山田五十鈴の遺産は約6億円?帝国ホテル22年の生活と相続の行方

山田五十鈴の遺産は約6億円?帝国ホテル22年の生活と相続の行方

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昭和を代表する大女優・山田五十鈴さんの遺産はいくらだったのでしょうか。

一部推計では約6億3000万円の資産があったとも言われており、帝国ホテルを自宅代わりに使った約22年間の生活もその豊かな資産力を裏付けています。

この記事では遺産の推定額と相続の行方、娘・嵯峨三智子さんとの確執、養子会の豪華メンバーまで詳しく解説します。

この記事を読むとわかること
・山田五十鈴さんの遺産の推定額(約6億円)と相続の行方
・帝国ホテルを22年間の自宅にした理由と晩年の生活スタイル
・娘・嵯峨三智子さんとの確執、養子会メンバー、隠し子説の真相

山田五十鈴の遺産はいくら?晩年の帝国ホテル生活と資産

昭和を代表する大女優・山田五十鈴さんの遺産は公式には未公開ですが、一部推計では約6億円以上とも言われています。

帝国ホテルで約22年間暮らした晩年のスタイルからも、その資産規模が伺えます。

遺産の推定額・ホテルを選んだ理由・相続の行方まで、わかる範囲でくわしくまとめました。

遺産の推定額と70年間のキャリア

山田五十鈴さんの遺産額は、公式には一切公開されていません。

しかし、そのキャリアを振り返ると、いかに大きな資産が積み上げられてきたかが想像できます。

山田さんは1930年に日活太秦撮影所に入社した際、当時の幹部女優並みの月給100円という待遇を得ていました。

現代の価値に換算するとかなりの高額であり、デビュー直後から「スター扱い」だったことがわかります。

その後も映画・舞台・テレビの第一線で活躍し続け、出演した映画は250本以上。

溝口健二監督、黒澤明監督、成瀬巳喜男監督、小津安二郎監督といった日本映画史に名を刻む巨匠たちの作品に次々と出演し、数多くの映画賞・芸術賞を受賞しました。

1960年代以降は舞台女優としての道を歩み、帝国劇場を中心に活躍。

1993年には文化功労者、2000年には女優として初めての文化勲章を受章するなど、まさに昭和を代表する女優の地位を確立しました。

一部の試算では、帝国ホテルで約22年間(1980年頃〜2002年の脳梗塞発症まで)生活できたことを根拠に、約6億3000万円ほどの資産があったと推定する声もあります。

あくまで推計ですが、それだけの長期にわたってホテル暮らしを続けられたということは、それ相応の経済的な余裕があったことは確かです。

文化勲章クラスの大女優ともなれば、1本の出演料も一般の俳優とは桁違いです。

舞台俳優としてのキャリアでも、代表作の「香華」は上演回数800回以上を記録しており、長年にわたって安定した収入を得ていたことが伺えます。

帝国ホテルを自宅にした3つの理由

山田五十鈴さんが帝国ホテルの一室を自宅として使い始めたのは、1980年頃のことです。

それまで住んでいた京都の自宅を引き払い、東京・帝国ホテルへと移り住みました。

なぜホテル暮らしを選んだのか?山田さん自身が明かしていた理由は大きく3つあります。

理由詳細
セキュリティが万全独り暮らしの山田さんにとって、帝国ホテルの高いセキュリティは大きな安心材料
お手伝いさんが不要ハウスキーピングサービスがあるため、家事を頼む人を別途雇う必要なし
劇場に近い帝国ホテルは有楽町・日比谷エリアにあり、帝国劇場への移動が便利

山田さんはこのホテル生活を「定宿というよりは自宅であり、とても便利」と絶賛していたそうです。

独り暮らしの女性にとって、24時間スタッフがいて、セキュリティも万全で、家事もしなくていい環境というのは確かに理想的ですよね。

脳梗塞発症まで約22年間のホテル生活

1980年頃から始まったホテル生活は、2002年4月に脳梗塞で倒れるまで約22年間続きました。

帝国ホテルの一室で舞台の準備をし、本番に向かい、帰宅する──そんな生活スタイルを長年続けていたわけです。

2002年4月、山田さんは住まいとしていた帝国ホテルの一室で脳梗塞を発症。

その後は東京・稲城市の病院に入院し、最後まで公の場に姿を見せることなく、2012年7月9日に多臓器不全により95歳でこの世を去りました。

親交のあった俳優の松井誠さんによれば、2009年時点でも山田さんは「復帰を目指してリハビリに励んでいた」とのこと。

最後の最後まで女優であり続けようとした姿勢が、周囲を感動させました。

相続はだれが受けたのか

山田五十鈴さんの遺産を相続できる法定相続人は誰だったのか──これは非常に気になるポイントですが、公式な情報は発表されていません。

最も自然な相続人は娘の嵯峨三智子さんですが、嵯峨さんは山田さんより約20年も前の1992年に、タイ・バンコクでのくも膜下出血により57歳で先に亡くなっています。

しかも嵯峨さんは戸籍上の結婚を最後に離婚しており、子供もいなかったため、山田さんの直系の孫もいませんでした。

山田さん自身の4度の結婚歴(月田一郎さん、滝村和男さん、加藤嘉さん、下元勉さん)のうち、実子が確認されているのは嵯峨三智子さんだけです。

一部の報道では、山田さんの訃報記事に「親族はいない」という記述があったとも伝えられており、法定相続人がいない状態だった可能性があります。

法定相続人が存在しない場合、遺産は最終的に国庫に帰属するのが原則ですが、遺言書がある場合はその指定に従います。

山田さんが遺言書を残していたかどうかも公表されていないため、最終的な遺産の行方は謎のままです。

養子会のメンバーが「芸の母」として深く慕っていましたが、法的な養子縁組があったとは報じられていないため、養子会メンバーへの相続は難しかったと考えられます。

遺産に対する世間の声

山田五十鈴さんの遺産については、ネット上でもさまざまな声が上がっています。

「帝国ホテルで25年以上暮らせたなら、相当な資産があったはず」「遺産は誰が受け取ったの?」という疑問を持つファンは多く、「嵯峨三智子さんもお子さんがいなかったし、相続人がいないのでは」と心配する声もあります。

一方、山田さんの生き方を「女優一筋、お金よりも芸に生きた」と称える声も多く、「遺産がいくらあっても、あの女優魂は誰にも受け継げない」という感想も見られます。

市村正親さんが葬儀で「役者魂を教わった、私の芸の母が逝ってしまった」と語ったように、養子会のメンバーたちにとって山田さんの残したものはお金ではなく、その芸と精神でした。

帝国ホテルでの暮らしという「おひとりさま」な晩年のスタイルも、現代においては「老後の手本にしたい」「一人でも豊かに生きた」と評価する声があるのも事実です。

まとめ:女優一筋で築いた財産と女優魂

山田五十鈴さんの遺産に関するポイントをまとめます。

  • 遺産の正確な総額は非公開であり、現在も不明
  • 1930年のデビュー時から幹部女優並みの高報酬を得ていた
  • 70年以上のキャリアで映画250本以上に出演
  • 帝国ホテルで約22年間の生活を維持できるほどの資産を持っていた
  • 一部推計では約6億3000万円の資産があったとも言われている
  • 1980年頃から帝国ホテルを自宅代わりに使用
  • ホテルを選んだ理由はセキュリティ・お手伝い不要・劇場に近いという実用的な理由
  • 2002年4月に帝国ホテルの一室で脳梗塞を発症
  • 法定相続人候補の娘・嵯峨三智子さんは1992年に先に他界
  • 嵯峨三智子さんに子供はなく、法定相続人が存在しなかった可能性がある
  • 遺産の相続先は公式には発表されていない
  • 養子会の約20名がいたが法的な養子縁組ではなかった
  • 文化勲章・従三位受位など国家的な栄誉も数多く受けた
  • 死後も600名が参列した盛大な通夜が行われ、天皇陛下からの祭祀料も

山田五十鈴の遺産を調べる人が気になる関連情報

遺産と合わせて、山田五十鈴さんに関してよく検索される話題がいくつかあります。

娘との確執、芸能界の子供たちを集めた養子会、そして隠し子説まで、気になるトピックをまとめました。

娘・嵯峨三智子との確執と母娘の複雑な関係

山田五十鈴さんと娘の嵯峨三智子さんの確執は、戦後の芸能界でたびたびメディアを賑わせました。

二人の関係が複雑になった背景には、山田さんが18歳のときに月田一郎さんとの間に嵯峨さんを出産し、その後離婚して嵯峨さんが月田家に引き取られたことがあります。

山田さんは親権裁判で敗訴し、娘を手元に置くことができませんでした。

さらに嵯峨さんが10歳のとき(1945年)、父・月田さんもメチルアルコール中毒で急死し、父方の祖父母のもとで育てられることになりました。

こうした生い立ちから、嵯峨さんは「母に捨てられた」という思いを抱いていたと伝えられています。

1952年、嵯峨さんが東映に入社し「嵯峨美智子」としてデビューしたことで、母娘は十数年ぶりの再会を果たしました。

しかし、その再会の場で嵯峨さんは母のことを「お母さん」ではなく「山田さん」と呼びました。

親の七光りとして見られることを嫌う意思表示でもあり、長年の確執の表れでもありました。

一方、母娘関係は断絶一辺倒でもなく、1954年の映画『唐人お吉』では初の母子共演を実現させ、同年には「親和プロダクション」を共同設立する場面もありました。

晩年には互いを「あんた」と呼び合うようになっていたとも伝えられており、反目しながらも深いところで繋がりを保っていたようです。

嵯峨さんはその後、岡田眞澄さんとの婚約解消や、恋人・森美樹さんのガス中毒死(26歳)など不幸が重なり、やがて金銭トラブルや薬物中毒で失踪を繰り返すように。

晩年は岡山でクラブのママをしていたとも言われています。

1992年の夏、嵯峨さんはタイのバンコクを観光中にくも膜下出血で倒れ、8月19日に57歳で急逝。

山田さんは当時、舞台の稽古中でしたが「舞台を放りだすことはできません、それが私の宿命です」と女優魂を見せ、娘の死に目には立ち会えませんでした。

その後の1999年に演劇コラムニストの石井啓夫さんが「山田五十鈴さんとちゃんこ鍋を囲む会」での様子を記しています。

芸談の最中に山田さんが「女優は結婚したら、やはりダメね」とぽつりと言い、おちょこを口に運ぶ表情がふとかげったように見えたそうです。

瑳峨との長年の確執がよぎったのかもしれませんが、続けてすぐ「ちゃんこ鍋というのはね、親(ちゃん)が子(こ)に食べさせるからちゃんこって言うのよ」と教えてくれたというエピソードが印象的です。

養子会メンバーの豪華な顔ぶれ

山田五十鈴さんには、芸能界の後輩たちで構成された「養子会」という集まりがありました。

娘の嵯峨三智子さんを亡くした後、心の支えになっていたのが、山田さんを「芸能界の母」として慕う俳優・女優たちです。

養子会メンバー(一部)
市村正親(俳優)
西郷輝彦(俳優・歌手)
榎木孝明(俳優)
十朱幸代(女優)
萬田久子(女優)

メンバーは約20名にのぼり、山田さんを「おっかさん」「母上」と呼んで慕い、誕生日パーティーを企画するなど家族のような関係を築いていました。

山田さんがぬいぐるみをもらって無邪気に喜んでいたというエピソードも残っており、大女優でありながら愛嬌のある人柄が伝わってきます。

山田さんが2012年7月9日に亡くなった際、青山葬儀所で行われた通夜には養子会のメンバーをはじめとして約600名が参列しました。

棺の中には養子会から贈られたスカーフやひざかけなど、ゆかりの品々がおさめられ、祭壇には天皇陛下からの祭祀料も飾られました。

市村正親さんは「役者魂を教わった、私の芸の母が逝ってしまった」と言葉を詰まらせながら別れを惜しんだそうです。

豪華な養子会が存在したことは、山田五十鈴さんが生涯にわたって後輩たちから慕われ続けた証といえるでしょう。

実の娘との関係には苦悩があっても、芸能界での「母」としての存在感は誰も揺るがすことができませんでした。

太地喜和子との隠し子説の真相

山田五十鈴さんにまつわる芸能界の謎の一つが、女優・太地喜和子さんとの関係です。

太地喜和子さんは1943年生まれの個性派女優で、「さる事情から生後まもなく実母と別れ、養父母に育てられた」ことを高校時代に知ったと告白しています。

そして太地さんは「母親は山田五十鈴」と話したことが、一度や二度ではなかったそうです。

これが事実であれば、山田さんには嵯峨三智子さん以外にも隠し子がいたことになります。

1943年は山田さんが2番目の夫・滝村和男さんと離婚した年でもあり、年齢的には整合性があります。

山田さんは「男を食って大女優になった」と言われるほど恋愛遍歴が豊かな女性でしたから、まったくありえない話とも言い切れません。

しかし、この話が事実かどうかは証明されておらず、山田さんも太地さんも真相を明かさないまま亡くなりました。

太地喜和子さんは1992年10月に42歳でバスルームでの溺死という形で急逝しており、嵯峨三智子さんが亡くなったわずか2ヶ月後のことでした。

三人がほぼ同じ時期に相次いで亡くなったことで「秘密を抱えたまま逝ってしまった」と感じる人も多く、今もこの謎は芸能界ファンの間で語り継がれています。

お墓はどこ?大徳寺三玄院の戒名

山田五十鈴さんのお墓は、京都の大徳寺三玄院にあります。

大徳寺は京都市北区に位置する臨済宗大徳寺派の本山で、戦国時代の武将・織田信長や豊臣秀吉ゆかりの寺としても有名です。

その塔頭の一つである三玄院は静かな佇まいの境内を持ち、多くの著名人が眠る場所でもあります。

山田さんの戒名は「寳光院天猷玅津大姉(ほうこういんてんゆうみょうしんだいし)」といいます。

この戒名には「宝の光」「遥(はる)かな天を描く」「妙(たえ)なる潤い」などの意味が込められているとされ、大女優にふさわしい深みのある戒名です。

また、山田さんは生前から「身よりのない」自分のことを想い、京都に嵯峨三智子さんと一緒に入る墓を作っていたと伝えられています。

娘との関係には複雑なものがありましたが、最終的には同じ場所で眠ることを望んでいたのかもしれません。

2012年8月には従三位(じゅさんみ)の位階が贈られており、国家的な栄誉でも大女優としての功績が称えられました。

山田 五十鈴 遺産のまとめ

  • 山田五十鈴さんの遺産総額は非公開であり、正確な金額は不明
  • 1930年のデビュー時から幹部女優並みの月給100円という高待遇だった
  • 70年以上のキャリアで映画250本以上に出演し、莫大な収入を得た
  • 一部推計では約6億3000万円の資産があったとも言われる
  • 1980年頃から帝国ホテルを自宅代わりに使用し始めた
  • ホテルを選んだ主な理由はセキュリティ・家事不要・劇場に近いという3点
  • 「定宿ではなく自宅」として約22年間にわたってホテルで暮らした
  • 2002年4月に帝国ホテルで脳梗塞を発症し、以後公の場には姿を見せなかった
  • 法定相続人の候補だった娘・嵯峨三智子さんが1992年に先に他界
  • 嵯峨三智子さんには子供がなく、法定相続人が存在しなかった可能性がある
  • 遺産の相続先は現在も公式には発表されていない
  • 約20名からなる養子会が芸能界の「家族」だったが、法的な養子縁組ではなかった
  • 文化勲章・従三位・日本アカデミー賞協会栄誉賞など国家的な栄誉も多数受賞
  • 太地喜和子さんとの隠し子説があるが、真相は不明のまま
  • お墓は京都・大徳寺三玄院で、娘・嵯峨三智子さんとともに眠っているとされる

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