山口百恵さんの父親である久保茂さんは、医者という社会的地位を持ちながら愛人関係の中で百恵さんを生み、養育費も支払わなかった人物として知られています。
百恵さんがスターになると手のひらを返して金銭を要求し、最終的には手切れ金で縁を切るという壮絶な親子関係がありました。
この記事では、久保茂さんの人物像から百恵さんとの確執の全貌、韓国人説の真相、そして晩年の姿まで徹底的にまとめています。
・山口百恵の父親・久保茂が医者でありながら養育費を払わなかった理由
・百恵が手切れ金を渡して父親と絶縁した経緯と蒼い時の記述
・久保茂の晩年と韓国人説の真相
山口百恵の父親・久保茂の正体と壮絶な親子関係
山口百恵さんの父親である久保茂さんは、医者でありながら愛人関係の中で百恵さんを生み、養育費すら払わなかった人物です。
ここでは、久保茂さんの人物像から百恵さんとの壮絶な確執、そして晩年の姿までを詳しくお伝えしていきます。
久保茂は足利の病院に勤める医者だった
山口百恵さんの父親として知られる久保茂さんは、栃木県足利市の病院に勤務していた医師です。
当時の勤務先で看護師として働いていた山口正子さんと出会い、愛人関係を持つことになりました。
久保茂さんには正妻と子供がおり、正子さんとの関係はあくまで不倫という立場でした。
それにもかかわらず、正子さんのご両親に対しては「責任を持ってきちんとします」と約束していたそうです。
しかし、この約束が守られることはなく、正妻との離婚も一切しませんでした。
医師という高収入が見込める職業に就きながら、正子さんやその子供たちへの経済的支援はほぼゼロだったとされています。
ここが特に問題視されているポイントで、職業的な地位と実際の行動のギャップに多くの人が驚いています。
旧姓は山本茂で久保家に養子入り
久保茂さんの旧姓は山本茂といいます。
久保家に養子に入ったことで「久保茂」を名乗るようになりました。
父親は山本徳太郎さん、母親はイチさんで、雑誌「創」の1986年5月号での徹底調査によると、戸籍を江戸時代末期まで遡っても純粋な日本人であることが証明されています。
愛人の子として生まれた壮絶な生い立ち
山口百恵さんは1959年1月17日、東京都渋谷区恵比寿で生まれました。
5歳年下には妹の淑恵さんがおり、2人とも久保茂さんと山口正子さんの間に生まれた非嫡出子でした。
つまり、百恵さんも妹も「愛人の子」として生を受けたということになります。
幼い頃の百恵さんには、ある印象的な記憶が残っているそうです。
優しい父親が毎週日曜日に家に来てくれて、欲しいものを何でも買ってくれたこと。
一方で、父親と散歩をしていると、視線の鋭い「怖いおばさん」がこちらを睨みつけているという恐ろしい光景もあったのだとか。
この「怖いおばさん」というのは、久保茂さんの本妻であったと考えるのが自然でしょう。
幼い百恵さんにとっては、自分の母が愛人であることも、睨みつける女性が父の正妻であることも知る由もなく、ただただ怖い体験だったはずです。
日曜日だけ会いに来る父と「怖いおばさん」の記憶
自叙伝「蒼い時」には、久保茂さんが週に一度だけ姿を見せるという生活が描かれています。
百恵さんにとって父親は「日曜日にだけやってくる人」であり、それ以外の日は母と妹の3人だけで暮らしていました。
本妻と子供たちの元で暮らしながら、日曜日だけ愛人宅を訪れるという二重生活を送っていた久保茂さん。
幼い子供の目には「優しいお父さん」に映っていたかもしれませんが、大人の事情を知った後にはまったく違う印象になったことでしょう。
養育費ゼロで生活保護を受けた困窮生活
久保茂さんは百恵さんを戸籍上で認知こそしましたが、金銭的な援助はほとんどしなかったと伝えられています。
母親の山口正子さんは2人の娘を抱えながら、洋裁や内職で生計を立てようとしましたが、それだけではとても足りず、生活保護に頼らざるを得ない状況でした。
百恵さん自身も中学生の頃から新聞配達をして家計を支えていたそうです。
一部には「新聞配達は夏休みの間だけだった」という説もありますが、いずれにしても幼い頃から家族のために働いていたことは確かです。
さらに苦しかったのは、百恵さんの高校入学のとき。
入学金の工面に困った母・正子さんが久保茂さんに相談したところ、それすらも断られてしまったのだとか。
自分の正妻の子供にはしっかりお金をかけていたにもかかわらず、愛人の子である百恵さんたちには資金援助を一切しない。
この露骨な差別的対応に、正子さんはついに久保茂さんとの関係を終わらせる決心をしたとされています。
百恵が有名になると金をせびった父の行動
山口百恵さんは1972年にオーディション番組「スター誕生!」で準優勝し、翌年に歌手デビュー。
瞬く間に国民的アイドルとなりましたが、その成功が皮肉にも父親との関係を一層こじらせることになりました。
百恵さんがスターになるやいなや、それまで何の支援もしなかった久保茂さんが突如として行動を起こしたのです。
まず、週刊誌に百恵さんの「出生の秘密」を売り込みました。
さらに、百恵さんに無断で所属事務所のホリプロから借金をしたり、他の芸能事務所に百恵さんの移籍をちらつかせて移籍料を騙し取ったりと、次々と問題を引き起こしました。
養育権を取り戻そうと裁判まで起こしたというのですから、その身勝手さには言葉もありません。
百恵さんが最も援助を必要としていた幼少期には見向きもしなかったのに、大金を稼ぐようになった途端にすり寄ってくる。
「銭ゲバ」と評されるのも無理はない行動の数々でした。
週刊誌に戸籍謄本を売り込んだ事件
百恵さんが高校生だった頃、週刊誌に本人の戸籍抄本が掲載される事件が起きました。
これにより、百恵さんが非嫡出子であること、つまり愛人の子であることが世間に知られてしまいました。
百恵さん自身も、この報道ではじめて自分の出生の真実を知ったとされています。
戸籍謄本を取り寄せることができるのは本人か家族に限られているため、これを週刊誌に提供したのは久保茂さん以外には考えにくいと見られています。
「山口百恵はオレの子だ」と自慢したかったのかもしれませんが、思春期の娘にとってこれ以上の裏切りはなかったでしょう。
当時の百恵さんの心境について、所属事務所のホリプロは複雑な生い立ちを隠す方針をとっており、「両親は離婚している」という嘘を答えさせていたとのことです。
移籍をちらつかせて事務所を脅した
マイナビニュースの報道によると、久保茂さんは他の芸能事務所に百恵さんの移籍をちらつかせ、移籍料を騙し取るという悪質な行為も行っていました。
百恵さん本人の知らないところで父親が暗躍し、金銭をむしり取っていたわけです。
なお何百万ものお金を要求し続ける父親に対して、百恵さんは最終的に手切れ金を渡すことで決着をつけています。
手切れ金を渡して父親と完全に絶縁した経緯
度重なる父親の身勝手な行動に耐えかねた百恵さんは、ついに多額の手切れ金を渡して父親との縁を完全に断つ決断をしました。
手切れ金の具体的な金額は公表されていませんが、「何百万もの金を要求してくる父親」に対してまとまった額を支払ったとされています。
自叙伝「蒼い時」の中で、百恵さんはこのことについて次のように語っています。
「あの人の存在は消えたのではなく、自ら私の手で切った」「その事に対して私はいささかの後悔もしていない」。
ここに迷いは一切感じられません。
百恵さんはさらに、「私には、父はいない。一つの肉体としてのあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する」と記しています。
この一節は、父親に対する強烈な拒絶の意思を示す言葉として、今なお多くの人に知られています。
1980年に引退して芸能界を去ることで、「もう金づるにはならない」という意思表示にもなったのかもしれません。
韓国人説は完全なデマと証明されている
山口百恵さんの父親にまつわる噂として、「久保茂は韓国人ではないか」という説が一部で語られていた時期がありました。
しかし、この噂は完全なデマであることが証明されています。
信頼度の高い記事で定評のある雑誌「創」の1986年5月号が「山口百恵”韓国ルーツ説”の真相を追う」という特集記事を掲載しました。
この取材によると、久保茂さんの旧姓は山本茂で、その父は山本徳太郎さん、母はイチさん。
江戸時代末期まで戸籍を遡っても韓国とはまったく無関係であることが明らかになっています。
母親の山口正子さんについても同様に、純粋な日本人であることが丁寧な取材で確認されました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 噂の内容 | 久保茂は韓国系・朝鮮系の人物である |
| 真相 | 完全なデマ。江戸時代末期まで遡っても韓国と無関係 |
| 根拠 | 雑誌「創」1986年5月号の徹底調査 |
| デマの原因 | 百恵さんが横須賀市不入斗地区に居住+不入斗中学校に通学+父の仕事関連 |
では、なぜこんな噂が広まったのでしょうか。
百恵さんが小学2年生から中学生まで暮らしていた神奈川県横須賀市の鶴ヶ丘周辺には、在日韓国人・朝鮮人が多く住む不入斗(いりやまず)というエリアがありました。
百恵さんが通った横須賀市立不入斗中学校もこの地域にあり、さらに久保茂さんが仕事で朝鮮半島に行くことがあったことから、当時の雑誌が「父親は朝鮮系」と誤った情報を広めてしまったようです。
久保茂の晩年は老人ホームで孤独な最期
久保茂さんは現在、すでにこの世を去っているとされています。
具体的な死亡年月日は公表されていませんが、晩年は東京郊外の老人ホーム(高齢者施設)で過ごしていたと報じられています。
人付き合いもほとんどなく、施設でひっそりと暮らしていたのだとか。
一部の報道では、事実上の「孤独死」に近い状態だったとも言われています。
百恵さんから縁を切られたことに対して、最後まで怒りをあらわにしていたという話もありますが、真偽は定かではありません。
かつて愛人に子供を産ませながら養育費も払わず、娘が有名になれば金をむしり取ろうとした人物の最期としては、因果応報と言えるかもしれません。
とはいえ、施設で一人静かに生涯を終えたその姿には、どこか物悲しさも感じられます。
山口百恵の父親・久保茂を調べる人向けの関連情報
ここからは、山口百恵さんの父親・久保茂さんについて調べている方が一緒に気になるであろう関連情報をまとめました。
母親や妹の情報、自叙伝「蒼い時」の内容、そして現在の家族構成についてお伝えします。
母親・山口正子の生涯と51歳での死去
山口百恵さんの母親である山口正子さんは、元看護師で、久保茂さんの勤務先の病院で出会ったことがきっかけで関係を持つようになりました。
正子さんは久保茂さんとの間に百恵さんと妹の淑恵さんをもうけましたが、正式な結婚は叶いませんでした。
正妻のいる男性の愛人という立場に置かれながらも、2人の娘を女手一つで育て上げた正子さん。
洋裁や内職で生計を立て、足りない分は生活保護で補うという苦しい生活を送っていました。
百恵さんが芸能界で成功した後は、経済的にも楽になったはずですが、長年の苦労がたたったのか、1989年に51歳という若さで亡くなっています。
死因については公表されていません。
百恵さんの引退後、正子さんは妹の淑恵さんと一緒に百恵さん夫妻の自宅近くのマンションで暮らしていたそうです。
娘の近くで穏やかな晩年を過ごせたことがせめてもの救いだったのではないでしょうか。
なお、葬儀は創価学会の方式で執り行われましたが、百恵さん自身は10代のうちに脱会しているとのことです。
妹・山口淑恵の現在と海外留学後の暮らし
山口百恵さんには5歳年下の妹、山口淑恵(やまぐちよしえ)さんがいます。
淑恵さんも百恵さんと同じく久保茂さんの子供であり、非嫡出子として生まれました。
百恵さんが賞を受賞した際などにはテレビにも映ったことがあったのですが、「山口百恵の妹」ということで学校でいじめに遭ってしまったのだそうです。
これを知った百恵さんは、それ以降妹をメディアに出すことを一切やめました。
姉として妹を守ろうとした百恵さんの優しさが伝わってくるエピソードですよね。
その後、淑恵さんは海外に留学。
留学前はとても内気で口数が少ない性格だったそうですが、帰国後はまるで別人のように明るくハキハキとした人柄に変わっていたとか。
現在は一般の主婦として暮らしているとされ、海外で知り合った外国人男性と結婚した可能性も指摘されています。
百恵さんのもとにはよく遊びに来ているとのことで、姉妹の仲は今も良好のようです。
自叙伝「蒼い時」に綴られた父への憎しみ
山口百恵さんが1980年9月に出版した自叙伝「蒼い時」は、引退と結婚を前にした21歳の百恵さんが自らの半生を綴った作品です。
発売からわずか1か月で100万部を突破し、12月までに200万部を超える大ベストセラーとなりました。
この本の中で百恵さんは、出生の秘密、父親との確執、恋愛、三浦友和さんへの想いなどを赤裸々に語っています。
特に父親に対する記述は強烈です。
「母がなぜ、あの人を愛し、あらゆる状況と闘ってまで、あの人の子を身ごもったのか、私にはわからない」。
そして有名な一節、「私には、父はいない。一つの肉体としてのあの人が地球上に存在していたとしても、私はあの人の存在そのものを否定する」。
人気絶頂のアイドルがここまで激しい言葉で実の父親を否定するという内容に、当時の読者は大きな衝撃を受けました。
ただ、これまで見てきた久保茂さんの行動を知れば、百恵さんの怒りも十分に理解できるのではないでしょうか。
「蒼い時」は百恵さんにとって、芸能界に別れを告げるだけでなく、父親に対する最後のメッセージでもあったのかもしれません。
山口百恵の家族構成と三浦友和との結婚生活
最後に、山口百恵さんの現在の家族構成をまとめておきます。
百恵さんは1980年11月19日、21歳のときに俳優の三浦友和さん(当時28歳)と結婚しました。
2人の出会いは1974年5月、世田谷区の砧公園で行われた「グリコプリッツ」のCM撮影でした。
その後、映画やドラマで12作品以上も共演し、「ゴールデンコンビ」と呼ばれるほどの人気を博しました。
1979年10月のコンサートで「私の恋人は三浦友和さんです」と恋人宣言したことも大きな話題になりましたよね。
| 家族 | 名前 | 生年月日 | 職業 |
|---|---|---|---|
| 夫 | 三浦友和 | 1952年1月28日 | 俳優 |
| 長男 | 三浦祐太朗 | 1984年4月30日 | シンガーソングライター |
| 次男 | 三浦貴大 | 1985年11月10日 | 俳優 |
| 長男の妻 | 牧野由依 | ー | 声優・歌手 |
| 孫 | ー | 2022年3月生 | ー |
長男の祐太朗さんは2020年に声優・歌手の牧野由依さんと結婚し、2022年に女の子が誕生しています。
次男の貴大さんは俳優として映画やドラマに数多く出演し、活躍の場を広げています。
百恵さん自身は引退後、一切芸能界に復帰することなく主婦業に専念。
現在はキルト作家としても活動しており、2019年には約40年ぶりとなる著書「時間の花束」を出版して話題になりました。
壮絶な生い立ちを乗り越え、温かい家庭を築き上げた百恵さんの姿は、多くのファンの心を打ち続けています。
山口百恵の父親・久保茂のまとめ
- 山口百恵の父親の名前は久保茂で、旧姓は山本茂である
- 久保茂は足利の病院に勤務する医者だった
- 百恵の母・山口正子は看護師で、久保茂の愛人だった
- 久保茂には正妻と子供がおり、正子とは正式に結婚しなかった
- 百恵と5歳年下の妹・淑恵は非嫡出子として生まれた
- 久保茂は認知しただけで養育費をほとんど払わなかった
- 百恵の家庭は生活保護を受けるほど困窮していた
- 百恵がスターになると週刊誌に戸籍謄本を売り込んだ
- 所属事務所への借金や移籍料詐取など身勝手な行動を繰り返した
- 百恵は手切れ金を渡して父親と完全に絶縁した
- 自叙伝「蒼い時」で父の存在そのものを否定する言葉を残した
- 韓国人説は雑誌「創」の調査で完全なデマと証明されている
- 久保茂の晩年は老人ホームで孤独に過ごしたとされる
- 母・山口正子は1989年に51歳の若さで亡くなった
- 百恵は三浦友和と結婚し2人の息子に恵まれ、現在は幸せな家庭を築いている


