昭和のアイドル歌手として一世を風靡した美樹克彦さんが、今どうしているのか気になっていませんか。
実は77歳になった現在も作曲家として現役で、しかも2022年には37歳年下の女性と4度目の結婚をしています。
歌手・作曲家・カラオケ教室の講師と肩書きが増え続けている今の姿を、若い頃の歩みや家族の話まで含めて詳しくまとめました。
・美樹克彦の現在の仕事とカラオケ教室・Ge’sの活動内容
・37歳年下の妻・木暮美紀との4度目の結婚と木更津での暮らしぶり
・若い頃のヒット曲や作曲家としての代表作、長女・朝日奈藍のプロフィール
美樹克彦の現在は作曲家とカラオケ教室講師
美樹克彦さんの現在は、作曲家としての活動とカラオケ教室の講師業が二本柱になっています。
私生活の変化も大きかったので、仕事から暮らしぶりまで順番に見ていきましょう。
77歳の今も現役で続ける作曲・プロデュース業
美樹克彦さんは1948年10月22日生まれで、2026年8月時点で77歳になります。
「引退したのかな」と思っていた方も多いかもしれませんが、実際には引退の発表はどこにも出ていません。
所属は株式会社オフィスコットンで、事務所のプロフィールに書かれている現在の肩書きは歌手ではなく作曲家です。
楽曲提供に加えてプロデューサーとしての活動も続けていて、日本クラウンのアーティストページも現役のまま残っています。
しかも子役として舞台に立ったのが1954年ですから、芸能生活はすでに70年を超えている計算になります。
70年って、ちょっと想像がつかない長さですよね。
つまり美樹克彦さんの現在は、表舞台の歌手業からは距離を置きつつ、曲を書く側の仕事で現役を続けている状態です。
美樹克彦の基本プロフィール
まずは人物像を押さえておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 目方誠(めかた まこと) |
| 生年月日 | 1948年10月22日 |
| 年齢 | 77歳(2026年8月時点) |
| 出身地 | 京都市右京区 |
| 所属 | 株式会社オフィスコットン |
| 現在の肩書き | 作曲家(歌手・プロデューサーとしても活動) |
| 芸能界入り | 1954年、京都の劇団ペチカに入団 |
2014年から続けるカラオケ教室の講師業
作曲と並ぶもう一つの柱が、自身が経営するカラオケ教室の講師業です。
2014年から講師を務めているとされていて、10年以上にわたって続いている仕事になります。
ヒット曲を持つ歌手が自分の教室で直接教えてくれるわけですから、生徒さんからすればかなり贅沢な環境ですよね。
しかもこの教室は、美樹さんの私生活にとっても大きな意味を持つ場所になりました。
のちに4度目の妻となる木暮美紀さんとは、この歌の世界での師匠と弟子という関係から始まっているからです。
本人が「歌の師匠と弟子として知り合って9年」と語っているとおり、仕事場での出会いがそのまま人生の転機になった形ですね。
現在の美樹克彦さんにとって、カラオケ教室は収入源であると同時に、人とのつながりが生まれる場所にもなっているというわけです。
2022年に始動させたシニア音楽企画Ge’s
もう一つ、近年の活動で見逃せないのが音楽企画のGe’s(ジイズ)です。
2022年に結成された企画で、参加メンバーの平均年齢は75歳前後と伝えられています。
ベテランの芸能人が集まって新しいポップスを作ろうという趣旨で、「じんせいいちどだろう」という新曲を発表しました。
曲名は「人生一度だろ」と表記されることもあり、媒体によって少し揺れがあります。
70代半ばの人たちが集まって新曲を出すという発想そのものが、なんだか痛快じゃないですか。
現在の美樹克彦さんは、過去のヒット曲を再演するだけでなく、新しい曲を世に出す側に回り続けているということですね。
37歳年下の妻・木暮美紀と4度目の結婚
私生活で最も大きな話題になったのが、2022年9月24日に入籍した4度目の結婚です。
お相手は歌手で作詞家の木暮美紀さんで、年齢差はなんと37歳あります。
木暮さんは岐阜県出身でフェリス女学院大学の卒業。
2015年に美樹克彦さんのプロデュースで歌手デビューしていて、シングルには「ZAN ZAN ZAN」や「Lai Lai Lai」があります。
つまりプロデューサーと歌手、師匠と弟子として9年を積み重ねたうえでの結婚だったわけです。
ただ、この年齢差はやはり簡単ではなかったようで、美樹さんは「37歳も年下だから、そりゃもう、彼女の両親には大反対されましたよ」と率直に振り返っています。
反対されて当然だと本人が認めているところに、なんだか誠実さを感じました。
3度目の結婚については、10年ほど前に別居して7年ほど前に離婚したと語られています。
ヒット曲が出たあとに結婚した相手だったため、その後の浮き沈みに寄り添うのが難しかったのではないか、と本人は振り返っているようです。
現在の美樹克彦さんは、長年そばで音楽を共にしてきた木暮美紀さんと再スタートを切った状態にあります。
千葉県木更津での犬2匹と猫2匹との暮らし
気になる住まいですが、現在の生活拠点は千葉県木更津だと伝えられています。
都心から少し離れた土地で、犬2匹と猫2匹に囲まれて夫婦2人の暮らしを送っているそうです。
インタビューでは「毎日楽しく過ごしています」と語っていて、生活の充実ぶりがそのまま言葉に出ていますね。
派手なテレビ出演で名前を見かけなくなった一方で、生活そのものはむしろ穏やかに整っているように見えます。
……なんか、いいですよね、こういう晩年の形。
テレビで見かけないことと元気がないことはまったく別だ、というのが今の美樹克彦さんの姿から伝わってきます。
現在の姿に寄せられる世間の声
美樹克彦さんの現在について、世間ではどんな受け止められ方をしているのでしょうか。
まず多いのが、37歳年下との結婚に対する驚きの声です。
「そんなに年が離れていたのか」という反応と同時に、9年間の師弟関係を経ての結婚だと知って納得したという受け止め方も見られます。
次に多いのが、作曲家としての実績を今になって知ったという声ですね。
小林幸子さんの「もしかして」を書いた人だと聞いて驚く方は少なくありません。
歌手としての姿と作曲家としての顔が、世代によってきれいに分かれているのが面白いところです。
息子がいるという情報について
検索の際に「美樹克彦 息子」という組み合わせを見かけることがありますが、公表されている子どもの情報として確認できるのは長女のみです。
長女はタレントの朝日奈藍さんで、本人のプロフィールにも美樹克彦さんの娘であることが記載されています。
息子がいるという情報については、確かな出典が見当たらないため噂の域を出ないと考えたほうがよさそうです。
美樹克彦の現在を調べる人向けの関連情報
現在の姿がわかったところで、そこに至るまでの歩みも気になりますよね。
子役時代からヒット曲、作曲家への転身、そして家族のことまでまとめて見ていきましょう。
若い頃は約70本の映画に出た子役だった
美樹克彦さんのキャリアは、歌手ではなく子役から始まっています。
1954年に京都市内の劇団ペチカに入団し、小学校から中学校にかけて子役として活動しました。
出演した映画はおよそ70本にのぼるとされていて、当時の子役としてはかなりの本数です。
事務所のプロフィールでは俳優としての出演作は80本以上と紹介されていて、映画以外のテレビ作品まで含めた数字だと考えられます。
中学2年生のときに上京し、テレビ映画にも出演するようになりました。
歌手デビューは1962年で、このときは本名の目方誠名義。
ビクターレコードから「トランジスター・シスター」でレコードを出しています。
つまり美樹克彦という名前で世に出る前に、すでに10年近い芸歴があったということですね。
花はおそかったで紅白に出場したアイドル時代
転機は1965年に訪れます。
日本大学鶴ヶ丘高校の2年生だった年に芸名を美樹克彦へ改め、日本クラウンから「俺の涙は俺が拭く」で再デビューしました。
その後は「回転禁止の青春さ」「6番のロック」「恋の台風第一号」「赤いヘルメット」とヒットが続きます。
なかでも大きかったのが「花はおそかった」で、この曲の大ヒットによって一躍アイドル歌手の座に駆け上がりました。
そして1967年の第18回NHK紅白歌合戦に出場しています。
10代で紅白の舞台に立ったわけですから、当時の勢いは相当なものだったはずです。
学業のほうは日本大学芸術学部映画学科に進みましたが、1969年に2年で中退しています。
その後はキャニオンやポリドールなどへ移籍を重ね、自分で曲を書くシンガーソングライターへと軸足を移していきました。
小林幸子のもしかしてを書いた作曲家としての実績
作曲家としての代表作といえば、やはり小林幸子さんの「もしかして」です。
1984年に発表されたこの曲は美樹克彦さんとのデュエットで、約30万枚のセールスを記録しました。
オリコンでは週間11位、年間60位に入り、同じ年の第26回日本レコード大賞では金賞を受賞しています。
作った本人が一緒に歌って賞まで取ってしまうというのは、なかなかない形ですよね。
続編の「もしかしてPARTⅡ」もヒットし、この時期が作曲家としてのピークにあたります。
提供先は歌謡曲の世界にとどまらず、幅広い顔ぶれが並びます。
| アーティスト | 楽曲 |
|---|---|
| 小林幸子 | もしかして/もしかしてPARTⅡ |
| 山本譲二 | 花染められて |
| 中条きよし | 泣かないよ |
| 水前寺清子ほか | 楽曲提供 |
| ジャッキー・チェン | 楽曲提供 |
歌手・美樹克彦を知らない世代でも、作曲家・美樹克彦の曲は一度は耳にしているはずです。
長女はタレント・モデルの朝日奈藍
家族の中で名前が知られているのが、長女のタレント・朝日奈藍さんです。
1989年12月8日生まれの東京都出身で、タレント・モデル・歌手として活動しています。
2008年5月に芝居のレッスンを始め、2015年10月までは「瑠優」という旧名で活動していました。
ソロシングルやDVDを複数リリースしているほか、アイドルユニットの白星☆ウィクトーリアのメンバーとしても活動しています。
さらに男装ユニットの1682では、月見夜零という名義を使い分けているのも面白いところです。
父と同じく歌の世界に足を踏み入れているわけで、名前は違っても血筋はしっかりつながっていますね。
4度の結婚と離婚をたどった歩み
最後に、結婚歴を時系列で整理しておきましょう。
美樹克彦さんはこれまでに4度の結婚を経験しています。
| 時期 | 相手 | その後 |
|---|---|---|
| 1977年 | 一般女性 | のちに離婚 |
| 1981年 | 女優の榊みちこ | 4年後に離婚 |
| 3度目 | 非公表 | 2015年に離婚(別居はその数年前) |
| 2022年9月24日 | 歌手・作詞家の木暮美紀 | 現在も夫婦 |
3度目の結婚の終わりについては情報に少し幅があり、資料によって2015年に離婚と記されている一方、本人は2023年時点のインタビューで7年ほど前に離婚したと語っています。
いずれにしても2010年代半ばに別々の道を歩み始めた、と見るのが自然でしょう。
本人は当時を振り返り、ヒット曲が出た直後に結婚したことで、その後の浮き沈みに二人で対応しきれなかったのではないかと話しています。
華やかな時期に始まった結婚ほど、その後の落差がこたえるということなのかもしれません。
4度の結婚という経歴だけ見ると波乱万丈ですが、現在は9年間そばで音楽を作ってきた相手と落ち着いた生活を送っています。
美樹克彦の現在のまとめ
- 美樹克彦の現在は作曲家として活動中で引退の発表はない
- 1948年10月22日生まれで2026年8月時点の年齢は77歳
- 本名は目方誠、出身は京都市右京区
- 所属事務所は株式会社オフィスコットンで肩書きは作曲家
- 2014年から自身が経営するカラオケ教室で講師を務めている
- 2022年に平均年齢75歳前後の音楽企画Ge’sを結成した
- Ge’sでは「じんせいいちどだろう」を発表している
- 2022年9月24日に歌手で作詞家の木暮美紀と4度目の結婚をした
- 木暮美紀とは37歳差で、歌の師匠と弟子として9年の関係があった
- 現在は千葉県木更津で犬2匹・猫2匹と暮らしている
- 1954年に劇団ペチカへ入団し子役として約70本の映画に出演
- 1965年に美樹克彦へ改名し「花はおそかった」が大ヒット
- 1967年の第18回NHK紅白歌合戦に出場している
- 作曲家としての代表作は小林幸子「もしかして」で約30万枚を記録
- 長女はタレント・モデルの朝日奈藍で旧名は瑠優

