テニスのマクラクラン勉さん、いつの間にか試合の記録が途切れていて「引退したのかな」と検索した方は多いのではないでしょうか。
調べても日本語のニュースが出てこないので、余計に気になりますよね。
実は引退そのものは事実で、本人の言葉もきちんと残っています。ただ、それが語られた場所が日本ではなかったんです。
・マクラクラン勉の引退がいつ成立したのかと最後の公式戦
・本人が地元紙で語った引退の理由と唯一のためらい
・日本で報じられなかった事情と現在のコーチとしての役割
マクラクラン勉の引退の真相
「引退したの?」と検索しても日本のニュースが出てこない、あの違和感の正体をここではっきりさせます。
答えを先に言うと、引退は事実です。ただし発表された場所が日本ではなかった、というのがこの話のポイントなんですよ。
日本では引退発表が出ていない
まず、多くの人が引っかかっているところから片付けましょう。
日本国内では、マクラクラン勉さんの引退に関する公式発表も引退会見も確認できません。
日本テニス協会からのリリースもなければ、所属先からのアナウンスもない。
スポーツ紙が「引退」と報じた記事も見当たりません。
実際、テニス365やスポーツナビといった国内の選手データベースを見ても、引退の表記はどこにも入っていないんです。
ただ、変化のサインは残っています。
| 確認できる状態 | 内容 |
|---|---|
| ATPランキング | スポーツナビの選手ページで「未定」表記 |
| 2024〜2026年のシーズン成績 | すべて「-」でデータなし |
| 最後の公式戦 | 2024年1月18日の全豪オープン男子ダブルス1回戦 |
2024年1月を最後に、試合の記録がぴたりと止まっています。
でも「引退します」という言葉はどこにもない。
これでは検索した人がモヤモヤするのも当然ですよね。
地元ニュージーランドで語った引退
ではどこに答えがあるのか。
結論から言うと、ニュージーランドの地元紙が、本人への取材つきで引退を報じていました。
マクラクラン勉さんはニュージーランドのクイーンズタウン出身です。
その地元エリアをカバーするオタゴ・デイリー・タイムズ紙が、2024年4月4日付の記事で引退を伝えていました。
しかも通り一遍の報道ではなく、本人が引退を決めた経緯を自分の言葉で語る内容になっています。
つまり隠していたわけでも、うやむやにしたわけでもなかったんですね。
日本語で探しても出てこなかっただけ、というのが実際のところです。
引退の話が日本で広まったきっかけ
日本のテニスファンの間で話が回り始めたのは、2024年3月ごろでした。
きっかけはITIA(国際テニス誠実性機構)が公開している引退選手リストに名前が載ったことです。
これに地元紙の記事を合わせて「引退したらしい」という形で、まとめサイトや掲示板に広がっていきました。
裏を返せば、公式発表を待っていたファンは誰も気づけなかったということになります。
ここ、けっこう寂しい話だと思いませんか。
引退の理由は4つあった
地元紙の取材で、本人が引退の理由をかなり具体的に語っています。
整理すると、大きく4つでした。
| 理由 | 内容 |
|---|---|
| 迷いの期間 | ここ2年ほど引退を考え続けていた |
| 成績の低下 | ツアーでのパフォーマンスが落ちていた |
| 家族の変化 | 妻ジョージアさんの妊娠 |
| 生活の限界 | ニュージーランド出身でオフシーズンにしか帰国できない生活への疲れ |
とくに大きかったのが4つ目だと語られています。
ツアー選手というのは1年の大半を海外の大会で過ごします。
日本代表として戦っていたマクラクラン勉さんにとって、母国ニュージーランドは「オフの間だけ帰れる場所」でした。
これが10年続いたわけです。
本人はこう振り返っています。
「10年をツアーで過ごした。自分にとっては、それで十分な時間だったと思う」
唯一の迷いは「まだ若い」ということだった
一方で、決断をためらわせた要素もあったそうです。
本人が挙げているのは「ダブルスの世界では、自分はまだ若い」という一点でした。
ダブルスはシングルスに比べて選手寿命が長い種目です。
30代後半まで第一線で戦う選手も珍しくありません。
引退当時の年齢は31歳ですから、確かに続けようと思えばまだ続けられた年齢でした。
……そう考えると、余計に「本当にこれでよかったのか」と自問した時間があったんだろうなと思います。
最後の公式戦は2024年の全豪オープン
引退の時期を具体的に見ていきましょう。
記録上、最後の公式戦になったのは2024年1月18日の全豪オープン男子ダブルス1回戦でした。
このときのペアは西岡良仁さんです。
対戦相手のD.モルチャノフ/N.シャシッチ組に敗れ、初戦敗退で大会を去っています。
そしてこの試合を最後に、公式戦の出場記録は途絶えました。
地元紙は引退の時期を「2024年の初め」と表現しています。
つまり全豪オープンが、そのまま現役最後の舞台になったということですね。
引退試合は用意されなかった
日本のテニスファンの間では、この点を惜しむ声も出ていました。
マクラクラン勉さんは楽天ジャパン・オープン(現在の東京大会)を2017年・2018年と連覇した選手です。
日本のホーム大会で優勝経験のある選手ですから、引退セレモニーが組まれてもおかしくない実績でした。
それを待たずに、静かにコートを去ったことになります。
これは正直、少し切ないですよね。
引退が日本で報じられなかった事情
なぜ日本のメディアは取り上げなかったのでしょうか。
ここからは筆者の見立てになりますが、いくつか条件が重なっていたと考えられます。
ひとつは、本人が引退会見や声明を出さなかったこと。
日本のスポーツ報道は基本的に「発表があってから記事にする」という流れで動きます。
発表がなければ、記事の起点そのものが生まれません。
もうひとつは、本人の生活拠点がニュージーランドにあったことです。
引退を語ったのも母国の地元紙で、日本の記者が接触する場面自体がなかったと考えられます。
そして3つ目が、ダブルス専門の選手だったことです。
日本のテニス報道はどうしてもシングルスが中心になります。
「発表なし・海外在住・ダブルス専門」という3つが重なった結果、引退が日本語の情報として残らなかったわけです。
検索しても出てこないのには、ちゃんと理由があったんですね。
引退後は父親業とコーチ業
引退後の生活についても、本人が語っています。
引退直後のインタビューでは「人生でこんなに忙しかったことはない」と話していました。
理由は、この時期にお子さんが生まれたからです。
引退後はジョジョちゃんという娘さんの育児に専念する日々を送っていました。
妻のジョージアさんは不動産の仕事に就いており、家庭では父親として過ごす時間が中心になっていたようです。
「ジョジョは最高だよ。すごく楽しいし、間違いなく僕をとても忙しくさせてくれる。しばらく一か所にいられるのはいいものだね」
こんなふうにも語っていました。
……なんか、いいですよね。10年間ずっと移動し続けた人が「一か所にいられるのがいい」と言うのは。
拠点はクイーンズタウンに定めた
生活の拠点も固まりました。
引退時点で、クイーンズタウンのフェルンヒルという地区に2ベッドルームの住居を購入し、改装を進めていたと報じられています。
また、地元のクイーンズタウン・テニスクラブで若手の育成に関わりたいという意向も語っていました。
コーチングに進む可能性についても、この時点から触れられていたんです。
なお、現役復帰の予定については「今のところない」としつつ、「things change(状況は変わるものだから)」とも付け加えていました。
完全に扉を閉めきったわけではない、という言い方ですね。
日本代表デビスカップのコーチに就任
そして、ここが一番の見どころかもしれません。
マクラクラン勉さんは、引退から1年ほどでテニスの現場に戻ってきています。
現在は日本代表のデビスカップチームにコーチとして関わっています。
2025年2月の対イギリス戦で帯同し、同年9月の対ドイツ戦でも同じ役割を担いました。
役割はダブルス担当です。
本人はこう説明しています。
「ダブルスに出る選手が誰であれ、その選手を仕上げるのが僕の仕事だ」
ダブルスで世界18位まで上り詰めた選手が、ダブルス専任のコーチとして代表に付く。
これ以上ないくらい適材適所ですよね。
キャプテンは現役時代のペア
面白いのは、日本代表のキャプテンを務める添田豪さんとの関係です。
添田豪さんは現役時代に、マクラクラン勉さんとダブルスを組んだ経験があります。
かつてコートで並んで戦った2人が、いまはベンチで日本代表を支えているわけです。
引退したから終わり、ではなかったということですね。
個人的にすごく好きなんですよね、こういう続き方。
ファンの受け止め
最後に、周囲の反応も見ておきます。
引退の話が出回った2024年3月、日本のテニス系まとめサイトでは驚きの声が並びました。
とくに多かったのが「まだ若いのに」という反応です。
当時31歳という年齢は、ダブルス選手としては早い引退にあたるためですね。
一方で、活躍を振り返る書き込みも目立ちました。
「2年連続で楽天で優勝したのを現地で見ていた」という声や、ヤン=レナード・シュトルフさんと組んでいた時期を「グランドスラム優勝も夢じゃないと思っていた」と評価する声もありました。
日本のファンにとっては、楽天ジャパン・オープン連覇の印象が特に強かったようです。
ただ、その後は固定パートナーが定まらない時期が続いたという指摘もありました。
こうして見ると、日本のファンはきちんと見ていたし、覚えていたんですよね。
……だからこそ、発表なしで去ってしまったのが惜しまれるのだと思います。
マクラクラン勉の引退を調べる人向けの関連情報
ここからは、マクラクラン勉さんについて一緒に検索されることの多いテーマをまとめます。
どんな選手だったのかを知ると、引退の意味もより立体的に見えてきますよ。
日本国籍を取得した経緯
そもそも、なぜニュージーランド出身の選手が日本代表なのか。
ここが気になる方は多いはずです。
マクラクラン勉さんは1992年5月10日、ニュージーランドのクイーンズタウンで生まれました。
母親のユリコさんが日本人で、その国籍を受け継ぐ形で2017年6月に日本国籍を取得しています。
「勉」という名前からも分かるとおり、もともと日本にルーツを持つ選手だったんですね。
国籍変更後の動きは早く、同じ2017年の9月にはデビスカップで日本代表に初選出されました。
そして10月の楽天ジャパン・オープンでダブルス初優勝を飾ります。
国籍を変えたその年のうちにホーム大会を制したわけですから、いきなりのインパクトでした。
なお父親はクレイグさん、兄のリキさんはテニスコーチをしています。
家族ぐるみでテニスに関わってきた環境だったことがうかがえます。
ダブルスで残した7つのATPタイトル
キャリアの実績も整理しておきましょう。
マクラクラン勉さんはダブルスを主戦場にした選手で、ATPツアーで通算7つのタイトルを獲得しています。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| ATPダブルスタイトル | 7勝 |
| ダブルス自己最高ランキング | 世界18位(2018年11月) |
| 賞金総額 | 約250万ドル |
| 楽天ジャパン・オープン | 2017年・2018年と連覇 |
| ツアー生活 | 約10年間 |
ダブルスで世界18位というのは、日本のテニス史のなかでも相当に高い位置です。
とくに2018年は充実していて、この年にキャリアハイのランキングをマークしています。
なお、日本語版のWikipediaではタイトル数が5勝と記載されていますが、本人取材を行った地元紙やテニス専門メディアは7タイトルとしています。
四大大会と東京五輪での成績
大きな舞台での戦績も見ておきます。
四大大会では、次のような成績を残しました。
| 大会 | 最高成績 | 年 |
|---|---|---|
| 全豪オープン | ベスト4 | 2018年 |
| ウィンブルドン | ベスト8 | 2018年・2021年 |
| 全米オープン | ベスト8 | 2019年 |
とくに2018年の全豪オープンは、ドイツのヤン=レナード・シュトルフさんとのペアでベスト4まで勝ち上がりました。
四大大会で日本人選手がダブルスのベスト4に入るというのは、そう何度もあることではありません。
そして2021年には東京オリンピックにも出場しています。
男子ダブルスでは錦織圭さんとペアを組んで準々決勝進出、混合ダブルスでも柴原瑛菜さんと組んで準々決勝に進みました。
自国開催の五輪で2種目ともベスト8というのは、堂々たる結果です。
妻ジョージアと娘のジョジョ
引退理由にも直結した家族の話です。
マクラクラン勉さんは2023年1月に挙式を挙げ、その様子をSNSで報告しました。
お相手のジョージアさんは、なんと地元クイーンズタウンの小学校からの同級生だそうです。
小学校の同じクラスからの縁というのは、なかなか聞かない話ですよね。
……これはちょっと、いい話だなと思いました。
ジョージアさんはフィットネストレーナーとして働いていた時期があり、現在は不動産の仕事に就いています。
そして2024年に娘のジョジョちゃんが誕生しました。
この妊娠と出産が、引退を後押しした要素のひとつだったと本人が語っています。
家族には愛犬のミロも加わっていて、イングリッシュ・スプリンガー・スパニエルとのこと。
現在の拠点クイーンズタウンでの生活
最後に、現在の暮らしぶりをまとめます。
マクラクラン勉さんはニュージーランドのクイーンズタウンを拠点にしています。
引退時点でフェルンヒル地区に住居を購入し、改装を進めていました。
10年にわたって世界中を移動し続けた生活から、故郷に腰を据える生活へ切り替えたということです。
普段は娘さんの育児を担いながら、デビスカップの日本代表戦のときにクイーンズタウンを発って現地入りするというスタイルです。
2025年9月の対ドイツ戦の際も、日曜日にクイーンズタウンを出発したと報じられていました。
家族と過ごす時間を確保しながら、テニスにも関わり続ける。
引退という言葉から想像するよりも、ずっと忙しくて充実した日々を送っているようです。
マクラクラン勉の引退のまとめ
- 日本国内では引退の公式発表・引退会見が確認できない
- 引退そのものは事実で、地元ニュージーランドの新聞が本人取材つきで報じた
- 報じたのは2024年4月4日付のオタゴ・デイリー・タイムズ紙
- 日本で話が広まったのは2024年3月、ITIAの引退選手リスト掲載がきっかけ
- 本人が語った引退理由は「2年間の迷い」「成績の低下」「妻の妊娠」「母国に帰れない生活への疲れ」の4つ
- 唯一ためらった点は「ダブルスの世界ではまだ若い」ということだった
- 記録上の最後の公式戦は2024年1月18日の全豪オープン男子ダブルス1回戦
- 最後のペアは西岡良仁で、初戦敗退に終わった
- 引退セレモニーや引退試合は用意されなかった
- 日本で報じられなかったのは「発表なし・海外在住・ダブルス専門」が重なったためとみられる
- 引退直後は娘ジョジョの育児に専念していた
- 2025年からデビスカップ日本代表にダブルス担当コーチとして帯同している
- 日本代表キャプテンの添田豪とは現役時代にダブルスを組んだ間柄
- 現役時代はATPダブルス7勝、自己最高は世界18位、賞金総額は約250万ドル
- 現在の拠点はニュージーランドのクイーンズタウン


