有森裕子の現在は女性初の日本陸連会長!世界陸連やIOCで務める役職とは

有森裕子の現在は女性初の日本陸連会長!世界陸連やIOCで務める役職とは

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有森裕子さんの現在が気になって、検索してみた方も多いのではないでしょうか。

実は有森裕子さん、2025年6月に女性として初めて日本陸上競技連盟の会長に選ばれていて、いまは陸上界のトップとして走り回っているんです。

この記事では、会長としての仕事から世界陸連やIOCでの役職、引退後の歩み、そして元夫や実家のことまでまとめました。

この記事を読むとわかること
・有森裕子さんの現在の肩書きと日本陸連会長としての活動
・世界陸連やIOCなど国内外で務めている役職
・元夫ガブリエルさんとの離婚や子供、年齢、実家などの関連情報

有森裕子の現在は女性初の日本陸連会長

有森裕子さんの現在をひと言でいうと、日本の陸上界を率いる「日本陸連の会長」です。

ここからは、会長に選ばれた経緯や国内外での役職、引退してから今日までの歩みを順番に見ていきますね。

現在は日本陸連の第9代会長

有森裕子さんは現在、公益財団法人日本陸上競技連盟(日本陸連)の第9代会長を務めています。

選ばれたのは2025年6月25日の理事会で、当時58歳でした。

毎日新聞によると、女性が会長に就くのも、オリンピック経験者が会長に就くのも、日本陸連では初めてのことです。

前任の尾県貢さんからバトンを受け取る形での就任でした。

2025年はちょうど日本陸連の創設100周年の年で、その節目に初の女性会長が誕生したことになります。

正直、このニュースを知ったときは「あの有森さんが陸連のトップに!?」とちょっと驚きました。

有森裕子さんと日本陸連の関わりを並べると、次のようになります。

時期 日本陸連での立場
2007年3月 理事に就任(現役引退の直後)
2021年 副会長に就任
2025年6月 第9代会長に選任(女性初)

理事になってから会長になるまで、およそ18年かけて組織の中で階段を上ってきたことが分かりますね。

2026年6月末時点の日本陸連の役員名簿でも、会長の欄には有森裕子さんの名前があります。

つまり有森裕子さんの現在の本業は、日本の陸上競技をまとめる団体のトップということです。

就任直後に迎えた東京2025世界陸上

会長に就任してすぐ、2025年9月には東京で世界陸上が開かれました。

有森裕子さんは開幕を前に日本経済新聞のポッドキャスト番組に出演し、「女性初」よりも「選手目線」を大事にしたいという考えや、大会にかける思いを語っています。

有森裕子さん自身、1991年の世界陸上東京大会の女子マラソンで4位に入った経験があります。

34年後に同じ東京での世界陸上を、今度は陸連のトップとして迎えたわけです。

……なんだか感慨深いですよね。

会長として出したコメント

2026年6月11日には、元日本陸連会長の河野洋平さんが89歳で亡くなったことが発表されました。

有森裕子さんは現会長としてすぐに追悼コメントを出し、自身が引退後に初めて陸連の理事に迎えられたときも温かく指導してもらったと振り返っています。

最後は「河野顧問の陸上界への強い思いをしっかりと引き継ぎ」全力を尽くす、という言葉で締めくくっていました。

こうしたコメントを見ても、有森裕子さんが今まさに陸上界の「顔」として動いていることが伝わってきます。

自ら会長に立候補したときの言葉とは

有森裕子さんは会長に選ばれた日の記者会見で、自分から会長に「立候補した」と明かしています。

推薦されて引き受けたのではなく、自分で手を挙げたんですね。

そのうえで、過去の自分の行動について「自分は組織に石を投げた」と率直に振り返ったと毎日新聞が伝えています。

ここ、ちょっと気になりますよね。

「組織に石を投げた」というのは、1990年代後半のプロ宣言をめぐる出来事のことと考えられます。

プロ宣言で陸連とぶつかった過去

有森裕子さんはアトランタ五輪のあと、1996年の暮れにリクルートから独立し、1997年春からプロとしての活動を始めました。

当時の陸上選手は、競技を利用してお金を得ることが陸連の規定で認められておらず、肖像権もJOCが一括で管理していました。

そのため有森裕子さんは陸連にプロ活動を認めてほしいと求めましたが、「ひとりに特例を認めるわけにはいかない」という反対もあり、話はなかなか進みませんでした。

結論が出ないままCMに出演し始めると、マスコミからは「銭ゲバ」「金の亡者」といった厳しい言葉も浴びせられたそうです。

これはきつかったでしょうね…。

それでも1998年夏、陸連は規定を改め、選手のプロ化を事実上認めることになりました。

JOCも選手の肖像権をまとめて管理するやり方をやめています。

のちに高橋尚子さんもプロの道に進み、「有森さんが道を切り拓いてくれたからこそ進みやすくなった」という趣旨の感謝を語っています。

「女性初」よりも「選手目線」

かつて組織とぶつかった側の人が、今度はその組織のトップに自分から名乗り出たわけです。

就任後のインタビューでも、有森裕子さんは「女性初」という肩書きより「選手目線」で陸上界を変えていきたいという姿勢を打ち出しています。

選手として制度の壁にぶつかった経験があるからこそ、今度は内側から選手が走りやすい環境をつくろうとしている、というのが現在の有森裕子さんの立ち位置です。

世界陸連やIOCでも務める国際的な役職

有森裕子さんの現在の肩書きは、日本陸連の会長だけではありません。

むしろ「国際的な役職の多さ」にびっくりする方も多いと思います。

所属事務所のアニモが公開しているプロフィールでは、現在の活動として次のような役職が並んでいます。

分野 現在の主な役職
国際 国際オリンピック委員会(IOC)Olympism365委員会委員
国際 ワールドアスレティックス(世界陸連)カウンシルメンバー
国際 アジア陸上競技連盟カウンシルメンバー
国内の競技団体 日本陸上競技連盟 会長
社会活動 認定NPO法人ハート・オブ・ゴールド 代表理事
大学スポーツ 一般社団法人大学スポーツ協会 副会長
教育 日本体育大学・日本体育大学女子短期大学部 客員教授
マラソン 一般財団法人東京マラソン財団 理事
その他 観光庁スポーツ観光マイスター、日本AED財団AED大使、ローレウスアンバサダーなど

特に大きいのが、世界陸連の理事(カウンシルメンバー)に選ばれていることです。

世界の陸上競技の方針を決める場に、日本人として加わっているということになります。

IOCでも以前から委員会のメンバーを務めていて、2010年には日本人として初めて「IOC女性スポーツ賞」を受けています。

地域の大使もたくさん

国際的な肩書きの一方で、地域の応援役もたくさん引き受けています。

福島県しゃくなげ大使、名寄ひまわりまちづくり大使、かしわざき大使、ゆすはら未来大使、高岡市観光親善大使、笠岡応援大使、安曇野市スポーツ大使など、全国各地の大使に名を連ねています。

世界と地方の両方を行き来している感じで、正直スケジュールがどうなっているのか想像がつきません。

現在の有森裕子さんは、国内の陸上界だけでなく世界の陸上とオリンピックの意思決定にも関わる立場にいるということです。

陸連会長になるまでの引退後の歩み

有森裕子さんが現役を引退したのは、2007年2月の東京マラソンでした。

22km過ぎで転倒して膝や手から血を流しながらも、2時間52分45秒の5位で完走しています。

このとき40歳でした。

引退から会長就任までの主な出来事をまとめると、次のようになります。

年 出来事
2001年11月 東京国際女子マラソンのあと休養を宣言
2002年 スポーツマネジメント会社ライツ(現RIGHTS.)の設立に参加し取締役に
2007年2月 東京マラソンを最後に現役引退
2007年3月 日本陸連の理事に就任
2008年3月 スペシャルオリンピックス日本の理事長に就任(2023年まで15年間)
2010年 IOC女性スポーツ賞を日本人で初めて受賞
2014年1月 Jリーグの理事(非常勤)に就任
2015年11月 第1回おかやまマラソンで8年ぶりにフルマラソンを完走
2021年 日本陸連の副会長に就任
2025年6月 日本陸連の会長に就任

休養中に決めた会社づくり

2001年に休養を決めたのは、シドニー五輪で高橋尚子さんが金メダルを取ったのを見ても、自分も金を狙おうという気持ちが湧かなかったからだと言われています。

「何かが違う」と感じて頭をクリアにするための休養でしたが、1年もたたないうちに、仲間とアスリートのための会社をつくろうという話が持ち上がりました。

有森裕子さんは「宿命に逆らうのはやめよう」と考えて、この話に乗ったそうです。

こうして生まれたのがライツ(現RIGHTS.)で、現在の有森裕子さん自身のマネジメントは株式会社アニモが担当しています。

教員になる夢もかなえていた

有森裕子さんは学生時代、教師だった父親の影響で体育の先生を目指していました。

実業団に進んだことで一度はその道から離れましたが、現在は母校の日本体育大学で客員教授として講義を受け持っています。

若いころの「教員になる」という夢を、形を変えてかなえたわけですね。

……なんか、いいですよね。

引退後の20年近くを、競技団体・社会活動・教育の3つの場で積み重ねてきた結果が、現在の会長職につながっているといえます。

ハート・オブ・ゴールドなど続けている社会活動

有森裕子さんの現在を語るうえで外せないのが、長く続けている社会活動です。

中心にあるのが、1998年に自ら立ち上げた「ハート・オブ・ゴールド」で、現在も代表理事を務めています(2001年にNPO法人化)。

きっかけは、アトランタ五輪直後の1996年冬にカンボジアのレースに招かれたことでした。

地雷被害者の支援を目的とした「アンコールワット国際ハーフマラソン」の運営に力を注ぎ、現地の人たちが自分たちで大会を運営できるようになった今も支え続けています。

ハート・オブ・ゴールドでは、カンボジアの教育・青少年・スポーツ省と協力して、小・中・高校の体育のカリキュラムと指導書を整えてきました。

さらに4年制の体育大学の設立も支援し、体育の先生を育てる仕組みまでつくっています。

国連の親善大使とスペシャルオリンピックス

2002年から2010年までは、国連人口基金(UNFPA)の親善大使としてアフリカやアジアを訪れ、HIV/エイズや女性の地位向上といった問題に取り組みました。

有森裕子さんが「スポーツには社会を変える力がある」と強く実感したのは、このときの経験だったそうです。

知的障がいのある人のスポーツ参加を支えるスペシャルオリンピックス日本では、2008年から2023年まで15年間理事長を務め、現在もユニファイドスポーツ®アンバサダーとして関わりを続けています。

子どもを「ほめる」より「認める」

RIGHTS.では、子どもたちが共同生活をしながらいろいろな体験をするキッズキャンプも開いています。

そこで有森裕子さんは、子どもをほめるときに「よく頑張ったね」とは言わず、「どうだった?」と聞くようにしているそうです。

頑張ったかどうかは本人が一番分かっている、という考えからなんですね。

「自分で自分をほめたい」と言った人らしいエピソードで、個人的にすごく好きな話です。

スポーツで社会を変えるという活動は、会長になった現在も有森裕子さんのライフワークとして続いています。

2026年の近況は講演やイベントで全国へ

2026年に入ってからも、有森裕子さんの動きはかなり活発です。

2026年7月には、北海道で行われた「ホクレン・ディスタンスチャレンジ2026」の深川大会(7月15日)と士別大会(7月18日)に、日本陸連会長として激励に訪れたことが公式Instagramで紹介されていました。

同じ7月には、瀬古利彦さんが会長を務める「日本陸上倶楽部」に入会し、瀬古さんとの対談の様子が報じられています。

瀬古さん自身も、有森裕子さんを招いて「居酒屋対談」をしたと報告していました。

ほかにも2026年7月にはビジネス映像メディアのPIVOTに出演し、8月には大阪倶楽部の公開講演会「すべてを力に」に登壇しています。

2026年7月28日は、アトランタ五輪で銅メダルを取ってからちょうど30年の日でした。

これに合わせて文春オンラインが有森裕子さんの歩みを振り返る連載を出していて、改めて注目が集まった年でもあります。

講演とマラソン大会での応援

有森裕子さんは「スポーツは生きる力になる」を信念に、講演やマラソンイベント、ランニング教室で全国を回っています。

主な講演テーマは「よろこびを力に」「すべてを力に」、そして「分からないことが面白い」です。

また、マラソン大会で声を張り上げて何時間も全力で応援し続ける姿は、市民ランナーにはおなじみの光景になっているそうです。

地元の岡山では「おかやまマラソン」のスペシャルアンバサダーも務めています。

プライベートの楽しみ

所属事務所のプロフィールによると、有森裕子さんの好きなことは風景撮影、レトロな喫茶店めぐり、アンティーク食器・雑貨の収集、旅、筋トレ・ピラティスです。

陸連会長という堅い肩書きからは想像しにくい、ちょっとかわいらしい趣味ですよね。

会長としての仕事の合間にも、講演や大会の応援で全国を飛び回っているのが2026年の有森裕子さんです。

有森裕子の現在を調べる人向けの関連情報

ここからは、有森裕子さんの現在とあわせてよく調べられている、元夫や子供、年齢、年収、実家についてまとめます。

元夫ガブリエル・ウィルソンとの結婚と離婚

有森裕子さんは1998年に、アメリカ人男性のガブリエル・ウィルソンさんと結婚しています。

ところが結婚後まもなく、夫の借金問題が報じられて騒動になりました。

有森裕子さんは取材を断らず、2人そろって記者会見を開いたうえで、いったん別居を選んでいます。

一緒に住んでいると夫が自分に頼ってしまうので、夫が自力で借金を返せるよう距離を置いて見守ろうと考えたからだそうです。

夫のプライベートに踏み込んだスキャンダラスな報道も出ましたが、有森裕子さんは「2人だけの問題」として別れるつもりはまったくなかったといいます。

別居中も連絡を取り合い、1年後には再び一緒に暮らすようになりました。

1999年のボストンマラソンで自己ベストの2時間26分39秒を出して3位に入ったときも、夫の支えがあったと振り返られています。

離婚を公表したのは2012年

結婚生活はその後も10年あまり続きましたが、数年前から2人の活動拠点は別々になっていました。

そして2011年7月に離婚し、そのことを翌2012年6月25日にマスコミ各社へのFAXで公表しています。

FAXには「2人で何度も話し合い、いろいろ悩んだ上で出した結論です」とつづられていて、円満な離婚だったことがうかがえます。

時期 出来事
1998年 ガブリエル・ウィルソンさんと結婚
結婚後まもなく 夫の借金問題が報じられ、記者会見を開いて別居
約1年後 再び一緒に暮らし始める
2011年7月 離婚
2012年6月 FAXで離婚を公表

離婚後、有森裕子さんが再婚したという発表は出ていません。

現在の有森裕子さんに夫はおらず、元夫のガブリエルさんとは2011年に離婚しています。

子供はいる?

有森裕子さんに子供がいるという公表はありません。

Wikipediaや所属事務所のプロフィールにも、子供についての記載は見当たりませんでした。

ただ、子どもと関わる活動はとても多い人です。

RIGHTS.のキッズキャンプで子どもたちと向き合ったり、ハート・オブ・ゴールドでカンボジアの子どもたちの体育の授業づくりを支えたりしています。

「有森裕子 子供」と検索すると、こうした子どもたち向けの活動の話題が一緒に出てくるのかもしれません。

有森裕子さんに子供がいるという情報は、現時点では出ていません。

何歳?現在59歳で12月に還暦

有森裕子さんは1966年12月17日生まれで、2026年9月時点で59歳です。

2026年12月17日の誕生日で60歳、つまり還暦を迎えます。

日本陸連の会長に選ばれたときは58歳でした。

現役を引退したのが40歳なので、引退してからもうすぐ20年がたつことになります。

それでも講演やマラソン大会の応援で全国を回っていて、年齢を感じさせない動きっぷりですよね。

年収は非公表で収入源は講演など

有森裕子さんの年収は公表されていません。

陸連会長としての報酬についても、具体的な金額は明らかになっていないです。

ただ、収入の形については手がかりがあります。

有森裕子さんはプロ宣言したときから、CMや講演活動で収入を得て、そこから生活費やチームの運営費をまかなうという形を目指していました。

現在も講演活動を続けていて、講演会の講師紹介サイトにもプロフィールが掲載されています。

金額は非公表ですが、講演を中心とした活動が収入源のひとつになっていると考えられます。

実家は岡山市で父は教師

有森裕子さんの実家は岡山県岡山市です。

岡山市立牧石小学校、岡山市立岡北中学校を経て、就実高校に進んでいます。

父親は教師で、有森裕子さんが日本体育大学に進んだのも、体育の先生を目指したのも父親の影響だったそうです。

父・有森茂夫さんと母・有森広子さんは、娘について書いた本を何冊も出しています。

母親は周りの声に振り回されて、結婚騒動のときには離婚するよう忠告したこともあったそうです。

地元・岡山とのつながり

岡山市には2003年に記念館「アニモ・ミュージアム」が開館し、2004年には岡山県総合グラウンドの陸上競技場に有森裕子さんのブロンズ像が設置されました。

2025年11月7日には、岡山市市民栄誉賞も受けています。

2015年からは「おかやまマラソン」のスペシャルアンバサダーを務めていて、地元とのつながりは今も続いています。

有森裕子の現在のまとめ

  • 有森裕子の現在は日本陸上競技連盟(日本陸連)の第9代会長
  • 2025年6月25日の理事会で会長に選ばれ、女性と五輪経験者の就任は初めて
  • 就任の記者会見で自ら会長に立候補したと明かした
  • 過去のプロ宣言を「組織に石を投げた」と振り返った
  • 「女性初」より「選手目線」を掲げて陸上界に向き合っている
  • 世界陸連のカウンシルメンバーやIOC Olympism365委員会委員も務める
  • 2007年2月の東京マラソンを最後に40歳で現役引退
  • 引退直後の2007年3月に日本陸連の理事となり、2021年に副会長
  • 1998年設立のハート・オブ・ゴールドで代表理事を続けている
  • スペシャルオリンピックス日本の理事長を2008年から15年間務めた
  • 2026年もホクレン・ディスタンスチャレンジの激励や講演で全国を回っている
  • 元夫ガブリエル・ウィルソンとは2011年7月に離婚し、2012年に公表
  • 子供がいるという公表はない
  • 1966年12月17日生まれの59歳で、2026年12月に還暦を迎える
  • 実家は岡山県岡山市で、父は教師

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