東京大学で中国研究を続ける阿古智子さんについて、家族構成が気になって調べている方は多いのではないでしょうか。
夫と息子さんの3人家族なのですが、その暮らし方も、結婚式を挙げた場所も、正直かなり驚く内容でした。
そしてもう一組、阿古さんが20年以上「父と母」と呼び続けている人たちがいます。
・阿古智子の家族構成と、夫・息子それぞれについてわかっていること
・中国の農村で挙げた結婚式と、東京と北海道に分かれた現在の暮らし方
・中学で実母を亡くした阿古智子が「上海の父と母」と呼ぶ人たちとの関係
阿古智子の家族構成は夫と息子との3人暮らし
阿古智子さんの家族構成について、まずは結論からお伝えしますね。
わかっているのは夫と息子さんの2人で、阿古さんを含めて3人家族です。
ただ、この3人の暮らし方がちょっと変わっていて、そこに阿古さんという研究者の生き方がそのまま出ているんですよ。
家族構成は夫と息子を含めた3人
阿古智子さんの家族構成としてこれまでに確認できるのは、夫と息子さんの2人です。
つまり阿古さんを含めて3人家族ということになりますね。
娘さんや第2子についての情報は、少なくとも公の場では出てきていません。
まずは阿古さん本人の基本情報を整理しておきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 阿古智子(あこ ともこ) |
| 生年月日 | 1971年5月28日 |
| 出身地 | 大阪府 |
| 職業 | 東京大学大学院総合文化研究科 教授 |
| 専門 | 現代中国研究・社会学 |
| 家族 | 夫・息子(判明分) |
ここで先に押さえておきたいのが、阿古さんが芸能人ではなく研究者だという点です。
大学教員の家族は基本的に一般人ですから、名前や顔写真が公表されることはまずありません。
それでも家族の姿がぽつぽつと見えてくるのは、阿古さん自身が寄稿や講演の中で、自分の暮らしや心の動きを率直に語ってきたからなんですよね。
阿古智子さんの家族構成は、夫と息子との3人というのが現時点で確認できる形です。
家族の名前や顔写真が出てこない理由
阿古さんの夫と息子さんについては、名前も顔写真も公表されていません。
これは隠しているというより、そもそも公表する必要がない立場だから、という話です。
研究者は自分の研究成果で評価される仕事なので、家族を売りにする動機がありません。
なので「情報が少ない=何か訳あり」ではないんですよ。ここは誤解されやすいところかなと思います。
夫は三重県出身の一般男性
阿古智子さんの夫について公表されているのは、三重県の出身であるという点です。
名前も職業も明かされておらず、一般の方とみられます。
三重県には夫の実家があり、阿古さんは仕事の合間や週末を使ってそちらへ足を運び、親族との交流を続けているといいます。
東京で教授職をこなしながら、夫の実家との関係もきちんと維持しているというのは、なかなかできることではないですよね。
ネット上では「夫も研究者ではないか」といった見方も見かけますが、これを裏づける公式な情報は見当たりません。
阿古さんの経歴が研究者一色なので、その周辺にいる人も同業だろうと連想されやすいのだと思います。
ただ、後ほど触れるように夫は中国へ単身赴任していた時期があり、そこから逆算すると企業勤めの可能性も十分に考えられます。
いずれにせよ推測の域を出ないので、ここは「夫は三重県出身の一般男性で、職業は非公表」というのが正確な整理になります。
中国の楊家溝村で挙げた結婚式
阿古智子さんの結婚で目を引くのが、その式の場所です。
結婚式を挙げたのは中国・陝西省楡林市にある楊家溝村だったと伝えられています。
しかもこの式の様子は、2004年1月29日付の西安晩報という現地紙に取り上げられたそうです。
これ、けっこうすごい話だと思いませんか。
日本人夫婦が中国の農村で式を挙げて、それが地元紙のニュースになるわけですから。
楊家溝村は陝西省北部の黄土高原にある村で、歴史的にも知られた土地です。
観光地でもリゾートでもない、まさに中国の農村そのものという場所を選んでいるところに、阿古さんの研究者としての姿勢がにじんで見えます。
阿古さんの専門は現代中国研究で、なかでも農村の格差や貧困を長年フィールドワークで追いかけてきました。
その現場である農村で人生の節目を迎えるというのは、研究対象を「調べる相手」ではなく「関わり続ける相手」として見ていたということなんだろうなと感じます。
……なんというか、ちょっと痺れるエピソードですよね。
結婚式の場所そのものが、阿古さんと中国との距離感を何より雄弁に語っています。
息子は北海道を拠点に生活する成人
阿古智子さんには息子さんが1人います。
現在は成人していて、北海道を拠点に生活しているとされています。
名前も年齢も公表されていませんが、いくつかのエピソードから人となりが少しだけ見えてきます。
たとえば、元旦の深夜から地元の友人たちと往復10時間にもおよぶ自転車の旅に出て、初日の出を見に行ったという話。
真冬の北海道で往復10時間の自転車って、正直、聞いただけで体が冷えてきます。
でも、そういう無茶を仲間と一緒に楽しめる関係があるということでもあって、読んでいてちょっといいなと思いました。
幼い頃は中国人留学生に保育園の送迎を手伝ってもらっていた
息子さんが小さかった頃のエピソードも残っています。
当時、夫が中国へ単身赴任していた時期があり、阿古さんはいわゆるワンオペに近い状態だったようです。
そのときに支えになったのが、阿古さんが東京の自宅に招き入れていた中国からの留学生たちでした。
彼らが幼い息子さんの保育園の迎えや世話を、積極的に引き受けてくれていたといいます。
研究対象の国から来た若者たちが、研究者の家庭の日常を支えていた。
これ、なんかじんわりしませんか。
阿古さんにとって中国は論文の題材である以前に、実際に手を貸してくれる人たちがいる場所だったわけです。
中学生のときに実母を病気で亡くしている
阿古智子さんの家族構成を語るうえで、避けて通れないのが実の母親のことです。
阿古さんは中学生のときに、実の母親を病気(がん)で亡くしています。
これは阿古さん自身が寄稿の中で触れている事実です。
多感な10代のはじめに母親を失うというのは、想像するだけで胸が締めつけられます。
実の父親については、公表されている情報がほとんどありません。
大阪府立八尾高校から大阪外国語大学へ進み、さらに名古屋大学大学院、香港大学の博士課程まで進んでいることを考えると、学びを続けられる環境ではあったのだろうと推測できます。
ただ、これはあくまで学歴からの逆算であって、実家の詳しい事情がわかっているわけではありません。
阿古智子さんの家族構成を見るときは、この「早くに母を亡くした」という一点が出発点になります。
上海の父と母と呼ぶもう一組の家族
阿古智子さんの家族構成を語るとき、実はもう一組、外せない存在があります。
中国・上海にいる「父と母」です。
阿古さんは1998年から1999年にかけて、博士論文の調査のために約1年間、上海で暮らしました。
そのときにホームステイを受け入れてくれた夫妻を、阿古さんは今も「上海の父と母」と呼んでいます。
中学で実母を亡くした阿古さんにとって、20代の多感な時期に毎日のように悩みや愚痴を聞いてくれた上海の母の存在は、相当に大きかったはずです。
上海の母はまるで実の娘のように接してくれ、上海の父はというと、2人が賑やかに話しているのを横目に本を読み、静かに微笑んでいたのだそうです。
この情景、なんとも言えずいいですよね。
そして調査を終えて日本へ帰るとき、上海の母から言われた言葉が「いつ帰ってきてもいい」「勝手に鍵を開けて入ってきなさい」でした。
阿古さんは今でもその鍵を持っていて、上海に行くたびにこの家に帰り、寝泊まりして、母の作った温かい食事を食べているといいます。
……20年以上、鍵を持ち続けているんです。
正直、これを読んだときは目頭が熱くなりました。
阿古智子さんの家族は、血縁で区切られた3人だけではなく、上海の家族まで含めた広がりを持っているということです。
東京と北海道に分かれた家族の暮らし方
現在の阿古智子さん一家は、少し珍しい暮らし方をしています。
夫と息子さんは北海道を拠点にしていて、阿古さんは仕事のため東京で暮らしているという形です。
阿古さんの職場は東京大学の駒場キャンパスですから、日常的に北海道から通うのは現実的ではありません。
一般には「単身赴任」と表現されることも多い形態ですが、阿古さんの場合は少しニュアンスが違うようにも見えます。
というのも、この家族はもともと国境をまたいで離れて暮らすことに慣れているからです。
過去には夫が中国へ単身赴任し、阿古さん自身も上海に1年、香港に博士課程で数年と、離れて暮らす期間を何度も経験しています。
| 時期 | 家族の居場所 |
|---|---|
| 1998〜1999年 | 阿古さんが博士論文調査で上海に約1年滞在 |
| 〜2003年 | 香港大学の博士課程に在籍 |
| 息子の幼少期 | 夫が中国へ単身赴任、阿古さんは東京で子育て |
| 現在 | 阿古さんは東京、夫と息子は北海道 |
こうして並べてみると、この家族にとって「離れて暮らす」ことは非常事態ではなく、むしろ当たり前の状態だったことがわかります。
物理的な距離があっても関係が続くという前提を、家族全員が共有しているんでしょうね。
阿古智子さんの家族構成は、同じ屋根の下にいることを条件にしていない、という点がいちばんの特徴です。
家族構成に対する世間の反応
阿古智子さんはテレビやネットメディアで中国情勢について解説する機会が多く、そのたびに人となりへの関心も集まります。
家族構成についてネット上でよく見かけるのは、次のような反応です。
- 中国研究者なのに結婚式を中国の農村で挙げたと知って驚いた
- 東京と北海道に分かれて暮らしているのが意外だった
- 上海の父と母の話がいい話すぎて泣いた
- 中国人留学生に息子の送迎を頼んでいたエピソードが印象的
- 家族についてほとんど語らないのが逆に信頼できる
一方で、中国を専門にしているという理由だけで「中国出身なのでは」「国籍は本当に日本なのか」といった声が出ることもあります。
これについては後半で改めて整理しますが、阿古さんは大阪府生まれ・大阪育ちの日本人です。
家族構成をめぐる反応は、批判的なものより「そんな生き方があるのか」という驚きの声が中心になっています。
阿古智子の家族の構成を調べる人向けの関連情報
ここからは、阿古智子さんの家族構成を調べている方が続けて気にしがちなポイントをまとめておきますね。
国籍や学歴、東大教授になるまでの経歴など、人物像を掴むうえで役に立つ情報を並べていきます。
国籍は日本で大阪府の生まれ
阿古智子さんの国籍は日本です。
1971年5月28日に大阪府で生まれ、大阪で育った日本人で、ここに疑いの余地はありません。
それでも国籍が話題になるのは、専門が現代中国研究であることと、中国語を流暢に操ること、そして中国の農村で結婚式を挙げたといったエピソードが重なっているからでしょう。
中国について踏み込んだ発言をすれば、立場の異なる人から出自を疑われる。
これは中国研究者にわりと共通して起きることで、阿古さんに限った話ではありません。
大阪府立八尾高校という公立高校を卒業していることからも、幼少期から日本で育ってきたことがはっきりわかります。
高校は大阪府立八尾高等学校
阿古智子さんの出身高校は、大阪府立八尾高等学校です。
1990年に卒業しています。
八尾高校は大阪府八尾市にある伝統校で、府内でも歴史の長い進学校として知られています。
中学生のときに母を亡くしたあとの高校時代ということになりますが、その時期の詳しいエピソードは公表されていません。
ただ、この高校から大阪外国語大学の中国語学科へ進んでいるので、中国への関心は10代のうちに芽生えていたと考えるのが自然でしょう。
大学は大阪外国語大学の中国語学科
大学は大阪外国語大学 外国語学部 中国語学科で、1994年に卒業しています。
大阪外国語大学は2007年に大阪大学と統合され、現在は大阪大学外国語学部となっている大学です。
語学系の単科大学として全国的に評価が高く、中国語学科もその中核でした。
その後、1996年に名古屋大学大学院国際開発研究科で修士号を取得し、2003年には香港大学教育学系で博士号(Ph.D.)を取得しています。
学歴を並べると次のようになります。
| 年 | 学歴 |
|---|---|
| 1990年 | 大阪府立八尾高等学校 卒業 |
| 1994年 | 大阪外国語大学 外国語学部 中国語学科 卒業 |
| 1996年 | 名古屋大学大学院 国際開発研究科 修士課程 修了 |
| 2003年 | 香港大学 教育学系 博士課程修了(Ph.D.) |
日本の外大から名古屋大の大学院、そして香港大学で博士号という流れは、中国研究をやるうえでかなり実践的なルートです。
経歴は大使館の専門調査員から東大教授へ
阿古智子さんの経歴を時系列で追うと、研究一筋で階段を上がってきたことがよくわかります。
| 年 | 所属・役職 |
|---|---|
| 2001年 | 在中国日本国大使館 専門調査員 |
| 2003年 | 姫路獨協大学 助教授 |
| 2007年 | 学習院女子大学 准教授 |
| 2009年 | 早稲田大学 国際教養学部 准教授 |
| 2013年 | 東京大学大学院総合文化研究科 准教授 |
| 2020年 | 東京大学大学院総合文化研究科 教授 |
在中国日本国大使館の専門調査員として現地に入り、そこから大学教員のキャリアへ進んでいます。
2020年から東京大学大学院総合文化研究科の教授を務め、2022年から2023年にかけては現代中国学会の理事長も務めました。
2023年には、産経新聞社・フジサンケイグループが主催する第24回正論新風賞を受賞しています。
現場に足を運んで人の話を聞き続けるタイプの研究者で、その姿勢が家族のエピソードにもそのまま表れているように思います。
著書は貧者を喰らう国など中国社会を扱ったもの
阿古智子さんの著書として最もよく知られているのが、新潮選書から出ている『貧者を喰らう国―中国格差社会からの警告』です。
中国の農村部の貧困や格差、いわゆるエイズ村の問題などを、現地調査に基づいて描いた1冊で、増補新版も刊行されています。
ほかにも香港の民主化をめぐる状況を扱った書籍や、中国の教育・市民社会に関する編著・訳書があります。
文藝春秋には「ウイグルでの暴虐を許すな」(2023年1月)、「徹底討論 習近平と『ウイグル大虐殺』」(2021年7月)、「習近平が毛沢東になる日」(2019年11月)といった論考を寄稿してきました。
書いているテーマは硬派そのものですが、その根っこにあるのが上海の父母のような一人ひとりとの関わりだと知ると、読み方が少し変わってきますよね。
阿古智子の家族の構成のまとめ
- 阿古智子の家族構成は夫と息子を含めた3人
- 夫は三重県出身で、名前や職業は公表されていない一般男性
- 夫の実家がある三重県へ、休みや週末に足を運んで親族と交流している
- 結婚式は中国・陝西省楡林市の楊家溝村で挙げたとされる
- 結婚式の様子は2004年1月29日付の現地紙・西安晩報に掲載されたと伝えられる
- 息子は1人で、現在は成人し北海道を拠点に生活している
- 息子は元旦深夜から往復10時間の自転車旅で初日の出を見に行ったエピソードがある
- 息子が幼い頃、夫の中国単身赴任中に中国人留学生が保育園の送迎を手伝っていた
- 阿古智子は中学生のときに実の母親を病気で亡くしている
- 実の父親についての公表情報はほとんどない
- 1998〜1999年の上海滞在時のホームステイ先夫妻を「上海の父と母」と呼んでいる
- 上海の母から渡された家の鍵を今も持ち、上海へ行くたびに泊まっている
- 現在は夫と息子が北海道、阿古智子本人は仕事のため東京で暮らしている
- 国籍は日本で、1971年5月28日に大阪府で生まれ育った
- 大阪府立八尾高校から大阪外国語大学中国語学科へ進み、香港大学でPh.D.を取得している


