高塚光さんの現在、気になっている方は多いのではないでしょうか。
1990年代に「超能力サラリーマン」として注目され、半生が映画にまでなった人ですが、最近の姿はほとんど見かけませんよね。
調べてみると、1994年に自ら廃業を宣言したあとにも、意外な動きがいくつもありました。
・高塚光さんの現在の肩書きと活動内容
・映画化された半生と、廃業を宣言した1994年の出来事
・廃業後の会社経営や著書など、その後の歩み
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高塚光の現在の活動と歩み
高塚光さんの現在の姿と、そこに至るまでの歩みを時系列で見ていきましょう。
まずは今の肩書きから、順番に整理します。
現在は企画・プロデュース会社の代表
Wikipediaの記載によると、高塚光さんは現在、情報サービスの提供と広告代理店業務を行う企画・製造・プロデュース会社の代表取締役を務めているそうです。
同じ記載には、世界に一つしかない製品を多数開発し、特許を取得しているとも書かれています。
さらに、地球上のさまざまな問題を解決する事業を推進中とされています。
かつての「超能力サラリーマン」のイメージとは、ちょっと違う肩書きですよね。
ただし、会社名や具体的な製品名までは、確認できた範囲では示されていませんでした。
なお、これは2026年10月時点で確認できた記載です。
つまり、現在の高塚光さんは、ヒーリングの講演などを続けながら会社を率いる経営者として紹介されているということになります。
高塚光はどんな人?プロフィール
まずは基本のプロフィールを表にまとめます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 高塚 光(たかつか ひかる) |
| 別の表記 | 一時期は「タカツカ ヒカル」とカタカナで名乗っていた |
| 生年月日 | 1950年(昭和25年)6月26日 |
| 出身 | 山口県の笠戸島 |
| 学歴 | 法政大学卒業 |
| 主な経歴 | 広告代理店の東急エージェンシーに勤務し、ヒーリング能力者として注目された |
卒業後は多くの職業を転々としたあと、東急エージェンシーに入社したそうです。
ヒーリングを広めた人物として、『現代用語の基礎知識』に紹介されたとも伝えられています。
会社員でありながら超能力者として知られたことから、「超能力サラリーマン」と呼ばれるようになりました。
ヒーリングを始めたきっかけは1989年
高塚光さんがヒーリングを始めたのは、1989年(平成元年)のことだとされています。
実のお母さんの心臓が破裂した状態から回復したという体験が、きっかけになったそうです。
その後、社内報や雑誌で「ヒーリング能力者」として紹介されると、会いたいという人が殺到しました。
会社の同意を得て私設事務所「ジュピター」を開きましたが、面会が増えすぎて本業に支障が出てしまいます。
そこで、非常勤の嘱託社員という働き方に切り替えたとのことです。
1994年当時は、面会者が1日平均13人、多いときは60人にのぼったとされています。
ここまで来ると、普通の会社員の生活とは言えないですよね……。
1990年には歌手デビューも
1990年には、事務所のアシスタントだった女性が「YUMIKO」として超能力歌手デビューしました。
デビュー曲は『スプーンの曲がったイブ』です。
1994年に映画『超能力者 未知への旅人』が公開
1994年(平成6年)、高塚光さんの半生をモデルにした映画『超能力者 未知への旅人』が東映系で公開されました。
この映画では三浦友和さんが高塚さんの役を演じ、高塚さん本人も一部に出演しています。
同じ年の8月に開かれた講演には、約500人が集まったそうです。
映画が公開された1994年は、高塚さんにとって注目度がもっとも高かった年と言ってよさそうです。
ところが、この年の終わりに状況は大きく変わります。
同じ1994年に廃業を宣言した経緯
1994年10月、高塚光さんは雑誌『噂の眞相』に手記「“超能力”総懺悔」を寄せました。
Wikipediaの記載によると、この手記の中で自らを「インチキ超能力者」と称し、謝罪したとされています。
さらに同年11月、日本テレビの『スーパースペシャル』に生出演し、超能力者としての廃業を宣言しました。
映画公開から数か月での出来事なので、当時はかなり驚かれたのではないでしょうか。
ただし、廃業を宣言したあとも、無償でのヒーリングと講演は続けたと伝えられています。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1994年 | 映画『超能力者 未知への旅人』が東映系で公開 |
| 1994年10月 | 『噂の眞相』に手記「“超能力”総懺悔」を寄せる |
| 1994年11月 | 日本テレビの番組に生出演し、廃業を宣言 |
廃業宣言のあとも、完全に表舞台を離れたわけではなかったというのが、その後の動きからわかります。
2000年代はインターネット事業にも挑戦
廃業宣言のあと、高塚光さんは意外な分野に進みます。
2000年(平成12年)、インターネット向けの番組を制作する会社「ナビードットコム」の設立に協力しました。
2001年(平成13年)には、新庄剛志さんのアメリカ挑戦を応援するため、新庄さんの愛車のインターネットオークションを開催しています。
同じ年に、同社の社長にも就任しました。
しかし2002年(平成14年)7月、事業の継続を断念して会社を清算したとされています。
2006年には、ペ・ヨンジュンさんのセコムのCM出演にあたって仲介役を務めたと報じられました。
ヒーリングの世界だけでなく、ビジネスの場でも名前が出ていたのが分かりますね。
高塚光の現在を調べる人向けの関連情報
現在の活動とあわせてよく調べられている、著書や周囲の評価についてもまとめました。
ここまでの話の裏づけになる部分なので、気になる方はぜひ読んでみてください。
著書とDVDなど作品の一覧
高塚光さんは、1990年代から2010年代にかけて多くの本や映像作品を出しています。
| 年 | タイトル | 種類 |
|---|---|---|
| 1992年 | 『神様の肩コリ』(講談社) | 書籍 |
| 1992年 | 『神様になったサラリーマン』(東急エージェンシー出版事業部) | 書籍 |
| 1994年 | 『超能力サラリーマンタカツカヒカルの履歴書』ほか3冊 | 書籍 |
| 1995年 | 『未来からのシグナル』(毎日新聞社)ほか | 書籍 |
| 2010年 | 『誰でも簡単にできるセルフヒーリング入門 自己治癒』(飛鳥新社) | 書籍 |
| 2011年 | 『高塚光の「超」ヒーリングDVDブック』(マキノ出版) | 書籍・DVD |
| 2013年 | 『高塚光の「超ヒーリング講座」』 | DVD |
1994年には、ライフ・ケア・ミュージックのBGM集CDや、超気功術のビデオも出しています。
なお、2010年の著書はセルフヒーリング入門で、廃業宣言のあとも一貫してヒーリングを広める活動を続けていることが分かります。
ヒーリングの実績と批判的な見方
高塚光さんは、本人の語りとして、有名人にヒーリングを行ったと紹介されています。
面会した人は、平成31年までの31年間で7万人を超えたとされています。
一方で、予知能力やスプーン曲げができるという主張については、批判的な見方もあります。
物理学者の大槻義彦さんは超能力を認めず、効果はマッサージやリハビリ、暗示によるものと解釈しているそうです。
タレントの松尾貴史さんは、スプーン曲げは誰にでもできると指摘しています。
ヒーリングの効果は、科学的に確かめられたものではありません。
体調に不安がある場合は、まず医療機関に相談するのが安心です。
左目の失明と2011年以降の活動
Wikipediaの記載によると、高塚光さんは事故で左目を失明し、現在も回復していないとされています。
それでも活動は止まらず、2011年の東日本大震災をきっかけに、誰にでも備わるヒーリング能力を広める活動を続けているそうです。
2011年には、見るだけで奇跡が起きるとうたったDVDブックも刊行しました。
つまり、高塚光さんの現在は、会社経営とヒーリングの普及を並行して続けている状況と言えそうです。
高塚光の現在のまとめ
- 高塚光さんは1950年6月26日生まれ
- 出身は山口県の笠戸島
- 法政大学を卒業して東急エージェンシーに入社
- 1989年に母親の回復体験をきっかけにヒーリングを開始
- 私設事務所ジュピターを開き、後に嘱託社員となった
- 1990年にアシスタントがYUMIKOとして歌手デビュー
- 1994年に半生が映画『超能力者 未知への旅人』になった
- 映画では三浦友和さんが高塚さんを演じた
- 1994年10月に手記で謝罪したとされる
- 1994年11月に日本テレビの番組で廃業を宣言
- 2000年にナビードットコムの設立に協力した
- 2002年7月に同社を清算したとされる
- 2010年にセルフヒーリング入門を刊行
- 2011年の震災をきっかけに普及活動を続けている
- 現在は企画・製造・プロデュース会社の代表とされる

