北原槙さんの高校はどこなのか、気になって調べている方も多いのではないでしょうか。
中学3年でJ1の最年少出場記録を作り、高校1年の誕生日にプロ契約を結んだ北原槙さんですが、実は公式プロフィールの「所属高校」の欄に書かれているのは学校名ではありません。
2026年夏には静岡県の藤枝MYFCへ移籍し、高校生活がどうなっているのかも気になるところです。
・北原槙の高校名が公表されているかどうか
・公式プロフィールで高校年代の所属がどう書かれているか
・藤枝MYFC移籍後の高校生活について分かっていること
北原槙の高校はどこ?公表されている情報を整理
北原槙さんがどこの高校に通っているのか、公式プロフィールや報道をもとに分かっていることを順番に整理しました。
中学3年でのJ1デビューから藤枝MYFCへの移籍まで、高校生活と重なる出来事もまとめています。
高校名は公表されていない
いきなり結論からお伝えすると、北原槙さんが通っている高校の名前は公表されていません。
2026年10月時点で、FC東京の公式サイト、日本サッカー協会(JFA)の代表選手ページ、Wikipedia、ゲキサカなどの選手名鑑を確認しましたが、どこにも学校名は書かれていませんでした。
北原槙さんの高校は非公表で、公式に出ている所属はあくまでクラブチームだけというのが現状です。
ここ、気になっている方は多いですよね。
Yahoo!知恵袋にも、プロ契約が報じられた2025年7月7日に「高校はいかないのですか?」という質問が投稿されていました。
最年少記録のニュースで名前を知った人ほど、「この年齢で学校はどうしているの?」と疑問に思うのは自然なことだと思います。
学校名が出てこない理由
Jリーグのクラブユース(クラブが持つ高校生年代のチーム)に所属する選手は、高校の部活動ではなくクラブで練習をしています。
そのため、高校サッカー部の選手のように「◯◯高校の北原」と報じられることがなく、学校名が表に出る機会そのものがほとんどありません。
未成年の選手でもあるので、通っている学校をクラブ側が積極的に公開しないのも自然なことかなと思います。
公式プロフィールの「所属高校」欄はFC東京U-18
FC東京の公式サイトにある選手プロフィールには、選手本人が答えたQ&Aが載っています。
その中に「高校生の頃の所属高校・チーム名」という項目があり、北原槙さんの答えはFC東京U-18でした。
学校名ではなくチーム名が書かれているんですよね。
同じQ&Aでは、小学生時代のチームに「JACPA東京FC」、中学生時代のチームに「FC東京U-15むさし」と答えていて、すべてクラブ名で統一されています。
| 年代 | Q&Aでの答え |
|---|---|
| 小学生 | JACPA東京FC |
| 中学生 | FC東京U-15むさし |
| 高校生 | FC東京U-18 |
本人の答えでも、高校年代の所属として挙げられているのはFC東京U-18というチーム名だけです。
日本サッカー協会のU-17日本代表ページでも、経歴は「JACPA東京FC→FC東京U-15むさし→FC東京U-18」となっていて、やはり学校名は出てきません。
学年は2026年度で高校2年生
北原槙さんは2009年7月7日生まれです。
この生年月日から数えると、2025年4月に高校へ入学した学年にあたり、2026年度は高校2年生の学年になります。
高校サッカー専門サイト「高校サッカードットコム」の選手データでも、学年は「2年」と表示されていました。
2026年6月に藤枝MYFCへの移籍が発表されたときも、「16歳・高校2年生」として紹介するブログ記事がありました。
ちなみに、2026年8月の時点で年齢は17歳です。
学年や年齢は4月の進級と7月の誕生日で変わるので、この記事の内容は2026年10月時点のものとして読んでください。
高校入学前の中学3年でJ1デビュー
北原槙さんの名前が一気に知られたのは、高校に入学する直前のことでした。
2025年3月1日、明治安田J1リーグ第4節の鹿島アントラーズ戦で、後半38分から途中出場しています。
このときの年齢は15歳7か月22日で、まだ中学3年生でした。
2004年に森本貴幸さん(当時東京ヴェルディ1969)が作った15歳10か月6日の記録を塗り替え、J1リーグ戦の史上最年少出場記録になりました。
中学校の卒業式を迎える前にJ1のピッチに立ったわけで、これには正直、驚きました。
沖縄キャンプでの評価
デビューのきっかけになったのは、2025年シーズン前のトップチームの沖縄キャンプです。
中日スポーツによると、当初は約1週間の参加予定だったものの、実力が認められて最後まで帯同することになったそうです。
本人もFC東京の公式サイトのインタビューで「キャンプに参加して日に日にうまくなっている実感があった」と振り返っています。
高校生になる前の段階で、すでにプロの練習に混ざって居場所を勝ち取っていたということですね。
高校1年の誕生日にプロ契約を結んだ
高校に入学した2025年の夏、北原槙さんはもう一つ大きな節目を迎えます。
16歳の誕生日だった2025年7月7日の午前7時7分に、FC東京とのプロ契約が発表されました。
7が4つ並ぶ演出で、クラブ史上最年少のプロ契約です。
それまでの背番号53から、誕生日にちなんだ77に変更しています。
公式サイトのQ&Aでも「背番号へのこだわり」に「誕生日」と答えていました。
プロ契約後の苦しい時期
ただ、プロ契約のあとは順調とはいきませんでした。
2025年シーズンは2種登録選手(高校生年代のままトップチームの試合に出られる登録)の時期を中心に公式戦10試合に出場しましたが、プロ契約を結んでからは公式戦に出られていません。
FC東京の公式サイトのインタビューでは「プロサッカー選手になった後に1試合も出られなかった。
嬉しいこともあったけど、悔しさのほうが勝った」と話しています。
週末のメンバー発表のたびに外れる日々が続き、「正直、精神的には難しかった」とも明かしていました。
高校1年生でこの悔しさと向き合っていたと思うと、胸が締め付けられます。
藤枝MYFCへの移籍と高校生活
2026年6月26日、北原槙さんはJ2の藤枝MYFCへの育成型期限付き移籍を発表しました。
契約期間は2027年6月30日までです。
FC東京の公式サイトには、本人の「成長スピードを加速させるためにこの決断をしました」というコメントが載っています。
藤枝MYFCの本拠地は静岡県藤枝市です。
東京都杉並区出身の北原槙さんにとっては、地元を離れての生活になりました。
移籍後の通学先は報じられていない
気になるのは、移籍後の高校生活がどうなっているのかですよね。
東京の高校に通っていたとすれば、静岡に拠点を移すことで転校するのか、通信制の高校などで学業を続けるのか、何らかの対応が必要になるはずです。
ただ、2026年10月時点で、移籍後の通学先について報じた記事は見つかりませんでした。
移籍で生活の拠点は静岡に移ったものの、高校をどうしているかは公表されていないというのが現状です。
ここは今後のインタビューなどで語られるのを待ちたいところです。
藤枝での暮らし
フットボールゾーンの2026年8月12日の記事によると、北原槙さんは藤枝で初めての一人暮らしをしているそうです。
「先輩たちがすごく優しいので、ご飯だけでなく、いろいろな場所に連れていってもらっています」と話していて、新しいチームにしっかり溶け込んでいる様子が伝わってきます。
……なんか、いいですよね。
得意な教科は数学で苦手は国語
学校名は分からないものの、学校の勉強についての本人の答えは公式サイトに残っています。
FC東京の公式プロフィールのQ&Aで、「学生時代得意だった教科」は数学、「学生時代苦手だった教科」は国語と答えていました。
| 項目 | 本人の答え |
|---|---|
| 得意だった教科 | 数学 |
| 苦手だった教科 | 国語 |
| 今一番欲しいもの | 車の免許 |
| 今シーズンの目標(プライベート) | おしゃれになる |
数学が得意というのは、少し意外に感じた人もいるかもしれません。
中日スポーツの取材でFC東京の普及部コーチの梶山陽平さんが「サッカーIQが高くて、賢いんです」と話していたのを読むと、なんとなく納得できる気もします。
高校名は非公表でも、得意科目のような本人の素顔は公式のQ&Aから知ることができます。
北原槙の高校を調べる人向けの関連情報
北原槙さんの高校と一緒によく調べられている、中学・小学校時代のチームや家族、藤枝での成績、インスタのアカウントについてまとめました。
中学時代はFC東京U-15むさしで飛び級
北原槙さんは2022年から2024年まで、FC東京U-15むさし(中学生年代のチーム)に所属していました。
通っていた中学校の名前は、高校と同じく公表されていません。
中日スポーツによると、中学2年の秋ごろにはU-18(高校生年代のチーム)の練習や試合に参加するようになったそうです。
中学3年に進級すると、高校年代の最高峰リーグである高円宮杯 U-18プレミアリーグに飛び級で出場しました。
2〜3歳年上の選手に混ざってプレーしていたわけですから、すごいですよね。
2024年にはU-15日本代表にも選ばれていて、U-15むさしでは日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会で3位、関東ユース(U-15)サッカーリーグ2部Bで優勝を経験しています。
中学時代から、すでに高校生年代の舞台で戦っていたことが分かります。
小学校時代はJACPA東京FCでプレー
小学生時代は、2017年から2021年までJACPA東京FCに所属していました。
通っていた小学校の名前は公表されていません。
サッカーを始めたのは4歳のときで、きっかけは「幼稚園にサッカースクールがあったから」と公式サイトのQ&Aで答えています。
また、2019年から2021年にかけては、FC東京サッカースクールのアドバンスクラス(小学4〜6年生向けの選抜コース)にも通っていました。
当時を知る梶山陽平さんは、中日スポーツの取材で「すでに基礎技術があり、運動能力も高かった」という趣旨のことを語っています。
街クラブとFC東京のスクールの両方で、小学生のうちから技術を磨いていたことになります。
父や家族について分かっていること
北原槙さんの父親の名前や職業は公表されていません。
インターネット上には父親も元サッカー選手ではないかという書き込みもありますが、公式の資料や大手メディアの報道でそれを裏付けるものは見つかりませんでした。
家族について本人が答えているのは、FC東京の公式サイトのQ&Aです。
兄弟構成は「2人(姉、自分)」で、お姉さんがいることが分かっています。
ほかにも「一番大切なもの」に「家族」、「最後の晩餐は何が食べたい?」に「母の料理」と答えていました。
フットボールゾーンの記事によると、2026年8月8日の藤枝MYFCの開幕戦は、両親が都内から観戦に訪れていたそうです。
試合後には「もっと活躍する姿を見せて2人を喜ばせたい」と話していて、家族を大切にしている人柄が伝わってきます。
……読んでいてこちらまで温かくなりました。
藤枝での成績とJ2開幕戦の活躍
藤枝MYFCに移籍した北原槙さんは、2026年8月8日のJ2リーグ開幕戦、ベガルタ仙台戦でさっそく先発出場しました。
3-4-2-1の左シャドーで起用され、前半12分には左コーナーキックから鈴木翔太さんの先制点をアシストしています。
これがFC東京時代を含めて公式戦11試合目でのプロ初アシストでした。
チームは2-0で勝利し、槙野智章監督も「このスターティングメンバーも彼自身で掴んだもの」と評価しています。
一方で本人は「ゴールを決められる場面もあったので、もっともっとやらなければいけない」と満足していない様子でした。
| 時期 | 所属 | 主な出来事 |
|---|---|---|
| 2025年3月 | FC東京(2種登録) | J1最年少出場(15歳7か月22日) |
| 2025年7月 | FC東京 | 16歳の誕生日にプロ契約 |
| 2025年シーズン | FC東京 | 公式戦10試合出場・0得点 |
| 2026年8月 | 藤枝MYFC | J2開幕戦で先発しプロ初アシスト |
FC東京では出場機会が止まっていたものの、藤枝MYFCでは移籍直後から先発の座をつかんでいます。
2026年のU-17アジアカップで得点王とMVP
高校2年生の学年になった2026年、北原槙さんは代表でも大きな結果を残しました。
AFC U17アジアカップ サウジアラビア2026のメンバーに選ばれ、中国との決勝戦でもゴールを決めています。
日本は優勝し、北原槙さんは大会6得点で得点王と大会MVPの両方を獲得しました。
U-17日本代表には2025年にも飛び級で招集されていて、JFAの選手紹介では「高校生離れした技術とパワーの持ち主」と書かれています。
高校生の年代で、すでにアジアの同世代でいちばん結果を出した選手になったわけです。
インスタのアカウント
北原槙さんのインスタグラムのアカウントは「@maki.kitahara77」です。
Wikipediaの外部リンクにもこのアカウントが掲載されています。
アカウント名の77は、プロ契約のときに選んだ誕生日にちなんだ背番号と同じ数字ですね。
公式サイトのQ&Aでは、趣味・マイブームに「YouTube」、ストレス解消法に「犬と寝る」と答えていて、朝起きて最初にすることも夜寝る前にすることも「犬に挨拶」でした。
……犬が大好きなのが伝わってきて、思わず笑顔になりました。
北原槙の高校のまとめ
- 北原槙の高校名は公表されていない
- FC東京公式のQ&Aでは高校年代の所属をFC東京U-18と答えている
- JFAの代表ページでも経歴はクラブ名のみで学校名の記載はない
- 2009年7月7日生まれで2026年度は高校2年生の学年にあたる
- 2025年3月1日、中学3年生でJ1デビューし15歳7か月22日の最年少出場記録を作った
- 2025年7月7日、高校1年生で迎えた16歳の誕生日にFC東京とプロ契約した
- プロ契約後はFC東京で公式戦に出られず悔しさを語っている
- 2026年6月26日に藤枝MYFCへ育成型期限付き移籍し契約は2027年6月30日まで
- 移籍後の通学先や転校の有無は公表されていない
- 藤枝では初めての一人暮らしをしていると報じられた
- 得意な教科は数学で苦手な教科は国語と公式Q&Aで答えている
- 中学時代はFC東京U-15むさしに所属し中学3年でプレミアリーグに飛び級出場した
- 小学生時代はJACPA東京FCとFC東京サッカースクールでプレーした
- 父親の名前や職業は非公表で、元サッカー選手説は裏付けが見つからない
- 2026年のAFC U17アジアカップで優勝し得点王とMVPを獲得した


