がひらいた』と『この恋は雲の涯まで』の2作です。

『小さな花がひらいた』では茂次という役を演じています。

この作品は宝塚のなかでも繰り返し上演されてきた演目で、初演の主演男役が甲にしきさんでした。

再演を重ねる作品の”最初の顔”になるというのは、男役としてかなり大きな仕事です。

のちの世代が同じ役を演じるたびに、初演として名前が残り続けるわけですから。

退団後の1975年から1985年にかけては、テレビの時代劇や舞台の公演に数多く出演しています。

宝塚を出たあともきちんと役者として仕事が続いていた、というのはあまり知られていないかもしれません。

旦那は萬屋錦之介で3人目の妻だった

甲にしきさんの旦那にあたるのが、時代劇の大スターだった萬屋錦之介さんです。

甲にしきさんは萬屋錦之介さんにとって3人目の妻にあたります。

2人の接点としてよく挙げられるのが、1974年10月から1977年3月にかけてNET(現在のテレビ朝日)で放送された時代劇『破れ傘刀舟悪人狩り』です。

萬屋さんが主演を務めたこの作品に、甲にしきさんはゲストとして出演しています。

甲にしきさんが宝塚を退団したのが1974年2月ですから、退団してすぐの時期の共演だったことになります。

ただ、交際が報じられたのは1986年で、共演からはかなり時間が空いています。

時系列で見るかぎり、共演からすぐに交際に発展したという話ではなさそうです。

なお萬屋錦之介さんは、1982年2月に自身の事務所が15億円もの借金を抱えて倒産するという事態も経験しています。

甲にしきさんが結婚した1990年の時点で、萬屋さんはすでにその負債を背負ったあとの状態でした。

華やかなイメージとは裏腹に、決して楽な結婚生活ではなかったと考えられます

子供はおらず4人の息子は先妻との子

甲にしきさんに子供がいるのかどうかも、よく調べられています。

甲にしきさんと萬屋錦之介さんの間に子供がいたという情報は確認できません

結婚したのが1990年で、甲にしきさんは当時40代後半でした。

その6年後には萬屋さんが闘病に入っていますから、年齢的にも状況的にも、2人の子供という話は出てきていません。

一方で萬屋錦之介さんには4人の息子がいます。

ただしこれは、いずれも甲にしきさんと結婚する前の家庭の子供たちです。

長男は淡路恵子さんの連れ子である俳優の島英津夫さん、三男・四男は俳優として活動した晃廣さん・哲史さんとされています。

つまり甲にしきさんの立場としては、実子はおらず、継母として先妻の子供たちと関わる形だったということになります

略奪愛として報じられた当時の世間の声

1986年の報道で、甲にしきさんに向けられた世間の目はかなり厳しいものでした。

当時の構図が、あまりに分かりやすかったからです。

大スターの萬屋錦之介さんには淡路恵子さんという妻がいて、そこに元宝塚トップスターが現れた。

この形はワイドショーにとって格好の題材で、「略奪愛」という言葉とともに繰り返し取り上げられました。

今でもネット上の質問サイトなどで、淡路恵子さんの話題が出るたびに甲にしきさんの名前が引き合いに出されることがあります。

40年近く経ってもこの文脈で名前が出るというのは、当時の報道の強さを物語っています。

一方で、宝塚のファンからの評価はまったく別のところにあります。

2024年の支配人退任のときにSNSへ投稿されていたのは、批判ではなく「お疲れ様でした」という労いの言葉ばかりでした。

「タカラヅカの青春のトップスター」と書いている人もいます。

ワイドショーが作った顔と、宝塚ファンが覚えている顔は、まるで別人のように扱われているんですね。

同じ人物への評価が、見ている場所によってここまで割れているのが甲にしきさんの特徴です

甲にしきの現在のまとめ

  • 甲にしきの現在は2024年7月8日に東京宝塚劇場の支配人を退任した状態
  • 退任日は本人の誕生日にあたる7月8日だった
  • 支配人就任は2001年で、在任期間は約23年
  • 宝塚歌劇団の歴史上初となる女性の劇場支配人だった
  • 本名は小川甲子、旧姓は井戸
  • 1942年7月8日生まれで2026年8月時点の年齢は84歳
  • 出身は兵庫県神戸市、身長は162センチ
  • 1960年に46期生として首席で宝塚歌劇団に入団
  • 1970年に花組の主演男役に就任し1974年2月1日に退団
  • 上月晃・古城都とともに3Kと呼ばれた人気スターだった
  • 代表作は『小さな花がひらいた』『この恋は雲の涯まで』
  • 1985年に文化庁芸術祭賞を受賞している
  • 1986年の萬屋錦之介との交際報道をきっかけに芸能活動が止まった
  • 1990年に萬屋錦之介と結婚し1997年3月10日に死別、実子はいないとされる
  • 2014年には宝塚歌劇の殿堂の最初の100人に選ばれている

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