「バカの壁」で知られる解剖学者・養老孟司さん。
虫かごを手に鎌倉の山を歩く姿ばかりが知られていますが、その家系をたどると、明治生まれの女医が一本の芯として通っています。
父違いの兄と姉がいること、母が94歳まで診察室に立ち続けたこと、父を4歳で亡くしていること。養老孟司さんの家系図は、有名一族の系譜というより「一人の女性の選択でかたちが変わった家」の記録に近いものです。
この記事では、公表されている情報をもとに、養老孟司さんの家系図を三世代で整理していきます。
この記事を読むとわかること
- 養老孟司さんの家系図を、母・静江さんを軸に三世代で整理したかたち
- 父違いの兄と姉がいる理由と、父・文雄さんを4歳で亡くした経緯
- 妻・朝枝さんと娘・暁花さんまで含めた、現在につながる家族の顔ぶれ
養老孟司の家系図|母・静江を軸に三世代でたどる
養老孟司さんの家系図は、父方をたどっていくタイプの系譜ではありません。中心にいるのは母・養老静江さんで、その再婚によって家族のかたちが決まりました。まずは登場人物を一人ずつ確認していきます。
養老孟司の家系図に登場するのは母・父・父違いの兄姉
養老孟司さんは1937年11月11日、神奈川県鎌倉市の生まれです。家族としてはっきり名前が出ているのは、母・養老静江さん、父・養老文雄さん、そして父親の違う兄と姉の4人になります。
養老孟司さん自身は静江さんにとっての次男にあたります。つまり家系図の同じ段に3人のきょうだいが並び、そのうち上の2人だけ父親が別、という構造です。
母・養老静江は鎌倉で医院を開いた女医の草分け
母の養老静江さんは1899年11月16日生まれ、神奈川県津久井郡(現在の相模原市)の出身です。神奈川県立横浜第一高等女学校を経て東京女子医学専門学校を卒業しており、女性が医師になること自体が珍しかった時代の一人でした。
1936年、鎌倉市で小児科を開業します。これが養老孟司さんの実家となる「大塚医院」です。息子が生まれる前年に、すでに自分の診療所を構えていたことになります。
母の最初の結婚相手は弁護士だった
静江さんは最初、弁護士の男性と結婚して2人の子どもをもうけています。この2人が、のちに養老孟司さんの兄と姉になる人たちです。
家系図の上では、静江さんから左右に2本の婚姻線が伸びる形になります。この最初の結婚があったからこそ、養老孟司さんには「父親の違うきょうだい」が存在することになりました。
父・養老文雄は三菱商事の社員で母より年下だった
父の養老文雄さんは三菱商事に勤めていた会社員です。静江さんより年下で、結核の療養のために鎌倉に滞在していたときに、静江さんのもとで書生をしていたと伝えられています。
患者として、あるいは身近な生活者として同じ屋根の下にいた年下の男性と、開業医の女性が恋に落ちる。静江さんは最初の結婚を解消してこの恋を選び、文雄さんと再婚しました。
父違いの兄と姉がいる理由は母の離婚と再婚
兄と姉が父親違いになっているのは、この「離婚と再婚」があったためです。血のつながりは母を通じてあり、父の側だけが別、という関係になります。
養老孟司さんは、この兄と姉と一緒に育ちました。父の死後も家族はばらばらにならず、母を中心にした一つの家として続いています。なお兄はすでに他界しています。
父・文雄は養老孟司が4歳のときに結核で亡くなった
静江さんと文雄さんの結婚生活は、約5年で終わりを迎えます。文雄さんは結核により、養老孟司さんが4歳のときに亡くなりました。戦時中のことです。
4歳という年齢は、記憶が残るかどうかの境目です。養老孟司さんが後年、死や身体を正面から扱う仕事を選んだことを、この体験と結びつけて語られることは少なくありません。
母・静江は94歳まで診察を続け1995年に死去
夫を亡くしたあとの静江さんは、3人の子どもを一人で育てながら診療を続けました。90歳を超えても現役の医師であり続け、94歳まで患者を診ています。
1994年には荻野吟子賞を受賞。著書に『ひとりでは生きられない』『紫のつゆ草』があります。1995年3月22日、95歳で亡くなりました。同じ1995年の春、養老孟司さんは57歳で東京大学を早期退官しています。
養老孟司の家系図に連なる妻と子どもたち
家系図を下の世代へ伸ばすと、妻・朝枝さんと娘・暁花さんが並びます。母が医師、自身が解剖学者という流れが、次の代にどう受け継がれたのかを見ていきます。
妻・養老朝枝は茶道表千家の教授
妻の養老朝枝さんは、茶道表千家の教授として活動している人物です。虫を追いかける夫とは対照的に、昆虫にはまったく興味がないことで知られています。
若い頃、養老孟司さんが飼っていたバッタを朝枝さんが処分してしまい、夫婦げんかになったというエピソードも残っています。養老孟司さんは夫婦について「妻を変えようとするより自分を変えるほうが簡単」と語っています。
娘・養老暁花は銀座で開業する鍼灸師
娘の養老暁花(アキカ)さんは、東京都中央区銀座で「草人木鍼灸治療院」を営む鍼灸師です。日本伝統鍼灸学会、日本メディカル美容鍼協会に所属しています。
医師ではありませんが、人の身体に手で触れて診るという点では、祖母・静江さんの小児科、父・孟司さんの解剖学と地続きの仕事です。愛猫「まる」の写真集の出版記念トークショーに父と一緒に登場するなど、親子仲は良好とされています。
息子については講演での言及があるのみ
養老孟司さんには息子もいます。2014年の防衛大学校での講演で、東大病院に入院した際のエピソードとして「私の息子が」と本人が語っています。
ただし名前・生年・職業はいずれも公表されていません。家系図に線は引けますが、その先の情報は本人の意思で伏せられている、と考えるのが自然です。
孫の存在については語られていない
子ども世代までは確認できる一方で、孫にあたる世代について養老孟司さんが公の場で語った記録は見当たりません。
養老孟司さんは私生活を細かく発信するタイプではなく、家族の話も必要なときに触れる程度です。孫の情報が出てこないことは、いないという意味ではなく、単に話題にしていないということになります。
医師の家系は静江から孟司の一代で形を変えた
「医師の家系」と呼びたくなる並びですが、実際には母が小児科の臨床医、息子が解剖学という基礎医学の研究者で、向いている方向が違います。
臨床から研究へ、そして孫の代では鍼灸へ。養老孟司さんの家系図は、同じ職業を継いでいく家というより、「身体を扱う」という一点だけを共有しながら、それぞれが別の形を選んできた家系だと言えます。
まとめ:養老孟司の家系図
- 養老孟司さんは1937年11月11日、神奈川県鎌倉市生まれの解剖学者・東京大学名誉教授
- 家系図の中心にいるのは母・養老静江さん(1899年11月16日〜1995年3月22日)
- 静江さんは東京女子医学専門学校を卒業し、1936年に鎌倉で小児科「大塚医院」を開業した
- 静江さんは最初に弁護士と結婚して2人の子をもうけ、のちに年下の養老文雄さんと再婚した
- そのため養老孟司さんには、父親の違う兄と姉がいる(兄はすでに他界)
- 父・養老文雄さんは三菱商事の社員で、結核により養老孟司さんが4歳のときに死去した
- 静江さんは94歳まで診察を続け、1994年に荻野吟子賞を受賞、著書に『ひとりでは生きられない』がある
- 妻・養老朝枝さんは茶道表千家の教授で、昆虫には関心がない
- 娘・養老暁花さんは銀座で「草人木鍼灸治療院」を営む鍼灸師
- 息子の存在は本人の講演で語られているが、名前や職業は公表されていない
- 孫についての言及は確認できない
養老孟司さんの家系図をたどって残るのは、明治生まれの女医が自分で選んだ人生の輪郭です。父を早くに亡くし、父違いのきょうだいと育った家で、身体をどう見るかという問いだけが三世代に受け継がれていきました。


