「いちご白書をもう一度」「SACHIKO」で知られる、ばんばひろふみさん。
ラジオのパーソナリティとしても半世紀近く声を届けてきた人ですが、ここ数年、その歌声をステージで聴く機会が減りました。
ばんばひろふみさんの現在を調べていくと、2024年に本人がラジオの最終回で打ち明けた、ある体の変化に行き当たります。
・ばんばひろふみさんが歌を控えている理由と、その公表の経緯
・ステージを離れた後に本人が選んだ、新しい発信の場
・「いちご白書をもう一度」から現在までの歩みと、家族のこと
ばんばひろふみの現在は加齢性難聴でステージでの歌唱を休止中
まず、いま何が起きているのかを整理します。
結論からいえば、ばんばひろふみさんは加齢性難聴のため、ステージや放送で歌うことを当面控えています。ただし、音楽そのものからは離れていません。
2024年3月27日、ラジオの最終回で難聴を公表した
公表の場になったのは、ラジオ関西の『ばんばひろふみ!ラジオDEしょー!』でした。
2024年3月27日、この番組の最終回のオープニングで、ばんばひろふみさんは自身が加齢性難聴であることを明かしています。
長く続けてきた冠番組の、最後の放送でした。番組の終了理由をそのまま病名として告げるかたちになったため、当時この告白は大きく報じられています。
異変のきっかけは「ビートルズが昔の音じゃない」という違和感
本人によれば、耳の違和感を覚えたのは公表の約5年前、2019年ごろのことです。
きっかけとして語られたのが、中学生の頃から聴き続けてきたビートルズでした。同じ音源のはずなのに、昔聴いていた音とは違って聞こえる。その一点から、自分の耳の変化に気づいたといいます。
音楽で生きてきた人だからこそ気づける違和感でした。裏を返せば、日常会話に支障が出るより先に、音の質の変化として現れたということでもあります。
大学病院での診断は「治らない、耳の細胞は再生しない」
違和感の正体を確かめるため、ばんばひろふみさんは大学病院で診察を受けています。
そこで告げられたのが加齢性難聴という診断でした。医師からは「治らない」「耳の細胞は再生しない」と説明を受けたことも、本人が番組内で語っています。
現在は補聴器を装着して生活しているとのことです。
加齢性難聴は年齢とともに内耳の細胞が失われていくもので、投薬や手術で元に戻す治療法は確立されていません。歌い手にとっては、自分の声の高さや音程を耳で確かめられなくなるという、職業の根幹に関わる変化になります。
休止したのは「歌うこと」であって、音楽活動そのものではない
ここが、ばんばひろふみさんの現在を誤解しないための一番のポイントです。
本人が控えると言ったのは、ステージ上や放送で歌うこと。引退や芸能活動そのものの終了ではありません。
実際、告白の場でも「音楽と向き合っていく」という趣旨の言葉を残しており、新曲の準備を進めていることにも触れています。歌う立場から、音楽をつくり、語り、届ける立場へ軸足を移したと捉えるのが実態に近いといえます。
同じ日にYouTube「チャンネルばんばん」を開設している
注目したいのは、難聴を公表したその日に、新しい発信の場を立ち上げていることです。
2024年3月27日、ばんばひろふみさんは公式YouTubeチャンネル「ばんばひろふみのチャンネルばんばん」を開設しました。
チャンネルでは、自身の半生を振り返る「ばんばひろふみヒストリー」といった企画が公開されています。下積み時代や海外ツアーの話など、ラジオでは断片的にしか語れなかったエピソードが、まとまった形で残されているのが特徴です。
ラジオの冠番組が終わる日に、その代わりとなる場所を自分で用意していた。この動き方に、活動を畳むつもりがないことがはっきり表れています。
ラジオのレギュラーは現在も続いている
ラジオ関西の番組は終わりましたが、電波から姿を消したわけではありません。
公式サイトに掲載されているレギュラーは、FM滋賀 e-radioの『OLDIES GOODIES』です。毎週土曜の12時00分から12時55分まで放送されています。
タイトルのとおり、往年の名曲をかけて語る番組です。歌わずとも、曲を選び、その背景を語るという形で音楽に関わり続けられる場になっています。
なお、ラジオの人物ページなどには終了済みの番組が残っていることがあり、現在放送中のものと混在して表示される場合があります。最新の出演情報は公式サイトで確認するのが確実です。
2026年時点で76歳を迎える
ばんばひろふみさんの生年月日は1950年2月20日です。
2026年8月時点では76歳になります。同世代のフォーク・ニューミュージック勢が次々とツアーの本数を絞るなかで、体の事情を自分の言葉で公表した点は、むしろ珍しい対応でした。
ばんばひろふみの経歴と家族|「いちご白書をもう一度」から現在までの歩み
ここからは、現在に至るまでの道のりを振り返ります。
歌手としての顔、ラジオパーソナリティとしての顔、そして家族のこと。ばんばひろふみさんという人の輪郭は、この3つが重なって見えてきます。
京都・祇園生まれ、立命館大学在学中に音楽の世界へ
本名は馬場弘文さん。1950年、京都府京都市東山区の祇園で生まれました。
京都市立清水小学校から立命館中学校・高等学校へ進み、立命館大学経済学部に在学しています。愛称の「ばんばん」は、この頃から使われてきたものです。
1969年、大学時代に「ジャッケルズ」を結成してデビュー。関西フォークブームのまっただ中でした。
1971年に「バンバン」を結成、「いちご白書をもう一度」が大ヒット
1971年、高山厳さん、今井ひろしさんとともに結成したのが「バンバン」です。
そして1975年、代表曲となる「いちご白書をもう一度」が世に出ます。作詞・作曲は荒井由実さん。学生運動の終わりと、就職して髪を切る青年の姿を重ねたこの曲は、当時の空気をそのまま封じ込めた1曲として長く歌い継がれることになりました。
興味深いのは、この曲がレコード発売前に、ばんばひろふみさん自身のラジオ番組で初めてオンエアされていることです。歌手としての代表曲が、パーソナリティとしての電波から広がっていった。後の活動の二本柱が、この時点ですでに交差していました。
ソロ転向後の「SACHIKO」で全国の“サチコ”から手紙が届いた
1978年、ばんばひろふみさんは「ばんばひろふみ&ホットスタッフ」を結成し、ソロとしての活動を本格化させます。
翌1979年に発表されたのが「SACHIKO」でした。作曲はばんばひろふみさん自身です。
この曲がヒットした際には、全国の「サチコ」という名前の女性からファンレターが大量に届いたという逸話が残っています。名前を呼びかける歌の強さを物語るエピソードです。
司会・俳優としてもテレビに出続けてきた
歌手活動と並行して、テレビでの仕事も長く続けてきました。
関西テレビの『エンドレスナイト』では、1984年から1990年まで兵藤ゆきさんと司会を務めています。関西圏の深夜番組として知られた枠でした。
俳優としても、2004年から2005年にかけて放送されたNHK連続テレビ小説『わかば』に井川一行役で出演。『水戸黄門』第43部にも顔を出しています。
歌手が本業でありながら、話す仕事と演じる仕事を並行させてきた。この幅の広さが、歌を控えた現在も活動を続けられている理由のひとつです。
「京の旅人」やブラザーズ5など、仲間との活動も重ねてきた
ばんばひろふみさんの活動でもうひとつ特徴的なのが、同世代のミュージシャンと組んだ長期プロジェクトです。
2002年には伊勢正三さんらと「神戸アコースティックタウン」を開始。2005年からは杉田二郎さんらと、京都・円山公園でのフォークコンサート「京の旅人」を続けてきました。こちらは2021年3月に幕を下ろしています。
2014年には、杉田二郎さん、堀内孝雄さん、高山厳さん、因幡晃さんと「ブラザーズ5」を結成。同時代を走ってきた面々との共演を、長く積み重ねてきました。
1977年に平山みきと結婚、2005年に離婚している
家族についても触れておきます。
ばんばひろふみさんは1977年2月25日、歌手の平山みきさんと結婚しました。「真夏の出来事」で知られる歌手で、当時は音楽界を代表する組み合わせのひとつでした。
2人の間には男の子が1人生まれています。
しかし2005年1月、女性問題が原因として協議離婚に至っています。結婚生活は約28年で終わりました。
再婚相手は一般の女性で、名前も顔も公表していない
離婚後、ばんばひろふみさんは再婚しています。
相手は京都在住の一般女性とされ、名前や顔写真は公表されていません。相手側の連れ子と合わせて、子どもは3人になったとする情報もありますが、こちらは本人の公式な発表として確認できるものではないため、参考程度に受け止めておくのが妥当でしょう。
芸能人同士の結婚から一転、家庭のことは表に出さない姿勢を通しているといえます。
まとめ|ばんばひろふみの現在は、歌わずに音楽と関わる形を選んだ
ばんばひろふみさんの現在について、要点を整理します。
・2024年3月27日、ラジオ関西の番組最終回で加齢性難聴を公表した
・きっかけは約5年前、ビートルズの音が昔と違って聞こえたこと
・大学病院での診断は「治らない、耳の細胞は再生しない」。現在は補聴器を使用している
・当面控えているのはステージや放送での歌唱であり、音楽活動そのものは継続している
・公表と同じ日にYouTube「ばんばひろふみのチャンネルばんばん」を開設した
・FM滋賀 e-radio『OLDIES GOODIES』(毎週土曜12時00分〜12時55分)のレギュラーは続いている
・1950年2月20日生まれで、2026年8月時点では76歳
「いちご白書をもう一度」も「SACHIKO」も、耳で音を確かめながら作られてきた曲です。その耳が変わってしまったとき、多くの人は引き際を考えるでしょう。
けれどばんばひろふみさんは、歌えないことを公表したその日に、新しい発信の場を立ち上げました。歌う人から、音楽を語り継ぐ人へ。ばんばひろふみさんの現在は、その移り変わりの途中にあります。


