「お笑いマンガ道場」でおなじみだった車だん吉さんを、最近テレビで見かけなくなったと感じている方は多いのではないでしょうか。
ネット上では引退したという書き込みも流れていて、実際のところどうなっているのか気になりますよね。
調べてみると、事務所の公式サイトには今も名前が残っていて、テレビとは別の場所でずっと続けている仕事がありました。
・車だん吉の引退について公式発表があるのかどうか
・テレビ出演が途切れたのがいつからで、何がきっかけだったのか
・千葉と愛媛で今も続けている活動の中身
車だん吉の現在の活動と引退説の行方
テレビで見かけなくなった理由と、今どこで何をしているのかを順番に見ていきます。
結論から言うと、引退を伝える公式発表は見つかりませんでした。
芸能界引退の公式発表は確認できない
まず、いちばん気になるところからいきますね。
車だん吉さんが芸能界を引退したという情報は、個人のSNS投稿としてはたしかに出回っています。
「今度、芸能界を引退された、車だん吉さんに会いに行くけど」「車だん吉さんに会いに行って来ましたよ。芸能界は一昨年に引退されました。お元気でしたよ」といった投稿が、2026年に入ってから複数見つかりました。
ただ、ここが大事なところです。
所属事務所である浅井企画の公式発表も、大手メディアが引退を報じた記事も、どちらも確認できませんでした。
一方で、Yahoo!知恵袋には2025年6月の時点で「引退では無くてセミリタイアしており千葉県佐倉市に在住しています」という回答も投稿されています。
つまり、引退したという話とセミリタイアだという話が、どちらも個人の発信としてネット上に並んでいる状態なんですね。
公的な裏づけがある情報としては、車だん吉さんの引退は現時点で確認できないというのが正確なところです。
ネットの書き込みだけを根拠に「引退した」と言い切るのは、さすがに早い気がします。
2026年で82歳を迎えている
車だん吉さんは1943年12月6日生まれ。
2026年9月の時点で82歳、この年の12月には83歳になります。
この年齢を考えれば、テレビの仕事を以前のペースで続けていないこと自体は、まったく不思議ではないですよね。
本名は白沢力(しらさわ つとむ)さん、東京都の現在の江東区の生まれです。
事務所の所属ページは今も残っている
引退したかどうかを判断するうえで、いちばん手堅い材料がこれだと思います。
浅井企画の公式サイトには、今も車だん吉さんの所属タレントページが掲載されています。
しかもプロフィールの経歴欄は「その後、車だん吉の芸名で活動。バラエティー、ドラマ、ドキュメンタリー番組レポーターなど、現在に至る」という書き方のままなんですね。
引退したタレントであれば、通常は所属タレント一覧から名前が外れます。
ページが残っていて、しかも「現在に至る」と書かれているということは、事務所としては今も所属タレントとして扱っているということになります。
掲載されているプロフィールの内容も見てみましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1943年12月6日 |
| 本名 | 白沢力(しらさわ つとむ) |
| 出身地 | 東京都(現在の江東区) |
| 現住所 | 千葉県佐倉市 |
| 血液型 | A型 |
| 身長・体重 | 177cm・84kg |
| 所属 | 浅井企画 |
| 学歴 | 立正大学経済学部(1966年3月卒業) |
| 愛称 | だんちゃん |
身長177cmというのは、あの世代のタレントとしてはかなり大きいほうです。
朝日新聞での連載も紹介されている
浅井企画のプロフィールには、出版物として週刊漫画サンデーの「欽ちゃんの4コマ漫画 おまけ付き!」(2003年8月〜2004年、実業之日本社)の連載が載っています。
加えて、朝日新聞での紀行文とイラストの連載についても記載があります。
テレビの人という印象が強い方ですが、こうして見ると絵と文章の仕事が経歴の芯にあるのがよく分かりますよね。
テレビ出演は2022年度で途切れている
では、テレビで見かけなくなったのはいつからなのか。
ここははっきりした区切りがあります。
車だん吉さんはNHK Eテレの「ピタゴラスイッチ」で百科おじさんの声を担当していましたが、この役を2022年度いっぱいで降りています。
2023年度からは中村梅雀さんが後任として百科おじさんの声を務めていて、これは中村梅雀さん側の経歴にも記載されている確かな情報です。
ドラマのほうも見てみると、記録に残っている出演はこのあたりで止まっています。
| 年 | 作品 | 放送局 | 役名 |
|---|---|---|---|
| 2015年 | プラチナエイジ | 東海テレビ | 川辺一郎 |
| 2018年 | 戦争めし | NHK BSプレミアム | 前田郁夫 |
| 2019年 | 盤上のアルファ | NHK BSプレミアム | 後援会長 |
ドラマは2019年、レギュラーの声の仕事は2022年度。
この2つが重なったことで、2023年以降はテレビで姿を見る機会がほとんどなくなった、という流れです。
「最近見ないな」という体感は、けっこう正確だったわけですね。
ぶらり途中下車の旅からも離れていた
もうひとつ、テレビ露出の減り方を語るうえで外せない番組があります。
「ぶらり途中下車の旅」です。
車だん吉さんはこの番組にかつて約2か月おきに出演していて、ミスターぶらり旅という異名まで付いていました。
ところが、初代ナレーターだった滝口順平さんが亡くなったあと、出演を取りやめたとされています。
滝口さんが亡くなったのは2011年ですから、ここでひとつ大きな区切りがあったことになります。
……長く続けた番組を、そういう理由で離れる。なんだか、その人らしさが出ている気がします。
拠点は千葉県佐倉市に置いている
今どこで暮らしているのかというと、千葉県佐倉市です。
これは複数の情報源で一致していて、佐倉商工会議所の資料にも「佐倉市在住のタレント・車だん吉さん」と明記されています。
そして面白いのが、この佐倉での関わり方なんですよ。
車だん吉さんは佐倉七福神の絵を手がけています。
佐倉商工会議所が販売している開運招福の佐倉七福神オリジナル手拭は、原画を車だん吉さんが描いたものです。
佐倉市の妙隆寺というお寺のブログにも、2022年9月の記事で「佐倉七福神めぐりの七福神の絵は、佐倉在住の漫画家、車だん吉さんが書いてくださったものです」と紹介されています。
つまり、テレビから離れたあとも、暮らしている土地では絵の描き手として現役だということです。
ここ、個人的にすごく好きなんですよね。全国区の露出とは別の場所に、ちゃんと居場所を作っている感じがして。
京成電鉄の車だん吉号が走ったこともある
佐倉との縁は、けっこう前からのものです。
2009年には京成電鉄で「車だん吉号」が運転されました。
下町生まれで佐倉市在住の車だん吉さんが、佐倉・成田といった北総地域の魅力をイラストと紀行文で描いたポスターを車内に掲示する、という企画だったそうです。
タレントとしてではなく、絵と文章の書き手として地域に呼ばれている。この形が、その後もずっと続いているわけですね。
愛媛の絵の展覧会で審査委員長を務める
そしてもうひとつ、テレビの外で続いている大きな仕事があります。
愛媛県西予市城川町のギャラリーしろかわで開かれている、全国「かまぼこ板の絵」展覧会。
車だん吉さんは、この展覧会の審査委員長を務めています。
これは浅井企画の公式プロフィールの活動欄にも明記されている、事務所公認の仕事です。
しかも単発ではありません。
| 時期 | 報じた媒体 | 内容 |
|---|---|---|
| 2015年6月 | 産経新聞 | 審査員長として大賞作品を講評 |
| 2023年6月 | TBS NEWS DIG | 大賞を審査員長が即決したと報道 |
| 2023年7月 | 愛媛新聞 | 表彰式に審査員長として出席 |
2015年の産経新聞では、大賞作品について「児童虐待がしばしば取り上げられる昨今、”子どもは宝である”と常に口にする作者の心の絵」と評価したコメントが紹介されています。
審査員として名前を貸しているだけ、という関わり方ではないのが伝わってきますよね。
そして重要なのは時期です。
百科おじさんの声を降りた2022年度のあと、2023年の夏にも愛媛の表彰式に出席していることが地元紙で確認できます。
テレビから姿が消えたあとも、この仕事は続いていたということになります。
車だん吉の現在を調べる人向けの関連情報
ここからは、車だん吉さんについて一緒に検索されることが多い話題をまとめていきます。
お笑いマンガ道場のこと、百科おじさんのこと、そして今も語り草になっているあの企画のことまで見ていきましょう。
お笑いマンガ道場に18年間出演していた
車だん吉さんの名前を全国区にしたのが、中京テレビの「お笑いマンガ道場」です。
放送は1976年から1994年までの18年間。
マンガ大喜利という形式で、お題に対して出演者が絵を描いて答えるという番組でした。
この番組で車だん吉さんは、富永一朗さん・鈴木義司さんという2人のプロの漫画家と並んで絵を描いていたわけです。
タレントでありながらプロの漫画家に混じって描き続けたというのは、なかなかできることではないですよね。
2022年1月の中日新聞のインタビューで、車だん吉さんはこの番組についてこう語っています。
「マンガ道場さまさまですよ。経済的な面でも娘は間違いなくマンガ道場で育ててもらいました」
18年という長さは、単に長寿番組というだけでなく、この人の生活そのものを支えた期間でもあったということです。
令和版のマンガ道場にも唯一出演した
そのお笑いマンガ道場が、放送終了から27年を経て一夜限りで復活しました。
2021年9月26日に放送された「復活!令和もお笑いマンガ道場」です。
ここで注目したいのが出演者の顔ぶれ。
司会の柏村武昭さんとともに、当時の解答者として出演したのは車だん吉さんただ一人でした。
新メンバーとして加わったのは、ナイツの土屋伸之さん、野性爆弾のくっきー!さん、足立梨花さん、漫画家の島本和彦さん。
浅井企画の公式ニュースでも「新メンバーにいじられながら、車だん吉(77)も奮闘!」と告知されていました。
当時77歳です。……なんか、いいですよね。
中日新聞のインタビューでも「令和版にも唯一出演」という点が取り上げられていて、番組の歴史を体現する存在として扱われていたことが分かります。
富永一朗との親子のような関係
マンガ道場を語るうえで欠かせないのが、富永一朗さんとの関係です。
富永さんが亡くなった2021年5月、車だん吉さんはスポーツ報知の取材にこう答えています。
「『だんちゃんは息子みたいなもんだから』と言ってもらえて、こっちも父親みたいに接していました。お互い勝手なことを言っていました」
中日新聞のインタビューでも「富永先生とは18歳の年齢差はありましたが、息子みたいだと言われて家族ぐるみのおつきあいをしていました」と語っています。
18歳差で、家族ぐるみ。
番組の中での丁々発止のやり取りは有名でしたが、その裏にこういう関係があったと知ると、見え方が変わってきますよね。
百科おじさんの声は3代目だった
お子さんがいる家庭だと、こちらのほうが馴染みがあるかもしれません。
NHK Eテレ「ピタゴラスイッチ」に登場する百科おじさん。
この声を、車だん吉さんは2005年度から2022年度までの18年近く担当していました。
歴代の担当を整理するとこうなります。
| 代 | 担当者 | 期間 |
|---|---|---|
| 初代 | 名古屋章 | 番組開始時から |
| 2代目 | (2代目を経て) | ― |
| 3代目 | 車だん吉 | 2005年度〜2022年度 |
| 4代目 | 中村梅雀 | 2023年度〜 |
初代が名古屋章さんで、車だん吉さんは3代目にあたります。
お笑いマンガ道場が18年、百科おじさんも18年。
同じ役をこれだけ長く続けられるというのは、それだけ声と人柄が役に合っていたということだと思います。
ちなみに、ピタゴラスイッチの百科おじさんが車だん吉さんだったと知らなかった、という声はSNS上にかなりあります。え、そうだったの!?と思った方も多いのではないでしょうか。
漫画家として連載を持っていた
車だん吉さんの肩書は、タレント・俳優だけではありません。
漫画家としても活動しています。
掲載歴として名前が挙がっているのは、漫画雑誌「わんぱっくコミック」や、週刊漫画サンデーの「欽ちゃんの4コマ漫画おまけ付きぃ!」など。
浅井企画のプロフィールでは、この週刊漫画サンデーの連載期間が2003年8月から2004年(実業之日本社)と記載されています。
お笑いマンガ道場で絵を描いていた人が、実際に商業誌で連載も持っていた。順番としてはむしろ自然な流れですよね。
中京テレビのお笑いマンガ道場の対談ページでは、「だん吉さんは往年とまったく変わらず、絵がお上手でしたが、ずっと描かれてたんですか?」という問いに対して、「頼まれたりすれば描くこともある程度ですよ」と答えています。
この「頼まれたら描く」というスタンスのまま、佐倉七福神やかまぼこ板の絵の仕事につながっているわけです。
若い頃はコント55号の弟分だった
若い頃の車だん吉さんは、今の穏やかなイメージとはだいぶ違います。
1966年3月に立正大学経済学部を卒業したあと、左とん平さんに弟子入りし、浅井企画に入社しました。
浅井企画のプロフィールによれば、入社時の肩書はなんと事務員です。
そこから1967年秋に舞台活動を始め、歌謡ショーの司会も務めるようになります。
そして1968年2月、岩がん太さんとコンビを結成。
コンビ名はコント0番地、コント55号の弟分という立ち位置でした。
ちなみに初期の芸名は「たんくだん吉」でしたが、テレビ出演の際に芸名へ難色を示されたため、現在の「車だん吉」に改名したという経緯があります。
コンビ解散は相方の引退が理由
コント0番地は1978年に解散しています。
理由は、相方の岩がん太さんが芸能界を引退したこと。
岩さんは起業のために芸能界を離れ、最初は魚屋、のちにラーメン店へ転業したとされています。
コンビ活動の期間は約10年ほどでした。
車だん吉さんはその後もひとりで芸能活動を続け、1976年から始まっていたお笑いマンガ道場でブレイクすることになります。
ネット検索で「車だん吉 引退」と調べると出てくる「引退」の記述には、この相方の引退の話が混ざっているケースもあるので、そこは分けて読む必要がありますね。
娘はマンガ道場に育てられたと語る
家族について、車だん吉さん自身が語った言葉が残っています。
先ほども触れた中日新聞のインタビューでの発言です。
「経済的な面でも娘は間違いなくマンガ道場で育ててもらいました」
この一言から、娘さんがいることが分かります。
中京テレビの対談ページには、「うちの娘は何もとらないから怒ったよ。そしたら『スマホ見ればわかるじゃない』って。これなんだよね」という発言も掲載されていて、今も普通に会話のある関係だということが伝わってきます。
一方で、息子については、車だん吉さん本人の実子としての情報は確認できませんでした。
検索で「車だん吉 息子」と出てくるのは、多くが富永一朗さんとの「息子みたいなもんだから」というやり取りに由来するものです。
なお、親族としてはコントグループ「東京03」の飯塚悟志さんが親戚関係にあたるとされています。
公表されている家族の情報は、娘さんに関する本人の発言と、飯塚悟志さんとの親戚関係のふたつです。
病気の噂に裏づけは見つからない
「車だん吉 病気」という検索も一定数あります。
テレビで見かけなくなると、健康面を心配する人が増えるのは自然なことですよね。
ただ、調べた範囲では車だん吉さん本人の病気を報じた記事は見つかりませんでした。
検索結果に出てくるのは、番組の内容に関する昔の話題や、無関係な自治体広報などが中心です。
むしろ、2026年に本人と会ったという個人の投稿には「お元気でしたよ」と書かれています。
病気を理由にテレビから離れたという裏づけは、現時点では存在しないと言っていいと思います。
年齢と、レギュラーだった声の仕事の交代。この2つで説明がつく範囲におさまっている、というのが正直な見立てです。
徒歩でドライブスルーに挑んだ企画
最後に、いま検索されている理由のひとつであろう話題に触れておきます。
「車だん吉 ドライブスルー」です。
これは昔のテレビ番組の企画で、車だん吉さんが徒歩でドライブスルーを利用できるかを検証するという内容でした。
名字が「車」だから通れるのではないか、という理屈ですね。
当時の視聴者の回想によると、店員さんに「車で来てください」と言われ、「車ですよ」と返す、というやり取りだったようです。
結果はもちろん断られたわけですが、このくだらなさが強烈だったらしく、放送から何年も経った今でもSNSで思い出話として書き込まれ続けています。
……こういう企画が語り継がれるって、すごいことだと思いませんか。
ただし、番組名や放送年については個人の記憶に基づく書き込みしかなく、確定できませんでした。
「ナイナイナ」という番組名を挙げる投稿もありますが、裏づけは取れていません。
企画自体が実在したことは複数の証言から間違いなさそうですが、放送データとしての特定はできていない、というのが現状です。
車だん吉の現在のまとめ
- 芸能界引退を伝える事務所の公式発表・大手メディアの報道は確認できない
- 引退したという情報は個人のSNS投稿が出どころ
- 2025年6月時点では「セミリタイア」とする書き込みもあり情報が割れている
- 浅井企画の公式サイトには今も所属タレントページが掲載されている
- プロフィールの経歴欄は「現在に至る」という記載のまま
- 1943年12月6日生まれで2026年9月時点では82歳
- ピタゴラスイッチの百科おじさんの声を2022年度で降板している
- 2023年度からの後任は中村梅雀
- 記録に残るドラマ出演は2019年の「盤上のアルファ」が最後
- ぶらり途中下車の旅は初代ナレーター滝口順平の逝去後に出演を取りやめたとされる
- 現住所は千葉県佐倉市で佐倉七福神の絵を手がけている
- 愛媛県西予市の全国「かまぼこ板の絵」展覧会で審査委員長を務めている
- 2023年7月にも同展覧会の表彰式に出席したと地元紙が報じている
- お笑いマンガ道場には1976年から1994年まで18年間出演
- 2021年の令和版復活放送に当時の解答者として唯一出演した


