黒柳眞理の現在は札幌で4足のわらじ!82歳で美容室とタンゴを続ける日々

黒柳眞理の現在は札幌で4足のわらじ!82歳で美容室とタンゴを続ける日々

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「黒柳徹子さんの妹さんって、今どうしているんだろう」と気になって検索した方は多いのではないでしょうか。

黒柳眞理さんは現在、北海道・札幌を拠点に、美容師・エッセイスト・アルゼンチンタンゴダンサー・講演家という4つの顔を持って活動しています。

19歳でバレエの道を絶たれ、そこから人生をつくり直した歩みを知ると、82歳になった今も踊り続けている理由が見えてきますよ。

この記事を読むとわかること
・黒柳眞理さんの現在の活動内容と拠点になっている街
・美容師・エッセイスト・タンゴ・講演という4足のわらじの中身
・バレリーナを断念してから今の生活にたどり着くまでの経緯

黒柳眞理の現在は札幌で4足のわらじ

まずは黒柳眞理さんが今どこで何をしているのか、ひとつずつ見ていきましょう。

肩書きが多いので、順番に整理していきますね。

現在の肩書きは美容師とタンゴなど4つ

黒柳眞理さんの現在の活動を一言でまとめると、札幌を拠点にした4足のわらじ生活です。

講師派遣会社システムブレーンのプロフィールでも、エッセイスト・美容師・アルゼンチンタンゴダンサー講師の4足のわらじという表現で紹介されています。

ひとつの道を究めるタイプの人が多い一家の中で、こういう広がり方をしているのはちょっと意外ですよね。

4つの顔を並べると、こんな形になります。

内容
美容師1991年に札幌で開いた美容室のオーナー美容師
エッセイスト中西出版から3冊のエッセイを刊行
タンゴアルゼンチンタンゴのダンサー兼講師
講演家・コメンテーター全国での講演、北海道のテレビ番組への出演

どれも片手間ではなく、それぞれが独立した仕事として続いているところがすごいと思います。

札幌の美容室オーナーとしての顔

4つの顔の土台になっているのが美容師の仕事です。

黒柳眞理さんは1991年に札幌に移り住み、そこで美容室をオープンしています。

美容の道に進んだきっかけは、母である黒柳朝さんの勧めでした。

バレエを断念したあとに美容学校へ入り、美容師免許を取得したという流れです。

資格を取ってから店を構えるまで、そして今日まで、数十年にわたって現場に立ち続けていることになります。

店名や店舗の詳細については公表されている情報が見当たらないため、ここでは札幌市内で自身の美容室を営んでいるというところまでにしておきますね。

テレビで顔を見せる立場になった今も、本業は美容師のままというのが、この人の面白いところだと思います。

1991年に東京から札幌へ移った

黒柳眞理さんは東京都の生まれで、幼少期からバレエに打ち込んでいたのも東京でした。

その拠点を47歳の年に北海道へ移したことになります。

移住から数えると、札幌暮らしはすでに30年以上です。

今では地元テレビ局の番組にコメンテーターとして呼ばれる存在ですから、すっかり札幌の人という感じですよね。

アルゼンチンタンゴのダンサー兼講師

黒柳眞理さんを語るうえで外せないのが、アルゼンチンタンゴです。

現在はアルゼンチンタンゴのダンサーであり、同時に講師でもあるという立場で活動しています。

講演のプロフィールには、テレビコマーシャルでタンゴを披露したという実績も紹介されていました。

ここ、ちょっと胸が熱くなるところなんです。

10代でバレエを諦めた人が、何十年もあとにまた人前で踊っている。

クラシックバレエとアルゼンチンタンゴはまったく別のジャンルですが、6歳から体に入れた身体表現が、形を変えて戻ってきたようにも見えますよね。

踊りを取り上げられた人が、踊りに戻ってきたという点が、現在の活動のなかでもっとも象徴的だと思います。

エッセイストとして出した3冊の本

黒柳眞理さんは文章の仕事も長く続けています。

これまでに中西出版から3冊のエッセイを出しており、内訳は次のとおりです。

書名刊行年出版社
たんぽぽのように1994年中西出版
イノセントエンジェル1999年中西出版
Wake up〜心の目を覚まして!2005年中西出版

中西出版は札幌の出版社なので、3冊とも札幌移住後に地元の版元から出されていることになります。

『たんぽぽのように』は、重い雪の下から水仙やクロッカスのつぼみが顔を出す情景をきっかけに、愛について綴った内容が紹介されています。

母の黒柳朝さんもエッセイストとして知られた人でしたから、書く仕事は母から受け継いだ血筋とも言えそうです。

たんぽぽのようには黒柳友理名義

1冊目の『たんぽぽのように』は、著者名が黒柳友理になっています。

これは後述する改名のためで、別人ではありません。

本を探すときに名前が一致せず戸惑う方がいるので、覚えておくと便利ですよ。

テレビとラジオで続けてきた出演活動

北海道にお住まいの方なら、テレビで顔を見たことがあるかもしれません。

黒柳眞理さんは北海道テレビ(HTB)のイチオシ!!でコメンテーターを務めており、NHK北海道のだいすき北海道にも出演しています。

出演の流れをつくったのはラジオでした。

札幌に移った翌年の1992年から、STVラジオのパーソナリティを担当しています。

この仕事が、次に紹介する講演活動へつながっていきました。

美容室の店主が、地元メディアの語り手になっていったという順番なんですね。

600か所以上をまわった講演活動

4つ目の顔が講演です。

1992年のラジオ出演をきっかけに講演の依頼が入るようになり、これまでに600か所以上で講演を行っています。

代表的な演題が、人は弱い時にこそ強いというものです。

講演では、父・黒柳守綱さんと母・黒柳朝さん、そして姉・黒柳徹子さんという家族の中で育った葛藤を振り返りながら、それぞれが自分らしく生きるためのヒントを話す内容だと紹介されています。

有名な家に生まれたことを、いいことばかりとして語らないところが誠実だなと感じました。

講演のジャンルはメンタルヘルスやビジネス教養として登録されています。

波瀾万丈だった人生そのものが、そのまま講演の中身になっているわけです。

黒柳眞理の現在を調べる人向けの関連情報

ここからは、現在に至るまでの経歴や家族について、まとめて確認していきましょう。

4足のわらじに行き着いた背景がよく見えてきますよ。

年齢は82歳で誕生日は4月19日

黒柳眞理さんは1944年4月19日生まれです。

2026年8月の時点では82歳ということになります。

82歳で美容室に立ち、タンゴを踊り、テレビでコメントをする。

……これ、なかなかできることじゃないですよね。

出身は東京都で、現在の住まいは北海道札幌市です。

黒柳徹子とは11歳差の姉妹

検索する人がいちばん気にしているのが、姉との関係だと思います。

黒柳眞理さんは黒柳徹子さんの11歳下の妹にあたります。

徹子さんが1933年生まれ、眞理さんが1944年生まれですから、生まれ年の差がそのまま11歳差になる計算です。

一部のサイトでは3歳年下と書かれていることがありますが、生年を突き合わせると11歳差が正確なところですね。

きょうだいは姉だけではありません。

きょうだい生まれ主な活動
黒柳徹子(姉)1933年女優・司会者
黒柳紀明(兄)1940年ヴァイオリン奏者
黒柳眞理(本人)1944年美容師・エッセイスト
黒柳貴之(弟)公表なし徹子とは24歳差とされる

音楽・演劇・美容と、きょうだいで表現の分野がきれいに分かれているのが黒柳家の特徴です。

父・黒柳守綱と母・黒柳朝という両親

黒柳眞理さんは、黒柳守綱さんと黒柳朝さん夫妻の次女として生まれました。

父の守綱さんはヴァイオリニスト、母の朝さんはエッセイストとして知られた人です。

講演のプロフィールでは、波瀾万丈だった人生を父と母の強い魂と知恵でくぐり抜けたと振り返っています。

バレエを諦めたときに美容の道を勧めたのも母でした。

進路が途切れたところで次の道を差し出したのが母親だったというのは、覚えておきたいところです。

バレリーナを断念した足首のケガ

現在の姿を知るうえで、いちばん大きな転機がここです。

黒柳眞理さんは6歳からクラシックバレエを始め、小牧正英さんの指導を受け、チャイコフスキー記念東京バレエ学校で学びました。

バレエに打ち込むあまり、通っていた香蘭女学校は中退しています。

そしてプロのバレリーナとして活動していた最中、足首の重い捻挫によって退団を余儀なくされました

この時期については、19歳とする資料と、18歳のケガとする講演プロフィールがあり、記載に幅があります。

いずれにしても10代のうちに、積み上げてきたものが一度断たれたということです。

正直、想像すると胸が痛くなります。

6歳から十数年、それだけのために生活を組み立ててきた人が、足首ひとつで舞台を降りることになったわけですから。

この挫折があったからこそ、美容師にもエッセイストにもなったという順番は押さえておきたいですね。

ボリショイやレニングラードと同じ舞台に立った

断念する前の活動は、決して小さなものではありませんでした。

チャイコフスキー記念東京バレエ団に所属し、ボリショイやレニングラードのバレエ団とともに日本各地を公演していたと紹介されています。

世界的なカンパニーと並ぶ舞台に立っていたわけで、順調にいけば別の人生があったはずです。

元夫は元プロ野球選手の井石礼司

結婚についても情報が出ています。

黒柳眞理さんは慶應義塾大学のパーティーで元プロ野球選手の井石礼司さんと知り合い、20歳で結婚しました。

バレエを断念した直後の時期にあたります。

ただし結婚生活は生涯続いたわけではなく、39歳のときに離婚しています。

年齢から逆算すると、1983年から1984年ごろということになりますね。

離婚から札幌移住までは7年ほどです。

時系列を並べると、離婚を経てから北海道で人生を組み直したという流れが見えてきます。

2人の子供の情報は非公表

井石礼司さんとの間には2人の子供がいます。

ただし名前も顔写真も一切公表されていません

一般の方として生活していると考えられるため、この記事でも詮索はしないでおきますね。

結婚した時期から考えると、お子さんはすでに50代後半にさしかかっている年代です。

公表されているのは2人いるという事実だけ、というのが現状になります。

友理から眞理に戻した改名

最後に、名前の話をしておきます。

黒柳眞理さんは1950年に友理と改名し、1999年に元の眞理へ戻しています。

6歳のころに変えた名前を、55歳で元に戻したことになりますね。

1994年の『たんぽぽのように』が黒柳友理名義、1999年の『イノセントエンジェル』が黒柳眞理名義になっているのは、この切り替わりのタイミングがちょうど間に入っているためです。

検索するときに黒柳真理、黒柳友理と表記が割れるのも同じ理由なので、目的の情報が見つからないときは表記を変えて探してみてください。

黒柳眞理の現在のまとめ

  • 現在は北海道札幌市を拠点に活動している
  • 美容師・エッセイスト・タンゴダンサー・講演家の4足のわらじ
  • 1991年に札幌へ移り住み、自身の美容室をオープンした
  • アルゼンチンタンゴのダンサー兼講師として現在も踊っている
  • テレビコマーシャルでタンゴを披露した実績がある
  • 中西出版から3冊のエッセイを刊行している
  • 1冊目のたんぽぽのようには黒柳友理名義
  • 北海道テレビのイチオシ!!でコメンテーターを務める
  • 1992年からSTVラジオのパーソナリティを担当した
  • 講演は600か所以上で、演題は人は弱い時にこそ強い
  • 1944年4月19日生まれで2026年時点で82歳
  • 黒柳徹子の11歳下の妹で、兄はヴァイオリン奏者の黒柳紀明
  • 父はヴァイオリニストの黒柳守綱、母はエッセイストの黒柳朝
  • 6歳から始めたバレエを足首の捻挫で断念したとされる
  • 元夫は元プロ野球選手の井石礼司で、39歳で離婚した

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