日本を代表するソプラノ歌手だった佐藤しのぶさんに、娘がひとりいることをご存じでしょうか。
名前はかれんさんといい、芸能活動はしていないものの、母がテレビやラジオで何度もその存在を語ってきました。
実はクラシックではなくビジュアル系ロックが好きだったというから、ちょっと意外ですよね。
・佐藤しのぶの子供は娘ひとりで、名前がかれんであること
・母がラジオや徹子の部屋で語った娘の素顔とロック好きのエピソード
・夫・現田茂夫との馴れ初めや、死因が公表されていない理由
佐藤しのぶの娘・かれんはどんな人物か
日本を代表するソプラノ歌手として活躍した佐藤しのぶさんには、ひとりの娘がいます。
ここでは公表されている範囲で、その人物像と母娘の関係をたどっていきますね。
子供は一人娘で名前はかれん
まず結論からお伝えします。
佐藤しのぶさんの子供は娘がひとりだけで、名前はかれんさんです。
Wikipediaによれば、佐藤しのぶさんは指揮者の現田茂夫さんと結婚したあと、1991年に長女を出産しています。
息子がいるという情報は確認できず、公表されている子供は娘ひとりだけですね。
娘のかれんさんは芸能活動をしている人ではありません。
ただ、佐藤しのぶさん自身がテレビやインタビューで娘の話をたびたびしていたこと、そして後述するように母の没後に音楽の遺産を守る立場に立ったことから、名前と存在は広く知られるようになりました。
娘の生まれ年には情報の食い違いがある
ここ、調べていて少し引っかかった部分です。
Wikipediaは「1991年に長女を出産」と記していますが、芸能系メディアの記事では2014年1月の番組出演時に「娘は当時21歳」と紹介されていました。
単純に計算すると1992年生まれということになり、1年ぶんズレます。
出産が年末で数え方が変わったのか、番組で紹介された年齢のほうが概算だったのか、そこまでは分かりません。
情報源によって1年の差があるため、娘さんの正確な生年をここで断定することは避けておきますね。
母が徹子の部屋で語った娘の姿
佐藤しのぶさんが娘について語った場としてよく知られているのが、テレビ朝日系「徹子の部屋」です。
出演のたびに家庭の話題が出ていて、視聴者にとっては娘さんの成長を知る数少ない窓口になっていました。
芸能メディアの記事によると、1992年11月10日の放送では音楽出産の体験が語られたとされています。
音楽をかけながら出産に臨むという方法で、音楽が痛みから気を逸らし、感じ方をやわらげる効果があると言われているものです。
ソプラノ歌手らしいエピソードですよね。
そして時代が下って2014年1月16日の出演時には、当時21歳になっていた娘さんの話題が出ています。
このときは22年前の佐藤しのぶさん本人の映像と、成長した娘さんの姿がそっくりだということが話題になりました。
背の高さも母親譲りだったと伝えられています。
ただし、この年齢や容姿にまつわる話は一部のメディアだけが伝えているもので、複数のソースで裏が取れているわけではありません。
番組で娘の話が繰り返し語られたこと自体は確かですが、細部については情報の確度に差があると考えておくのが安全です。
好きな音楽はビジュアル系ロック
これ、知ったときに一番意外だったところです。
クラシック界の頂点にいた母のもとで育った娘さんですが、好きな音楽はクラシックではなくビジュアル系ロックでした。
FM大阪のクラシック番組「くらこれ!」に出演した際、佐藤しのぶさん本人が「クラシックじゃなくって、ビジュアル系ロックっていうのがお好きなんですよ」と語っています。
本人の口から出ている話なので、これは確かな情報ですね。
普通なら「なぜクラシックを聴かないの」と言いたくなりそうな場面です。
でも佐藤しのぶさんの反応はまったく逆でした。
価値観の多様性というのを認めなさいという信念を持っていたと語っており、娘の好みを否定するのではなく、そのまま受け止める側に立っています。
音楽のジャンルが違っても、音楽を好きになる気持ちそのものは同じだということなのかもしれません。
……なんか、いいですよね。
娘とロックライブで4時間立ち続けた母
前の話には続きがあります。
娘さんから「ママのクラシックも好きだけど、私の大好きなロックも見てよ」と言われた佐藤しのぶさんは、実際にライブへ足を運びました。
行き先は大阪のライブハウス・なんばハッチです。
そしてここが本題なのですが、ロックのライブには座席がありません。
佐藤しのぶさんは4時間立ちっ放しでライブに参加したと語っています。
ご本人いわく「若者の中で、1人なんか冷た~い視線に会いながら」という状況だったそうです。
想像するとちょっと笑ってしまいますよね。
オペラの舞台で何時間も歌い切る体力の持ち主でも、若者に混じって立ち続けるロックのライブは別種のしんどさがあったようです。
ちなみに娘さんは、母親がその場にいることに大笑いしていたとのこと。
娘の世界に自分から入っていこうとする姿勢が、この母娘の関係をよく表しているエピソードだと思います。
娘の誕生から始まった母の日コンサート
佐藤しのぶさんの活動の中で、娘さんの存在が最も大きく形になったのが母の日に贈るコンサートです。
このコンサートは娘さんの誕生をきっかけに始まり、20年以上続いたライフワークでした。
テーマは母への感謝と、命の尊さです。
きっかけになったのは出産そのものの体験でした。
佐藤しのぶさんは、母親の痛みを通して人間の命が与えられるということを、出産の夜に一晩じゅう考えていたと振り返っています。
それは感情を超えた衝撃で、歌手としてではなく人間として学んだ最大のことだった、という趣旨の言葉を残しています。
そして日本にいる限り、母の日にはこのコンサートを行うことをライフワークにすると決めました。
わが母の教え給いし歌という副題で毎年開催され、東京オペラシティコンサートホールやサントリーホールといった主要ホールで続けられています。
娘が生まれたその日の気持ちを、20年以上ステージで歌い続けた。
これ、なかなかできることじゃないですよね。
母が振り返った子育てと仕事の両立
公文のインタビューサイト「KUMON now!」で、佐藤しのぶさんは子育てについてかなり率直に語っています。
きれいごとではない部分が出ているので、ここは発言に沿って紹介しますね。
まず両立の難しさについて、1日24時間しかない中で、仕事と育児のバランスは常に悩みましたと語っています。
海外の歌劇場にも立つ生活ですから、物理的に家を空ける時間は相当なものだったはずです。
さらに娘さんが幼かったころの記憶として、深夜に突然高熱を出した娘を抱きしめながら救急車に乗ったことが何度もある、とも明かしています。
これは……読んでいて胸が痛くなる話です。
そして娘さんが大人になってからの関係については、印象がガラリと変わります。
今、娘とは人生の先輩後輩として色々な話ができて楽しいと語り、さらに娘のほうがむしろ人間として自分よりずっと大人だと思うことさえある、とも述べています。
親子というより、対等な人間同士として向き合っていた様子が伝わってきますよね。
同じように働きながら子育てをする人へのメッセージとして、お子さまを愛して大いに悩んでほしい、その思いはきっと伝わるから、という言葉も残しています。
悩みを消す方法ではなく、悩んでいいと伝えるところに、この人の子育て観が出ていると感じます。
母の歌声を守るアートガーデンの代表へ
佐藤しのぶさんが2019年に亡くなったあと、その音楽をどう残すかという役割を担ったのが娘のかれんさんでした。
芸能メディアの報道によると、かれんさんは株式会社佐藤しのぶアートガーデンの代表として、母が残した映像や歌声の管理にあたっています。
同社は2015年に設立されたとされ、佐藤しのぶさんの存命中から活動の受け皿になっていたようです。
具体的な活動としては、公式のYouTubeチャンネルが開設され、過去の歌唱映像が公開されています。
歌手の映像は権利関係が複雑で、遺族が動かなければそのまま眠ってしまうことも多いものです。
聴きたい人が今も聴ける状態が保たれているのは、こうした管理があってこそですよね。
もうひとつ、佐藤しのぶ・永遠のディーヴァ展という展覧会も開かれています。
東京・南青山のスペースで、佐藤しのぶさんが実際に舞台で着た豪華な衣装と映像が公開されました。
歌を聴くだけでは分からない、舞台に立つ人の身体の記憶みたいなものが伝わる企画だったのだろうと思います。
ロックが好きで、クラシックの道には進まなかった娘さんが、結果として母の音楽をいちばん近くで守る立場になりました。
ジャンルは受け継がなくても、母の仕事に対する敬意はしっかり受け継がれたということなのでしょうね。
佐藤しのぶの娘を調べる人向けの関連情報
娘さんについて調べていると、どうしても気になってくるのが夫や最期に関する話題です。
ここからは合わせて検索されることの多い情報をまとめておきますね。
夫は指揮者の現田茂夫
佐藤しのぶさんの夫は、指揮者の現田茂夫さんです。
日本経済新聞の訃報記事でも、喪主として夫で指揮者の現田茂夫さん(本名・佐藤茂夫さん)と記されています。
つまり結婚後の戸籍上の姓は佐藤さんで、現田茂夫は指揮者としての名前ということになりますね。
経歴を簡単に整理しておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 職業 | 指揮者 |
| 学んだ場所 | 東京音楽大学、東京芸術大学で指揮法を学ぶ |
| 受賞 | 1985年に安宅賞を受賞 |
| 家族 | 妻は佐藤しのぶ(2019年死去)、娘がひとり |
クラシック音楽の世界では、歌手と指揮者はステージ上で最も密に呼吸を合わせる関係です。
そのふたりが夫婦だったというのは、業界の中でもよく知られた話でした。
現田茂夫との馴れ初めはトスカでの共演
ふたりの出会いは仕事の現場でした。
佐藤しのぶさんがオペラ「トスカ」に出演した際、現田茂夫さんがアシスタント指揮者を務めていたことがきっかけです。
Wikipediaにもトスカで指揮助手を務めていた夫と知り合い結婚したと記載されており、ここは複数の情報源で一致しています。
そこから先の展開が、なかなかのスピードでした。
芸能メディアの記事によれば、公演の打ち上げの花見で親しくなり、初デートのときに現田さんからプロポーズされたとのこと。
そしてデートからわずか4か月で結婚に至ったと伝えられています。
結婚は1987年で、佐藤しのぶさんが紅白歌合戦に初出演した年と同じですね。
初デートでプロポーズって、なかなか思い切りがすごいです。
ちなみに現田さんは亥年で猪突猛進なタイプだと紹介されていました。
この馴れ初めの細部については伝えているメディアが限られるため、そこは念頭に置いておいてください。
死因は本人の意思で公表されていない
娘さんについて調べる人が同時に検索している話題として最も多いのが、死因です。
先に結論をお伝えします。
佐藤しのぶさんの死因は、本人の意思により公表されていません。
Wikipediaにも死因は本人の意思により公表されていないと明記されており、日本経済新聞の訃報記事でも具体的な病名には一切触れられていません。
つまり病名を特定して報じたメディアは存在しないということです。
ネット上には憶測を書いた記事も見られますが、どれも公式に確認されたものではありません。
亡くなったのは2019年9月29日、東京都内で、61歳でした。
死去が発表されたのは4日後の10月3日です。
本人が公表しないと決めたことを外から推し量るのは、やはり違うのだろうと思います。
この記事でも死因について踏み込んだ推測は行いません。
体調不良で中止になった最後のステージ
死去の直前には、公演の中止という形で異変が表に出ていました。
時系列を整理してみますね。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2019年9月24日 | 体調不良のため今後のコンサート出演取りやめを発表 |
| 2019年9月29日 | 東京都内で死去(61歳) |
| 2019年10月3日 | 死去が公表される |
| 2019年11月11日 | 帝国ホテルでお別れの会 |
9月24日の発表では、医師から一定期間の治療が必要と判断されたとして、2020年1月までの出演を取りやめると説明されていました。
ここで注目したいのは一定期間の治療という言い方です。
治療のあとに復帰する前提の文面で、少なくとも公にはそう説明されていました。
ところがその発表からわずか5日後に亡くなっており、結果として直前まで立っていた舞台が最後のステージになってしまいました。
これは……関係者もファンも、心の準備ができるような時間ではなかったはずです。
お別れの会で夫が読んだ最後のラブレター
最後に、お別れの会の様子をお伝えします。
2019年11月11日午前11時から、東京・帝国ホテルでお別れの会が開かれました。
祭壇は白とピンクの花で飾られ、遺影が置かれていたと参列者が記録しています。
会場では佐藤しのぶさんの歌声が流れ、写真の展示室も設けられていたそうです。
そして喪主である現田茂夫さんが、参列者への感謝を述べたあとにこう切り出しました。
しのぶちゃんに書いた、最後のラブレターを読ませていただきます
その手紙の中で現田さんは、しのぶちゃんはいつも真面目で努力家だった、そんな姿を見ながら僕は怠惰な自分を恥じていた、と語ったと伝えられています。
30年以上をともに音楽の現場で過ごした相手への言葉が、賛辞ではなく自分への恥じらいから始まっているところに、ぐっとくるものがあります。
指揮者と歌手という関係で出会い、夫婦として歩んだふたりの最後が、手紙を読み上げる形で締めくくられたわけですね。
娘のかれんさんにとっても、母を送るその場に立ち会った日でした。
佐藤しのぶの娘のまとめ
- 佐藤しのぶの子供は一人娘で、名前はかれん
- Wikipediaでは1991年に長女を出産と記載
- 一部メディアでは2014年時点で娘が21歳とされ、生年に1年の食い違いがある
- 娘は芸能活動をしておらず、公表されている情報は限られる
- 徹子の部屋では母が娘の話をたびたび語っていた
- 1992年放送回では音楽出産の体験が語られたとされる
- 2014年の出演時には母娘がそっくりだと話題になった
- 娘の好きな音楽はクラシックではなくビジュアル系ロック
- 母は価値観の多様性を認める姿勢で娘の好みを受け止めていた
- 娘に誘われ、なんばハッチのロックライブに4時間立ち通しで参加
- 母の日に贈るコンサートは娘の誕生をきっかけに始まったライフワーク
- 母は仕事と育児の両立に常に悩んだと率直に語っていた
- 大人になった娘とは人生の先輩後輩として話せる関係だったという
- 没後は娘が佐藤しのぶアートガーデン代表として映像や歌声を管理
- 夫は指揮者の現田茂夫で、出会いはオペラのトスカでの共演


