浅井慎平の現在は89歳で写真展を開催!サンデーモーニング卒業後の活動とは

浅井慎平の現在は89歳で写真展を開催!サンデーモーニング卒業後の活動とは

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「浅井慎平さん、最近テレビで見ないけど今どうしてるんだろう?」そう思って検索した方が多いのではないでしょうか。

結論からお伝えすると、浅井慎平さんは2026年7月、89歳でデビュー60周年の写真展を開催しています。

ラジオ番組にも出演し、60年ぶりに明かした撮影秘話まで語っていました。

この記事では、浅井慎平さんの最新の活動から、テレビで見かけなくなった時期、海岸美術館や息子さんのことまで、確認できた情報をまとめていきますね。

この記事を読むとわかること
・浅井慎平の2026年現在の活動と、89歳で開いた写真展の中身
・テレビで見かけなくなったのはいつからで、何を卒業したのか
・海岸美術館・いいちこ・俳句・息子など、経歴まわりで気になる点

浅井慎平の現在は写真家デビュー60周年の節目

まずは浅井慎平さんの現在から見ていきましょう。テレビでの露出は減りましたが、写真家としての活動は2026年もしっかり続いていますよ。

2026年に記念写真展を開催中

浅井慎平さんの2026年現在を一言でいうと、写真家デビュー60周年というキャリアの節目を迎え、その記念写真展を開いているという状況です。

展覧会の名前は「浅井愼平60th 星空のハローグッドバイ 浅井愼平写真展」。

2026年は浅井さんがメジャーデビューしてからちょうど60年にあたる年です。

そしてもう一つ、ザ・ビートルズが日本にやって来てから60年という節目の年でもあります。

この2つが重なっているのは偶然ではありません。浅井さんのデビュー作そのものが、ビートルズ来日の密着写真集だったからです。

1966年、浅井さんはビートルズ来日時に撮影を許可された唯一のカメラマンとして4人に密着し、写真集『ビートルズ東京 100時間のロマン』で鮮烈なデビューを飾りました。

つまり浅井さんにとって、60周年という区切りはビートルズとセットでやってくるわけですね。

展示されているのは、そのデビュー作の歴史的な瞬間だけではありません。

公式サイトによると、国内外での取材や撮影活動で生まれた代表的な作品群が並び、人物・風景・文化と多彩なテーマで60年の軌跡をたどる構成になっています。

ビートルズ関連でいえば、空港に到着した場面からコンサート、さらにプライベートの記録写真まで公開されました。

会場では作品そのものを購入することもできたそうです。

全国巡回が予定されている

この写真展、東京だけで終わりではありません。

公式サイトには日本橋三越本店を皮切りに全国巡回を予定と明記されており、以降の会場は順次発表される形になっています。

地方にお住まいの方にもチャンスが残っているということですね。

ちなみに2026年6月30日には、展示作品のグッズを扱うECサイトもオープンしました。Tシャツ、トートバッグ、ポストカード、缶バッジといったラインナップです。

89歳の写真家の名前で新しくECサイトが立ち上がるというのは、なんだかすごいことだと思いませんか。

日本橋三越の初日にサイン会へ本人が登壇

「写真展はやっているけど、本人は元気なの?」という点が一番気になるところですよね。

ここははっきりしています。浅井慎平さん本人が会場に来て、サイン会とトークショーに登壇しています

テレビ朝日のニュースによると、浅井さんは2026年7月8日、東京・日本橋三越本店で写真展の初日を迎え、その場でサイン会を行いました。

対象は書籍『星空のハローグッドバイ 浅井愼平』を会場で購入した人で、先着30名、名入れも可能という内容です。

この日、印象的な場面があったと報じられています。

購入者のなかに、60年前のビートルズ来日時に浅井さんが撮影した写真に自分が写っている切り抜きを持参した人がいて、浅井さんが驚いていたそうです。

……これ、いいですよね。60年前にシャッターを切った相手が、60年後に本を買いに来ているわけですから。

写真という仕事の時間の長さが、そのまま表れているエピソードだと思います。

唐橋ユミをゲストにトークショーも実施

イベントはサイン会だけではありませんでした。

7月12日には、フリーアナウンサーの唐橋ユミさんをゲストに迎えたスペシャル・トークショーが同じ会場で開かれています。

13時スタート、観覧自由、入場料無料という設定で、混雑時には立ち見や入場制限もあり得るとアナウンスされていました。

89歳でトークショーに登壇して1時間近く話すというのは、相当な体力だと思いますよ。

イベント 日程 内容
写真展 2026年7月8日〜20日 日本橋三越本店 本館7階 催物会場・入場無料
サイン会 7月8日 13:00〜15:00 書籍購入者対象・先着30名・名入れ可
トークショー 7月12日 13:00〜 ゲストは唐橋ユミ・観覧自由・無料

89歳で新著『星空のハローグッドバイ』を刊行

写真展と並ぶ、もう一つの現在の動きが書籍です。

2026年7月10日、新著『星空のハローグッドバイ 浅井愼平』(高橋書店・2,750円税込・288ページ)が発売されました。

これが単なる写真集ではないところが面白いんです。

公式サイトの説明によれば、1966年のビートルズ来日で100時間余りの密着が許された際の、4人のプライベートを含む貴重な写真と文章で当時を回顧する内容。

加えて「昭和」という時代に出会った人たちとの交流も収められています。

名前が挙がっているのは、渥美清さん、タモリさん、伊丹十三さん、中村八大さん、萩原健一さんら。芸能・文化のジャンルを超えた顔ぶれです。

さらに「南の島」「アフリカ」「ヨーロッパ」といった旅の記憶と、その当時に書いた文章も一冊にまとめられています。

写真家として60年撮り続けた記録に、書き手としての文章を重ねたアンソロジーが、89歳の新作だったというわけですね。

日本経済新聞も2026年7月17日付で「浅井慎平さん、60年の歩みを振り返る」として、このエッセーを取り上げています。

直近の著書は2022年の句集だった

この本が出るまで、浅井さんの新刊はしばらく途切れていました。

Wikipediaの著書一覧で確認できる直近のものは、2022年の『あれから何処(どこ)へ』(東京四季出版)です。

「浅井慎平 あれから何処へ」で検索する人がいるのは、この本が長らく最後の新刊だったからかもしれませんね。

2024年時点のまとめ記事でも「2022年以降、新刊が書店に並ぶことはないようです」と書かれていました。

そこから4年ぶりに、60周年の年に合わせて新著が出た形になります。

ラジオでビートルズ撮影の秘話を初公開

2026年の現在を語るうえで外せないのが、ラジオ出演です。

浅井さんは2026年6月30日放送のJ-WAVE『MIDDAY LOUNGE』にコメントゲストとして登場しました。

6月30日というのは、1966年にビートルズが日本で初めての公演を行った日そのもの。放送日からして狙いすましていますよね。

ここで浅井さんは、当時の撮影の裏側をかなり具体的に語っています。

主催者がビートルズのためにホテルをワンフロア押さえていたため、その階にはほとんど宿泊客がいなかったこと。

浅井さんは自分の部屋のドアに枕を挟み、廊下の気配で4人の動きが分かるようにして寝ていたこと。

その甲斐あって、ジョン・レノンが赤いパンツ姿で廊下に出てきた場面を1枚だけ撮影できたこと。

本人はこれを「僕の生涯で唯一の隠し撮り」と表現しています。

89歳になっても、60年前の現場の段取りをこれだけ細かく話せるというのは、記憶力そのものが現役だということだと思いますよ。

60年語らなかったポールのタバコの話

この放送でいちばん話題になったのが、ポール・マッカートニーさんのエピソードでした。

浅井さんによると、ポールさんがタバコを勧めてくれたそうです。銘柄はラーク。

浅井さんは吸う余裕もなく、そのまま胸ポケットに入れたといいます。

そして本人が「今日、初めてこのことを話したかもしれません」と語りました。

つまり60年間どこにも出していなかった話が、2026年になって初めて世に出たことになります。

浅井さんはこの出来事について「向こうも気を遣ってくれていたんだなと思うんですよ」と振り返っていました。

ほかにも、マネージャーのブライアン・エプスタインさんに自分からインタビューを申し込んでOKをもらったこと、撮影したら「撮らないっていう約束だったじゃないか」と言われ、「写真家なので、それが仕事です」と返したら笑って許してくれたことなども話しています。

ビートルズに同行していた専属カメラマンのロバート・ウィテカーさんから「今、露出いくつだ?」と訊かれ、余裕はなかったけれど教えてあげた、という現場の小話まで出てきました。

そして、ビートルズを撮ったことで自分が変わったかという質問には、こう答えています。

「特別、僕のなかで何かが変わったということはなかったですね。でも、歴史の端っこに少し顔を出せたような感覚はあります」

60年経っても自分の仕事を淡々と語れるところが、この人の現在地なのかもしれません

テレビで見かけないのはサンデーモーニング卒業から

さて、多くの人が引っかかっているのはここだと思います。「昔はよくテレビで見たのに」という感覚ですよね。

これには明確な区切りがあります。

浅井さんはTBSの『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演していましたが、Wikipediaの出演番組欄には「2017年まで」と記載されています。

つまり、レギュラーとしての定期的なテレビ露出はそこで一区切りついている計算です。

2024年時点で書かれたまとめ記事でも「最近は同番組を始め、テレビ番組へは出演していないようです」とされていました。

日曜の朝に毎週顔を見ていた人からすれば、そこから姿が見えなくなったわけですから、「最近見ないな」と感じるのは当然なんですよね。

テレビから消えたのではなく、テレビのレギュラーという仕事から離れただけというのが実態に近いと言えます。

その後の活動が写真展・書籍・ラジオ・講演という形に移っているのは、ここまで見てきたとおりです。

クイズ番組では「16分割の鬼」と呼ばれた

テレビ出演というと、年代によって思い浮かぶ番組が違うかもしれません。

浅井さんは1984年10月から1994年9月まで、テレビ朝日の『象印クイズ ヒントでピント』に男性軍キャプテンとしてレギュラー出演していました。

この番組の「16分割クイズ」では、発想力を発揮してわずか1枚開いただけで正解に導くことが何度もあり、「16分割の鬼」と呼ばれていたそうです。

写真家の目の使い方が、そのままクイズの強さになっていたのかもしれませんね。

ほかにも1998年から1999年にかけて『欽ちゃんの全日本仮装大賞』の審査員長を務めるなど、テレビでの顔は長く続いていました。

病気の噂については公式発表がない

テレビで見かけなくなると、どうしても健康を心配する声が出てきます。

実際、ネット上では病気ではないかという噂が流れた時期もありました。

ただし、この点について事務所や本人からの公式発表、大手メディアの報道は確認できていません

むしろ2026年の状況を見れば、写真展の初日に立ち、サイン会をこなし、ラジオで長く話しているわけです。

噂が広まったのは、単純に姿を見る機会が減ったからだと考えるのが自然だと思いますよ。

講演のプロフィールでは今もマルチクリエーター

もう一つ、現在の肩書がわかる資料があります。講師紹介サイト「講演依頼.com」に掲載されているプロフィールです。

そこには「現在は、写真の分野にとどまらず、映画製作、文藝、音楽プロデュース等、マルチクリエーターとして活躍中」と紹介されています。

講演のジャンルとして挙がっているのは、人生、経験・体験談、老後、環境問題、幼少・青年教育。

出身・ゆかりの地は愛知県と千葉県となっています。

主な講演テーマも独特で、「豊かだなあってどんな時?良い死に方ってどういうこと?我々と自然ってどういう関係?」「文化とは一体なにを指す 無くても暮らせるモノの意味 なぜ?の欠落」「写真 過去・現在・未来」といったものが並びます。

写真の技術論ではなく、生き方そのものを問う内容なんですよね。

テレビのコメンテーターという肩書が外れたあとも、浅井さんは写真・映画・文章・音楽をまたぐ作り手として扱われ続けているということです。

浅井慎平の現在を調べる人向けの関連情報

ここからは、浅井慎平さんの現在を調べている人がよく一緒に検索している話題をまとめていきます。年齢や海岸美術館、ご家族のことなど、気になる点を順番に見ていきましょう。

年齢は89歳で1937年生まれ

浅井慎平さんは1937年(昭和12年)7月1日生まれです。

2026年9月時点で89歳になります。

2026年7月14日配信のYahoo!ニュースでも「浅井愼平さん(89)」と年齢が明記されていました。

出身は愛知県瀬戸市。4歳からは名古屋市中区の大須で育っています。

学歴は早稲田大学政治経済学部政治学科を中退。在学中は映画研究会に所属していて、大学で偶然写真に出会って夢中になったと本人のプロフィールにあります。

写真を学校で専攻したわけではないんですね。

そこから29歳でビートルズに密着し、60年後の89歳で記念写真展を開いているわけですから、ずいぶん長い道のりです。

近年は「愼平」表記が使われている

検索するときに少し戸惑うのが、名前の表記です。

本名は「浅井 愼平」で、2026年の写真展や新著では一貫して「愼平」が使われています。

一方で長く「慎平」表記も流通してきました。

どちらで検索しても同じ人物ですが、最新情報を追うときは「愼平」でも調べてみると、公式サイトやニュースにたどり着きやすいですよ。

千倉に建てた海岸美術館は閉館済み

「浅井慎平 海岸美術館」という検索が多いのは、この施設が現在どうなっているかが気になるからだと思います。

海岸美術館は1991年5月、千葉県安房郡千倉町(現・南房総市)に浅井さんが設立した私設美術館です。館長も浅井さん自身が務めました。

展示されていたのは、1966年頃からの浅井さんの写真およそ50点と、浅井さんが自ら制作したガラス工芸。ビートルズ来日の密着写真もここで見られました。

コンセプトは「自然と人工の調和」。

壁面に丸い窓のような開口部があり、中庭にはタイルと船・浮き・貝といった海のモチーフのオブジェが置かれ、実際の海辺から少し離れた場所にありながら海岸の空気を感じさせる造りだったといいます。

建築としての評価も高く、1995年には海岸美術館に対して千葉県建築文化賞が贈られました。

ただしこの美術館は現在すでに閉館しています

閉館時期は資料によって食い違う

ここは正直に書いておきますね。

閉館した時期について、資料の記述が一致していません。

2018年当時に書かれた個人ブログや施設情報サイトでは「2018年2月末日で閉館」とされている一方、2024年公開のまとめ記事では「2020年に閉館」と書かれています。

閉館の理由についても、公式な説明は確認できませんでした。

そのため、この記事では閉館年は断定せず、すでに閉館していることだけが確実という扱いにしておきます。

南房総へ足を運ぶ予定がある方は、現地の観光情報で最新の状況を確認してくださいね。

千倉の別荘がきっかけだったとされる

「浅井慎平 別荘」「浅井慎平 千倉」で検索されるのも、この美術館と関係があります。

浅井さんは当時、千倉の海岸通りに別荘を持っていたと紹介されており、その縁からこの土地に美術館を建てたと説明されることが多いです。

ただし、この経緯は一部の記事にしか見られない情報で、公式な裏付けまでは取れませんでした。

確実なのは、千葉県文化功労賞(1994年)と千葉県建築文化賞(1995年)を受けているとおり、浅井さんにとって千葉が愛知に並ぶゆかりの地になっているという点です。

いいちこのポスターを20年以上撮影

浅井さんの写真は、実は多くの人が名前を知らないまま見ています。

その代表が、麦焼酎「いいちこ」の広告写真です。

駅の構内などで、雄大な風景のなかにぽつんといいちこの瓶が置かれたポスターを見たことがある方は多いのではないでしょうか。

あのシリーズの写真を、浅井さんが長年撮影してきました。

制作チームはアートディレクターの河北秀也さん、コピーライターの野口武さん、デザイナーの土田康之さん、そして浅井さんの4人。この体制で20年以上にわたって制作を担ってきたとされています。

広告の世界での評価も高く、1981年にはPARCOのCF・ポスター・新聞・雑誌広告によって東京アートディレクターズクラブ最高賞を受賞しました。

ほかにも「VAN JACKET」ハウザースポーツポスター、「JANTZEN」の水着ポスターなど、時代を象徴する広告を手がけています。

テレビで見なくなっても、街で浅井さんの写真だけは見続けていた人がたくさんいるということですね。

俳句で西東三鬼賞を受賞した実力

浅井さんの活動は写真だけにとどまりません。俳人としての顔もあります。

句集を何冊も出しているほか、俳句コンテストの選者を務めることもありました。

そして2015年には投句「青き川祖国に流れ足の裏」で第22回西東三鬼賞(津山市主催)を受賞しています。

趣味の範囲ではなく、きちんと賞を獲る実力だったわけです。

句の傾向としては「銀河」「雲」「雪」など、空にあるものを詠んだ作品が多いと紹介されています。

「しずかさや 神の手帖の 冬銀河」といった句が知られていますね。

2022年の句集『あれから何処へ』も、この流れの延長にあります。

2026年の新著タイトルが『星空のハローグッドバイ』であることを思うと、写真でも俳句でも、この人はずっと空を見ているのかもしれません。

息子・浅井竜介は陶芸家でミュージシャン

ご家族についても触れておきますね。

息子さんは1966年生まれの浅井竜介さん。陶芸家であり、ミュージシャンでもあります

イギリスのダーティントンホールスクールを卒業後、早稲田大学で近代工芸史を専攻し、さらにロンドン大学の大学院で陶芸を学びました。

帰国後の1994年に個展を開き、古典的な作風を受け継ぎながらモダニズムの要素も取り入れた作品を発表しています。

文筆家・音楽家としての顔も持つ点は、父親とよく似ていますね。

2002年には、父子で音楽レーベル「BACIO RECORDS」をプロデュースしました。

コンセプトは「世代を越えて残る音楽を作り、伝えるチーム」。親子で「大人が創る新しいスタンダード」を目指した取り組みです。

弟も陶芸家という一族

陶芸は息子さんだけの話ではありません。

浅井慎平さんの弟は陶芸家の浅井純介さん(早稲田大学教育学部卒)。

さらに竜介さんから見た祖父にあたる矢野陶々さんも陶芸家でした。

写真・陶芸・音楽と、分野は違っても作り手ばかりが並ぶ一族です。

浅井さんが89歳になっても作品を出し続けているのは、そういう家の空気があるからかもしれませんね。

タモリとは事務所時代からの縁

「浅井慎平 タモリ」で検索されるのには、はっきりした理由があります。

タモリさんはかつて浅井さんの事務所に出入りしており、当時の浅井さんのマネージャーがタモリさんの仕事を斡旋していたと記録されています。

デビュー前後のタモリさんの近くに、浅井さんがいたということですね。

2人の関係がはっきり形になったのが1982年の映画『キッドナップ・ブルース』です。

タモリさん主演のこの作品で、浅井さんは脚本・監督・撮影・照明の四役を一人で担当し、その多才ぶりが注目されました。

写真家が監督まで務めるというのは、当時としてもかなり異例だったはずです。

そしてこの縁は現在にもつながっています。

2026年の新著『星空のハローグッドバイ』には、昭和の時代に交流した人物としてタモリさんの名前が挙がっており、公式サイトのインタビュー後編でも「若き日のタモリ氏との思い出」が語られています。

40年以上前の縁が、60周年の本のなかに残っているわけですね。

映画『お葬式』の撮影も担当

映画との関わりはもう一本あります。

1984年の伊丹十三さん監督作『お葬式』では、浅井さんがモノクロ撮影を担当しました。

新著に伊丹十三さんの名前が出てくるのも、この頃の交流があったからだと考えられます。

俵万智との共著『もうひとつの恋』

関連検索に「浅井慎平 俵万智」が出てくるのを不思議に思った方もいるかもしれません。

これは1989年に角川書店から刊行された共著『もうひとつの恋』によるものです。

月刊誌の連載をまとめた本で、俵万智さんが短歌を作り、それに返歌するように浅井さんが写真を撮るという形式だったと紹介されています。

言葉に写真で返すという企画、面白いですよね。

ただし、この制作方法についての説明は限られた情報源にしか見当たらなかったため、細部までは確認できていません。

『サラダ記念日』で一大ブームを起こした直後の俵万智さんと、広告写真の第一線にいた浅井さん。1980年代の空気をそのまま閉じ込めたような一冊だったことは間違いなさそうです。

浅井慎平の現在のまとめ

  • 浅井慎平の現在は89歳で、写真家デビュー60周年を迎えている
  • 2026年7月8日から20日まで日本橋三越本店で記念写真展を開催した
  • 写真展のタイトルは「浅井愼平60th 星空のハローグッドバイ 浅井愼平写真展」
  • 写真展は日本橋三越本店を皮切りに全国巡回が予定されている
  • 7月8日には本人がサイン会に登壇し、購入者と直接交流した
  • 7月12日には唐橋ユミをゲストにトークショーも開催された
  • 2026年7月10日に新著『星空のハローグッドバイ 浅井愼平』を刊行
  • 2026年6月30日にはJ-WAVE『MIDDAY LOUNGE』へ出演している
  • その放送でポール・マッカートニーにタバコを勧められた話を初めて明かした
  • テレビは『サンデーモーニング』が2017年までで、以降レギュラー出演はない
  • 病気の噂はあるが、公式発表や大手報道は確認できていない
  • 1991年に千倉へ設立した海岸美術館はすでに閉館しているが、閉館年は資料で食い違う
  • 麦焼酎いいちこのポスター写真を20年以上撮影してきた
  • 俳人としても活動し、2015年に第22回西東三鬼賞を受賞している
  • 息子は陶芸家・ミュージシャンの浅井竜介、弟は陶芸家の浅井純介

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