DMG森精機の社長として知られる森雅彦さん。
その息子さんが何をしている人なのか、そして会社を継ぐのかどうかは、多くの人が気になっているところだと思います。
実は長男は会社ではなく大学の研究職に就いていたというから、ちょっと意外ですよね。
・森雅彦さんの息子が何人いて、長男がどんな職業に就いていたのか
・長男が2025年にDMG森精機へ入社予定と語られた経緯
・息子が後継者になるのか、本人がどう答えているのか
森雅彦の息子は京都大学の助教だった長男
森雅彦さんの息子について検索している人がいちばん知りたいのは、「跡を継ぐのか」という一点だと思います。
ここでは、森雅彦さん本人がインタビューで語った内容だけをもとに、息子さんの人数・長男の職業・後継者の話までを順に整理していきますね。
息子は2人いると本人が語っている
まず人数から確認しておきましょう。
森雅彦さんの息子さんについては、2019年6月の日経ビジネスの同族経営特集のなかで触れられています。
そこでは「息子の一人は大学院で学んでおり、もう一人は他社に就職して」という趣旨の記述が出てきます。
つまりこの時点で、森雅彦さんには息子さんが少なくとも2人いて、進路がはっきり分かれていたということになりますね。
一人は研究の道、もう一人は自社ではなく他社という選択。
同族企業の社長のお子さんというと、当たり前のように会社へ入るイメージを持つかもしれませんが、実際はそうではなかったわけです。
なお、息子さんたちの名前・生年月日・顔写真といった情報は、公式発表でも報道でも出てきません。
森雅彦さん自身が公の場で語っているのは、あくまで「事業承継をどう考えているか」という文脈での話に限られています。
ここは調べても出てこない部分なので、先にお伝えしておきますね。
長男は京都大学で精密工学の助教
息子さんのうち、経歴がはっきり語られているのは長男の方です。
2022年8月22日に公開された日経ビジネスのインタビューで、「息子さんは」と聞かれた森雅彦さんは、こう答えています。
長男は今、京都大学で精密工学の助教をやっている、と。
さらに「5年の任期がある」という話も付け加えられていました。
助教というのは、大学で研究と教育を担う教員のポジションです。
任期付きで採用されるケースが多く、その間に研究実績を積んで次のステップへ進む、というキャリアの形が一般的ですね。
2022年の時点で、長男は会社ではなく大学の研究職にいたというのが、本人の口から出てきた事実です。
工作機械メーカーの社長の息子が、いきなり会社の役員席に座るのではなく、大学の研究室で任期付きの助教をしている。
……これ、けっこう意外じゃないですか。
助教という立場が意味すること
助教は、教授・准教授・講師に続く教員の職位です。
多くの大学で任期制が採られていて、その期間内に論文や研究成果を出すことが求められます。
森雅彦さんが「5年の任期が」と言い添えたのは、その任期の終わりが、会社に入るタイミングと結びついていたからだと考えられます。
期限が決まっている職に就いているという事実そのものが、次の進路を考えるうえでの前提になっていたわけですね。
父と同じ京都大学の精密工学を専攻
ここ、親子の共通点として押さえておきたいところです。
森雅彦さん自身も、1985年に京都大学工学部機械系学科の精密工学専攻を卒業しています。
長男が京都大学で務めていたのも、同じ精密工学の分野の助教でした。
大学も専攻も重なっているんですよね。
森雅彦さんは奈良県大和郡山市の生まれで、東大寺学園中学校・高等学校を経て京都大学へ進んでいます。
さらに2003年には東京大学から博士(工学)を取得していて、経営者でありながら技術者としての土台をしっかり持っている人です。
同じ大学の同じ専攻という進路の重なりは、偶然というより、工作機械という家業の性格が背景にあると考えるのが自然だと思います。
工作機械は「機械をつくる機械」と呼ばれる分野で、精密工学はまさにその中核にあたる学問です。
家業の技術的な根っこを、親子そろって同じ場所で学んだことになりますね。
2025年にDMG森精機へ入社予定
長男の進路について、もう一歩踏み込んだ話も出ています。
2022年12月に公開された日経クロステックのインタビューで、森雅彦さんは息子さんについて、京都大学の助教を務めており、2025年に自社へ入社する予定だと語っています。
助教の任期が5年、という先ほどの話とつながってきますよね。
任期を終えたタイミングで会社に入る、という流れが想定されていたわけです。
ただし、ここで注意しておきたい点があります。
これはあくまで2022年時点での本人の見通しであって、実際に2025年に入社したという公式発表や報道は確認できません。
DMG森精機は2025年4月にも役員人事を発表していますが、そこに息子さんの名前は出てきていません。
入社したとしても、新入社員や一般の技術者の人事が対外的に発表されることはまずないので、「発表がない=入社していない」とも言えないんですよね。
現時点で確実に言えるのは、「2022年の時点で2025年入社の予定が語られていた」というところまでです。
経営の後継者になるかは未知数
さて、いちばん気になるところですね。
息子さんが会社に入るとして、そのまま社長になるのか。
これについて森雅彦さんは、日経クロステックのインタビューではっきり答えています。
将来的に開発系の責任者のポジションに就く可能性はあるけれど、経営者としての後継者になるかどうかは未知数だ、と。
「開発系」という言い方に、専門分野への評価がにじんでいますよね。
精密工学の研究者としてのキャリアを積んできた人なので、技術部門で力を発揮するイメージは持っている。
でも、それと会社のトップに立つことはイコールではない、という整理です。
息子さんの入社と、次の社長が誰になるかは、森雅彦さんのなかで完全に切り離されているということになります。
創業家の出身でありながら、自分の子どもを自動的に後継者と位置づけない。
この姿勢は、あとで触れる父・森幸男さんの考え方ともつながってくる部分です。
社長退任の目安は2028年
同じインタビューのなかで、森雅彦さんは自分の退任時期についても語っています。
目安としているのは2028年。
この年に会社は創業80周年を迎え、森雅彦さん自身の社長就任からもちょうど30年になるためです。
退任後はグループ会長として、対外的な活動を続ける考えも示されていました。
1999年に37歳で社長に就いた人が、30年務めて退く。
区切りの付け方が、ずいぶんはっきりしている印象を受けます。
後任は執行役員から選ぶと明言
では、次の社長は誰になるのか。
森雅彦さんはこの問いにも、迷いのない答えを返しています。
後任は今の執行役員から選ばれると理解してもらってよい、と。
そして、彼らは共に修羅場をくぐり抜けた仲間だ、という言葉を添えています。
つまり次期社長の候補は、血縁ではなく、現在の経営陣のなかにいるという表明です。
「修羅場をくぐり抜けた」というのは、実際に一緒に厳しい局面を乗り越えてきた相手だからこそ出てくる表現ですよね。
森雅彦さんの社長在任期間には、ドイツのDMGとの提携から統合に至る動きや、コロナ禍での市場戦略の立て直しなど、大きな山がいくつもありました。
そこを共に越えてきたメンバーから選ぶ、という話です。
……なんというか、筋が通っているなと思いました。
息子さんの入社が語られたのと同じインタビューのなかで、後任は執行役員から、とはっきり言っている。
同族企業の社長が自分の口でこれを言うのは、簡単なことではないはずです。
本人も3代目社長・森幸男の息子
ここで視点を変えてみましょう。
「森雅彦 息子」で検索する人のなかには、森雅彦さん自身が誰の息子なのかを知りたい人もいると思います。
森雅彦さんは、森精機製作所の3代目社長・森幸男さんの長男です。
森幸男さんは1932年生まれで、1955年に森精機製作所へ入社。
常務、専務を経て1986年に社長に就任し、1999年に会長へ退いています。
2002年に名誉会長となり、2007年に亡くなりました。
森雅彦さんは、その父から会社を引き継いだ形になります。
つまり森雅彦さんもまた「社長の息子」として同じ問いを向けられてきた側で、いま自分の息子について同じ質問を受けているわけですね。
面白いのは、父の森幸男さんが入社前から「自分が一族経営の最後」と明言していたことです。
自分の代で同族経営を終わらせる、と早くから言っていた。
それでも結果として息子である雅彦さんが継いだわけですが、この「一族だから継ぐ」を前提にしない考え方は、親子で共通しているように見えます。
父から37歳で社長を引き継いだ3年前倒しの交代
社長交代のいきさつも、なかなか独特です。
森雅彦さんが代表取締役社長に就任したのは1999年6月29日で、当時37歳。
当初は2002年に交代する予定だったものが、3年前倒しされました。
37歳という年齢は、当時の東証1部上場企業の社長として最年少記録に並ぶものだったと記録されています。
前倒しの背景には、森幸男さんが1990年頃から体調を崩しがちだったことがあったとされます。
幸男さんは1998年4月の入社式で、翌年の社長交代を表明しました。
ただ、体調の問題だけで決まった話とも考えにくいところがあります。
というのも、森雅彦さんは1993年に入社してから、1994年に取締役、1996年に常務、1997年に専務と、かなりの速さで昇格しているんですよね。
常務になった頃には、実質的なトップとして経営を担っていたとされます。
時系列を並べてみると、交代の前倒しは「急に決まった」というより、すでに任せられる状態が出来上がっていたところに時期が合わせられた、と読むほうが自然かなと思います。
| 年 | 森雅彦の役職・出来事 |
|---|---|
| 1985年 | 京都大学工学部を卒業し伊藤忠商事へ入社 |
| 1993年 | 森精機製作所へ入社(31歳・企画管理室次長) |
| 1994年 | 取締役に就任 |
| 1996年 | 常務に就任 |
| 1997年 | 専務に就任 |
| 1999年 | 37歳で代表取締役社長に就任(3年前倒し) |
| 2003年 | 東京大学より博士(工学)を取得 |
| 2013年 | DMG森精機の社長に就任 |
森雅彦の息子を調べる人向けの関連情報
ここからは、森雅彦さん本人についてよく一緒に検索されている項目をまとめていきます。
経歴・家族・兄弟・妻・年収まで、公表されている範囲で押さえておきましょう。
経歴は伊藤忠商事を経て森精機へ
森雅彦さんの経歴で意外なのが、新卒で家業に入っていない点です。
1985年に京都大学工学部を卒業したあと、最初に入ったのは伊藤忠商事でした。
理由については、早く自分で商売がしたかったから、という趣旨のことが語られています。
工作機械メーカーの創業家に生まれた人が、まず商社を選ぶ。
森精機製作所へ入社したのは1993年で、このとき31歳。
肩書は企画管理室次長でした。
商社で8年間、外から商売を見てきた経験が、その後の海外展開の下地になったという見方ができますね。
社長就任前に取り組んだ仕事として、商社を介した取引の現金決済化や、海外サービス拠点の拡充が挙げられています。
商社の内側を知っている人だからこそ手を付けられた領域だったのかもしれません。
なお森雅彦さんは、自社の経営とあわせて日本工作機械工業会(日工会)の副会長や政府の委員も務めており、業界全体を代表する立場でも発言してきた人です。
家族は森精機を継いできた創業家
森家は、森精機製作所を代々受け継いできた創業家です。
森雅彦さんが4代目にあたり、それ以前は3人の社長が会社を率いてきました。
家系図をまとめた情報によると、創業家では森林平さん・森茂さん・森幸男さんの3兄弟が順番に社長を務めたとされています。
長兄の森林平さんは1921年生まれで、1948年から1986年まで社長を務め、2005年に亡くなりました。
三男の森幸男さんが1986年に社長を引き継ぎ、1999年に息子の雅彦さんへ渡した、という流れです。
兄弟で横に引き継ぎ、そのあと息子へ縦に渡すという形で、会社は創業家の手のなかを回ってきたことになりますね。
ただし、この家系図の情報は家系図専門サイトの記載が中心で、公式発表による裏づけまでは確認できていません。
参考情報として押さえておくくらいがちょうどいいと思います。
弟は情報システム会社に進んだ
兄弟についても触れておきましょう。
森雅彦さんには弟がいるとされています。
家系図情報によれば、弟の森和彦さんは1965年生まれで、東洋情報システム(現在のTIS)に勤務したと記載されています。
工作機械ではなく情報システムの分野へ進んだ形ですね。
こちらも単独のソースによる情報で、本人や会社の公式発表で確認できたものではありません。
森雅彦さんが公の場で弟について語った記録も、今回の調査では見つかりませんでした。
妻について公表されている情報
妻についてはどうでしょうか。
結論から言うと、森雅彦さんの妻に関して、本人や会社が公表した情報はほとんどありません。
家系図をまとめたサイトに名前の記載はありますが、一般の方であり、公式に発表されたものではないため、ここでは扱わないことにします。
森雅彦さんがメディアで家族について語る場面は、そのほとんどが事業承継の文脈です。
息子さんの進路や後継者の考え方については踏み込んで話す一方で、私生活の側面についてはかなり線を引いている印象を受けますね。
経営者としての発信と、家庭の話をきれいに分けている人だと言えそうです。
DMGとの統合とヨットチームの支援
「森雅彦 DMG」という調べ方をする人も多いので、社名の変遷にも触れておきます。
森精機製作所は1948年の創業で、2009年にドイツの工作機械大手ギルデマイスター(DMG)と業務提携しました。
森雅彦さんは2009年にギルデマイスター社の監査役、2013年には監査委員会議長に就いています。
そして2013年、社名がDMG森精機へと変わりました。
日本とドイツの工作機械メーカーが手を組んだ、業界でも大きな出来事でしたね。
もうひとつ、よく検索されているのがヨットです。
森雅彦さんはヨットを趣味としていて、その縁から海洋冒険家の白石康次郎さんとともに、プロセーリングチーム「DMG MORI SAILING TEAM」を立ち上げました。
このチームは、単独無寄港無補給で世界一周を目指すヨットレース「ヴァンデ・グローブ」などに挑戦しています。
趣味が会社の看板を背負ったプロジェクトにまで発展した、珍しいケースですよね。
年収の手がかりになる役員報酬
最後に年収です。
森雅彦さん個人の報酬額については、今回の調査範囲では個別の金額を確認できませんでした。
手がかりになるのは、会社が開示している役員報酬の総額です。
2024年度の取締役5名に対する報酬総額は8億8900万円と公表されています。
これはあくまで5名分の合計であり、単純に人数で割った金額が個人の報酬になるわけではありません。
上場企業では、役職や在任期間、業績連動の部分によって配分が大きく変わります。
また、森雅彦さんは自社の大株主にも名を連ねており、保有株式は約387万株・持株比率2.78%とされています。
役員報酬とは別に、株式の配当も収入の一部になっている形ですね。
なお、資産や自宅に関する情報も検索されていますが、こちらは公表されたものがなく、個人の財産に関わる領域なので本記事では扱いません。
森雅彦の息子のまとめ
- 森雅彦は1961年9月16日生まれ、奈良県大和郡山市出身の実業家である
- DMG森精機(旧・森精機製作所)の代表取締役社長を務めている
- 息子は少なくとも2人いると2019年の日経ビジネスの記事で触れられている
- 2019年時点で一人は大学院、もう一人は他社に就職していたとされる
- 長男は京都大学で精密工学の助教を務めていると2022年に本人が語った
- 助教には5年の任期があることも同じインタビューで語られている
- 長男は2025年にDMG森精機へ入社予定だと2022年12月に語られた
- 実際に入社したかどうかの公式発表・報道は確認できていない
- 将来的に開発系の責任者に就く可能性はあるとされる
- ただし経営者としての後継者になるかは未知数だと本人が明言している
- 後任の社長は現在の執行役員から選ばれると本人が表明している
- 社長退任の目安は創業80周年かつ就任30年となる2028年とされる
- 森雅彦自身は3代目社長・森幸男の長男で、1999年に37歳で社長を継いだ
- 社長交代は当初の2002年予定から3年前倒しで実施された
- 息子の氏名・生年月日・顔写真などは公表されておらず確認できない


