岸田智史の現在は岸田敏志として活動中!73歳で音楽監督も務める今の仕事とは

岸田智史の現在は岸田敏志として活動中!73歳で音楽監督も務める今の仕事とは

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「きみの朝」の岸田智史さん、最近どうしているのか気になっている方は多いのではないでしょうか。

実は岸田智史さんは2000年に「岸田敏志」へ改名していて、73歳になった今もステージに立ち続けているんです。

この記事では、岸田智史さんの現在の仕事や、テレビで見かけなくなった時期に何があったのか、家族のことまでまとめました。

この記事を読むとわかること
・岸田智史さんの現在の芸名と、改名した理由
・73歳の今の仕事(デビュー50周年ツアー・舞台の音楽監督)
・テレビで見かけなくなった2011年の追突事故と、復帰までの歩み

岸田智史の現在は岸田敏志として歌い続けている

岸田智史さんは今も現役で、名前を岸田敏志に変えて歌と舞台の仕事を続けています。

ここでは改名のことから、73歳の今の活動、テレビで見かけなくなった時期のことまで順番に見ていきますね。

現在の芸名は岸田敏志!2000年に改名した理由

まず知っておきたいのが、岸田智史さんは今、岸田敏志という芸名で活動しているということです。

読み方はどちらも「きしだ さとし」で、変わったのは漢字だけなんですよ。

改名したのは2000年で、デビューから20年以上たってからのことでした。

項目内容
旧芸名岸田智史(きしだ さとし)
現在の芸名岸田敏志(きしだ さとし)
本名稲田英彦(いなだ ひでひこ)
改名した年2000年

「きみの朝」がヒットしたのは1979年なので、ヒット曲のレコードやCDには旧芸名の岸田智史が載っています。

ソニーミュージックの公式ページも、今も「岸田 智史」の名前で残っているんですよね。

そのため、昔を知っている方ほど岸田智史の名前で検索して、今の名前にたどり着けないということが起きやすいのかなと思います。

昔の岸田智史さんと今の岸田敏志さんは同じ人で、今も名前を変えて活動を続けています。

改名のきっかけはミレニアム

改名の理由については、世の中がミレニアムで盛り上がっていた2000年に「何か注目を浴びることをしたい」と考えたのがきっかけだったと紹介されています。

あわせて、それまでの「智史」という字が書きづらく、しっくりきていなかったことも理由として挙げられています。

読みを変えずに字だけ変えるというのは、ファンを戸惑わせずに新しいスタートを切れる方法ですよね。

節目の年に気持ちを新たにしたかったのかも、と想像するとちょっと親しみがわきます。

73歳でデビュー50周年記念ツアーを開催

岸田智史さんは1953年4月生まれで、2026年に73歳になりました。

歌手デビューは1976年11月21日で、デビュー曲は谷村新司さんが作詞を手がけた「蒼い旅」です。

そこから数えて2026年がデビュー50周年にあたり、記念のコンサートツアーが開かれました。

日程(2026年)会場
6月21日東京・銀座BASE GRANBELL
6月27日岡山・ルネスホール
6月28日大阪・心斎橋PARCO SPACE14
7月5日沖縄・北谷モッズ
7月18日名古屋・SPADEBOX

全5か所をまわるツアーで、公式サイトでは「沢山の思い出に支えられて」ツアーがスタートすると本人のコメントが紹介されていました。

50年も歌い続けて、70代で全国をまわるって本当にすごいことですよね。

「きみの朝」の頃の思い出話も

ツアーを前にしたスポーツ紙のインタビューでは、「きみの朝」がヒットしていた頃の思い出も語られています。

埼玉方面でライブをしたとき、いつも出待ちをしている中学生がいて、「あの歌をどんな気持ちで歌っているのか」と質問してきたそうです。

その熱心さにマネージャーも感心していたというエピソードで、当時の人気ぶりが伝わってきます。

……なんか、いいですよね、こういう話。

地元・岡山でも記念公演

ツアーの2か所目は、出身地の岡山県にあるルネスホールでした。

地元の新聞でも、岡山県真庭市出身の岸田敏志さんがデビュー50周年の記念公演を開くと取り上げられています。

さらに公式サイトでは、ANAクラウンプラザホテル岡山でのデビュー50周年記念ディナーショーも案内されていました。

73歳の今も、デビュー50周年を全国ツアーで祝えるほど、現役の歌手として活動しています。

舞台やミュージカルの音楽監督としての仕事

歌手としてのステージだけでなく、今の岸田智史さんには舞台の音楽をつくる仕事もあります。

ここ、意外と知られていないところかもしれません。

2023年から続いているミュージカル「KANO~1931甲子園まで2000キロ~」では、楽曲制作と音楽監督を担当しています。

さらに2024年8月には、松竹の舞台「カルメン故郷に帰る」の音楽も手がけました。

作品担当
ミュージカル「KANO~1931甲子園まで2000キロ~」(坊っちゃん劇場)楽曲制作・音楽監督
松竹「カルメン故郷に帰る」(2024年8月~)音楽
「トリッパー遊園地」「未来記の番人」「サラリーマンナイトフィーバー」「毒薬と老嬢」楽曲提供・音楽監督

2024年のインタビューでも、今は楽曲制作や音楽監督の仕事を担当していると紹介されていました。

俳優としても「ミス・サイゴン」「回転木馬」「屋根の上のヴァイオリン弾き」といったミュージカルに出てきた経験があるので、舞台の音楽を任されるのも自然な流れですよね。

ほかにもナレーターやDJなど、声を使う仕事もこなしてきました。

今の岸田智史さんは、歌う人であると同時に、舞台の音楽をつくる人でもあるんです。

2025年の新アルバムと能登の復興応援ライブ

新しい曲づくりも止まっていません。

2025年9月27日には、アルバム『日本歌紀行』を発売しています。

全10曲入りで、「トゥシビー」「島んちゅの憂鬱」「備前焼まつり」「日光」など、日本各地を歌で旅するような曲名が並んでいます。

「備前焼まつり」は地元・岡山の焼き物を題材にした曲で、岸田智史さんは陶芸にも取り組んでいると紹介されることもあります。

能登の被災地で歌う予定も

2026年10月2日には、能登半島地震の被災地を応援する「フォーク魂コンサート」第3弾が、石川県珠洲市のラポルトすずで開かれる予定です。

出演は岸田敏志さん、清水国明さん、大野真澄さんと、同じ時代を歌ってきた顔ぶれです。

被災地まで出向いて歌を届けるというのは、じんわりしますよね。

公式サイトでは、ほかにも「弾き語り語らいライブ」の案内や、ファンクラブ「岸田敏志ファンランドボイジャー」の会員募集が載っています。

アメーバブログ「From kissy」やXでも近況を発信しているので、今の様子はそちらで追いかけることができます。

新作アルバムを出し、被災地でのライブにも出るなど、今も新しい活動を重ねています。

テレビで見かけなくなった理由と2011年の事故

では、なぜ「最近見ない」と感じる方が多いのでしょうか。

テレビでよく見かけた役といえば、『渡る世間は鬼ばかり』の山下健治役ですよね。

この出演は1990年から2011年まで続いていました。

そして同じ2011年の11月、岸田智史さんは首都高速の三郷料金所で追突事故にあっています。

後ろから強い衝撃を受けて頸椎と腰椎を痛め、左手の小指と左足にしびれや麻痺が残ったそうです。

ギターが弾けなくなり、決まっていたライブツアーを含めて仕事をすべてキャンセルすることになりました。

ミュージシャンにとって楽器が弾けないというのは、本当につらかったでしょうね…。

時期出来事
1990年~2011年『渡る世間は鬼ばかり』に山下健治役で出演
2011年11月首都高速・三郷料金所で追突事故にあう
事故のあとツアーなどの仕事をすべてキャンセルし、リハビリに専念
約1年半後リハビリを終えて回復
2013年10月約3年ぶりの全国ツアーを開催

約1年半のリハビリを経て回復し、2013年10月には約3年ぶりとなる全国ツアーで戻ってきました。

長く出ていたドラマの区切りと事故が同じ年に重なったことを考えると、このあたりからテレビで見る機会が減ったのは自然なことだったのかなと推測できます。

復帰後はテレビよりも、コンサートや舞台の仕事が活動の中心になっています。

テレビで見かけなくなったのは、2011年の事故とその後のリハビリで仕事から離れた時期があり、復帰後はライブや舞台を中心にしているからだと考えられます。

きみの朝で大ブレイクした全盛期と今の違い

岸田智史さんの名前を一気に広めたのは、1979年3月21日に発売された「きみの朝」です。

作詞は岡本おさみさん、作曲は岸田智史さん本人で、ドラマ『愛と喝采と』の挿入歌として使われました。

このドラマで岸田智史さんは俳優デビューも果たしていて、歌と演技の両方で注目を集めることになります。

「ザ・ベストテン」にも出演し、サザンオールスターズの「いとしのエリー」と上位を争ったと紹介されています。

翌1980年には、学園ドラマ『1年B組新八先生』で主演を務め、俳優としての立場も確かなものにしました。

項目全盛期(1979~1980年ごろ)現在(2026年)
芸名岸田智史岸田敏志
主な活動ヒット曲・テレビドラマの主演コンサートツアー・舞台の音楽監督
代表的な仕事「きみの朝」、『1年B組新八先生』デビュー50周年ツアー、ミュージカル「KANO」

ほかにも山口百恵さんに3曲を提供したり、大河ドラマ『北条時宗』『武蔵 MUSASHI』に出演したりと、幅広く活躍してきました。

テレビの真ん中にいた頃と比べると、今は表に出る場所がライブ会場や劇場に移ったという印象ですね。

全盛期はテレビで、今はステージと舞台の裏側で、形を変えながら音楽の仕事を続けているのが岸田智史さんです。

岸田智史の現在を調べる人向けの関連情報

ここからは、岸田智史さんの現在を調べる方がよく一緒に気にしている年齢や実家、家族のことをまとめます。

今は何歳?1953年4月生まれの73歳

岸田智史さんは1953年4月18日生まれで、2026年9月時点で73歳です。

項目内容
本名稲田英彦
生年月日1953年4月18日
出身地岡山県真庭郡落合町(現在の真庭市)
出身校岡山県立落合高校、京都教育大学教育学部体育学科
所属事務所フレンズ・ケイ・カンパニー

実は体育の教員免許を持っていて、学生時代は陸上に打ち込んでいたんですよ。

高校時代には走り幅跳びで岡山県大会3位に入り、大学でも陸上部の短距離選手でした。

ところが胃の病気で競技を続けられなくなり、そこから作詞作曲を始めたそうです。

え、歌の原点が陸上の挫折だったの!?って感じですよね。

73歳の今もツアーで全国をまわれるのは、陸上で鍛えた体力も支えになっているのかもしれません。

実家は岡山県真庭市で父は書家の稲田東川

岸田智史さんの実家があるのは、岡山県の真庭市です。

生まれた当時は真庭郡落合町で、今は合併して真庭市になっています。

お父さんは書家の稲田東川さんで、教育者の多い家系とも紹介されています。

岸田智史さんが教育大学に進んだのも、こうした家庭の空気と無関係ではなさそうですね。

2011年には、母校にあたる岡山県立真庭高校の校歌「風の階段」の作詞作曲も手がけました。

デビュー50周年ツアーでも岡山のルネスホールで公演を行うなど、地元とのつながりは今も続いています。

実家は岡山県真庭市で、書家の父のもとで育ち、今も地元・岡山との縁を大切にしています。

妻は一般の方で結婚の詳細は公表されていない

岸田智史さんの妻は芸能人ではなく、一般の方とされています。

結婚した時期や馴れ初めといった詳しいことは公表されていません。

ただ、息子さんと娘さんの2人の子どもがいることは知られていて、2人とも音楽の道に進んでいます。

2011年の事故のあと、家族の支えがあって復帰できたと紹介する記事もあります。

長いリハビリの時期を一緒に乗り越えた家族の存在は、やっぱり大きかったんじゃないかなと思います。

妻は一般の方で、結婚の詳細は表に出ていませんが、2人の子どもに恵まれています。

家族は子どもたちもステージに立つ音楽一家

岸田智史さんの家族は、子どもたちも音楽の仕事をしている音楽一家です。

続柄名前仕事
稲田東川さん書家
非公表一般の方
息子稲田しんたろうさんパーカッション奏者・ドラマー
稲田みづ紀さんミュージカル女優
娘の夫福井晶一さん俳優

息子の稲田しんたろうさんはパーカッション奏者で、中学生のころからドラムを始め、アリスの矢沢透さんに習ったと紹介されています。

お父さんのコンサートで演奏に参加することもあるそうです。

親子で同じステージに立てるって、読んでいてこちらまで温かくなりますね。

家族で音楽活動をしているのも、今の岸田智史さんの特徴のひとつです。

娘の稲田みづ紀はミュージカル女優

娘の稲田みづ紀さんは、ミュージカル女優として活動しています。

大作ミュージカルにも出演してきた実力派で、お父さんのツアーに参加したこともあります。

2018年には、同じくミュージカル俳優の福井晶一さんと結婚しました。

2人の間には息子さんが1人いて、岸田智史さんにとってはお孫さんにあたります。

お父さんがミュージカルで歌い、娘さんもミュージカルの舞台に立つ……親子で同じ世界を歩んでいるのは素敵ですよね。

娘の稲田みづ紀さんはミュージカル女優で、俳優の福井晶一さんと家庭を築いています。

岸田智史の現在のまとめ

  • 岸田智史は2000年に岸田敏志へ改名し、読みは同じ「きしだ さとし」
  • 改名はミレニアムで注目を集めたい思いと、智史の字が書きづらいことが理由とされる
  • 1953年4月18日生まれで、2026年に73歳
  • 1976年に「蒼い旅」で歌手デビューし、2026年がデビュー50周年
  • 2026年6~7月に全5か所のデビュー50周年記念ツアーを開催
  • 岡山ではデビュー50周年記念ディナーショーも案内されている
  • ミュージカル「KANO」で楽曲制作と音楽監督を担当
  • 2024年に松竹「カルメン故郷に帰る」の音楽を手がけた
  • 2025年9月にアルバム『日本歌紀行』を発売
  • 2026年10月に能登の復興応援ライブへ出演予定
  • 2011年11月に首都高速の三郷料金所で追突事故にあい、仕事をすべてキャンセル
  • 約1年半のリハビリを経て、2013年10月に全国ツアーで復帰
  • テレビで見かけなくなったのは、事故とその後の活動の変化が重なったためと考えられる
  • 実家は岡山県真庭市で、父は書家の稲田東川
  • 妻は一般の方で、息子は打楽器奏者、娘はミュージカル女優の稲田みづ紀

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