ソフトテニスの日本人初のプロ選手として走り続けた船水颯人さんが、選手活動に区切りをつけました。
ただ、船水颯人さんの引退理由を調べても答えがちぐはぐに見えるんですよね。実は「引退」と呼ばれるタイミングが二つあって、そこが混乱のもとになっているんです。
日本一を獲った翌月に国内を離れていた、と聞いたら驚きませんか。ここでは公表されている事実だけを時系列でたどって、何がいつ終わったのかをすっきり整理していきます。
・船水颯人の引退がいつ・どこで告げられたのか
・引退の時期が二つあるように見える理由
・2024年末の渡韓から引退までにたどった経緯
船水颯人の引退理由と発表までの経緯
船水颯人さんの引退理由について、どこまでが本人の言葉で、どこからが周囲の受け止めなのかを順番に整理していきます。
実は「引退」と呼ばれるタイミングが二つあって、そこが混乱の原因になっているんですよ。
引退理由は本人がどう語っているのか
まず先に、いちばん大事なところをお伝えしますね。
船水颯人さんの引退について、理由をはっきり言葉にした公式コメントは、大手メディアの報道としては見つかりませんでした。
確認できるいちばん強い手がかりは、本人の公式YouTubeチャンネル「船水颯人Official」に上がっている動画です。
そのタイトルが「2026年5月全日本シングルスで選手活動を引退します。」というもので、タイトルそのものが告知になっています。
つまり、引退そのものは本人の口から出ています。
一方で、その動画のなかで語られた理由の中身までは、外部の記事として整理された形では出回っていません。
ここ、少しもどかしいですよね。
「なぜ辞めるのか」を一文で説明した公式リリースがない以上、私たちがたどれるのは、本人が実際に選んできた行動の順番だけです。
そしてその順番を並べていくと、ひとつの筋が見えてきます。
船水颯人さんの引退は、突然の決断ではなく、2024年末に日本での活動を終えて韓国へ渡った時点から続いている流れの終着点だったと読むのが、いまのところ最も無理のない見方です。
唯一残っている「本人の言葉」は渡韓のときのコメント
引退の理由そのものではありませんが、船水颯人さんが自分の進路について語った言葉は、渡韓を発表したときに残されています。
「言葉も文化も違う異国の地で自分の可能性への挑戦が始まります」という一文です。
続けて「水原市庁の皆さんと一つでも多くのタイトルを獲得して喜びを分かち合いたい。それが水原市庁への最大の恩返しになります」とも話しています。
自分の可能性を試しに行く、という言い方をしているんですよね。
裏を返せば、その挑戦にひと区切りがついたときが、選手としての区切りにもなる。
そう考えると、2026年という時期の選び方にも納得がいくのではないでしょうか。
選手活動の区切りは2026年5月の全日本シングルス
本人が引退の舞台として名前を挙げたのが、全日本シングルスです。
これは日本のソフトテニスでシングルス日本一を決める大会で、船水颯人さんが過去に4度優勝している、いわば得意な舞台でもあります。
2026年の大会は、次のような日程と会場で行われました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 大会名 | 第33回全日本シングルスソフトテニス選手権大会 |
| 開催日 | 2026年5月15日〜17日 |
| 会場 | 岐阜メモリアルセンター長良川テニスプラザ(岐阜市) |
| 男子優勝 | 上松俊貴(NTT西日本)※自身の記録を更新する5連覇 |
| 男子準優勝 | 植田璃音(早稲田大学) |
| 女子優勝 | 天間麗奈(日本体育大) |
船水颯人さんにとっては、韓国へ渡ってから2年ぶりの全日本シングルス出場でした。
大会前の下馬評でも、優勝候補の上松俊貴さんに対する対抗の一番手として名前が挙がっていたほどです。
なにしろ、2017年以降に出場した全日本シングルスでは毎回決勝まで進んでいて、負けた相手が上松俊貴さんしかいない、という圧倒的な成績を残してきた選手ですから。
そのキャリアの締めくくりに、あえて自分がいちばん強かった舞台を選んだ。
……なんか、この選手らしいですよね。
大会レポートに名前が出てこないのはなぜか
ひとつ補足しておきたいことがあります。
専門メディアの大会レポート記事を確認すると、優勝した上松俊貴さんや女子優勝の天間麗奈さんについては詳しく書かれている一方で、船水颯人さんの名前は登場していませんでした。
これだけ見ると「本当に出場したの?」と不安になるかもしれません。
ただ、この手の大会レポートは優勝者と表彰台を中心に構成されるのが普通で、上位に残った選手全員を書くわけではないんですよ。
レポートに名前がないことは、出場しなかったことの証明にはならないという点だけ、押さえておいてください。
2024年の全日本選手権で国内活動は終了
ここからが、話がややこしくなるポイントです。
船水颯人さんは2026年より前に、一度「終わり」を迎えているんですね。
2024年11月の全日本ソフトテニス選手権大会、いわゆる天皇杯です。
この大会で船水颯人さんは上松俊貴さんとのペアで優勝しました。
ペアとしては2大会ぶり4回目、船水颯人さん個人としては5回目の天皇杯制覇という、文句のつけようがない結果です。
そして、この優勝が国内での最後の大会になりました。
翌12月16日、日本での6年間のプロ活動を終えて韓国リーグに挑戦することが発表されます。
同時に、日本代表としての活動も終えることになりました。
日本一を獲った直後に国内を離れる、という去り方だったんです。
タイトルを置き土産にして出ていくって、なかなかできることじゃないですよね。
このとき「引退」と受け取った人が多かった
発表直後、SNSには驚きの声があふれました。
日本代表としての活動を終える、という部分が強く伝わったこともあって、多くの人が「引退」として受け止めたんです。
実際、いまも当時の投稿には引退というハッシュタグが付いたままのものが残っています。
ここが、後から検索する人を混乱させている最大の原因だと思います。
韓国へ渡ったのは自分の可能性への挑戦
では、なぜ日本のトップにいながら韓国へ渡ったのか。
移籍先は、韓国の実業団チーム「水原(スウォン)市庁」です。
用具メーカーのヨネックスはこの契約発表を「追い続けた夢への挑戦」という言葉で伝えていて、思いつきの移籍ではなかったことがうかがえます。
水原市庁のイム・ギョソン監督も「船水選手にはチームのエースとして活躍してくれることを期待しています」とコメントを寄せました。
エースとして呼ばれた、ということですね。
さらに2025年1月には、ヨネックスとの総合契約も締結されています。
ラケット、シューズ、ストリング、ウェア、バッグ、アクセサリーまでを含む契約で、韓国での挑戦を用具メーカーが全面的に支える体制が整いました。
日本での実績を捨てて出ていったのではなく、支援を受けたうえで環境を変えにいったという形です。
韓国リーグはソフトテニスの最高峰リーグ
補足しておくと、韓国のソフトテニス実業団リーグは、世界でもトップクラスの厳しさで知られています。
船水颯人さん自身、渡韓前に「世界で最も強いチームになれるようにすべてを賭けてプレーしたい」と語っていました。
日本国内でこれ以上ないほど勝ち切ってしまった選手が、次に自分を試す場所として選んだのがそこだった。
そう考えると、自然な流れに見えてきませんか。
引退の時期が二つあるように見えるわけ
ここまでの内容を、いったん時系列で整理しておきますね。
| 時期 | 何が終わったのか |
|---|---|
| 2024年11月 | 全日本選手権で優勝。これが国内最後の大会に |
| 2024年12月 | 日本国内でのプロ活動と日本代表活動の終了を発表 |
| 2025年〜 | 韓国・水原市庁に所属して韓国リーグでプレー |
| 2026年5月 | 全日本シングルスをもって選手活動を引退すると本人が告知 |
こうして並べると分かりやすいと思います。
2024年末に終わったのは「日本国内でのプロ活動と日本代表活動」であって、選手をやめたわけではありません。
競技そのものからの引退を本人が告げたのは、2026年5月の全日本シングルスのほうです。
対象がまるで違うのに、どちらも「引退」という一語で語られてしまった。
だから検索しても答えがちぐはぐに見えるんですね。
ちなみに、Wikipediaの船水颯人さんのページには2026年時点でも引退という記述はなく、韓国リーグでプレー中という書き方のままになっています。
引退理由を調べて答えが出てこないのは、情報が隠されているからではなく、二つの出来事が同じ言葉で呼ばれているからです。
引退の発表に寄せられた世間の声
反応の大きさは、そのままこの選手が背負ってきたものの大きさでもありました。
SNSには「日本の代表として10年間世界にソフトテニスを伝えてくれてありがとうございました」という声や、「15年間本当にお疲れ様でした。船水選手はみんなにとっての憧れでした」という投稿が並びました。
なかには「いきなりの発表で悲しい」と、率直な気持ちをそのまま書いている人も多くいました。
……これ、読んでいるこちらまで少し寂しくなりますよね。
もうひとつ目立ったのが、ペアの心配です。
「ペアも解散なんですかね?」という投稿や、質問サイトに「上松さんのペアはどうなるのでしょうか」という相談が投げられていました。
自分の推しの引退を知って、真っ先に相方の心配をする。
ファンの温度感が伝わってくる反応だなと思います。
船水颯人の引退理由を調べる人向けの関連情報
引退の経緯が分かったところで、船水颯人さんについてよく一緒に検索されている内容もまとめておきます。
現在の所属や生い立ち、家族のことまで、気になるところを押さえていきますね。
現在は韓国の水原市庁でプレー
2025年シーズンから、船水颯人さんの所属は韓国の実業団チーム「水原市庁」です。
日本のクラブに籍を置きながら国内大会に出るのではなく、生活の拠点ごと韓国に移して戦ってきました。
2026年5月の全日本シングルスに出場したのも、韓国から一時的に日本へ戻ってきた形になります。
言葉も文化も違う環境で2シーズンを戦い抜いたわけで、これは想像するだけでもかなりの覚悟が要ることだと思います。
2025年12月には著書も出している
競技の外での動きもありました。
2025年12月3日に、『ソフトテニス船水颯人 話したいことがある。』という著書が発売されています。
168ページ、価格は1,700円(税別)。
自分自身のこと、国際大会や国内大会のこと、ペアを組んだ上松俊貴さんのこと、プロとしての歩み、考え方、そして韓国での日々までが収められた一冊です。
「僕が見た世界を一人でも多くの人に知ってもらいたい」という言葉が添えられていました。
競技を締めくくる前に、自分の見てきたものを言葉にして残しておく。
……その順番って、なんだかいいですよね。
年齢は29歳で出身は青森県黒石市
プロフィールをまとめておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 船水颯人(ふねみず はやと) |
| 生年月日 | 1997年1月24日 |
| 年齢 | 29歳(2026年9月時点) |
| 出身地 | 青森県黒石市 |
| 利き手 | 右 |
| ポジション | 後衛 |
| 経歴 | 黒石烏城クラブ → 黒石市立黒石中学校 → 東北高等学校 → 早稲田大学 |
| 所属 | 水原市庁(韓国) |
雪深い青森県黒石市の出身で、地元のクラブでラケットを握り始めています。
その後は宮城の東北高校、そして早稲田大学へと進みました。
中学から大学まで、兄と同じ道をそのままたどっているのが船水颯人さんの経歴の特徴です。
日本人初のプロ宣言をした2019年
船水颯人さんを語るうえで外せないのが、プロ宣言です。
早稲田大学を卒業した2019年4月、日本人として初めてソフトテニスのプロ選手になることを表明しました。
ソフトテニス界に、それまで日本人のプロ選手は一人もいませんでした。
前例がない道を最初に歩いた人、ということです。
そして実績のほうも、看板に恥じないものを残しています。
| 大会 | 優勝年 | 回数 |
|---|---|---|
| 全日本ソフトテニス選手権(天皇杯) | 2016・2018・2019・2022・2024年 | 5回 |
| 全日本シングルス | 2015・2017・2018・2019年 | 4回 |
とくに2015年の全日本シングルスは、18歳113日での最年少優勝でした。
しかもこのときの決勝の相手が、実の兄である船水雄太さんです。
弟が兄を破って日本一になる、という決勝だったんですよ。
え、そうだったの!?と思った方も多いのではないでしょうか。
国際大会でも、2024年の世界ソフトテニス選手権では国別対抗戦で金メダルを獲得しています。
使用ラケットとガットはヨネックス製
用具についてもよく検索されているので触れておきます。
船水颯人さんが使用しているラケットはヨネックスの「VOLTRAGE 8S」、ストリング(ガット)は「POLYACTION PRO」です。
2025年1月にヨネックスと総合契約を結んで以降は、ラケットやストリングだけでなく、シューズ・ウェア・バッグ・アクセサリーまでヨネックス製で揃えています。
後衛の選手が使うモデルなので、同じポジションの人にとっては参考になる組み合わせかもしれませんね。
兄の船水雄太も同じ道を歩んだ
家族についても触れておきます。
船水颯人さんの兄は、同じくソフトテニス選手の船水雄太さんです。
| 項目 | 船水雄太 | 船水颯人 |
|---|---|---|
| 生年月日 | 1993年10月7日 | 1997年1月24日 |
| 出身地 | 青森県黒石市 | 青森県黒石市 |
| 高校 | 東北高等学校 | 東北高等学校 |
| 大学 | 早稲田大学 | 早稲田大学 |
| プロ宣言 | 2020年 | 2019年(日本人初) |
見ての通り、進路がほぼ重なっています。
早稲田大学では同じチームでインカレ優勝も経験しました。
兄弟仲は良い一方でコート上ではライバルで、家ではソフトテニスの話をしないというエピソードが伝わっています。
近年の船水雄太さんは、ピックルボールとの二刀流にも取り組んでいます。
兄弟そろって、誰も歩いていない道のほうへ行きたがるタイプなのかもしれませんね。
上松俊貴とのペアはいつ解消したのか
最後に、長年ペアを組んだ上松俊貴さんとの関係です。
二人は2024年11月の全日本選手権で、ペアとして4回目となる優勝を果たしました。
その後のインドアシーズンを最後に、船水颯人さんの渡韓に伴ってペアは解消となっています。
上松俊貴さんはその後、複数の選手とペアを組みながら戦い、シングルスでも結果を出し続けました。
2026年の全日本シングルスでは5連覇を達成しています。
かつての相棒が5連覇を決めた大会が、船水颯人さんが選手として最後に立った舞台でもあった。
……なんというか、できすぎた巡り合わせだなと思いました。
船水颯人の引退理由のまとめ
- 船水颯人は1997年1月24日生まれ、青森県黒石市出身のソフトテニス選手
- 本人の公式YouTubeで2026年5月の全日本シングルスをもって選手活動を引退すると告知された
- 引退理由を一文で説明した公式リリースや大手メディアの報道は確認できない
- 引退の舞台となった第33回全日本シングルスは2026年5月15〜17日に岐阜で開催された
- その大会の男子優勝は上松俊貴で、自身の記録を更新する5連覇だった
- 2024年11月の全日本選手権優勝が、国内での最後の大会になった
- 2024年12月に日本でのプロ活動と日本代表活動の終了を発表している
- 2025年シーズンから韓国の実業団「水原市庁」に所属して韓国リーグで戦った
- 渡韓の理由として本人は「自分の可能性への挑戦」という言葉を使っている
- ヨネックスは契約発表を「追い続けた夢への挑戦」と表現した
- 2024年末の発表を引退と受け取った人が多く、時期が二つあるように見える原因になっている
- 2019年4月に日本人として初めてソフトテニスのプロ宣言をした
- 天皇杯優勝5回、全日本シングルス優勝4回という実績を残している
- 兄は同じくソフトテニス選手の船水雄太で、中学から大学まで同じ道を歩んだ
- 長年ペアを組んだ上松俊貴とは、渡韓に伴って2024年のインドアシーズン後に解消した


