吉田豊さんの名前を最近あまり聞かないけれど、もう引退したのかなと気になって調べていませんか。
結論からいうと、2026年8月の時点で引退の発表はどこからも出ていません。
それどころか、51歳になった今も新潟の開催で手綱を取り続けています。では、なぜ引退という言葉が出てくるのか。きっかけのひとつは、あの相棒のラストランでした。
・吉田豊の引退が発表されていない根拠と、2026年の騎乗状況
・引退という言葉が検索される3つのきっかけ
・本人が語った調教師転身の意向と、JRAの試験結果
吉田豊の引退は2026年も発表されていない
吉田豊 引退で検索すると、もう鞍を降りたのかなという印象を受けますよね。
ですが調べてみると、本人からもJRAからも引退の発表は出ていません。ではなぜ引退という言葉が結びついたのか、順番に見ていきます。
引退の発表は2026年8月時点で出ていない
まず、いちばん知りたいところからお伝えします。
吉田豊さんが引退したという発表は、2026年8月の時点でどこにも出ていません。
JRAの騎手が現役を退くときは、必ず公式に発表が出ます。
引退式や最終騎乗が組まれることも多く、スポーツ紙が一斉に報じるのが通例です。
吉田豊さんについては、そうした報道が一本も見当たりません。
Wikipediaの経歴欄も1994年のデビューから現在まで途切れずに続いていて、引退という記述自体が存在しないんですよ。
競馬ラボ、netkeiba、楽天競馬、オッズパークといった主要な騎手データベースでも、所属は美浦のフリーのまま更新されています。
引退した騎手のページは通常「元騎手」や「調教師」に表記が切り替わりますが、吉田豊さんは現役の騎手として登録されたままです。
つまり、引退説の根拠になるような一次情報はひとつもない、というのが現状になります。
2026年も新潟や中山で騎乗を続けている
発表がないだけでなく、実際に乗り続けているという事実があります。
2026年8月2日の2回新潟4日目にも騎乗しており、この日は3鞍に乗っています。
年間の成績も残っています。
2026年はここまで6勝、勝率3.1パーセント、連対率7.2パーセント、複勝率13.4パーセントという数字です。
勝ち鞍の数だけ見ると全盛期からは落ちますが、これは50代のベテラン騎手としては珍しいことではありません。
若手や外国人騎手に有力馬が集まりやすくなった近年の中央競馬では、キャリアの長い騎手ほど騎乗数そのものが絞られていきます。
それでも毎週のように開催地に足を運び、レースに乗っているというのは、引退とは正反対の状態ですよね。
| 項目 | 2026年の状況 |
|---|---|
| 所属 | JRA美浦・フリー |
| 直近の騎乗 | 2026年8月2日 2回新潟4日目(3鞍) |
| 年間勝利数 | 6勝 |
| 勝率 | 3.1パーセント |
| 複勝率 | 13.4パーセント |
現役の騎手として毎開催で騎乗している以上、引退という言葉は今の吉田豊さんには当てはまりません。
引退説の出どころはパンサラッサのラストラン
では、なぜ引退という検索が生まれるのでしょうか。
ひとつめの理由として大きいのが、パンサラッサの引退だと考えられます。
パンサラッサは吉田豊さんが主戦として乗り続けた馬で、大逃げでレースを作るスタイルが競馬ファン以外にも知られていました。
その相棒が2023年11月26日のジャパンカップをラストランに引退しています。
このとき、引退という言葉と吉田豊さんの名前が同じ記事の中に何度も並びました。
東スポ競馬では、引退したパンサラッサの秘話を馬主の米山代表と吉田豊さんが語り尽くす、という記事も出ています。
Yahooニュースの平松さとしさんの記事でも、引退の発表されたパンサラッサについて吉田豊さんがラストランまでの思い出を振り返る、という形で見出しが組まれました。
見出しの中に吉田豊 引退という文字列が並んでいるわけです。
検索する側にとっては、この並びが記憶に残りやすいんですよ。
……相棒が引退したという記憶が、本人の引退という思い込みにすり替わってしまう。これは有名馬と強く結びついた騎手ほど起きやすい現象だと思います。
装鞍所で聞いた「ラストランになるかも」
ジャパンカップの当日、吉田豊さんは装鞍所で矢作芳人調教師から、ラストランになるかもしれないと聞かされていたそうです。
コンビを組んだのは2021年10月17日、東京競馬場のオクトーバーステークスでした。
パンサラッサにとっては17戦目です。
そこからドバイと沙漠の大レースを勝ち、最後は東京の芝2400メートルで一緒に走り終えました。
矢作調教師、吉田豊さん、パンサラッサという3者の関係が、あの日で一区切りついたことになります。
調教師転身を語った2025年のインタビュー
ふたつめの理由は、本人の発言です。
雑誌の競馬の天才の2025年1月号に、吉田豊さんのインタビューが載りました。
そこで調教師への転身について聞かれ、勉強はちょこちょこっとしている、大久保洋吉先生には相談しています、と答えているんです。
大久保洋吉さんは、吉田豊さんがデビューから2015年まで所属していた厩舎の調教師ですね。
その恩師からは、やるならキッチリやらなきゃダメだ、と助言を受けたと明かしています。
当時49歳だった吉田豊さんは、この年齢が調教師転身のラストチャンスだと考えていました。
もし調教師になれたら20年くらいはやってみたい、という言葉も残っています。
ここ、けっこう重い発言ですよね。
JRAの調教師には定年があるため、転身のタイミングが遅れるほど厩舎を持てる期間が短くなります。
だからこそ50歳前後がひとつの節目になるわけです。
この記事を紹介した個人ブログのタイトルが「吉田豊騎手が現役引退、調教師転身を表明」となっていたことも、誤解が広がった一因かもしれません。
実際に語られたのは転身を検討しているという意向であって、引退の表明ではありませんでした。
2026年度の調教師試験合格者に名前はない
では、その転身は実現したのでしょうか。
JRAは毎年12月に、新規調教師免許試験の合格者を発表しています。
2026年度の合格者は古賀大生さん、藤岡佑介さん、三樹祐輔さん、和田竜二さんの4名で、この中に吉田豊さんの名前はありません。
この試験、数字を見ると本当に狭き門です。
| 段階 | 人数 |
|---|---|
| 応募者 | 118名 |
| 一次試験合格 | 14名 |
| 二次試験合格 | 4名 |
118人が受けて最終的に通るのは4人ですから、現役のトップジョッキーでも何度も落ちるのが普通の世界なんですよ。
合格した藤岡佑介さんと和田竜二さんは現役騎手だったため、本人の申請で免許の始期を2026年3月1日にしています。
つまり、騎手が調教師試験に受かると、その時点で引退の日程が決まる仕組みになっています。
吉田豊さんの名前が合格者に入っていないということは、引退のスケジュールもまだ存在しないということです。
裏を返せば、本人が意向を持ち続けているなら今後の試験に挑戦する可能性は残っています。
そのときは合格の発表と同時に、騎手としての区切りも見えてくることになりますね。
頸椎骨折から2019年3月に復帰した過去
引退という言葉が結びつく3つめの理由が、大きな怪我の記憶です。
2017年12月10日、中山競馬場でビクトリーモーンから落馬し、頸椎骨折という重傷を負いました。
首の骨を折るというのは、騎手にとって最も重い部類の怪我です。
このときは長期の休養に入り、そのまま戻ってこられないのではないかと心配されました。
正直、この経緯を読むと当時のファンの気持ちが伝わってきます。
復帰までにかかった時間は1年3か月ほどでした。
2019年3月2日、中山競馬場で吉田豊さんはターフに戻ってきています。
この空白期間に情報が止まったままの人にとっては、あのとき辞めたのかなという記憶が残っていても不思議ではありません。
ちなみに大きな落馬はこれが初めてではなく、2003年6月には肋骨を4本折る落馬も経験しています。
このときはわずか1か月で復帰し、同じ年の8月にはフランスへ滞在騎乗に出かけました。
怪我をしても必ず戻ってくる。そういうキャリアの積み方をしてきた騎手なんですよね。
51歳で通算1286勝を積み上げたベテラン
年齢とキャリアも、引退が意識される理由のひとつでしょう。
吉田豊さんは1975年4月19日生まれの茨城県出身で、2026年で51歳になります。
159センチ、48キロという体格です。
JRA通算の成績は17746戦1286勝で、重賞48勝、GI級13勝という記録を持っています。
重賞の内訳は中央37勝、地方9勝、海外2勝です。
GI級の内訳は中央9勝、地方2勝、海外2勝になります。
2013年4月にはJRA通算1000勝を達成しました。
これは史上26人目の記録です。
これだけのキャリアがあると、いつ引退してもおかしくないと見られるのは自然なことかもしれません。
ただ、勝ち星の数え方には注意が必要です。
雑誌のインタビューではJRA通算1325勝と紹介されており、Wikipediaの1286勝とは数字がずれています。
集計の時点や、地方競馬と海外の勝利を含めるかどうかで変わるためだと考えられます。
どちらにしても1300勝前後という、関東を代表する数字であることに変わりはありません。
デビューは1994年3月6日の小倉
吉田豊さんのデビューは1994年3月です。
初騎乗は1994年3月6日の小倉2レース、そして同じ日の小倉5レースで初勝利を挙げています。
デビュー日に勝つ騎手はそう多くありません。
初年度は6勝でしたが、2年目の1995年には28勝を挙げ、関東のホープとして注目されるようになりました。
騎手を目指したきっかけは、競馬漫画の風のシルフィードだったそうです。
中学時代には器械体操をやっていて、その身体の使い方が騎乗にも活きたといわれています。
吉田豊の引退を調べる人向けの関連情報
ここからは、吉田豊さんについて一緒に検索されている話題をまとめます。
名馬とのコンビ、弟のこと、そして同姓同名の混同まで、引退の背景を知るうえで役立つ情報ばかりですよ。
GI13勝を支えたメジロドーベル
吉田豊さんの名前を全国区にしたのが、メジロドーベルです。
メジロドーベルとのコンビでGIを5勝しています。
1996年12月の阪神3歳牝馬ステークスが重賞初勝利で、翌1997年には優駿牝馬と秋華賞を制しました。
1998年と1999年にはエリザベス女王杯を連覇しています。
1997年には年間83勝を挙げて全国6位、関東では4位に入りました。
この頃から武豊さんと対比する形で、東のユタカと呼ばれるようになります。
GI級13勝の一覧はこちらです。
| 年 | レース | 馬名 |
|---|---|---|
| 1996 | 阪神3歳牝馬ステークス | メジロドーベル |
| 1997 | 優駿牝馬 | メジロドーベル |
| 1997 | 秋華賞 | メジロドーベル |
| 1998 | エリザベス女王杯 | メジロドーベル |
| 1998 | スプリンターズステークス | マイネルラヴ |
| 1999 | エリザベス女王杯 | メジロドーベル |
| 2002 | 優駿牝馬 | スマイルトゥモロー |
| 2004 | 阪神ジュベナイルフィリーズ | ショウナンパントル |
| 2008 | マイルチャンピオンシップ | ブルーメンブラット |
| 2010 | マイルCS南部杯 | オーロマイスター |
| 2022 | ドバイターフ | パンサラッサ |
| 2023 | サウジカップ | パンサラッサ |
1996年から2023年まで、27年にわたってGIを勝ち続けてきた騎手です。
反応の鈍い馬を走らせることに長ける、と評されてきた技術が、この長さを支えてきたのだと思います。
海外GIを制したパンサラッサとのコンビ
キャリアの後半に訪れた最大のハイライトが、パンサラッサとの日々でした。
2022年3月にドバイターフを制し、これが海外GI初勝利となりました。
吉田豊さんは当時46歳です。
そして翌2023年2月、サウジカップを勝ちます。
日本調教馬かつ日本人騎手として、サウジカップを初めて制した瞬間でした。
サウジカップは総賞金が世界最高峰のレースとして知られています。
デビューから30年目でその頂点に立ったわけです。
……40代半ばを過ぎてキャリア最高の勲章を取る。これは正直、痺れる話だと思いませんか。
頸椎を折って1年3か月休んだ騎手が、その数年後に世界の大レースを勝っているんですから。
引退が近いのではと言われる一方で、直近の代表的な仕事が海外GI2勝だという点は押さえておきたいところです。
弟の吉田隼人も美浦所属の騎手
吉田豊さんには、騎手の弟がいます。
1983年12月20日生まれの吉田隼人さんで、同じJRA美浦の所属です。
8つ違いの兄弟騎手ということになりますね。
隼人さんが騎手を目指したきっかけは、兄である豊さんの言葉でした。
オレより身体が柔らかいから騎手になるのに向いている、と勧められ、小学校5年生の頃から乗馬を習い始めたそうです。
吉田家はもともと競馬とは無縁の環境だったといいますから、豊さんが道を作ったことになります。
東スポ競馬では、隼人さんが久々に美浦トレセンへ登場し、兄の豊さんと恐らく初めての併せ馬を行ったことも記事になりました。
デビューから20年以上が経ってから、兄弟で初めて併せ馬をする。なんだかいいですよね。
兄弟そろって現役を続けている点も、引退の話とあわせて知っておきたいところです。
結婚や妻についての情報は非公表
吉田豊 騎手 結婚、吉田豊 騎手 妻という検索も多く見られます。
ただ、こちらは調べても確かな情報が出てきません。
結婚しているかどうか、配偶者がどんな方かについて、本人やJRAから公表されたものは確認できませんでした。
JRAの騎手は、家族の情報を積極的に公開しない方が大半です。
プロフィールに載るのは生年月日、出身地、所属、身長体重といった競馬に必要な項目に限られます。
まとめサイトや個人ブログには家族に関する記述もありますが、一次情報にたどり着けるものはありませんでした。
裏の取れていない話を事実として受け取らないほうがよさそうです。
騎乗予定を確認できる公式サイト
引退したかどうかを自分で確かめたいときは、騎乗予定を見るのがいちばん確実です。
今週どの馬に乗るかが表示されていれば、その時点で現役だと分かります。
| サイト | 確認できること |
|---|---|
| JRA公式 | 出馬表と騎手名 |
| netkeiba | プロフィールと年度別成績 |
| 競馬ラボ | 騎乗成績と直近の開催成績 |
| オッズパーク | 出走予定と成績まとめ |
いずれのデータベースでも、吉田豊さんは現役の騎手として掲載されています。
ネットの噂を追いかけるより、こうした公式のデータを見るほうが早いですよ。
同姓同名のサッカー選手との混同
最後に、意外と多い勘違いについて触れておきます。
吉田豊という名前で検索すると、サッカー選手の情報がかなり上位に出てきます。
Jリーグにも吉田豊という同姓同名の選手がいて、こちらは清水エスパルスなどでプレーしてきたディフェンダーです。
サッカー選手の移籍や契約満了のニュースを見て、騎手の吉田豊さんの話だと取り違えるケースもあるようです。
実際、Googleのサジェストでも吉田豊 サッカーが上位に並んでいます。
ほかにも音楽関係やお笑い関係で同じ名前の方がいるため、検索するときは吉田豊 騎手と入れるのが確実ですね。
引退という情報を目にしたときは、それが騎手の話なのかどうかをまず確認してみてください。
吉田豊の引退のまとめ
- 吉田豊の引退は2026年8月時点で発表されていない
- JRAからも本人からも引退に関する公式発表は出ていない
- 2026年8月2日の2回新潟4日目にも3鞍で騎乗している
- 2026年の成績は6勝、勝率3.1パーセント、複勝率13.4パーセント
- 所属はJRA美浦のフリーで、2015年3月から現在の形
- 引退が検索される理由のひとつは相棒パンサラッサの引退
- パンサラッサは2023年11月26日のジャパンカップがラストラン
- 雑誌の2025年1月号で調教師転身の意向を語っている
- 当時49歳で転身のラストチャンスと考えていたとされる
- 2026年度の調教師試験合格者4名に吉田豊の名前はない
- 2017年12月10日の落馬で頸椎を骨折し2019年3月に復帰した
- 1975年4月19日生まれの茨城県出身で2026年に51歳
- JRA通算17746戦1286勝、重賞48勝、GI級13勝の記録を持つ
- メジロドーベルでGI5勝、パンサラッサで海外GI2勝を挙げた
- 弟の吉田隼人も美浦所属の現役騎手である


