星野知子の現在は鎌倉で随筆家として活動中!移り住んで17年の暮らしぶりとは

星野知子の現在は鎌倉で随筆家として活動中!移り住んで17年の暮らしぶりとは

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星野知子さんを最近テレビで見かけないけど、今どうしているのか気になりますよね。

実は星野さん、東京から鎌倉へ移り住んで17年、三木卓さんの看板連載を引き継ぐほどエッセイストとして活躍しているんです。

この記事では、星野知子さんの現在の活動と暮らし、夫や子供、若い頃のことまで詳しくまとめました。

この記事を読むとわかること
・星野知子さんの現在の活動と鎌倉での暮らし
・最近テレビで見ないと言われる理由
・夫の横村出さんや子供の有無、若い頃と実家

星野知子の現在は鎌倉で暮らす俳優・随筆家

星野知子さんを最近テレビで見かけないけど、今どうしているの?と気になっている方も多いですよね。

結論からいうと、星野知子さんは現在、神奈川県鎌倉市に暮らしながら、エッセイの執筆や朗読、講演を中心に活動しています。

現在は俳優とエッセイストとして鎌倉で活動中

星野知子さんは2026年現在68歳。

公式ホームページの肩書きは「俳優 随筆家」となっていて、女優業に加えて文章を書く仕事が活動の大きな柱になっています。

住まいは神奈川県鎌倉市です。

2009年に東京都内から鎌倉へ移り住み、2026年で鎌倉暮らしは17年目に入りました。

タウンニュース鎌倉版の取材では、鎌倉について「海も山も身近で歴史と文化がある。それだけでも充分魅力的だったが、独特の街の雰囲気にときめいた」と語っています。

雪深い新潟県長岡市で育った星野さんにとって、陽光が降り注ぐ太平洋側の街は驚きやうれしいことの連続だったそうです。

知り合いの漁師さんから朝届く水揚げリストのメールに心を躍らせている、というエピソードもあって、……なんか、いいですよね。

テレビの第一線からは少し距離を置いていますが、引退を発表したわけではありません。

つまり星野知子さんの現在は、鎌倉を拠点に「書く・読む・語る」仕事を続けている状態です。

現在のおもな活動を一覧で整理

分野現在の主な活動
執筆『かまくら春秋』で「新 鎌倉その日その日」を連載(2024年1月〜)
書籍『星野知子の鎌倉四季だより』(2023年)、エッセイ集『路(みち)』(2026年10月下旬刊行予定)
朗読・講演鎌倉・建長寺の朗読会、故郷・長岡での講演会や平和フォーラム
公的な役割鎌倉市国際観光親善大使(2017年〜)
審査JICA国際協力高校生エッセイコンテスト審査員長(2008年〜2026年)

2024年から続く連載「新 鎌倉その日その日」

現在の星野知子さんの活動でいちばん目立つのが、月刊誌『かまくら春秋』でのエッセイ連載です。

この連載は、芥川賞作家で日本藝術院会員だった三木卓さんが30年間書き続けた「鎌倉その日その日」を引き継いだもの。

三木さんが2023年に亡くなったあと、2024年1月から星野知子さんが「新 鎌倉その日その日」として執筆しています。

大先輩の看板連載を任されるって、相当な信頼がないとできないことですよね。

連載は毎月1回更新で、かまくら春秋社の許諾を得て公式ホームページでも読めるようになっています。

最近の回では、仏壇の短いろうそくの火を最後まで見届ける習慣をつづった「ろうそくの火」、7月16日の「虹の日」にちなんだ話、梅雨どきにてるてる坊主を作ってみた話など、暮らしの小さな場面を切り取ったエッセイが並んでいます。

「ろうそくの火」では、両親ともすでに他界していることにも触れていて、読んでいて少し胸がきゅっとなりました。

エッセイが新聞や年鑑に取り上げられている

連載のなかからは、外部で評価される作品も出ています。

2025年7月15日付の読売新聞朝刊1面コラム「編集手帳」では、連載の『花火と私』が紹介されました。

また、エッセイ『たばこ』は日本文藝家協会が選ぶ『ベスト・エッセイ2025』(光村図書)に収録されています。

女優のかたわらに書いている、というレベルではなく、エッセイストとしてしっかり評価されているのが現在の星野さんです。

朗読で聴けるオーディオエッセイも公開

2026年2月には、連載エッセイの一部を星野さん自身が朗読した「オーディオエッセイ」が公式ホームページで公開されました。

公式サイト限定の公開なので、声を聴いてみたい方はのぞいてみるといいかもしれません。

2026年10月に刊行予定のエッセイ集『路』

公式ホームページでは、2026年10月下旬に『星野知子エッセイ集 路(みち)』の刊行が決まったと告知されています。

タイトルの「路」は、星野さんの本名・路子(みちこ)と同じ字なんですよね。

内容は、デビューから46年の日々の暮らし、旅、ふる里への思い、母と子の記憶、仕事などをつづったエッセイをまとめたものとされています。

俳優として、エッセイストとして年齢を重ねてきた歩みを1冊にまとめる本で、詳細は10月に公開予定の新刊案内ページで知らせるとのことです。

ちなみに2023年8月には、鎌倉の暮らしを描いた『星野知子の鎌倉四季だより』(敬文舎)も出しています。

こちらは四季ごとに24のテーマを約200ページでつづった1冊で、春は高浜虚子と絡めた桜餅、夏は波乗りと生シラス、秋は大銀杏、冬はワカメのしゃぶしゃぶといった、鎌倉らしい話題が並んでいます。

写真も星野さん自身が撮影したものだそうです。

現在の星野さんは、本を出すペースもしっかり保っているということがわかります。

朗読会や講演会など現在の出演活動

テレビで見る機会は減りましたが、人前に立つ仕事は今も続いています。

公式ホームページで告知されていた最近の出演をまとめると、次のとおりです。

時期内容
2025年8月1日第18回ながおか平和フォーラム(長岡空襲80年)で手記の朗読と講演
2025年8月4日東京・池袋 新文芸坐「戦争の記憶と記録を語り継ぐ映画祭」でトークイベント
2025年11月14日朝日新聞夕刊「私の描くグッとムービー」にインタビューと自筆イラストが掲載
2025年12月14日河井継之助記念館19周年記念講演会「杉本鉞子と武士の長岡」(定員400名・満席)
2026年3月JICA国際協力エッセイコンテストの最後の表彰式に出席
2026年8月29日鎌倉・建長寺「親と子の土曜朗読会」1100回記念特別プログラムで『おにたのぼうし』を朗読

こうして並べると、故郷の長岡と、暮らしている鎌倉の2か所が活動の中心になっているのがよくわかります。

特に長岡での講演会は、400名の定員がすぐに満席になったそうで、地元での人気の高さがうかがえます。

18年続けたJICAエッセイコンテストの審査員長

星野さんは2008年から2026年まで、国際協力機構(JICA)の「国際協力高校生エッセイコンテスト」で審査員長を務めてきました。

1962年から続いたこのコンテストは2026年で最後となり、星野さんは最後の表彰式にも出席しています。

公式サイトでは「18年間審査に携わり、高校生の真摯な文章にどれだけ心洗われたことでしょう」とコメントしていて、……長く続けてきた役目を終えた、しみじみとした気持ちが伝わってきますよね。

鎌倉市国際観光親善大使としての役割

星野知子さんは、2017年から鎌倉市国際観光親善大使を務めています。

委嘱式は2017年4月9日、鶴岡八幡宮の舞殿で行われ、鎌倉市長から委嘱状が手渡されました。

鎌倉市の公式ページでは、鎌倉市在住の大使として国内外に古都鎌倉の魅力を発信する役割だと紹介されています。

同じ大使には、実業家のリシャール・コラスさん、俳優の鶴田真由さん、中井貴一さんが名を連ねています。

鎌倉市のページは2026年4月3日にも更新されていて、今も現役の大使として掲載されています。

鎌倉は星野さんにとって「住んでいる街」であると同時に、「発信する街」にもなっているわけです。

最近テレビで見ないと言われる理由

「星野知子って最近見ないな」と感じる方がいるのは、テレビドラマへの出演が2000年代で目立たなくなったからだと思います。

Wikipediaの出演歴を見ると、連続ドラマは2009年のNHK朝ドラ「ウェルかめ」、映画は2012年公開の「僕達急行 A列車で行こう」あたりが最近の出演として挙がっています。

一方で、テレビから完全に離れたわけでもありません。

2015年にはNHK BS1スペシャル「武士の娘〜鉞子とフローレンス〜」で案内役とナレーションを担当しました。

この番組は、同じ長岡出身の杉本鉞子を描いたもので、星野さん自身が制作者に企画を持ち込んで実現したそうです。

もともとドキュメンタリーや執筆に軸足があった

実は星野さん、若い頃からドラマだけの人ではありませんでした。

25歳だった1983年には、個人事務所「リマソン」と、ドキュメンタリー番組を制作する会社「悠」の2社を設立しています。

1990年代には、ブラジル・アマゾン奥地の先住民族の村で1か月半暮らした「欲望の大河アマゾン」をはじめ、紀行・ドキュメンタリー番組に出演と制作の両方で関わってきました。

エッセイストとしてのデビュー作『濁流に乗って〜欲望の大河アマゾン』もこのときに出版しています。

テレビで見なくなったのは消えたからではなく、もともと持っていた「書く・伝える」仕事の比重が大きくなった、と考えるのが自然だと思います。

これはあくまで経歴の流れから見た推測ですが、鎌倉での活動ぶりを見ると、そう外れてはいないはずです。

現在の姿と年齢を重ねた魅力

現在の星野さんの姿は、公式ホームページのトップページに近影として掲載されています。

撮影は写真家の山田ミユキさんで、2025年1月に鎌倉・七里ヶ浜のスタジオで撮影された写真もバイオグラフィーのページに載っています。

新刊エッセイ集の紹介文には「年齢を重ね、人生と向き合う軌跡」という言葉があって、今の星野さんの姿勢がそのまま表れているように感じました。

デビューから46年。

無理に若さを保つのではなく、年齢を重ねた姿で文章と声を届けているのが、現在の星野知子さんの魅力なのかなと思います。

星野知子の現在を調べる人向けの関連情報

ここからは、星野知子さんの現在とあわせてよく検索されている、夫や子供、若い頃、実家などの情報をまとめていきますね。

夫は朝日新聞の元記者で作家の横村出

星野知子さんは、2008年5月12日に朝日新聞の記者と入籍しました。

当時、星野さんは50歳。

オリコンの報道では、所属事務所の公式サイトで「今月、12日に入籍を致しました」と発表され、「50歳で適齢期が訪れた」という言葉が見出しになりました。

日刊スポーツは、お相手を新聞社勤務の46歳男性と伝え、東京都内の区役所に婚姻届を出したと報じています。

公式ホームページのバイオグラフィーによると、夫は朝日新聞社の元モスクワ特派員だったジャーナリストで、現在は作家の横村出さんです。

Wikipediaでは4歳年下と紹介されています。

結婚の翌年2009年に、夫婦で東京都内から鎌倉へ移りました。

50歳での結婚、そこから17年以上の鎌倉暮らし……なんか、じんわりしますよね。

現在も夫の横村出さんとともに鎌倉で暮らしている、というのが星野さんの近況です。

「星野知子 夫」で出てくる別人に注意

「星野知子 夫」で検索すると、「夫の死をきっかけにアロマの研究を始めた」という星野知子さんの記事が出てくることがあります。

これは神戸市のナチュリール代表を務める同姓同名の別人で、女優の星野知子さんとは関係ありません。

兵庫県出身で3人のお子さんを育てた、というプロフィールもこの別人のものなので、混同しないように気をつけてくださいね。

子供は公表されていない

星野知子さんに子供がいるという公表はありません。

公式ホームページのバイオグラフィーにも、結婚や鎌倉への転居は書かれていますが、子供についての記載はないんですよね。

50歳での結婚だったこともあり、夫婦2人で暮らしていると紹介しているサイトもあります。

「星野知子 娘」「星野知子 子供」と検索される理由のひとつは、著書『子連れババ連れ花のパリ』のタイトルかもしれません。

この本は、パリに住む妹さんとその子供、そして星野さんの母親も一緒に過ごした11日間のパリ旅行記です。

「子連れ」は星野さん自身の子供ではなく、身内の子供を連れた旅という意味なんです。

もうひとつ、先ほどの同姓同名の別人に3人の子供がいることも、検索結果が混ざる原因になっていそうです。

女優の星野知子さんについては、子供がいるという情報は出ていない、というのが現状です。

若い頃は装苑モデルから朝ドラヒロインへ

星野知子さんの若い頃は、ファッション誌のモデルからスタートしています。

法政大学への進学で上京してまもなく、母親が服飾誌『装苑』の専属モデル募集に娘の写真を送ったのがきっかけでした。

背が高くて似合う服が見つからない娘のために、『装苑』の型紙で服を手作りしていたお母さんだったそうです。

……素敵なお母さんですよね。

1976年に第16回装苑モデルに選ばれ、大学在学中に専属モデルを2年あまり続けました。

そして大学4年生だった1979年秋、NHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」のオーディションで600人の応募から主役に選ばれたんです。

1980年の放送では最高視聴率45.1%を記録しました。

若い頃の主な仕事

年主な仕事
1980年NHK朝ドラ「なっちゃんの写真館」で主演デビュー
1981〜1985年フジテレビのドラマ版「サザエさん」でサザエ役
1982〜1988年フジテレビ「ミュージックフェア」司会
1982年映画「幻の湖」で映画デビュー
1987〜1989年テレビ朝日「ニュースシャトル」メインキャスター
1997年映画「失楽園」で日本アカデミー賞助演女優賞優秀賞

「ニュースシャトル」では芸能人キャスターの草分けとして注目され、初登場の日がブラックマンデー当日だったというのも驚きのエピソードです。

若い頃から女優・司会・キャスターと幅広く活躍していたことが、今の多彩な活動につながっているといえます。

実家は長岡の旧長岡藩士の家系

星野知子さんの実家は、新潟県長岡市の旧市街にあります。

公式ホームページのバイオグラフィーによると、父・星野智三郎さん、母・星野悦子さんの長女として1957年10月3日に生まれました。

先祖は代々の長岡藩士で、高祖父の星野貞固さんは1868年の北越戊辰戦争で戦没しています。

祖父は小説家の松岡譲さんやフランス文学者の堀口大學さんと旧制長岡中学の同期だったそうです。

星野さん自身も長岡市立千手小学校、長岡市立南中学校を経て、祖父や父と同じ新潟県立長岡高校に進みました。

故郷との縁は今も深く、長岡空襲や長岡花火を描いた大林宣彦監督の映画「この空の花 長岡花火物語」にも出演しています。

現在の講演活動で長岡がたびたび登場するのも、この実家のルーツがあるからこそです。

美人と言われる170cmのスタイル

星野知子さんが美人と言われるのは、デビュー当時から変わらない端正な顔立ちと、身長170cmのすらりとしたスタイルが大きいと思います。

1980年代は、三菱のエテルナのCMに起用され「なっちゃんのエテルナ」というキャッチフレーズで親しまれました。

花王のリーゼやザブ、協和発酵のサントネージュワインなど、数多くのCMにも出演しています。

モデル出身らしい品のある美しさは、年齢を重ねた今の近影からも伝わってきます。

若い頃の華やかさとはまた違う、落ち着いた美しさが現在の星野さんの持ち味です。

星野知子の現在のまとめ

  • 星野知子は2026年現在68歳で、神奈川県鎌倉市に暮らしている
  • 公式の肩書きは俳優・随筆家で、執筆・朗読・講演が活動の中心
  • 2009年に東京都内から鎌倉へ移り、鎌倉暮らしは17年目
  • 2024年1月から『かまくら春秋』で「新 鎌倉その日その日」を連載中
  • 連載は三木卓の「鎌倉その日その日」を引き継いだもの
  • エッセイ『たばこ』が『ベスト・エッセイ2025』に収録された
  • 2026年10月下旬にエッセイ集『路』を刊行予定
  • 2017年から鎌倉市国際観光親善大使を務めている
  • 故郷の長岡でも講演会や平和フォーラムに出演している
  • JICA高校生エッセイコンテストの審査員長を18年務めた
  • テレビドラマの出演は2000年代以降少なくなった
  • 引退を発表したわけではなく、書く仕事の比重が大きくなったとみられる
  • 夫は朝日新聞の元モスクワ特派員で作家の横村出
  • 子供がいるという公表はない
  • 長岡藩士の家系に生まれ、装苑モデルから朝ドラヒロインになった

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