置鮎礼子の現在は消息が非公表!2026年4月の再発盤に残った歌声とは?

置鮎礼子の現在は消息が非公表!2026年4月の再発盤に残った歌声とは?

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「黒ネコのタンゴ」のジャケットで、皆川おさむさんの隣に写っていた女の子。

その置鮎礼子さんの現在が気になって検索した方は多いのではないでしょうか。

本人の消息は表に出ていないのですが、実は2026年に、あの歌声だけが新しい形で世に出ているんです。

この記事を読むとわかること
・置鮎礼子の現在の消息について確認できることと、できないこと
・2009年に妹から伝えられた海外在住という情報の中身
・2026年4月に再発された「ニッキ・ニャッキ」と近年の再評価

置鮎礼子の現在は消息が公表されていない

「あの子、今どうしているんだろう」と思って検索した方が多いのではないでしょうか。

ここでは置鮎礼子さんの現在について、確認できる記録と伝聞を分けながら整理していきますね。

芸能活動の記録は1970年代で途切れている

置鮎礼子さんの名前が公の記録に残っているのは、1969年から1970年代前半にかけての数年間だけです。

きっかけになったのは、1969年10月5日に発売されたシングル「黒ネコのタンゴ/ニッキ・ニャッキ」でした。

A面の「黒ネコのタンゴ」を歌ったのが当時6歳10か月の皆川おさむさんで、B面の「ニッキ・ニャッキ」を歌ったのが置鮎礼子さんです。

このシングルは公称260万枚(資料によっては230万枚)という、いまでは考えられない規模のヒットになりました。

翌1970年4月1日には、置鮎礼子さん自身がA面を歌う「パパはママが好き」がビクターから発売されています。

つまり、B面の歌い手からA面歌手へと、ちゃんと次のステップに進んでいたわけですね。

ところが、その後の活動を示す記録がほとんど出てきません。

映画やドラマのデータベースであるallcinemaには置鮎礼子さんのページ自体は存在するのですが、出演作品も経歴も登録されていない、名前だけのページになっています。

1970年代前半を最後に、置鮎礼子さんが表舞台に立った記録は確認できないというのが実態です

引退の時期や理由についても、事務所やレコード会社からの発表は見当たりません。

当時の子役歌手は、学校生活に戻るタイミングで自然に活動が終わっていくことが珍しくありませんでした。

置鮎礼子さんの場合も、そうした流れの中で静かに歌の仕事から離れていったと考えるのが自然かなと思います。

ただ、これはあくまで残っている記録の並びから読み取れる範囲の話で、本人が「引退します」と表明した形跡があるわけではありません。

そこは分けて受け止めておきたいところです。

海外在住と伝えられた2009年の証言

現在の暮らしぶりについて、たったひとつだけ手がかりがあります。

2009年8月11日、昭和の歌謡やレコードを扱う個人ブログ「blog“オトナ”の手帳」に、置鮎礼子さんの妹さんから連絡があったことを伝える記事が掲載されました。

その記事によると、置鮎礼子さんは結婚と出産を経て、当時は海外で暮らしていたとのことです。

歌っていた頃の思い出話もされているという一文も添えられていました。

……なんだか、ほっとしませんか。

名前だけが記録に残って消息が途絶えた人の話は、どうしても寂しい方向に想像が向きがちですが、家族を通じて「元気にしています」という近況が届いていたわけですから。

同じ記事には、レコードを出した当時の様子も書かれています。

田園調布の小さき花の幼稚園に通っていたこと、「オシャマ」で「おすまし」をする子だったこと、笑顔の写真を撮るのに苦労したことなど、レコードジャケットの向こう側にいた一人の子どもの姿が伝わってくる内容です。

この証言をどこまで事実として扱えるか

ここは慎重に見ておきたい部分です。

この情報のソースは個人ブログ1件のみで、大手メディアが報じたものでも、本人がコメントしたものでもありません。

さらに、この記事が書かれたのは2009年です。

現時点で分かるのは「2009年の時点で海外在住と伝えられた」ところまでで、いまも海外にいるかどうかは誰にも確認できていません

すでに15年以上が経っていますから、生活の拠点が変わっている可能性も普通にあります。

「置鮎礼子は現在海外在住」と書いているまとめ記事をいくつか見かけますが、その根拠はほぼこの2009年のブログ1本にたどり着きます。

孫引きが重なって断定形になっているだけ、というケースですね。

再び名前が検索された2025年夏の出来事

2025年に入って、置鮎礼子さんの名前を検索する人が増えました。

きっかけとして考えられるのが、2025年7月23日、「黒ネコのタンゴ」を歌った皆川おさむさんが慢性腎不全のため横浜市の病院で亡くなったことです。

62歳でした。

皆川おさむさんは本名を皆川理さんといい、3歳からひばり児童合唱団に所属し、のちに同合唱団の代表を務めた方です。

声変わりのあとはドラムに転向して洗足学園音楽大学で打楽器を専攻し、グラフィックデザイナーを経て合唱団の運営に回るという、音楽から離れない人生を送っています。

1999年には「だんご3兄弟」のカバーをシングルで出し、2008年にはアニメ『ケロロ軍曹』のエンディング曲も担当していました。

訃報が流れると、当時のシングル盤の画像がSNSで数多く共有されました。

そのジャケットには、皆川おさむさんの隣に置鮎礼子さんが並んで写っています。

実際、Yahoo!知恵袋には訃報の2日後にあたる2025年7月25日、「右側の置鮎礼子さんという女の子は、今も歌手なのですか」という質問が投稿されました。

ジャケット写真をきっかけに、B面を歌っていたもう一人の子どもに関心が向いた形ですね。

つまり2025年以降に検索が増えたのは、置鮎礼子さん本人に何かがあったからではなく、同じジャケットに並んでいた皆川おさむさんの訃報がきっかけだったと考えられます

ここは誤解されやすいポイントなので、はっきり分けておきたいところです。

2026年4月に歌声がキングレコードから再発

本人の消息とは別に、歌声のほうには大きな動きがありました。

2026年4月1日、キングレコードから『皆川おさむくん 黒ネコのタンゴ 大人のための子どもの歌』(NOPA-8414)が発売されています

皆川おさむさんが亡くなった翌年に出た、追悼の意味を持つベスト盤です。

収録は全24曲、収録時間は60分6秒。

日本未発表だったイタリア語版・英語版の音源が初収録されるなど、資料的な価値も高い内容になっています。

そして注目したいのが最後のトラックです。

項目 内容
タイトル 皆川おさむくん 黒ネコのタンゴ 大人のための子どもの歌
発売日 2026年4月1日
レーベル キングレコード
品番 NOPA-8414
収録曲数 全24曲(60分6秒)
置鮎礼子の収録曲 24曲目「ニッキ・ニャッキ」

24曲目に置鮎礼子さんの「ニッキ・ニャッキ」が入っていて、このアルバムの中で置鮎礼子さんが単独で歌っている唯一の曲になっています。

ほかの曲はすべて皆川おさむさんやひばり児童合唱団の歌唱ですから、置鮎礼子さんの歌声だけが、アルバムの最後にぽんと置かれている形ですね。

本人の現在の姿は表に出ていませんが、57年前に録音された歌声のほうは、2026年にハイレゾ配信も含めた現行商品として今も流通しています

個人的に、この並びはちょっとぐっときました。

レコードは中古市場で今も流通している

再発盤とは別に、当時のアナログ盤も生き残っています。

ディスクユニオンのオンラインショップには置鮎礼子さんの商品一覧ページがあり、「昭和歌謡」「SOUL / BLUES」「日本のロック」といった複数のカテゴリーにまたがって在庫が並んでいます。

中古レコード専門のキキミミレコードでも「置鮎礼子/パパはママが好き」のEP盤が扱われてきました。

メルカリやヤフオクといった個人間の取引でも、シングル盤が定期的に出品されています。

半世紀以上前の子ども向けレコードが、ジャンルをまたいで専門店の棚に並び続けているというのは、なかなかすごいことですよね。

「黒ネコのタンゴ」が260万枚売れた盤ですから流通量そのものが多いという事情はありますが、B面の歌い手の名前で商品ページが立っているという点は、単なる在庫の多さだけでは説明がつかない気がします。

ラジオでも取り上げられ再評価が続く

もうひとつ、近年の動きを挙げておきます。

2022年9月、J-WAVEの番組「SAPPORO BEER OTOAJITO」で「ニッキ・ニャッキ」が取り上げられました。

音楽好きが集まる番組で、置鮎礼子さんの歌う曲として紹介されています。

「ニッキ・ニャッキ」は、食べ物の好き嫌いが多い女の子が「ニッキ・ニッキ・ニャッキ」とおまじないを唱えると、嫌いなものが消えて食べたいものが出てくる、という内容の歌です。

好き嫌いをテーマにした歌が半世紀たっても受け入れられているのは、子どもの好き嫌いという悩みが昔も今も変わらないからなのかもしれません。

レコード資料を扱う個人サイトでも、置鮎礼子さんの声については「ハスキーな声も愛らしい」といった評が残されています。

現在の置鮎礼子さんは公の場に出ていませんが、歌のほうは番組で紹介され、再発盤に収録され、レコード店の棚に並ぶという形で聴かれ続けています

置鮎礼子の現在を調べる人向けの関連情報

ここからは、置鮎礼子さんについて一緒に検索されることが多い項目をまとめていきます。

そもそも誰なのか、同じ名字の有名人との関係はどうなのか、といったあたりですね。

ニッキ・ニャッキを歌った童謡歌手

置鮎礼子さんは、1969年発売の「ニッキ・ニャッキ」を歌った童謡歌手です。

読み方は「おきあい れいこ」とされています。

「ニッキ・ニャッキ」はイタリアの子ども向け歌唱コンクール「ゼッキーノ・ドーロ」で歌われた曲のカバーで、オリジナルは当時5歳半のロベルタ・デレ・フェミーネという少女が歌っていました。

日本語版は日本語詞が山上路夫さん、編曲が小森昭宏さんという布陣です。

山上路夫さんは「翼をください」「瀬戸の花嫁」などを手がけた作詞家ですから、かなり豪華な布陣だったことが分かりますね。

A面の「黒ネコのタンゴ」も同じくゼッキーノ・ドーロの曲で、1969年3月の第11回大会で3位に入賞した楽曲でした。

オリジナルを歌ったのは当時4歳のヴィンチェンツァ・パストレッリです。

つまりこのシングルは、イタリアの子どもの歌を2曲まとめて日本語にした、企画性の高い1枚だったわけですね。

生年月日は1964年10月28日

置鮎礼子さんの生年月日は1964年10月28日とされています。

この日付は「黒ネコのタンゴ」の楽曲解説で記載されているもので、複数の音楽系記事でも同じ日付が使われています。

この生年から逆算すると、シングルが発売された1969年10月5日の時点では4歳11か月。

誕生日の直前ですから、ほぼ5歳ちょうどで、あの歌を録音していたことになります。

歌っていた年齢を知ると、あのハスキーな歌声の印象がまた変わってきませんか。

なお2026年時点では61歳から62歳という計算になりますが、これはあくまで生年月日からの単純計算です。

ウィキペディアに単独ページはない

「置鮎礼子 ウィキペディア」で検索する人が多いのですが、置鮎礼子さん単独のウィキペディアのページは存在しません

生年月日をはじめとする情報が書かれているのは、楽曲「黒ネコのタンゴ」のページの中です。

B面の歌い手として数行触れられている、というのが実際のところですね。

同じ名字の声優・置鮎龍太郎さんには単独ページがあるため、検索結果でそちらが上位に出てきて混同が起きやすくなっています。

allcinemaにも置鮎礼子さんのページはありますが、こちらは名前が登録されているだけで、作品情報も経歴も入っていません。

情報が少ない人物ほど、こうした「箱だけあって中身がない」ページが検索結果に並びがちです。

A面デビュー曲はパパはママが好き

置鮎礼子さんがA面歌手としてリリースしたシングルが「パパはママが好き」です。

項目 内容
発売日 1970年4月1日
レーベル ビクター
品番 FS1125
形態 7インチシングル
A面 パパはママが好き(訳詞:薩摩忠/編曲:小森昭宏)
B面 恋する風船(作詞:音羽たかし/作曲:P.Piot)

編曲は「ニッキ・ニャッキ」と同じ小森昭宏さんが担当しています。

この2曲は、子ども向け番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」で歌われて人気が出たことからシングル化されたものです。

「ピンポンパン」は1966年から1982年まで放送されていた長寿番組で、当時の子どもにとっては生活の一部のような存在でした。

その番組発の曲でA面を任されていたわけですから、B面歌手として一度きり起用されただけの子役ではなかったことが分かりますね。

現在確認できる置鮎礼子さん名義のシングルは、この「パパはママが好き」と「黒ネコのタンゴ/ニッキ・ニャッキ」の2枚が中心です。

声優の置鮎龍太郎との血縁は確認できない

検索候補に「置鮎礼子 置鮎龍太郎」「置鮎礼子 兄弟」が並ぶくらい、この2人の関係は気になられているようです。

置鮎龍太郎さんは『テニスの王子様』の手塚国光役、『BLEACH』の朽木白哉役などで知られる声優で、2023年に第17回声優アワード助演声優賞を受賞しています。

結論から言うと、置鮎礼子さんと置鮎龍太郎さんを結びつける記述は、どの資料にも見当たりません

理由を並べておきますね。

確認項目 置鮎礼子 置鮎龍太郎
生年 1964年 1969年11月17日
活動 童謡歌手(1969〜1970年代前半) 声優
出身 記載なし(当時は東京・田園調布の幼稚園に通園) 福岡県北九州市生まれ・大阪府大阪市住之江区育ち

置鮎龍太郎さんのプロフィールには姉と妹がいることが書かれていますが、姉の職業はアニメーター、妹は7歳年下とされていて、どちらも童謡歌手だった置鮎礼子さんとは重なりません。

置鮎龍太郎さんの側の資料にも、置鮎礼子さんへの言及は一切ありません。

そもそも育った土地も違いますから、姉弟と考えるのは無理があります。

なお「置鮎」という名字については、置鮎龍太郎さんが「父が結婚する時に読みを『おきあゆ』に変更した」と語っています。

置鮎礼子さんのほうは「おきあい」と読まれてきましたから、読み方の時点で系統が違うんですね。

珍しい名字が重なっただけで、血縁関係を示す材料は現時点でひとつも見つかっていません

皆川おさむの姉という説の裏付け

もうひとつ、ネット上で見かける説にも触れておきます。

2025年のYahoo!知恵袋の回答の中に、「置鮎礼子さんは皆川おさむさんの姉である」という趣旨の書き込みがありました。

同じジャケットに並んでいる2人ですし、そう聞くと納得しそうになりますよね。

ただ、この説を裏づける資料は見つかりません。

皆川おさむさんのプロフィールをたどると、伯母がひばり児童合唱団の創立者である皆川和子さんであること、生涯独身だったことなどは記載されていますが、姉にあたる人物についての記述はありません

置鮎礼子さんが皆川おさむさんの姉だとする記載も、当然ながら出てきません。

現時点では、匿名の投稿1件にだけ書かれている未確認の説として扱うのが妥当です

この投稿には家族の健康に関する記述も含まれていますが、公的な裏づけがまったくない私的な内容ですので、ここでは扱いません。

2人が一緒に写っているのはあくまで同じシングル盤の企画によるもので、血縁関係が公表された事実はない、というところに留めておきたいと思います。

置鮎礼子の現在のまとめ

  • 置鮎礼子は1969年発売「ニッキ・ニャッキ」を歌った元童謡歌手である
  • 同曲は皆川おさむ「黒ネコのタンゴ」のB面で、シングルは公称260万枚を売り上げた
  • 生年月日は1964年10月28日とされ、レコード発売時はほぼ5歳だった
  • 1970年4月1日にA面デビュー曲「パパはママが好き」をビクターから発売している
  • 同曲は「ママとあそぼう!ピンポンパン」で歌われて人気が出た
  • 公の活動記録は1970年代前半で途切れ、以降の芸能活動は確認できない
  • 引退の時期や理由に関する公式発表は見当たらない
  • 2009年の個人ブログで、妹からの連絡として結婚・出産・海外在住が伝えられた
  • ただし出典は個人ブログ1件のみで、現在も海外にいるかは確認できていない
  • 2025年7月23日に皆川おさむが慢性腎不全のため62歳で死去している
  • 2025年に検索が増えたのは、この訃報でシングル盤の画像が広まったためとみられる
  • 2026年4月1日にキングレコードから追悼ベスト盤が発売された
  • 同盤の24曲目に「ニッキ・ニャッキ」が収録され、単独歌唱曲はこの1曲のみ
  • 中古レコード市場では現在もシングル盤が流通している
  • 2022年9月にJ-WAVEの番組で「ニッキ・ニャッキ」が紹介された
  • 声優の置鮎龍太郎とは生年・活動・出身が異なり、血縁を示す資料はない
  • 皆川おさむの姉とする説は匿名投稿1件のみで裏づけがない

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