秋元久美子の現在は「ちゃんこ千代の富士」代表!旧九重部屋を守る今と表に出ない理由

秋元久美子の現在は「ちゃんこ千代の富士」代表!旧九重部屋を守る今と表に出ない理由

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昭和の相撲界を代表する第58代横綱・千代の富士さん。その妻として長く土俵の外を支えてきたのが、秋元久美子さんです。

夫が亡くなってからちょうど10年。テレビで姿を見る機会はほとんどなく、「今は何をしているのだろう」と気になって検索する人が絶えません。

この記事では、公式サイトや本人の手記など、名前が確認できる情報だけをたどって現在の姿を整理しました。

この記事を読むとわかること
・秋元久美子の現在の肩書きと、旧九重部屋で続けている仕事
・表舞台で見かけないのに「消えた」わけではない理由
・千代の富士との馴れ初めから最期までの歩みと、4人の子供

秋元久美子の現在は旧九重部屋で店を営んでいる

千代の富士さんの妻だった秋元久美子さんが、今どこで何をしているのか。テレビや雑誌で見かけないぶん、想像がつきにくいですよね。

ところが調べていくと、住所も肩書きも会社の登記もはっきり公開されていました。ここでは、確認できる記録をたどっていきます。

現在の肩書きは「ちゃんこ千代の富士」代表

秋元久美子さんの現在の肩書きとして、本人名義で公になっているのが「ちゃんこ千代の富士」代表という立場です。

これは推測ではありません。2024年12月に文藝春秋へ寄せた手記の署名が、まさに「妻・『ちゃんこ千代の富士』代表」となっています。

ちゃんこ料理の店を営む経営者、というのが現在のいちばん正確な説明ということになります。

力士を支える女将から、店を切り盛りする経営者へ。立場は変わっても、ちゃんこ鍋という料理を軸にしている点は変わっていません。

株式会社秋元の代表取締役として名前と権利も管理している

店の運営母体は「株式会社秋元」という会社です。千代の富士さんの本名が秋元貢さんですから、家族の姓をそのまま社名にしたことになります。

公式サイトの会社概要には、役員構成がはっきり記載されています。

代表取締役が秋元久美子さん、取締役が秋元優さんと秋元剛さん。つまり母と長女・長男の3人で会社を回している形です。

注目したいのは事業内容です。飲食店の経営だけでなく、日用品・衣料品・食料品の企画販売、清涼飲料水や酒類の企画販売、そして著作権や商標権といった知的財産権の取得と管理まで含まれています。

知的財産権の管理という項目は、飲食店の会社にはあまり見かけない一文です。

千代の富士という名前そのものを守り、正しく使われるように管理するのも、久美子さんの現在の仕事のひとつだといえます。

夫が亡くなったあとも「千代の富士」という名前は商品や店名として生き続けています。それを家族の手元に置いておくための会社、という側面が読み取れますね。

店では本物の土俵を見ながら食事ができる

「ちゃんこ千代の富士」の所在地は、東京都墨田区石原4-22-4。これは株式会社秋元の本店所在地とまったく同じ住所です。

この場所には、かつて九重部屋がありました。店内には稽古場の土俵がそのまま残されていて、客席から本物の土俵を眺めながら食事ができます。

メニューは千代の富士さんが好んだちゃんこ鍋が中心で、大関コースが3,960円、横綱コースが5,500円。焼酎や地酒も揃えられています。

2023年2月に旧九重部屋を改装してオープンした

店がオープンしたのは2023年2月20日です。

なぜ部屋の建物が空いていたのかというと、九重部屋そのものが2021年2月15日に葛飾区奥戸へ移転していたからです。

力士がいなくなった建物と、残された土俵。そこを取り壊さずに店として作り直したのが、この「ちゃんこ千代の富士」でした。

夫が育てた部屋の建物を、別の形で使い続ける道を選んだことになります。

「先代九重部屋の女将」として断髪式に姿を見せている

千代の富士さんは1992年に13代九重を襲名し、部屋の師匠を務めていました。その時代の女将が久美子さんです。

2016年に千代の富士さんが亡くなったあと、直弟子だった元大関・千代大海さんが14代九重を襲名しました。現在の九重部屋の女将は久美子さんではありません。

ただし相撲界と縁が切れたわけではありません。2024年6月8日に行われた千代の国関の断髪式には、「先代九重部屋の女将」として姿を見せています。

その場には長女の優さん、次女の梢さんも同席していました。

2024年12月に文藝春秋へ実名の手記を寄せている

「秋元久美子は消えた」という書かれ方をされることがありますが、これは正確ではありません。

2024年12月9日、文藝春秋に「千代の富士 新婚旅行はお留守番」と題した手記が掲載されました。書いたのは久美子さん本人です。

リード文には「妻の秋元久美子氏が、家族思いの横綱とともに過ごした日々を振り返る」とあり、出会いから結婚生活まで自身の言葉で語っています。

顔を出してテレビに出ることはなくても、名前を出して文章を発表しているわけです。

表舞台に出ないのは隠れているからではなく、もともと芸能活動をしている人ではないから、という理解が正しそうです。

再婚したという情報は確認できない

検索候補に「再婚」という言葉が並ぶため、気になっている人も多いようです。

結論からいうと、久美子さんが再婚したという報道も公式発表も見当たりません。

「熟年再婚の真相」といった見出しを掲げる動画や記事は存在しますが、出典となる報道が示されていないものがほとんどです。

長男・剛さんのインタビューによれば、秋元家では今も月に2回の墓参りを続けているとのことでした。遺骨は東京都台東区の玉林寺に納められています。

年齢は非公表で60代後半とみられる

久美子さんは芸能人ではないため、生年月日は公表されていません。

手がかりになるのは結婚した時期です。1982年の結婚当時に23歳だったとする記述から逆算すると、1958年から1959年ごろの生まれということになります。

これが正しければ、2026年時点では60代後半ということになりますね。ただしあくまで逆算であり、確定した情報ではありません。

秋元久美子の現在を調べる人向けの関連情報

現在の姿がわかると、次に気になるのは「そもそもどういう人なのか」という部分ではないでしょうか。

ここからは、家柄や千代の富士さんとの歩みなど、現在に至るまでの背景を整理していきます。

旧姓は進藤久美子で福岡の名家の出身

久美子さんの旧姓は進藤といいます。福岡の出身で、その家系はかなり由緒あるものです。

曾祖父は明治・大正期の政治家・進藤喜平太さん。福岡藩士の出身で、政治団体・玄洋社の第2代および第5代社長を務めた人物です。

また、元福岡市長の進藤一馬さんは久美子さんの大叔父にあたります。父・進藤達夫さんも玄洋社記念館の館長、玄洋社ビルの社長を務めていました。

力士の妻というと後援会関係の縁を想像しがちですが、久美子さんの場合はもともと地元で知られた家の出だったわけです。

若い頃はモデルだったが学歴の情報は割れている

若い頃の久美子さんはファッションモデルとして活動していたと複数の記事で伝えられています。

ただ、そこから先の経歴は情報が食い違っています。

Wikipediaの秋元梢さんの項目には母の学歴として「九州産業大学芸術学部中退」と記されている一方、まとめ系の記事では「高校卒業後にファッション専門学校へ進学した」という説明が見られます。

どちらが正しいのか、本人が語った記録は見つかりませんでした。共通しているのは、若い頃からファッションやデザインの世界にいたという点です。

3人の子供が全員モデルになっているのは、この母親の素地と無関係ではなさそうですね。

千代の富士との馴れ初めは1980年の九州場所

2人が出会ったのは昭和55年、1980年の九州場所でのことでした。

久美子さん自身が手記で書いているところによると、きっかけは兄の知り合いを通じた食事の席だったといいます。

そのときの印象について、久美子さんは「私が思い描いていたお相撲さんのイメージとは正反対で、話題が豊富で、すごくユニークだった」と振り返っています。

なお、出会いの場を「福岡のスナック」とする記述も一部にありますが、これは本人が語った内容とは食い違います。

結婚式に3000人、しかし新婚旅行は留守番だった

交際を経て、2人は1982年(昭和57年)に結婚します。

ちょうど千代の富士さんが横綱に上り詰め、「ウルフフィーバー」と呼ばれる人気の絶頂にあった時期でした。結婚式には約3000人が集まったといいます。

ところが華やかな式とは対照的に、新婚旅行には行けませんでした。

このとき久美子さんは長女を妊娠中で、さらにぎっくり腰も抱えており、医師から安静を指示されていたのです。

手記によれば、千代の富士さんは「俺は行ってくるからな」と言い残し、ひとりで出発したのだそうです。

手記のタイトルが「新婚旅行はお留守番」となっているのは、このエピソードからきています。妻を置いて旅行に行く横綱、というのもなかなか強烈な話ですね。

子供は秋元梢を含む4人

2人の間には4人の子供が生まれました。

長男の剛さんと長女の優さんはモデルとして活動し、現在は株式会社秋元の取締役でもあります。次女がファッションアイコンとして知られる秋元梢さんです。

きょうだい3人が揃ってモデルという家庭は、なかなかありません。

生後4か月で亡くなった末の娘

4人目の子供である愛さんは、1989年に乳幼児突然死症候群(SIDS)のため、生後4か月で亡くなっています。

千代の富士さんがまだ現役で、土俵に上がり続けていた時期の出来事でした。

この経験について久美子さん自身が公に語った記録は見当たりませんが、夫婦がともに乗り越えなければならなかった時間があったことは間違いありません。

夫の最期まで付き添った闘病の日々

千代の富士さんは2016年7月31日、膵臓がんのため61歳で亡くなりました。

ここは注意が必要な点で、まとめ系の記事のなかには「2015年7月31日に死去」と書いているものがありますが、これは誤りです。Wikipediaや文藝春秋の記事はいずれも2016年としています。

闘病中の様子については、長男の剛さんがインタビューで語っています。

それによると、久美子さんは「基本的にずっと母がついていました」という状態だったそうです。

鹿児島で治療を受けていた時期には、千代の富士さんが現地の友人と船釣りに出かけたことがありました。釣った魚を持って嬉しそうにしている写真を、久美子さんがスマートフォンで撮り、家族にLINEで送っていたといいます。

剛さんはこの時期を「人生で一番ふたりきりになれた」時間だったと表現しています。

最期の日は、容体悪化の知らせを受けて関係者が集まったものの、その日は状態が落ち着いたためみな帰宅したのだそうです。そして家族だけになった瞬間に、容体が急変しました。

最後まで妻がそばにいて、家族だけの時間に旅立った。これが千代の富士さんの最期でした。

店の名前に「千代の富士」を残し、名前の権利を守り、旧九重部屋の建物を使い続ける。久美子さんの現在の仕事は、どれも夫が残したものと地続きになっています。

秋元久美子の現在のまとめ

  • 秋元久美子は第58代横綱・千代の富士(本名・秋元貢)の妻
  • 現在の肩書きは「ちゃんこ千代の富士」代表
  • 2024年12月に文藝春秋へ寄せた手記の署名が「妻・『ちゃんこ千代の富士』代表」だった
  • 株式会社秋元の代表取締役を務めている
  • 同社の取締役は長女・優と長男・剛で、家族3人で経営している
  • 事業内容には飲食店経営のほか著作権・商標権など知的財産権の管理が含まれる
  • 店の所在地は東京都墨田区石原4-22-4で、会社の本店所在地と同じ
  • 店舗は旧九重部屋を改装したもので2023年2月20日にオープンした
  • 九重部屋は2021年2月15日に葛飾区奥戸へ移転しており建物が空いていた
  • 店内には稽古場の土俵が残され、見ながら食事ができる
  • コースは大関コース3,960円、横綱コース5,500円
  • 千代の富士は1992年に13代九重を襲名し、久美子はその時代の女将だった
  • 現在の九重部屋の師匠は元大関・千代大海で、女将も久美子ではない
  • 2024年6月8日の千代の国断髪式に「先代九重部屋の女将」として出席した
  • 再婚を裏付ける報道や公式発表は確認できない
  • 生年月日は非公表だが、結婚時23歳という記述からの逆算で60代後半とみられる
  • 旧姓は進藤で、曾祖父は玄洋社の第2・5代社長を務めた進藤喜平太
  • 元福岡市長の進藤一馬は大叔父にあたる
  • 若い頃はファッションモデルだったとされるが学歴の情報は割れている
  • 千代の富士との出会いは1980年の九州場所で、兄の知り合いを介した食事の席
  • 1982年に結婚し、結婚式には約3000人が集まった
  • 妊娠中とぎっくり腰のため新婚旅行には行かず、夫だけが出発した
  • 子供は剛・優・梢の3人がモデル、4人目の愛は1989年にSIDSで生後4か月で死去
  • 千代の富士の逝去は2016年7月31日(2015年とする記述は誤り)
  • 闘病中はほぼ久美子がつきっきりで、最期は家族だけの時間に訪れた
  • 遺骨は東京都台東区の玉林寺に納められ、秋元家は月2回の墓参りを続けている

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