フジファブリックのボーカル・志村正彦さんが痩せていたことを心配していたファンは少なくありませんでした。
「主食はミンティア」という衝撃的な食生活と、過密スケジュールによる過労が重なり、29歳という若さでこの世を去った志村さん。
今回は、志村さんが痩せた理由や死因の真相、そして晩年のエピソードを詳しくまとめました。
・フジファブリック志村正彦が痩せた原因(偏食・過労・ストレス)
・死因「病名不詳」の真相と不整脈説の根拠
・最後の写真や家族情報、椎名林檎との噂など関連情報
フジファブリック・志村が痩せた理由と死因の真相
フジファブリックのボーカル・志村正彦さんが痩せていたことは、当時からファンの間で心配されていました。
ここでは、その原因や背景、そして29歳という若さで亡くなった死因の真相に迫ります。
激痩せの原因は偏食と「主食はミンティア」の食生活
フジファブリックの志村正彦さんが痩せていた最大の要因として挙げられるのが、極端な偏食と不規則な食生活です。
志村さんは生前、かなりの偏食家として知られていました。
特に有名なのが「主食はミンティア」という本人の発言で、これはファンの間でも広く知られたエピソードです。
ミンティアといえばタブレット菓子ですから、それを”主食”と言ってしまうあたり、相当食事に無頓着だったことがうかがえますよね。
実際の食事内容も健康的とは言い難いものでした。
食べるときはコンビニ弁当にコーラという組み合わせが多く、栄養バランスはほぼ考慮されていなかったようです。
さらに、志村さんは作曲に没頭するタイプで、制作中は食事を買いに行くこと自体が「集中力が切れる」と感じていたとされています。
つまり、曲作りに入ると食事そのものをとらなくなることもあったということです。
……正直、読んでいて心配になるレベルの食生活ですよね。
もともと志村さんは痩せ型の体型ではありましたが、こうした食生活が長期間続いたことで、栄養失調に近い状態が慢性化し、目に見えて痩せていったと考えられます。
過労とスランプが身体を蝕んだ2007年以降
志村正彦さんが痩せた背景には、偏食だけでなく2007年頃からの過酷なスケジュールと精神的なスランプも大きく関係しています。
2004年にメジャーデビューしたフジファブリックですが、2006年は新曲のリリースが一切ありませんでした。
この時期、志村さんは「曲ができないミュージシャンほど、世の中に必要ないものはない」と自分を激しく追い込んでいたといいます。
さらに、同じバンドメンバーがどんどん曲を書いてくるようになったことで、メインソングライターとしての自尊心も傷ついていたそうです。
2007年に入ると状況は一変し、シングルリリースが再開されます。
ROCK IN JAPAN FESTIVALやRISING SUN ROCK FESTIVAL、念願だったフジロック・フェスティバルへの出演も果たしました。
しかし、この”復活”がかえって身体を蝕むことになります。
夏フェスへの連続出演をこなしながら、同時にアルバム「TEENAGER」のレコーディングも進めるという超過密スケジュールが続いたのです。
精神的なスランプからの反動で一気に活動量が増えたことが、すでに栄養不足だった身体にとって致命的な負荷になっていたと言えるでしょう。
医者からの深刻な警告
この時期、志村さんは医者から直接こう言われたと伝えられています。
「いろんなこと考えないで、仕事も休まないと、何年後かに死んじゃうよ」
医療の専門家からここまではっきり言われるということは、当時の志村さんの身体がいかに危険な状態だったかがわかります。
しかし、志村さんはこの警告を受けてもなお、音楽活動のペースを落とすことはありませんでした。
電車に乗れなくなる病気の発症
2007年頃からは、電車に乗ることができなくなる症状も出ていました。
病名は公表されていませんが、過労とストレスによるパニック障害や自律神経失調症のような心身症だった可能性が指摘されています。
もともと志村さんは乗り物に弱い体質で、「電車や飛行機に乗ろうとすると気分が悪くなる」とインタビューで語っていましたが、2007年以降はそれがさらに悪化した形です。
移動手段が制限される中でも全国のライブやフェスに出演し続けていたわけですから、その負担は相当なものだったはずです。
難聴や視覚異常など体調不良のサイン
偏食と過労に加えて、志村正彦さんの身体からは複数の深刻な体調不良のサインが出ていました。
2007年頃から、難聴のような症状が出始めたと報じられています。
ミュージシャンにとって聴力の異常は致命的な問題ですが、志村さんはそれでも活動を続けました。
さらに、左右の目の見え方が違って見える視覚異常も出ていたといいます。
移動中の飛行機の中で気分が悪くなって倒れたこともあったそうです。
| 時期 | 症状 | 備考 |
|---|---|---|
| 2007年頃〜 | 難聴のような症状 | ミュージシャンとして深刻 |
| 2007年頃〜 | 左右の視覚異常 | 目の見え方が左右で異なる |
| 2007年頃〜 | 電車に乗れなくなる | パニック障害の可能性 |
| 時期不明 | 飛行機内で失神 | 移動中に倒れる |
これだけの症状が出ていたにもかかわらず、志村さんは活動を止めませんでした。
……今振り返ると、身体が限界だったことを示すサインはいくつも出ていたんですよね。
偏食による栄養失調、過密スケジュールによる過労、精神的ストレスが複合的に重なり、志村さんの身体は確実に蝕まれていたと考えられます。
死因は「病名不詳」と発表された経緯
2009年12月24日、志村正彦さんは29歳の若さでこの世を去りました。
前日の12月23日から連絡が取れなくなり、翌日になっても音信不通が続いたため、担当マネージャーが自宅を訪問。
そこで志村さんがパソコンの前で亡くなっているのが発見されたのです。
12月25日、フジファブリックの公式サイトから訃報が発表されました。
その際に添えられた死因に関する情報は「病名(死因)不詳」というものでした。
29歳の若者が突然亡くなり、しかも死因が「不詳」というのは、ファンにとって衝撃的だったことは想像に難くありません。
なお、同月にはライブにも出演しており、年末のCOUNTDOWN JAPANへの出演も予定されていました。
体調不良による辞退のアナウンスもなかったことから、少なくとも周囲には急な悪化を予想させるような兆候はなかったとみられています。
志村さんの法名は「釈響正」とされ、翌2010年1月21日にはお別れ会「志村會」が開催されました。
不整脈説が有力とされる根拠
公式には「病名不詳」とされている志村正彦さんの死因ですが、過労と栄養失調による致死性不整脈が最も有力な説として語られています。
この説の根拠の一つが、志村さんと親交が深かったメレンゲのクボケンジさんの発言です。
クボケンジさんは志村さんと同じマンションに住み、お互いを「メンバー以外で唯一の親友」と呼び合う間柄でした。
そのクボケンジさんが、志村さんの死後に「志村は不整脈だったんだよね」と語ったことが伝えられています。
不整脈、特に心室細動や心室頻拍といった致死性不整脈は、突然死の原因として知られています。
志村さんの状況を考えると、長期間の栄養失調でミネラルバランスが崩れ、それに過労と睡眠不足が重なった結果、心臓に致命的な不整脈が起きた可能性は十分にあり得ます。
パソコンの前で亡くなっていたという状況も、突然の心停止であれば説明がつきます。
公式な医学的診断ではないものの、志村さんの生活状況や発見時の状況を総合すると、致死性不整脈説が最も現実的な死因と考えられています。
自殺説・急性アルコール中毒説が否定された理由
志村正彦さんの突然の死に際しては、さまざまな憶測が飛び交いました。
特に広まったのが「自殺説」と「急性アルコール中毒説」の2つです。
自殺説の否定
29歳の若者が唐突にこの世を去ったことから、自殺の可能性を疑う声がありました。
しかし、この説はTRICERATOPSのボーカル・和田唱さんがブログで明確に否定しています。
和田さんは生前の志村さんと親交があり、その発言には一定の信頼性があります。
また、志村さんは亡くなる直前までライブに出演し、年末のフェス出演も予定されていたことから、将来の活動に意欲を持っていたことがうかがえます。
急性アルコール中毒説の否定
もう一つの説は、亡くなる前日にART-SCHOOLの飲み会に参加していたことから浮上した急性アルコール中毒説です。
しかし、この説もART-SCHOOLのボーカル・木下理樹さんの証言によって否定されました。
木下さんによれば、「志村さんはその飲み会ではほとんどお酒を飲んでいなかった」とのことです。
こうした関係者の証言から、自殺説と急性アルコール中毒説はいずれも否定され、やはり身体的な要因による突然死が最も有力とされています。
フジファブリック・志村が痩せたか調べる人向けの関連情報
ここからは、フジファブリック志村が痩せたことについて調べている方が気になりそうな関連情報をまとめています。
最後の写真に見る晩年の姿
志村正彦さんの「最後の写真」として広く知られているのは、2009年のツアー中に撮影されたライブ写真です。
特に2009年10月23日の新宿年金ホールでの公演写真が、公式にも使用される最後のライブ写真とされています。
この写真は2019年に発売されたグッズのポストカードにも採用されました。
長年のファンの中には、当時の志村さんの姿を見て「ガリガリに痩せていた」と違和感を覚えていた人も少なくありません。
一方で、2010年2月に「TONE」誌に掲載された写真を検証すると、著しく痩せているようには見えないという指摘もあります。
もともと痩せ型の体型だった志村さんですから、激痩せがいつ頃から顕著になったのかは判断が難しいところです。
ただし、偏食や過労の状況を考えると、晩年にかけて体重が落ちていた可能性は高いと考えられます。
家族構成と実家の志村商店
志村正彦さんは山梨県富士吉田市の出身で、父・清春さん、母・妙子さん、姉、正彦さん、妹の5人家族でした。
実家は「志村商店」という雑貨や食料品を扱う個人商店を営んでおり、地域に愛されるお店だったそうです。
現在、志村商店は閉店しています。
志村さんと音楽の出会いにも家族が関係しています。
父・清春さんが所有していたギターが実家の倉庫にあり、志村さんがそのギターをアンプにつないで音を出したのが、初めてのギター体験だったといいます。
……なんか、いいですよね、このエピソード。
母・妙子さんは、志村さんが上京する前に自炊ができるよう実家で料理を教えていたそうです。
ただ、結果的に志村さんは偏食家になってしまったわけですから、お母さんとしては複雑な気持ちだったかもしれません。
なお、志村さんの没後、富士吉田市では命日の12月24日前後にフジファブリックの代表曲「茜色の夕日」が行政防災無線のチャイムとして市内全域に流されています。
地元からこれほど愛されていたことが伝わるエピソードです。
椎名林檎との交際の噂と真相
志村正彦さんについて検索すると、必ずと言っていいほど出てくるのが椎名林檎さんとの交際の噂です。
結論から言うと、2人が実際に交際していたという確証はありません。
この噂の発端は、フジファブリックの2枚目のアルバム「FAB FOX」のスペシャルサンクス欄に椎名林檎さんの名前が記載されていたことにあります。
当時から2人がミュージシャン同士として交流があったことは確実ですが、それ以上の関係を裏付ける情報は出ていません。
5chなどの掲示板で噂が広まったものの、決定的な証拠がなかったため、いつしか立ち消えになっていきました。
ただし、志村さんが亡くなった年のCOUNTDOWN JAPAN 09/10に出演した東京事変は、椎名林檎さんをはじめメンバー全員が白黒の衣装に身を包んでステージに立ちました。
これは志村さんへの追悼の意を示したものだと言われており、友人として深い絆があったことがうかがえます。
最後の曲と名曲「若者のすべて」の誕生秘話
志村正彦さんが残した楽曲の中で、最も広く知られているのが2007年11月リリースの「若者のすべて」です。
この曲は、夏の終わりの花火が消えた後の寂しさや切なさを描いた作品で、近年もCMに使用されるなど幅広い世代に支持されています。
高校の音楽教科書にも採用されるほどの名曲となりました。
「若者のすべて」が生まれたのは、志村さんがスランプに苦しんでいた2007年のことでした。
曲が書けない苦しみの中で生まれたこの楽曲について、志村さん自身は「この曲を作ることができたことで救われた」と語っています。
……個人的にすごく胸に響く話です。
一方、志村さんが生前最後に制作に関わったアルバムが「MUSIC」です。
全10曲のうち8曲に志村さんの音源が使用されており、志村さんの死後に残りのメンバー3人(山内総一郎さん、金澤ダイスケさん、加藤慎一さん)が完成させました。
志村さんが残したデモ音源やボーカルトラックを活かして作られた、文字通り最後のアルバムです。
フジファブリックが2025年に活動休止した理由
志村正彦さんの死後もフジファブリックは活動を続け、山内総一郎さんがボーカルを引き継ぐ形で15年以上にわたり音楽を届けてきました。
しかし、2025年2月をもってバンドの活動休止が発表されました。
きっかけとなったのは、キーボードの金澤ダイスケさんからの脱退の申し出です。
2023年、12枚目のアルバム「PORTRAIT」の制作中に、金澤さんから「このアルバムにすべてを注ぎ込み、20周年イヤーを全力で駆け抜けた後、バンドを脱退したい」という意思が伝えられました。
「20年間でバンドに対してすべてを出し尽くした」という金澤さんの決意は固く、バンドとしての活動継続は困難という判断に至ったのです。
2025年2月6日のNHKホール公演がフジファブリックのラストライブとなりました。
志村の死後もバンドを続けた15年間
志村さんの急逝後、フジファブリックが活動を継続するかどうかは大きな議論を呼びました。
しかし、山内さん、金澤さん、加藤さんの3人は志村さんの音楽を受け継ぐ形でバンドを存続させ、2010年から2025年まで12枚のオリジナルアルバムと数多くのライブを行いました。
メンバーは志村さんとの日々を「かけがえのない宝物」と表現しています。
志村正彦さんが築いた音楽的遺産は、バンド活動休止後も多くのファンの心に生き続けています。
フジファブリック志村が痩せたことのまとめ
- 志村正彦はフジファブリックのボーカル・ギタリストで、1980年生まれ、山梨県富士吉田市出身
- 2009年12月24日に29歳の若さで死去、死因は「病名不詳」と公式発表された
- 痩せた最大の原因は極端な偏食で、「主食はミンティア」と本人が発言していた
- 食事はコンビニ弁当にコーラが中心で、作曲中は食事をとらないこともあった
- 2007年頃から夏フェスとレコーディングの過密スケジュールで過労状態に陥った
- 2006年のスランプで「曲ができないミュージシャンは必要ない」と自分を追い込んでいた
- 難聴、視覚異常、飛行機内での失神など複数の体調不良のサインが出ていた
- 医者から「仕事を休まないと何年後かに死ぬ」と警告されていた
- 死因として最も有力なのは過労と栄養失調による致死性不整脈とされている
- 親友のクボケンジが「志村は不整脈だった」と証言している
- 自殺説は和田唱(TRICERATOPS)がブログで否定した
- 急性アルコール中毒説は木下理樹(ART-SCHOOL)の証言で否定された
- 椎名林檎との交際の噂があったが確証はなく、ミュージシャン同士の友人関係だったとされる
- 実家は山梨県富士吉田市の「志村商店」で、父・清春、母・妙子、姉、妹の5人家族だった
- フジファブリックは志村の死後も活動を続けたが、2025年2月に活動休止した


