小林桂樹の息子は一般人で非公表!小林稔侍との親子説が生まれた理由とは?

小林桂樹の息子は一般人で非公表!小林稔侍との親子説が生まれた理由とは?

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小林桂樹さんの息子について調べていて、俳優の小林稔侍さんの名前にたどり着いた方は多いのではないでしょうか。

結論からいうと2人に血縁関係はなく、小林桂樹さんの息子さんは名前も職業も公表されていない一般の方です。

ただ、たった一つだけ残っている親子のエピソードがあって、これが個人的にすごく好きなんです。

この記事を読むとわかること
・小林桂樹の息子と娘について公表されている情報の範囲
・俳優の小林稔侍が息子ではないと言い切れる2つの根拠
・長男がゴジラファンだったことで父が漏らした一言

小林桂樹の息子は一般人で名前も公表されていない

小林桂樹さんの息子について調べると、真っ先に出てくるのが「小林稔侍さんが息子なのでは?」という話です。

ここでは公表されている事実だけを並べて、その説がどこから生まれたのかまで整理していきますね。

息子と娘がいるが職業も年齢も非公表

まず結論からお伝えします。

小林桂樹さんには息子と娘がいますが、名前も職業も年齢も、いっさい公表されていません。

生涯で253本もの映画に出演し、毎日映画コンクール主演男優賞を3度受賞した大俳優ですから、家族の情報がまったく残っていないというのは、正直かなり珍しいことだと思います。

ですが小林桂樹さんは、私生活についてほとんど語らない俳優でした。

実際、Wikipediaの人物欄を見ても、配偶者の項目には「あり(2007年、死別)」と書かれているだけです。

子供について書かれている記述は、後ほど紹介するゴジラのエピソードただ一つ。

一部の芸能メディアは1955年に洋子さんという女性と結婚し息子と娘をもうけたと伝えていますが、これは裏が取れる情報源が限られており、確定した事実としては扱いにくいところです。

分かっているのは、ご家族が全員一般の方として生活していたということだけ。

芸能界に進んだお子さんはいませんし、メディアの取材に応じたという記録も見つかりません。

項目公表状況
息子の名前非公表
息子の年齢・生年非公表
息子の職業非公表(芸能界ではない)
娘の名前・職業非公表
2007年に死別(氏名は公式には非公表)

つまり小林桂樹の息子を調べても人物像にたどり着けないのは、情報が消えたからではなく、最初から出されていないからです。

昭和の俳優には、仕事は徹底的に見せて家庭は一切見せない、という線引きをする人がいました。

小林桂樹さんは、その典型だったのかなと思います。

小林稔侍が息子という説は事実ではない

ここが、この検索でいちばん多くの人がつまずくポイントですよね。

俳優の小林稔侍さんを小林桂樹さんの息子だと思っている人は、けっこう多いんです。

名字が同じで、しかもどちらも渋い演技で長く活躍したベテラン俳優。

若い頃の顔立ちに似た雰囲気があることも、勘違いを後押ししました。

でも小林桂樹さんと小林稔侍さんに血縁関係はありません。

複数のメディアが赤の他人とはっきり書いていて、この点については情報源がきれいに一致しています。

そもそも小林稔侍さんは1941年・和歌山県の生まれ

一方の小林桂樹さんは1923年11月23日生まれの群馬県出身です。

1941年という生年が示していること

年齢差を数えてみると、この2人の関係がはっきりします。

1941年といえば、小林桂樹さんが大学を中退して日活に入社した年。

当時の小林桂樹さんは17歳から18歳です。

その年に生まれた子供が小林稔侍さんだとすると、計算が合わないどころか、ほぼ不可能な話になってしまいます。

え、そんなに近いの!?って感じですよね。

さらに決定的なのが、2010年に小林桂樹さんが亡くなったときの報道です。

もし小林稔侍さんが実の息子なら、遺族としてコメントを出したはずですし、各紙が息子の小林稔侍さんはと書いたはずです。

しかし訃報記事のどこにも小林稔侍さんの名前は出ていません。

年齢の計算と、訃報での扱い。

この2つを並べただけで、親子説は成り立たないと判断していいと思います。

出身地も群馬と和歌山でまったく別ですし、共通しているのは名字と、渋い脇役を長く務めたキャリアの形だけなんですよね。

小林稔侍の子供は俳優の小林健と小林千晴

では、なぜここまで話がややこしくなったのか。

理由のひとつが、小林稔侍さんのほうには実際に俳優の子供が2人いることです。

小林という名字の俳優が親子で並んでいるので、そこに小林桂樹さんの名前が混ざって整理がつかなくなる、という流れですね。

名前生年月日・出身続柄デビュー作
小林稔侍1941年・和歌山県
小林健1971年6月3日・神奈川県長男1992年『ひらり』
小林千晴1973年1月19日・東京都長女1994年『なんでも屋探偵帳』

小林健さんは東宝芸能に所属する俳優で、1992年のNHK連続テレビ小説『ひらり』で俳優デビューしました。

妹の小林千晴さんは1994年、父である小林稔侍さんが主演したドラマ『なんでも屋探偵帳』でデビューしています。

父の主演作で娘がデビューというのは、なんかいいですよね。

この2人はあくまで小林稔侍さんのお子さんであって、小林桂樹さんとは関係がありません。

ネット上で小林桂樹の息子は俳優という書き込みを見かけたら、それはほぼ確実に小林健さんと取り違えています。

長男はゴジラファンで肩身が狭かった

さて、ここからが本題です。

小林桂樹さんの息子について残っている、ほぼ唯一の公的なエピソードがあります。

それが、長男がゴジラの大ファンだったという話。

小林桂樹さんは東宝の看板俳優として長く活躍しながら、ゴジラシリーズには一度も出演したことがありませんでした

東宝といえばゴジラの本拠地です。

そこの主演級俳優なのにゴジラに出ていない。

熱心なファンである息子さんの前で、小林桂樹さんは肩身が狭い思いをしていたそうです。

……なんか、いいですよね、この話。

家では大俳優ではなく、ただのゴジラに出ていないお父さんだったわけです。

やっと子供に尊敬されると語った1984年

その状況が変わったのが1984年でした。

橋本幸治監督の映画『ゴジラ』に、小林桂樹さんが内閣総理大臣役で出演することになったんです。

出演が決まったとき、小林桂樹さんはやっと子供に尊敬される、と語ったと伝えられています。

61歳での初ゴジラ。

キャリアの終盤に差しかかった大ベテランが、賞でも代表作でもなく、息子に認められることを喜んでいる。

読んでいて、こちらまで温かくなりました。

家族について公の場でほとんど語らなかった人が、たった一度こぼした本音がこれだったのかと思うと、余計にじんわりきます。

息子さんの名前も職業も分かりませんが、父と息子の距離感だけは、この一言でくっきり見えてきますよね。

なお、1984年版『ゴジラ』は9年ぶりのシリーズ復活作で、大人向けの路線に舵を切った作品として知られています。

そこに総理大臣という国家の中枢を担う役で入ったわけですから、息子さんにとっても誇らしかったんじゃないでしょうか。

妻とは2007年に死別している

息子さんの母親、つまり小林桂樹さんの奥さんについても触れておきます。

小林桂樹さんは2007年に配偶者と死別しています。

これはWikipediaの基礎情報にも記載されている、はっきりした事実です。

ただし氏名や結婚時期については公式な形での発表がありません

一部メディアは1955年結婚・洋子さんという名前を伝えていますが、これも単独の情報源にとどまります。

奥さんも一般の方だったため、写真も経歴も出回っていません。

奥さんが亡くなった2007年は、小林桂樹さんが83歳のとき。

その3年後の2010年に、ご本人も亡くなっています。

晩年の3年間を、長年連れ添った奥さんなしで過ごしたことになるんですね。

これはきつかったんじゃないかなと思います。

小林桂樹の息子を調べる人向けの関連情報

ここからは、小林桂樹さんの息子を調べている人があわせて気にしている話題をまとめていきます。

孫の有無から死因、代表作、生い立ちまで、一通り押さえておきましょう。

孫についての情報は公表されていない

息子さんの次に検索されているのが孫です。

ですが、こちらも結論は同じ。

小林桂樹さんの孫について、公表されている情報は一つもありません。

息子さんと娘さんの年齢すら分からない以上、その子供にあたる世代の情報が出てくるはずもない、というのが実情ですね。

芸能界で活動している孫がいれば祖父は小林桂樹と紹介されるはずですが、そうした記録も見当たりません。

小林桂樹さんの血縁で芸能活動をしていた人物として確認できるのは、次に紹介する甥ひとりだけです。

つまり孫の世代も、一般の方として静かに暮らしていると考えるのが自然でしょう。

芸能界にいた親族は甥のさいとうあきひこ

直系のお子さんは芸能界に進みませんでしたが、親族に一人だけ表舞台に立った人がいます。

甥にあたる、さいとうあきひこさんです。

さいとうあきひこさんは、NHKの音楽番組『ステージ101』に出演していたグループヤング101のメンバーでした。

『ステージ101』は1970年1月から1974年3月まで放送された番組で、オーディションで選ばれた若者たちが歌って踊る、当時としてはかなり新しいスタイルの音楽番組です。

さいとうあきひこさんの出演期間は1972年6月から番組終了の1974年3月まで。

番組終了後も音楽活動を続けていたと伝えられています。

俳優ではなく音楽の道というのが面白いところですよね。

小林桂樹さんと直接の共演記録は確認できませんでしたが、同じ時期に同じテレビの世界にいたことになります。

死因は心不全で86歳だった

小林桂樹さんの最期についても、あわせて整理しておきます。

死因は心不全でした。

2010年9月16日午後4時25分、東京都港区の病院で86歳で亡くなっています。

その直前、同じ2010年の7月に軽症の肺炎で入院していました。

そのまま療養生活に入り、回復しないまま9月を迎えたという流れです。

時期できごと
2007年妻と死別
2010年3月小野ヤスシの50周年記念パーティーで祝辞
2010年7月軽症肺炎で入院、療養生活へ
2010年9月16日心不全のため86歳で死去

公の場に出た最後は2010年3月

亡くなる半年前、小林桂樹さんは人前に立っています。

2010年3月に開かれた、タレント・小野ヤスシさんの芸能生活50周年記念パーティー。

ここで祝辞を述べたのが、公の場に姿を見せた最後になりました。

86歳で人前に立って挨拶をしていた4カ月後に入院というのは、正直あっという間ですよね。

なお晩年はツーカーのツーカーSのCMにも出演していました。

シニア向けのシンプルな携帯電話のCMで、あの落ち着いた語り口を覚えている方も多いのではないでしょうか。

代表作は裸の大将の山下清役

小林桂樹さんの代表作といえば、まず挙がるのが1958年の映画『裸の大将』です。

実在の画家・山下清さんを演じたこの作品で、毎日映画コンクール主演男優賞を受賞しました。

小林桂樹さんは同賞を1958年・1960年・1963年と3度受賞しています。

さらに1964年にはブルーリボン賞主演男優賞も受賞。

1985年に紫綬褒章、1994年に勲四等旭日小綬章を受けています。

受賞・受章
1958年毎日映画コンクール主演男優賞
1960年毎日映画コンクール主演男優賞
1963年毎日映画コンクール主演男優賞
1964年ブルーリボン賞主演男優賞
1985年紫綬褒章
1994年勲四等旭日小綬章

映画では『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『白と黒』『江分利満氏の優雅な生活』『日本沈没』『連合艦隊』など、社会派から大作までを幅広く演じました。

1950年代から70年代にかけては東宝の社長シリーズで人気を集め、喜劇の顔としても親しまれています。

シリアスも喜劇もこなす振り幅の広さが、253本という出演本数を支えたわけですね。

牟田刑事官事件ファイルは24年続いた

テレビでの代表作は、なんといっても『牟田刑事官事件ファイル』シリーズです。

1983年10月の第1作から2007年6月放送分まで、24年にわたって主演を務めました

最終作の撮影は2005年8月。

つまり81歳まで主演として現場に立っていたことになります。

これには正直、驚きました。

ほかにも江戸シリーズ、『弁護士・朝日岳之助』シリーズ、NHKドラマ『赤ひげ』、『仕掛人・藤枝梅安』シリーズなど、テレビでも長寿シリーズを複数抱えていました。

若い頃は警察官の父を持つ真面目な少年だった

最後に、小林桂樹さん自身の生い立ちにも触れておきます。

息子さんとの関係を考えるうえで、小林桂樹さん自身がどんな家庭で育ったのかは、意外と気になるところですよね。

小林桂樹さんは1923年11月23日、群馬県群馬郡室田町(現在の高崎市)の生まれです。

父親は警察官でした。

桂樹という名前は、オリンピックの勝利の象徴である月桂冠のもとになった月桂樹にちなんで付けられたと伝えられています。

1934年に前橋市立桃井小学校を卒業。

宇都宮の陸軍幼年学校を受験しましたが不合格となり、旧制群馬県立前橋中学校に進みました。

面白いのがここからで、在学中は友人に映画へ誘われても校則をきっちり守り、一度も映画館に足を運ばなかったそうです。

のちに253本の映画に出る人が、学生時代は映画館に入ったことすらなかった。

え、そうだったの!?って感じですよね。

転機が訪れたのは中学4年のとき。

父親が病死し、一家は千葉県市川市に住む伯父を頼って引っ越すことになりました。

このとき小林桂樹さんだけは群馬に残り、父親の同僚の家に下宿して学校に通っています。

10代で父を亡くし、家族と離れて暮らす。

これはしんどかったでしょうね。

その後、日本大学専門部芸術科に進みますが中退し、1941年に日活へ入社。

1942年の『微笑の国』で俳優デビューを果たします。

早くに父を亡くした人が、自分の子供の前ではゴジラに出ていない父でいることを気にしていた。

そう並べてみると、あの一言の重みが少し違って見えてくる気がします。

小林桂樹の息子のまとめ

  • 小林桂樹には息子と娘がいるが、名前・年齢・職業はいずれも非公表
  • 子供は2人とも一般人で、芸能界には進んでいない
  • 息子について公に残るエピソードは、ゴジラファンだったという話がほぼ唯一
  • ゴジラシリーズ未出演を息子の手前で肩身が狭いと感じていた
  • 1984年の映画『ゴジラ』に内閣総理大臣役で出演し、やっと子供に尊敬されると語った
  • 俳優の小林稔侍は息子ではなく、血縁関係もない
  • 小林稔侍は1941年・和歌山県生まれで、当時の小林桂樹は17歳から18歳
  • 2010年の訃報でも小林稔侍が遺族として扱われた事実はない
  • 俳優の小林健と女優の小林千晴は、小林稔侍の子供
  • 妻とは2007年に死別しており、氏名は公式には非公表
  • 1955年結婚・洋子という名前を伝える記事もあるが単独の情報源にとどまる
  • 孫についての公表情報は確認できない
  • 芸能活動が確認できる血縁は、ヤング101にいた甥のさいとうあきひこのみ
  • 死因は心不全で、2010年9月16日に86歳で死去
  • 代表作は『裸の大将』の山下清役で、テレビは『牟田刑事官事件ファイル』を24年主演

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