玉置浩二さんは現役ミュージシャンとして活躍しながら、プライベートでは4度の結婚と3度の離婚を経験してきた「恋多き男」としても有名です。
薬師丸ひろ子さんとの「誕生日パーティーでの離婚宣言」や、石原真理子さんとの11日での電撃結婚騒動など、その恋愛遍歴は常に世間を驚かせてきました。
この記事では、玉置浩二さんのすべての結婚歴を時系列で整理し、各妻との馴れ初め・離婚理由・現在まで、わかりやすくまとめました。
・玉置浩二の結婚歴(5人の妻との馴れ初めと離婚理由)
・子供がいない理由と無精子症公表の真相
・現在の妻・青田典子との再婚エピソードと幸せな結婚生活
玉置浩二の結婚歴と5人の妻たち一覧
玉置浩二さんの結婚歴はまさに波乱万丈。
薬師丸ひろ子さんや石原真理子さんなど錚々たる顔ぶれとの結婚と離婚を繰り返してきた軌跡を、時系列でまとめてご紹介します。
最初の嫁は一般女性〜石原真理子との不倫で離婚
玉置浩二さんの最初の結婚は1983年、当時25歳のときのことです。
お相手は同じ北海道出身の一般女性。
玉置さんがロックバンド「安全地帯」としてメジャーデビューした翌年のことで、デビュー前から付き合っていたいわゆる「糟糠の妻」だったと言われています。
日刊スポーツにも「83年に同郷の一般女性と結婚も、86年4月に離婚成立」という記録が残っています。
ところが、1983年はちょうど安全地帯の「ワインレッドの心」が大ヒットした年でもありました。
人気が爆発した玉置さんは、芸能界で次々と出会いを重ねていくことになります。
そして1985年、玉置さんと女優・石原真理子さんの不倫関係が発覚します。
石原さんはこの不倫について、なんと1985年2月13日に記者会見を開いて公の場で告白。
「奥さんがいたのは知っていました。でも、好きです。恋しています。小学校の時と同じように、無防備な恋をしています」と涙ながらに語り、大きな話題となりました。
当時の元妻の母親(玉置さんの義母)も「女優だか何だか知らないけど、とんでもない話。玉置に対しては、あきれ返って言葉もありません!」と怒りをあらわにしたと伝えられています。
不倫発覚から1年後の1986年4月、玉置さんと最初の妻は正式に離婚。
週刊誌には慰謝料として「当時としては破格の1億円」と報じられたという記録も残っており、離婚騒動の規模がいかに大きなものだったかがわかります。
なお、最初の妻との間に子供がいたかどうかは情報が錯綜していて、「娘が1人いる」という説もありますが、玉置さんが後に無精子症を公表していることもあり、真相は不明のままです。
以下に玉置浩二さんの結婚歴を一覧にまとめました。
| 回数 | 結婚相手 | 結婚期間 | 玉置の年齢(結婚年) |
|---|---|---|---|
| 1回目 | 一般女性(北海道出身) | 1983年〜1986年 | 25歳 |
| 2回目 | 薬師丸ひろ子(女優) | 1991年〜1998年 | 33歳 |
| 3回目 | 安藤さと子(キーボード奏者) | 1999年〜2007年 | 41歳 |
| 4回目(事実婚) | 石原真理子(元女優) | 2009年(約半年) | 51歳 |
| 5回目 | 青田典子(タレント・女優) | 2010年〜現在 | 52歳 |
薬師丸ひろ子との離婚理由と誕生日の別れ宣言
最初の妻と離婚した後、玉置浩二さんが次に選んだパートナーは、日本を代表する大女優・薬師丸ひろ子さんでした。
二人の出会いのきっかけは音楽です。
1987年に玉置さんが薬師丸ひろ子さんのシングル曲「胸の振子」を作曲したことから急接近し、その後交際に発展しました。
1988年ごろから熱愛が発覚し、半同棲状態だったとも報じられました。
そして1991年に、玉置さん(33歳)と薬師丸さん(27歳)はハワイのマウイ島で結婚式を挙げ、正式に夫婦となりました。
当時、玉置さんは「どんなことがあっても最後まで一緒にいたい」と溺愛ぶりを公言していたといいます。
ビッグカップルの誕生に世間も大注目したのですが、結婚生活は長くは続きませんでした。
1998年6月、薬師丸ひろ子さんの34歳の誕生日パーティーの場で、なんと玉置さんが「今日で(薬師丸)別れます。今まですごく楽しかった。長い間話し合って、生き方を別々にすることにしました。心はすごく通い合っていますし、これからも通じあうでしょう」と発言し、離婚を宣言。
薬師丸さんも「そういうことです。これから届け出を出します」と応じて、8年の結婚生活に幕を閉じました。
二人の間に子供はいません。
薬師丸さんは後のインタビューで「私は、実生活で母親になった経験がありませんから、固定観念がないぶん、母親役を自由に演じられるんです」と語っており、子供がいないことを認める形となっています。
義両親との不和とDV疑惑
離婚の原因については「円満離婚」が強調されましたが、実際にはいくつかの説が報じられています。
代表的なのが「薬師丸ひろ子さんの両親との不和」説です。
報道によると、玉置さんと薬師丸さんは6億円と言われる豪華新居で薬師丸さんの両親と同居生活をスタートさせましたが、玉置さんはいわゆる「マスオさん状態」に。
さらに玉置さんの仕事部屋が物置になってしまったという情報もあり、夫婦の別居はかなり早い段階から始まっていたとも伝えられています。
また、石原真理子さんが自伝で玉置さんからのDVを告白していたことから、「薬師丸さんに対しても同様のことがあったのでは」とも囁かれていますが、これはあくまで推測の域を出ません。
ただし、離婚から18年が経過した2016年には、薬師丸さんが玉置さんの楽曲「コール」をカバーしてコンサートで披露しており、「18年目の和解」として報じられています。
現在は良好な関係にあると見られています。
安藤さと子との馴れ初めと別れに至った真相
薬師丸ひろ子さんとの離婚からわずか1年後の1999年、玉置浩二さんは早くも3度目の結婚をしています。
お相手はキーボード奏者でシンガーソングライターの安藤さと子さんです。
二人が出会ったのは1995年のこと。
安藤さんが玉置浩二さんのツアーにキーボード奏者として参加したのがきっかけでした。
日刊スポーツ(2007年12月2日)には「2人は95年、玉置のツアーに安藤がキーボード奏者として参加したことがきっかけで知り合い、99年12月に結婚した」と掲載されています。
当時、玉置さんは41歳、安藤さんは42歳(玉置さんより1歳年上の姉さん女房)というカップルでした。
なお、安藤さんは薬師丸さんとの婚姻期間中の1995年からツアーに参加していたことから、「薬師丸さんとの離婚には安藤さんの存在が関係していたのでは?」と噂されることもあります。
結婚後の二人はメディアに手をつないで登場するなど、仲睦まじい様子を見せていました。
玉置さんは安藤さんのことを「一番の理解者」と語るなど、音楽でつながった夫婦として注目されていました。
また、結婚前の1999年6月には、玉置さんプロデュースによる安藤さんのファーストアルバム「A LITTLE SEED OF ONE BIG TREE」がリリースされており、二人の音楽的なつながりの深さがうかがえます。
しかし2007年12月、二人は離婚を発表。
玉置さんは自身の公式ホームページで「結婚してから8年の年月がたち、2人の生活スタイルが異なるようになりました。お互いに話し合い、仲良しでいるために選んだ道です」とコメントしました。
日刊スポーツの報道では「玉置の生活は常に音楽が一番で、安藤が玉置に対して夫を求めたことで、価値観の擦れ違いが生まれた」とも伝えられています。
音楽同士のカップルでも、お互いの音楽への向き合い方の違いが摩擦を生んだのかもしれませんね。
二人の間に子供はいませんでした。
石原真理子との不倫関係と事実婚から半年での破局
玉置浩二さんの4度目の「結婚」は、かつての不倫相手・石原真理子さんとの驚きの復縁結婚でした。
石原真理子さんとの関係は1980年代に遡ります。
1985年に玉置さんが既婚中にもかかわらず石原さんとの交際が発覚。
その後1986年に破局し、玉置さんは最初の妻とも離婚することになりました。
一方、2006年には石原さんが自伝「ふぞろいな秘密」を出版。
過去の交際中に玉置さんからDVを受け、腰椎骨折で救急搬送・1ヶ月半の入院を強いられたことを赤裸々に告白して大きな話題となりました。
骨折した箇所があと数センチずれていたら下半身不随になる可能性があったとも明かされています。
ところが2009年、玉置さんと石原さんは23年ぶりに再会を果たします。
スポーツ紙の報道によると「2月14日のバレンタインデーに23年ぶりに再会。それからわずか11日後に都内の区役所に婚姻届を提出した」という電撃展開でした。
しかしこの婚姻届、実際には受理されなかったとも報じられています。
石原さんが2003年にアメリカ人男性と結婚し翌年に離婚したはずが、その離婚手続きが完全には成立していなかったことが原因とされています。
二人はギリシャで挙式を行い「24時間一緒にいます」とラブラブぶりをアピールしていましたが、新婚旅行から帰国した2009年8月頃から関係が悪化。
同年秋には破局が報じられました。
破局の理由としては、休業状態だった玉置さんが音楽活動を再開したことで石原さんとの間にズレが生じたとも言われています。
破局後、石原さんはブログで「一方的別離」と題した記事を更新し、「話し合いが終わっていない状況で突然この事実を知り驚いた」と非難。
この顛末もまた大きな話題となりました。
青田典子との馴れ初めと20年後の電撃再婚
石原真理子さんとの事実婚が終わった2009年、玉置浩二さんは再びかつての交際相手に連絡を取りました。
その相手こそ、現在の妻・青田典子さんです。
青田典子さん(1967年10月7日生まれ、愛媛県松山市出身)はもともと「C.C.ガールズ」のメンバーとして活動していたタレント・女優。
「バブル青田」の愛称で知られるグラビアアイドルとしても人気を集めていました。
玉置さんと青田さんの出会いは、玉置さんが20歳頃の話。
青田さんは「サワコの朝」(2016年10月放送)で「20歳くらいの頃。六本木かどこかのお店で打ち合わせをしていた時に、真紫で、肩パッドが入ったステージのまんまの玉置さんが入ってきた」と出会いのエピソードを振り返っています。
「次にお会いした時は、道を歩いていたら『寒いだろ?』と私の手をとって、一緒に自分のポケットに入れてくれた」という青田さんのエピソードからも、当時の玉置さんの魅力が伝わってきます。
出会い以来、二人は交際に発展しましたが約半年で破局。
それから20年以上が過ぎた頃、玉置さんが「そういえば、青田典子さんはどうしているんだろうと思って、すごく会いたくなった」と突然連絡を取り、再会を果たしました。
再会した二人は、お互いのこれまでの経緯を朝まで語り合い、涙を流したといいます。
玉置さんは「夏だから結婚しよう」とプロポーズし、再会から7ヶ月後の2010年7月16日に二人は結婚しました。
周囲の猛反対と結婚後の幸せな日常
とはいえ、この結婚は周囲からかなり反対されたようです。
青田さんは2024年に出演した「徹子の部屋」で「当時、ほとんどの方に反対されて、なのでよく続いたなと」としみじみ振り返っています。
結婚後、青田さんはしばらく芸能活動を休止し、夫・玉置さんのサポートに徹しました。
玉置さんは腸が弱いことから、青田さんは腸内環境を考えた食事を365日3食作り続けているといい、「結婚当初は鏡を見る余裕もなかった」とも語っています。
それでも2024年時点では「とても幸せ」と笑顔で語る青田さんの姿があり、結婚生活は14年を超えて今も続いています。
玉置さんの多くの結婚歴の中でも、青田さんとの関係がダントツで長続きしていることは間違いありません。
子供がいない理由と無精子症の公表
玉置浩二さんはこれまでの5人の妻との間に子供がいません(最初の妻との間に娘がいるという情報もありますが、未確認)。
その主な理由として2012年に玉置さん自身が公表したのが「無精子症」という病気です。
無精子症とは、精液の中に精子がほとんどまたは全く含まれない状態のことで、自然妊娠が難しい状態を指します。
玉置さんはスポーツ報知のインタビューでこの事実を公表し、現在の妻・青田典子さんとの間に子供が産まれなかった理由として説明しました。
ただ、結婚当初は玉置さんも青田さんも子供を望んでいたといいます。
子供を望んでいた夫婦の葛藤
結婚直後の玉置さんは子供への希望を口にしていたとも伝えられています。
しかし無精子症という医学的な事実が判明し、自然妊娠の可能性がないことがわかった後、夫婦で話し合った結果「二人で過ごす時間を大切にしよう」という選択をしたようです。
現在は子供なしの夫婦として幸せな生活を送っており、青田さんも「とても幸せ」と語り続けています。
子供がいないからこそ、二人の時間を存分に楽しめているとも言えるかもしれませんね。
玉置浩二の結婚歴を調べる人向けの関連情報
結婚歴以外にも、玉置浩二さんについて気になる話題がたくさんあります。
闘病経験や音楽活動など、玉置さんの全貌に迫ってみましょう。
統合失調症の告白と1994年の入院から復活まで
実は玉置浩二さんは、結婚と離婚を繰り返していた時期に精神疾患を患っていたことも知られています。
玉置さんは2006年に出版した自伝「玉置浩二幸せになるために生まれてきたんだから」の中で、統合失調症を患っていたことを告白しました。
統合失調症は、脳のネットワークの働きが乱れることで幻聴・妄想・思考の混乱などが生じる精神疾患です。
玉置さんは幻聴や妄想の症状に苦しみながらも音楽活動を続けていましたが、1994年についに精神科に入院することになりました。
入院中は薬によって1日中眠らされるような状態だったといわれ、玉置さんは病院から脱走しようとするほど追い詰められていたといいます。
その後、北海道の実家で約6ヶ月間の療養期間を経て症状が落ち着き、2000年に芸能界に復帰。
力強い復活を遂げました。
代表曲の一つである「田園」(1994年)は、まさにこの統合失調症の苦しみと向き合っていた時期に生まれた楽曲で、明るく前向きな気持ちを表現したものとして知られています。
病気の経験が玉置さんの音楽に深みと感情を与えたとも言えるかもしれません。
現在、玉置さんは統合失調症の経験を率直に語ることで、同じ病気に悩む人たちやその家族に希望を与える存在ともなっています。
現在の活動と変わらぬ歌声への評価
玉置浩二さんは2025年現在も第一線で活躍を続けており、その歌声は「日本一」「日本の宝」とも称されています。
年末の「NHK紅白歌合戦」にも定期的に出場しており、圧倒的な歌唱力と表現力で毎年視聴者を魅了しています。
年齢を重ねるごとに増していく色気と深みは、まさに唯一無二の存在感。
ソロアーティストとして、また安全地帯のボーカルとして、精力的なコンサート活動を続けています。
現在の妻・青田典子さんのサポートのもと、心身ともに安定した状態でステージに立てていることも、今の玉置さんの充実した活動を支えているのかもしれませんね。
安全地帯ボーカルとして築いた輝かしい軌跡
玉置浩二さんがプライベートで波乱万丈な結婚歴を刻んでいた裏で、ロックバンド「安全地帯」のボーカルとしての活動は一貫して続いていました。
安全地帯は1973年に北海道旭川市で結成されたバンドで、1982年に「萠黄色のスナップ」でメジャーデビューしました。
その後「ワインレッドの心」(1983年)「恋の予感」「悲しみにさよなら」「熱視線」などのヒット曲を連発し、1980年代の日本の音楽シーンを席巻しました。
特に「ワインレッドの心」は1983年の大ヒット曲となり、日本レコード大賞などを受賞。
その後もコンスタントにヒット曲を生み出し、安全地帯は日本を代表するロックバンドとして確固たる地位を確立しています。
また、玉置さんのソロ活動でも「田園」「メロディー」などの楽曲が大きなヒットとなっています。
俳優としても「コーチ」「忠臣蔵1/47」などのテレビドラマに出演しており、歌だけでなく幅広い才能を持つアーティストとして知られています。
ドラマや映画などエンタメ全般で活躍しながら、40年以上にわたって音楽を届け続けてきた玉置浩二さん。
その軌跡は今も続いており、多くのファンが次の活動を楽しみにしています。
玉置浩二の結婚歴のまとめ
- 玉置浩二は1958年9月13日生まれ、北海道旭川市出身のシンガーソングライター・俳優
- ロックバンド「安全地帯」のボーカルとして1982年にメジャーデビュー
- 結婚歴は4回(事実婚の石原真理子を含めると5回)の波乱万丈な恋愛遍歴
- 最初の結婚は1983年、北海道出身の一般女性と25歳で結婚し1986年に離婚
- 離婚の原因は当時の石原真理子との不倫関係の発覚
- 2度目の妻は女優・薬師丸ひろ子(1991年〜1998年)でハワイのマウイ島で挙式
- 薬師丸ひろ子との離婚は誕生日パーティーでの「今日で別れます」発言が伝説的な場面として語り継がれている
- 3度目の妻はキーボード奏者・安藤さと子(1999年〜2007年)でツアーでの出会いがきっかけ
- 石原真理子との2009年の事実婚は婚姻届が受理されず半年で破局
- 現在の妻・青田典子さんとは20年以上ぶりに再会し2010年7月16日に結婚
- 青田典子さんとの結婚は周囲から猛反対されたが2024年で14年目を迎え今も幸せな日々が続く
- 歴代のすべての妻との間に子供はおらず2012年に無精子症を公表
- 1994年に統合失調症で精神科に入院し6ヶ月の療養後に2000年に芸能界に復帰した経験もある
- 「田園」「ワインレッドの心」「悲しみにさよなら」「恋の予感」など数多くの名曲を残している
- 年齢を重ねるごとに深みを増す歌声は「日本の宝」と称えられ今も第一線で活躍中