デヴィ夫人の両親は何者?父は大工で母は福島の美人!壮絶な生い立ちに迫る

デヴィ夫人の両親は何者?父は大工で母は福島の美人!壮絶な生い立ちに迫る

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デヴィ夫人の両親がどんな人だったのか気になっている方も多いのではないでしょうか。

父親の根本兵七郎さんは東京・麻布で大工の棟梁をしており、母親の根本政子さんは福島県浪江町出身の美人として知られていました。

この記事では、デヴィ夫人の両親の素顔から壮絶な生い立ち、ハーフ説の真相、家系図まで詳しくまとめています。

この記事を読むとわかること
・デヴィ夫人の父親・母親の名前や職業、出身地などの詳しいプロフィール
・デヴィ夫人がハーフやクォーターと噂される理由と真相
・弟の悲劇や家系図など両親にまつわる壮絶なエピソード

デヴィ夫人の両親はどんな人?父と母の素顔に迫る

デヴィ夫人の両親について気になっている方は多いのではないでしょうか。

ここでは、父親・母親それぞれの人物像や出身地、ハーフ説の真相、そして壮絶な生い立ちまで詳しくお伝えしていきます。

生い立ちは戦争と貧困の壮絶な幼少期

デヴィ夫人は1940年2月6日、東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)で生まれました。

本名は根本七保子(ねもと なおこ)さんといい、父・兵七郎さんと母・政子さんの間に誕生しています。

生まれた時代はまさに太平洋戦争の真っ只中で、デヴィ夫人の幼少期は戦争と隣り合わせの日々だったんですよね。

初めて知った言葉は「B29」

デヴィ夫人が初めて覚えた言葉は「B29」だったと語っています。

空襲警報が鳴るたびに、小さい弟をおぶった母・政子さんに手を引かれ、青山墓地に掘られた防空壕へ逃げ込んでいたそうです。

幼い子どもが最初に覚える言葉が爆撃機の名前というのは、当時の状況がいかに過酷だったかを物語っていますよね。

戦後は雑草を食べるほどの極貧生活

戦争中は母と弟の3人で、母の故郷である福島県浪江町に疎開していました。

戦後、東京に戻ったものの、焼け野原の中で食べ物を手に入れるのは本当に大変だったようです。

雑草を食べて飢えをしのぐほどの貧困生活を送っていたというエピソードは、今の時代からは想像もつかないほど壮絶なものですよね。

しかし、デヴィ夫人自身は「幼いころに体験した戦争と貧しさが、どんな逆境でも生き抜く力を与えてくれた」と振り返っています。

この壮絶な幼少期の経験が、後にインドネシア大統領夫人にまで上り詰めるバイタリティの源になったのかもしれません。

父親は麻布で腕を振るった大工の棟梁

デヴィ夫人の父親は根本兵七郎さんという方で、東京・麻布区霞町界隈で大工の棟梁をしていました。

漁師の家系から東京の大工へ

根本家はもともと大きな船を持つ漁師の家系だったそうです。

その後、兵七郎さんの代で東京の西麻布に移り住み、大工として生計を立てるようになりました。

棟梁として腕を振るっていた兵七郎さんですが、性格はとてもお人好しだったようで、生活が苦しい人にはお金をもらわずに家を建てることもあったといいます。

また、食べるものに困っている人がいればおにぎりを分け与えるような、優しい人柄だったそうですよ。

目を患い家庭は困窮

ただ、そのお人好しな性格が仇となり、家庭の経済状況はかなり厳しかったようです。

さらに兵七郎さんは目を患ってしまい、大工仕事にも支障が出るようになりました。

家計は火の車状態で、デヴィ夫人の幼少期は食べるものにも困るほどの極貧生活だったんですよね。

デヴィ夫人が15〜16歳のときに他界

兵七郎さんはデヴィ夫人が15〜16歳のころに亡くなっています。

一家の大黒柱を失ったことで、家族の生活はさらに苦しくなりました。

デヴィ夫人は父の死後、地元の高陵中学校を卒業し、東京都立三田高等学校の定時制課程に進学すると同時に、150倍もの難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社しています。

昼間は保険会社で働き、昼休みには喫茶店でアルバイトをし、夜は定時制高校に通うという多忙な生活を送っていたそうです。

父を亡くした悲しみを抱えながらも、家族を支えるために懸命に働いていたデヴィ夫人の姿には胸が熱くなりますよね。

母親は福島県浪江町出身の美人だった

デヴィ夫人の母親は根本政子さんという方で、福島県双葉郡浪江町の出身です。

45歳での高齢出産

政子さんは45歳のときにデヴィ夫人を出産しています。

当時としてはかなりの高齢出産で、政子さんは体が弱く、足も不自由だったそうです。

それでも、近所の人の着物を縫ったり、薪を割ったりと、さまざまな内職をして家計を懸命に支えていました。

体が不自由ながらも家族のために働き続けた政子さんの姿からは、母としての強い愛情が伝わってきますよね。

地元では美人で評判

政子さんは足が不自由だったものの、とても美人で近所でも評判だったそうです。

テレビ番組で若い頃の写真が公開されたことがあり、ぱっちりとした大きな目と彫りの深い顔立ちが印象的な美しい女性だったことがわかっています。

デヴィ夫人の日本人離れした美貌は、この母親譲りのものだったのかもしれませんね。

マスコミの取材攻勢で体調を崩し他界

政子さんの最期は、とても悲しいものでした。

デヴィ夫人がインドネシアに渡りスカルノ大統領と結婚した後、日本のマスコミはデヴィ夫人の家族に対して執拗な取材を行いました。

もともと体が弱かった政子さんは、マスコミの取材攻勢により体調をさらに崩してしまい、そのまま亡くなってしまったのです。

デヴィ夫人が22歳のときのことでした。

母の死に目に会えなかったデヴィ夫人の無念さは計り知れないものがあったでしょう。

ハーフやクォーターではなく純日本人

デヴィ夫人といえば、日本人離れした美しい顔立ちから「ハーフではないか」「クォーターではないか」という噂がずっとあります。

ここ、気になりますよね。

両親は二人とも日本人

結論からお伝えすると、デヴィ夫人はハーフでもクォーターでもありません。

父・根本兵七郎さんも母・根本政子さんも日本人で、デヴィ夫人は純粋な日本人です。

帰化前の日本名は「根本七保子(ねもと なおこ)」で、完全に日本の名前ですよね。

ハーフ顔に見える3つの理由

では、なぜデヴィ夫人がハーフやクォーターと噂されるのかというと、主に3つの理由が考えられます。

理由 詳細
遺伝的な顔立ち 両親ともに彫りが深く、ぱっちりとした目の美男美女だった
海外生活の影響 19歳でインドネシアに渡り、パリ・スイス・ニューヨークなど20代〜50代の大半を海外で生活
メイクや所作 長年の海外生活で西洋風のメイクや立ち居振る舞いが身についた

特に両親の若い頃の写真がテレビで公開された際には、その美男美女ぶりに驚きの声が上がったそうです。

つまり、デヴィ夫人のハーフ顔は整形によるものでもなく、遺伝と海外生活の影響が大きいということですね。

出身地は東京・西麻布で実家は極貧生活

デヴィ夫人の出身地は、東京府東京市麻布区霞町です。

現在の住所でいうと東京都港区西麻布にあたります。

「西麻布」でも実態は極貧

「西麻布」と聞くと高級住宅街のイメージがありますが、デヴィ夫人の実家は決して裕福ではありませんでした。

大工の棟梁だった父はお人好しな性格でお金をもらわずに仕事をすることもあり、目を患ってからは仕事もままならない状態に。

母は足が不自由で内職で家計を支えるのが精一杯という状況でした。

食べるものにも事欠く生活で、戦後は雑草を食べて飢えをしのいでいたというのですから、住所こそ麻布でも実態は極貧そのものだったわけです。

疎開先は母の故郷・福島県浪江町

太平洋戦争中は、母・政子さんの故郷である福島県双葉郡浪江町に疎開しています。

母と弟の3人で浪江の地で戦時中を過ごし、戦後に東京へ戻りました。

この疎開体験も含め、幼少期の苦労がデヴィ夫人の精神的な強さの土台になっているといえるでしょう。

弟は早稲田大学卒のエリートだった

デヴィ夫人には弟が一人いました。

名前は根本八曾男(ねもと やそお)さんといいます。

デヴィ夫人が学費を稼いで早稲田大学へ

デヴィ夫人はホステスとして働いて得たお金で、弟の八曾男さんを早稲田大学に進学させました。

姉として弟の将来のために全力でサポートしていたことがわかりますよね。

八曾男さんは早稲田大学を卒業したエリートで、デヴィ夫人にとって大切な弟でした。

悲劇的な最期

しかし、八曾男さんの人生は悲劇的な結末を迎えてしまいます。

デヴィ夫人がインドネシアに渡った後、日本に残された家族はマスコミの執拗な取材に苦しめられました。

母・政子さんが取材のストレスで亡くなった後、八曾男さんはセールスマンに全財産を騙し取られたうえ、母の死に目にも逢えなかったことから精神的に追い詰められ、自ら命を絶ってしまったのです。

デヴィ夫人は22歳にして、母と弟をほぼ同時に失うという壮絶な悲しみを経験することになりました。

宮殿に弟の名前を付けた

デヴィ夫人は亡き弟への深い愛情から、自身が住んでいたインドネシアの宮殿を「ヤソオ宮殿」と名付けたそうです。

弟の名前を宮殿に冠するというのは、デヴィ夫人がいかに八曾男さんのことを大切に思っていたかを物語っているエピソードですよね。

デヴィ夫人の両親を調べる人向けの関連情報

デヴィ夫人の両親について調べていると、家系図や娘・孫の情報、若い頃のエピソード、国籍の問題なども気になってくる方が多いようです。

ここからは、そうした関連情報をまとめてお届けします。

家系図と家族構成をわかりやすく紹介

デヴィ夫人の家族は、3世代にわたる華麗な家系として知られています。

ここでは家系図をわかりやすく整理してみました。

根本家(デヴィ夫人の実家)

続柄 名前 備考
根本兵七郎 大工の棟梁。デヴィ夫人が15〜16歳のときに他界
根本政子 福島県浪江町出身。デヴィ夫人が22歳のときに他界
本人 根本七保子(デヴィ・スカルノ) 1940年2月6日生まれ
根本八曾男 早稲田大学卒。母の死後に自殺

スカルノ家(婚姻先)

続柄 名前 備考
スカルノ インドネシア初代大統領。デヴィ夫人は第3夫人
カリナ 1967年3月11日生まれ
娘の夫 フレデリック・シーガス シティバンク欧州・中東・アフリカ地区元CEO
キラン 2007年生まれ。シカゴ大学に進学

スカルノ大統領は生涯で妻4人、愛人5人がいたとされており、デヴィ夫人は第3夫人という立場でした。

1962年にデヴィ夫人が19歳、スカルノ大統領が58歳のときに結婚しており、39歳もの年齢差がありました。

帝国劇場のレストランで出会い、スカルノ大統領がデヴィ夫人に一目惚れしたのがきっかけだったそうですよ。

娘カリナと孫キランの現在の活動

デヴィ夫人とスカルノ大統領の間には、一人娘のカリナさんがいます。

娘・カリナの現在

カリナさんは1967年3月11日に東京都内の病院で生まれました。

2005年11月26日にオランダで、米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOだったフレデリック・シーガスさんと結婚しています。

現在はイギリスのロンドンを拠点に生活しており、かつてはロンドンとインドネシアのジャカルタを行き来する二拠点生活を送っていたこともあるそうです。

孫・キランの成長

カリナさんとフレデリック・シーガスさんの間に生まれた孫のキランさんは2007年生まれです。

イギリスの名門寄宿学校「Sevenoaks」で高校生活を送り、卒業後は世界的な超名門大学であるシカゴ大学に進学しました。

デヴィ夫人がキランさんの高校卒業式で娘カリナさんと3ショット写真を公開した際には、「そっくり」「ハンサム」とSNSで大きな話題になりましたよ。

3世代にわたって受け継がれる美貌と知性は、デヴィ夫人の家系ならではといえるかもしれませんね。

若い頃はコパカバーナのNo.1ホステス

デヴィ夫人の若い頃のキャリアとして欠かせないのが、赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」での経験です。

ホステスになったきっかけ

父親の死後、高校を中退したデヴィ夫人は、17歳のときにアメリカ人の宝石商ジェイムズ・ベイカーさんと知り合います。

ベイカーさんに連れられてコパカバーナに出入りするようになると、オーナーの長尾久子さんに才能を見出され、ホステスとして働き始めることになりました。

あっという間にNo.1に

コパカバーナで働き始めたデヴィ夫人は、その圧倒的な美貌と頭の回転の速さであっという間にNo.1ホステスの座を獲得しました。

店では「プリンセス」というニックネームで呼ばれ、1日のギャラは多い時で1万円(現在の価値で20数万円相当)に達していたそうです。

項目 詳細
勤務先 赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」
ニックネーム プリンセス
1日の最高ギャラ 1万円(現在の約20数万円相当)
ポジション No.1ホステス

このコパカバーナでの活躍が、後にスカルノ大統領との出会いにつながっていくことになります。

貧困の中で懸命に生きてきたデヴィ夫人が、自身の美貌と才覚で道を切り開いていった姿は、まさに波乱万丈の人生そのものですよね。

国籍はインドネシアに帰化している

デヴィ夫人の国籍について気になっている方も多いようです。

1962年にインドネシア国籍を取得

デヴィ夫人は1962年にスカルノ大統領と結婚した際に、インドネシア国籍を取得しています。

これに伴い、日本国籍は喪失しています。

つまり、デヴィ夫人は東京生まれの日本人でありながら、63年以上もの間インドネシア人として生きてきたということなんですよね。

参院選出馬のために日本国籍再取得を目指した

2025年には「ワンニャン平和党」を設立し、参議院議員選挙への出馬を目指していたデヴィ夫人。

しかし、日本の選挙に出るためには日本国籍が必要です。

インドネシア国籍からの帰化手続きを進めていたものの、手続きが間に合わず出馬を断念し、ワンニャン平和党は解散となりました。

それでも「犬猫愛護は一生続ける」と宣言しており、85歳を超えてもなお精力的に活動を続けているデヴィ夫人のパワーには驚かされますよね。

デヴィ夫人の両親のまとめ

  • デヴィ夫人の本名は根本七保子(ねもと なおこ)で1940年2月6日生まれ
  • 出身地は東京府東京市麻布区霞町(現・港区西麻布)
  • 父親は根本兵七郎で麻布の大工の棟梁だった
  • 父親はお人好しな性格で家庭は極貧だった
  • 父親は目を患い、デヴィ夫人が15〜16歳のときに他界
  • 母親は根本政子で福島県双葉郡浪江町出身
  • 母親は45歳の高齢出産でデヴィ夫人を出産
  • 母親は足が不自由だったが美人で評判だった
  • 母親はマスコミの取材攻勢で体調を崩し他界
  • デヴィ夫人はハーフでもクォーターでもなく純日本人
  • 両親ともに彫りの深い美男美女だったためハーフ顔に見える
  • 弟の根本八曾男は早稲田大学卒のエリートだった
  • 弟は母の死後に自ら命を絶った
  • デヴィ夫人は弟を悼み宮殿を「ヤソオ宮殿」と名付けた
  • 娘カリナはロンドン在住、孫キランはシカゴ大学に進学

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