青木理の父親は二つの小学校で校長を務めた教員!息子に一度だけ頼んだ朝鮮半島への旅とは

青木理の父親は二つの小学校で校長を務めた教員!息子に一度だけ頼んだ朝鮮半島への旅とは

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サンデーモーニングなどでおなじみのジャーナリスト・青木理さん。

その青木理さんの父親は、長野県で長く教壇に立ち、最後は二つの小学校で校長を務めた教員でした。

実はこのお父さん、幼いころを朝鮮半島で過ごしていて、晩年に息子へ「一度でいいから行ってみたい」と頼んだ場所があるんです。

この記事を読むとわかること
・青木理さんの父親の職業と、二つの小学校で校長を務めた経歴
・まじめで厳しかった父の人柄と、2016年ごろに82歳で亡くなるまで
・父が幼少期を過ごした朝鮮半島の麗水と、親子で訪ねた旅のエピソード

青木理の父親は二つの小学校で校長を務めた教員

まずは青木理さんの父親がどんな人だったのかを、本人が語った内容をもとに見ていきます。職業、人柄、そして意外なルーツまで順番に紹介しますね。

父親は長野県の公立校で教員をしていた

青木理さんの父親は、長野県の公立校で教員をしていた人です。

このことは、2020年9月27日の朝日新聞に掲載されたコラム「おやじのせなか」で、青木理さん本人が語っています。

Wikipediaでも「父は元小学校教員」と紹介されていて、父親が教育者だったことは複数の情報源で一致しています。

青木理さんは1966年に長野県小諸市で生まれていますから、お父さんは長野で教員を続けながら家庭を築いていたことになりますね。

なお、一部のブログでは「公立高校の教員」と書かれていることがあります。

ただ、青木理さん本人の言葉は「公立校」で、晩年は小学校の校長を務めているので、主に小学校で教えていたと考えるのが自然かなと思います。

父親の名前や勤めていた学校名は公表されていません。

お父さんは一般の方なので、ここは本人が語った範囲にとどめておきますね。

つまり青木理さんの父親は、長野県の公立校で子どもたちを教えてきた教育者です。

最後は二つの小学校で校長を務めた

お父さんは教員生活の締めくくりに、二つの小学校で校長を務めています。

これも朝日新聞のコラムで青木理さん自身が明かしている話です。

一つの学校だけでなく二つの学校で校長を任されたということは、地域の教育現場でそれだけ信頼されていたということですよね。

ジャーナリストとして権力を厳しく批判する姿勢で知られる青木理さんですが、そのお父さんは地道に地域の子どもたちを見守る側の人だったわけです。

……なんだか、ちょっと意外な組み合わせに感じませんか。

青木理さんの父親は、校長として二つの小学校を預かるまで教育の道を歩み続けた人でした。

まじめで倹約家、しつけに厳しかった父の人柄

青木理さんは父親の人柄を、まじめで、きちょうめんで、無駄遣いをしない人だったと振り返っています。

いかにも「先生」らしいお父さん像ですよね。

しつけも厳しく、青木理さんが中学生のころまではかなりきっちり育てられたようです。

その一方で、青木理さんが思い出すのは、教師らしくないぶっきらぼうで、どこか不器用な一面だったといいます。

厳しいけれど言葉はうまくない、そんな昔気質のお父さんの姿が目に浮かびます。

こういう父親像、なんか分かりませんか。

父の人柄を表す言葉

青木理さんが挙げた父の姿内容
性格まじめで、きちょうめん
お金の使い方無駄遣いはしない
しつけ青木理さんが中学生のころまでは厳しかった
意外な一面教師らしからぬ、ぶっきらぼうで不器用なところ

厳格さと不器用さをあわせ持った、昔ながらの父親だったことがわかります。

父親は幼いころ朝鮮半島の麗水で育っていた

青木理さんの父親について、いちばん驚かされるのがこの話です。

実はお父さん、幼いころに朝鮮半島南部の麗水(ヨス)で暮らしていたんです。

青木理さんは2019年7月、集英社新書プラスの連載「官製ヘイトを撃つ」で、在日一世の詩人・金時鐘さんと対談した際にこのことを明かしています。

麗水は、現在の韓国・全羅南道にある港町です。

お父さんは子どもだったこともあり、現地の言葉をすぐに覚え、お手伝いさんや近所の人とは朝鮮語で話すほどだったそうです。

日本の教員として生きたお父さんに、こんな幼少期があったなんて、え、そうだったの!?って感じですよね。

祖父は農商務省の役人で麗水の試験場に勤めていた

お父さんが麗水で育ったのは、青木理さんの父方の祖父の仕事の関係でした。

祖父はもともと農商務省の役人で、技官系の研究者だったらしいと青木理さんは語っています。

日本の植民統治下にあった朝鮮半島に赴任し、麗水にあった試験場に勤めていたそうです。

その祖父は、先の戦争中に亡くなっています。

人物わかっていること
父方の祖父農商務省の役人(技官系の研究者だったらしい)。朝鮮半島の麗水の試験場に勤務。戦争中に死去
父親幼いころ何年か麗水で暮らす。のちに長野県で教員となり、二つの小学校で校長を務める
青木理さん1966年長野県小諸市生まれ。のちに韓国へ留学し、ソウル特派員も務める

祖父・父・青木理さんと、三代にわたって朝鮮半島と縁があった家族なんです。

父のたった一度の頼みは「麗水に行ってみたい」

青木理さんが共同通信のソウル特派員として韓国に住んでいたころ、お父さんはまだ元気でした。

そのお父さんが、「一度でいいから麗水に行ってみたい」と言い出したそうです。

朝日新聞のコラムのタイトルも「半島へ、たった一度の頼み」で、青木理さんにとって特別な思い出だったことが伝わってきます。

お父さんは昔住んだ家や、祖父が勤めていた試験場のあった場所も訪ねたいと望んでいました。

ただ、青木理さん自身は正直戸惑ったと語っています。

詳しい場所は覚えていないし、風景もすっかり変わっているはずです。

それに、植民統治時代の日本の役人の息子と孫が昔を懐かしんで訪ねてきたと言えば、現地の人はいい気がしないだろうと考えたからです。

麗水の市役所の人が車で案内してくれた

それでも実際に親子で麗水の市役所を訪ね、事情を話してみると、役所の人は当時の試験場や住宅の場所を丁寧に調べてくれたそうです。

しかも「今日は時間があるから」と、わざわざ車で現地まで案内してくれたといいます。

だいたいこのあたりだろうという場所にたどり着くと、記憶がよみがえったお父さんは感激して目を潤ませました。

そして、それを見ていた役所の人まで一緒に目を潤ませていたそうです。

……なんか、じんわりしますよね、これ。

青木理さんはこの経験を、特派員として暮らした韓国で人々の情の厚さを感じた「忘れがたい思い出」として語っています。

厳格で不器用だった父が息子に託した一度きりの願いは、国境を越えた温かい出来事として青木理さんの記憶に残っています。

父親は2016年ごろに82歳で亡くなった

青木理さんの父親は、すでに亡くなっています。

2020年9月の朝日新聞のコラムで「4年前に82歳で亡くなった」と語っているので、亡くなったのは2016年ごろと考えられます。

2019年の集英社新書プラスの対談でも「その父も数年前に他界しましたが」と触れていて、時期は一致しています。

82歳で亡くなった年から逆算すると、お父さんは1930年代前半の生まれと推測できます。

祖父が戦争中に亡くなっていることを考えると、お父さんは少年期に父親を失い、戦後の日本で教員の道を歩んだことになりますね。

そう思うと、晩年に幼少期を過ごした麗水を訪ねたいと願った気持ちも、なんだか分かる気がします。

青木理さんの父親は2016年ごろ、82歳でその生涯を終えました。

青木理の父親を調べる人向けの関連情報

ここからは、青木理さんの父親について調べている人がよく一緒に検索している話題をまとめました。実家や結婚、国籍、そして今の活動まで見ていきましょう。

実家は長野県小諸市

青木理さんの実家は、長野県小諸市です。

1966年10月26日に小諸市で生まれ、地元で育ちました。

高校は、隣の佐久市にある長野県野沢北高等学校に進学しています。

その後は上京して慶應義塾大学文学部に進み、卒業後の1990年に共同通信社に入社しました。

母親や兄弟については、青木理さん本人が語った情報が見当たらず、詳しいことはわかっていません。

父親が教員として勤めた長野の地で育ったことが、青木理さんの原点といえそうです。

嫁や結婚については公表されていない

青木理さんの嫁や子供については、本人から公表されていません。

ネット上では「妻は共同通信社勤務」という話も出回っていますが、出どころのはっきりした情報は見つかっていません。

過去には、情報番組の共演時に「結婚もしてませんよ」と話したとされるSNS投稿もあります。

ただ、これも番組内のやり取りを伝える投稿なので、確かなことはわからないというのが実情です。

プライベートをほとんど語らない青木理さんですが、父親についてはコラムや対談で温かく振り返っているのが印象的ですね。

国籍が話題になる理由は韓国との深い縁

青木理さんを検索すると「国籍」という言葉が一緒に出てきます。

これは、韓国に関する発言や取材が多いことが大きいと思われます。

青木理さんは1997年から1998年まで韓国の延世大学校韓国語学堂に留学し、2002年から2006年までは共同通信のソウル特派員を務めました。

一方で、父方の祖父は日本の農商務省の役人として朝鮮半島に赴任していた人で、父親もその息子として麗水で幼少期を過ごしています。

家族のルーツは日本の役人の家系で、韓国との縁はむしろ「日本側」からのものだったわけです。

韓国との関わりが深い理由の一つに、こうした家族の歴史があるのかもしれませんね。

サンデーモーニング降板と今の活動

青木理さんは長くTBS「サンデーモーニング」のコメンテーターを務めてきました。

テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」にも2011年4月から2021年3月までレギュラー出演しています。

ところが2024年9月、YouTube番組での発言が大きな批判を浴び、同月22日のサンデーモーニングには出演しませんでした。

Wikipediaによると、2024年9月末から活動を自粛しているとされています。

サンデーモーニングの降板や今の様子が検索されているのは、この一連の出来事がきっかけです。

評判と差別発言への批判

青木理さんの評判は、はっきり分かれています。

2024年9月12日に配信されたYouTube「ポリタスTV」で、自民党に投票し続ける人について「劣等民族だから」と発言し、差別的だとして野党議員からも批判が相次ぎました。

それ以前にも、韓国での日本人女性暴行事件をめぐる発言や、福島第一原発の処理水を「汚染水」と表現したことなどが批判を集めています。

一方で、『日本の公安警察』や『絞首刑』、『安倍三代』など、地道な取材にもとづく著書は高く評価されてきました。

『絞首刑』と『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』は講談社ノンフィクション賞の候補作にもなっています。

厳しい批判を受ける発言がある一方で、取材者としての実績も持つ人物だといえますね。

青木理の父親のまとめ

  • 青木理さんの父親は長野県の公立校で教員をしていた
  • 父親は最後に二つの小学校で校長を務めた
  • 父親の名前や勤務校は公表されていない
  • 人柄はまじめで、きちょうめんで、無駄遣いをしない人
  • 青木理さんが中学生のころまでは、しつけに厳しかった
  • 教師らしからぬ、ぶっきらぼうで不器用な一面もあった
  • 父親は幼いころ朝鮮半島南部の麗水で暮らしていた
  • 父方の祖父は農商務省の役人で、麗水の試験場に勤めていた
  • 祖父は先の戦争中に亡くなっている
  • ソウル特派員時代、父は「一度でいいから麗水に行ってみたい」と頼んだ
  • 麗水の市役所の人が当時の場所を調べ、車で案内してくれた
  • 父親は2016年ごろ、82歳で亡くなった
  • 青木理さんの実家は長野県小諸市
  • 嫁や子供については公表されていない
  • 2024年9月末から活動を自粛しているとされる

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