鈴木誠也の高校は二松学舎!高校通算43本塁打と甲子園に届かなかった3年間

鈴木誠也の高校は二松学舎!高校通算43本塁打と甲子園に届かなかった3年間

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鈴木誠也さんの出身高校はどこなのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。

MLBのシカゴ・カブスで活躍し、WBC 2026でも侍ジャパンに選出された鈴木誠也さんの原点は、東京都の二松学舎大学附属高校にありました。

この記事では、40校以上の誘いから二松学舎を選んだ理由、高校通算43本塁打の打撃力、投手として最速148キロを記録した実力、そして甲子園に届かなかった悔しさまで、高校時代のエピソードを詳しくまとめています。

この記事を読むとわかること
・鈴木誠也さんの出身高校と高校時代の野球エピソード
・甲子園に出場できなかった理由と恩師・市原監督との関係
・現在のMLBでの活躍やWBC 2026での侍ジャパン選出情報

鈴木誠也の高校時代と野球エピソード

鈴木誠也さんの高校時代は、投打二刀流で活躍した濃密な3年間でした。

出身校や甲子園への挑戦、恩師との出会いなど、プロへの土台を築いた高校時代のエピソードを詳しく紹介していきますね。

出身高校は二松学舎大学附属高校

鈴木誠也さんの出身高校は、東京都千代田区にある二松学舎大学附属高校です。

この高校は1948年に開校した私立の共学校で、硬式野球部が都内屈指の強豪として知られています。

偏差値は特別進学コースが55、進学コースが51となっていますが、鈴木誠也さんがどちらのコースに在籍していたかは公表されていません。

40校以上の誘いを断って二松学舎を選んだ理由

鈴木誠也さんは中学時代、荒川シニアのエースとして全国ベスト8に進出するなど大活躍していたこともあり、高校進学の際にはなんと40校以上の高校から誘いを受けていました。

都内だけでなく都外の強豪校からも声がかかっていたそうですよ。

甲子園出場の確率だけを考えるなら、もっと有力な高校を選ぶこともできたはずです。

しかし鈴木誠也さんが選んだのは、当時まだ長く甲子園から遠ざかっていた二松学舎大学附属高校でした。

小学生時代からの約束

実は鈴木誠也さんは、子供の頃から父親や当時所属していた野球チームの監督のつながりで、二松学舎大学附属高校の練習を頻繁に見学していたんです。

そこで市原勝人監督から「高校生になったらウチに来いよ」と声をかけられていたことが、鈴木誠也さんの中でずっと残っていたようですね。

進学相談の場で他にたくさんの誘いがあることを知っても、「いや、二松学舎です」とブレることはなかったといいます。

項目内容
高校名二松学舎大学附属高校
所在地東京都千代田区
設立1948年
偏差値51〜55(コースにより異なる)
野球部の実績都内屈指の強豪、2014年以降甲子園常連校に

この「ブレない」姿勢は、後のプロ野球人生やMLB挑戦にもつながる鈴木誠也さんの大きな特徴と言えるかもしれません。

高校時代の転機となったロサンゼルス遠征

鈴木誠也さんの高校時代は、入学当初こそ「遠くへ飛ばしたい」「速く球を投げたい」という欲求が前面に出ていたそうです。

恩師の市原勝人監督も「打つのも投げるのも走るのも粗かった。力任せ、強引なところが目立ちました」と振り返っています。

ただし市原監督は、その粗さを「消したくない長所」と捉えていたようですね。

ロサンゼルス遠征で変わった意識

転機が訪れたのは高校2年生の冬でした。

鈴木誠也さんはロサンゼルス遠征の代表メンバーに選出されたんです。

この遠征には北海道日本ハムファイターズの池田隆英さんや千葉ロッテマリーンズの佐々木千隼さんなど、後にプロで活躍する錚々たるメンバーが揃っていました。

レベルの高い選手たちと一緒に練習に取り組めたことが、鈴木誠也さんの中で大きな化学変化を起こしたようです。

この遠征を境に、学校生活や苦手な練習にも積極的に取り組むようになるなど、明らかに意識が変わっていきました。

恩師・市原監督との信頼関係

市原監督は鈴木誠也さんを指導するうえで、「とにかく本音で接するようにした」「信頼される大人になろうと考えた」と語っています。

「私は誠也を育てたとは思っていません。彼が勝手に育ったんです」という市原監督の言葉からは、選手の自主性を尊重しながら見守る指導スタイルが伝わってきますよね。

市原監督はまた「おまえの能力の高さはみんなが知っている。それよりも、野球に対する取り組み方をスカウトは見に来るんじゃないか」と鈴木誠也さんに伝えていたそうです。

この言葉もまた、技術だけでなく人間性を重視した指導の表れと言えるでしょう。

高校野球では投手として最速148キロを記録

鈴木誠也さんは高校では主にピッチャーとして活躍していました。

1年生の秋から主力投手としてマウンドに上がり、チームのエースとして3年間チームを牽引しています。

圧倒的な球速と身体能力

鈴木誠也さんが高校時代に記録した最速は148キロです。

高校生でこの球速を出せる投手はそう多くありませんよね。

さらに驚くべきは、50m走で最速5秒8を記録したという俊足の持ち主でもあったこと。

投げてよし、打ってよし、走ってよしの、まさに「野球の申し子」と呼べる存在でした。

プロ入り後、広島カープに入団1年目の神宮球場での試合で代走として出場した際、恩師の市原監督は「しっかりリードを取って何回もけん制球をもらい、いいスタートを切る誠也を見て、これならプロでやっていけるかもしれないと思いました」と振り返っています。

高校時代に培った総合的な身体能力が、プロの世界でもすぐに通用していたことがわかるエピソードですね。

市原監督が見た投手・鈴木誠也

市原監督は鈴木誠也さんの中学生時代から「すごくいい選手だ」と聞いていたそうです。

ただし「ピッチャーとしてよりも、野手としての魅力のほうが勝っているように見えた」とも語っています。

結果的にこの見立ては正しく、鈴木誠也さんは投手として高校時代に実績を残しながらも、長打力を買われて野手としてプロ入りすることになりました。

高校通算43本塁打の圧倒的な打撃力

鈴木誠也さんは投手だけでなく、打者としても高校通算43本塁打という素晴らしい記録を残しています。

高校通算43本塁打は都内の高校生としてはかなりハイレベルな数字ですよ。

エースで4番の二刀流

鈴木誠也さんは投手としてマウンドに上がりながら、打線でも中心を担っていました。

投打ともにチームの大黒柱という、まさに「エースで4番」の存在だったわけです。

この長打力はプロのスカウトの目にもしっかり留まっていました。

2012年のドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受けた際も、投手としてではなく野手としての評価でのプロ入りとなっています。

高校時代に培った投手経験で身につけた肩の強さは、プロ入り後の外野守備でも大きな武器になりました。

ゴールデングラブ賞を複数回受賞するほどの守備力は、投手と打者の両方を経験した高校時代の積み重ねがあってこそと言えるでしょう。

当時のプロからの評価

高校時代の鈴木誠也さんはプロが注目する選手にまで成長していました。

同級生には甲子園で春夏連覇を果たした大阪桐蔭の藤浪晋太郎さんや、花巻東のエースだった大谷翔平さんといったスターがいました。

全国的には無名だった鈴木誠也さんですが、その実力はずば抜けていたんです。

高校時代の主な記録数字
投手としての最速148キロ
高校通算本塁打43本
50m走ベスト5秒8
ドラフト指名2012年広島2位

春夏通じて甲子園出場はかなわず

鈴木誠也さんは高校3年間、投打の中心選手として全力を尽くしましたが、春夏通じて甲子園の土を踏むことはできませんでした。

ここ、気になるポイントですよね。

2度の準決勝敗退

2年生の夏も3年生の夏も、東東京大会の準決勝で敗れています。

あと1勝で甲子園という場所まで来ていただけに、その悔しさは相当なものだったはずです。

鈴木誠也さん自身も「甲子園は……だいぶ遠かったと思います」と振り返っています。

帝京を選ばなかった理由と後悔のない選択

鈴木誠也さんはかつて「当時、東京から甲子園に行ける確率が高かったのは帝京で、そこに行って甲子園に出てもおもしろくないと思ったんです」と語っています。

甲子園出場の確率より、自分が納得できる環境で野球をすることを選んだわけですね。

また「高校のときはたいした練習はしていなかったので、その分、プロに入ってからの練習量はとてつもなく増えたと思います」とも話しています。

恩師の市原監督は「甲子園に出られなかったことを本人が負い目に感じているかもしれませんが、それをバネにしたから今の誠也があるのでしょう」と語っていますよ。

後輩たちへの大きな影響

甲子園に出られなかった鈴木誠也さんですが、プロの世界で活躍する姿が後輩たちに強い影響を与えました。

鈴木誠也さんの2年後輩の選手たちは、2014年の夏に甲子園出場を果たしているんです。

市原監督は「彼らは誠也がプロ野球の一軍でプレーするのを見て『よし、俺たちも!』と思ったはずです」と語っています。

東東京大会の決勝戦で10回も苦杯をなめてきた二松学舎大学附属高校は、2014年以降、甲子園常連校となりました。

鈴木誠也さんが高校時代に蒔いた種が、後輩たちの甲子園出場という形で花開いたと言えるのではないでしょうか。

出身中学は荒川区立第九中学校

鈴木誠也さんの出身中学校は、東京都荒川区にある荒川区立第九中学校です。

中学時代はシニアリーグの「荒川シニア」に在籍しており、エースとしてプレーをしていました。

全国ベスト8の実力

荒川シニアでは中学生にして全国ベスト8を経験しています。

当時の荒川シニアは「歴代最強」と言われたメンバーが揃っていたそうですよ。

荒川シニアの事務局長を務めていた石墳成良さんは「打つ、投げる、走る、すべてにおいて周りの子より頭2つ、3つは抜きんでていました」と鈴木誠也さんを評しています。

リトル時代の短いマウンド距離では「体感で150キロくらい出ているんじゃないか」と評判になるほどの球速だったとのこと。

全国の強豪チームから練習試合の申し込みが殺到していたそうです。

学校の成績に苦労した中学時代

野球の実力は申し分なかった鈴木誠也さんですが、実は学校の成績に関しては苦労していたようです。

成績が悪かったことからエースナンバーを背負うことができなかったという話もあります。

学校の先生は手を焼いていたようですが、野球に対しては真面目で監督に口ごたえをすることはなかったそうですよ。

体も大きくあまり愛想のある子供ではなかったため、誤解されやすいタイプだったとのことです。

ただ、同期でキャプテンを務めた松村健さんは「やんちゃだけど不良ではなかった」と証言しています。

中学時代の経歴内容
出身中学荒川区立第九中学校
所属チーム荒川シニア
ポジションエース(投手)
主な実績全国ベスト8

鈴木誠也の高校を調べる人向けの関連情報

鈴木誠也さんの高校時代を調べていると、生い立ちやプロ入り後の活躍、現在の家族の情報なども気になってきますよね。

ここからは、鈴木誠也さんの実家や成績、プライベートなどの関連情報をまとめてお届けします。

荒川区町屋の実家と父の猛特訓

鈴木誠也さんは東京都荒川区町屋で生まれ育ちました。

家族構成は両親と妹の4人家族です。

父・宗人さんと喫茶店「MACHIYA」

父の鈴木宗人さんは、京成電鉄町屋駅のガード下で喫茶店「MACHIYA」を営んでいました。

宗人さん自身は中学時代に家庭の事情で野球を諦めざるを得なかった経験があり、「将来はプロ野球選手になる」という息子の夢は父の夢でもあったそうです。

10代で結婚しても「ちゃんと育てるために」と10年は懸命に働いて子供を我慢し、1994年に30歳で誕生した長男が誠也さんでした。

看板メニューの生姜焼きは、鈴木誠也さんの大好物だったとのこと。

学校から帰ってくると「ただいま! 生姜焼き作って!」と飛び込んでくるのが日常だったそうですよ。

「平成の星親子」と呼ばれた猛特訓

宗人さんは店の倉庫を改造して手製の打撃練習場を作り、鈴木誠也さんに猛特訓を施しました。

特注の細い鉄バットでゴルフボールを打つという独自のトレーニングを課し、鈴木誠也さんは百発百中で打ち返していたそうです。

この練習風景はテレビ番組でも取り上げられ、漫画「巨人の星」の星一徹・飛雄馬親子になぞらえて「平成の星親子」として紹介されました。

荒川区町屋は実際に「巨人の星」で星親子が暮らしていた街の設定でもあり、なんとも運命的ですよね。

壮絶な親子ゲンカは日常茶飯事で、父がビンタをすれば息子が負けじと喰らいつくという激しさだったといいます。

家計が苦しくなっても黙っていた鈴木誠也さん

京成線の耐震工事の影響で店の立ち退きを余儀なくされた時期には、家計が逼迫したこともありました。

宗人さんは「子供でも包み隠さず話す」という教育方針で、苦しい状況を子供たちに伝えたところ、それまでわがままだった鈴木誠也さんが一変します。

アンダーシャツがボロボロになっても黙って使い続け、母親を泣かせたというエピソードは、鈴木誠也さんの人間性をよく表していますね。

大学には進学せずドラフト2位でプロ入り

鈴木誠也さんは高校卒業後、大学には進学していません。

2012年のドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け、そのままプロの世界へ飛び込みました。

野手としてのプロ入り

高校では主に投手として活躍していた鈴木誠也さんですが、プロ入りは野手としてでした。

投手としても最速148キロを記録するほどの実力がありましたが、それ以上に長打力が評価されたんです。

高校通算43本塁打という打撃実績が、スカウトの目に留まった決め手だったと言えるでしょう。

1年目から2軍レギュラー

プロ入り1年目から2軍でレギュラーポジションをつかみ、2013年9月には早くも1軍デビューを飾っています。

そして入団3年目のセ・パ交流戦ではオリックスバファローズ戦で2試合連続のサヨナラ本塁打を記録しました。

NPBの1軍公式戦で同一打者の2試合連続サヨナラ本塁打は史上10人目で、21歳での達成は最年少記録です。

この時の緒方孝市監督(当時)が「神ってる」と発言したことがきっかけで、この言葉は2016年の流行語大賞にも選ばれました。

広島時代の主な受賞歴年度
ゴールデングラブ賞2016年、2017年、2019年、2020年
ベストナイン2016年〜2020年(5年連続)
首位打者2019年
最高出塁率2019年

MLBカブスでの通算成績と活躍

鈴木誠也さんは2021年にポスティング申請を行い、MLB移籍を表明しました。

2022年にシカゴ・カブスと5年総額約101億円という大型契約を結んでいます。

メジャーでも通用する打撃力

メジャーリーグ移籍後も鈴木誠也さんの打棒は健在です。

開幕戦でメジャー初ヒットを記録すると、MLBシーズンで20本塁打を達成しました。

この記録は松井秀喜さん、大谷翔平さんに次ぐ達成で、日本人右打者としては初の快挙となっています。

カブスでの立場

シカゴ・カブスではレギュラーの座を確保し、チームにとって欠かせない打者として活躍を続けています。

カブスの日本人トレーナーは「5年契約が大きかった。2〜3年で結果を出すことは簡単ではない」と語っており、長期契約のおかげでじっくりとメジャーの環境に適応できたことが好成績につながっているようですね。

恩師の市原監督も「長く野球を続けるためには、人間性は大事だと思います。グラウンドのことだけではなく、いろいろな部分を磨いてほしい」とエールを送っています。

WBC 2026で侍ジャパンに選出

鈴木誠也さんは2026年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で侍ジャパンのメンバーに選出されています。

日本代表としての経験は豊富で、これが4度目の国際大会出場となります。

過去の国際大会での実績

鈴木誠也さんは2017年の第4回WBC、2019年の第2回WBSCプレミア12、2021年の東京オリンピックにも日本代表として出場しています。

特にWBSCプレミア12では全試合4番で出場し、3試合連続本塁打に打率.444という驚異的な成績でチームの世界一に大きく貢献しました。

大会MVPとベストナインも獲得しています。

東京オリンピックでは金メダル獲得にも貢献していますよ。

国際大会の出場歴主な成績
第4回WBC(2017年)5試合出場、3位
第2回WBSCプレミア12(2019年)大会MVP、打率.444、3試合連続本塁打
東京オリンピック(2021年)金メダル
WBC 2026メンバー選出

打撃練習で大谷翔平を上回る衝撃

2026年2月28日、中日との侍ジャパンシリーズ2026名古屋の試合前に行われた打撃練習では、鈴木誠也さんが大谷翔平さんの前を打ち、23スイング中11本の柵越えを放ちました。

これは同じ組で打った大谷翔平さんの8本を上回る数字です。

左翼5階席に飛び込む一発を放つなど、その豪快な打撃にSNSでは驚きの声が相次ぎました。

WBC 2026本番での活躍にも大きな期待が寄せられていますね。

現在の年齢と妻・畠山愛理との結婚

鈴木誠也さんは1994年8月18日生まれで、2026年3月現在31歳です。

身長は180.3cm、血液型はA型となっています。

元新体操日本代表・畠山愛理さんとの結婚

鈴木誠也さんは2019年12月に、元新体操日本代表でスポーツキャスターの畠山愛理さんとの結婚を発表しました。

この結婚は大きな話題になりましたよね。

畠山愛理さんも1994年生まれの同い年で、2026年現在は31歳です。

2人の息子に恵まれた家庭

現在は3歳と1歳の2人の男の子のパパとしても奮闘中です。

畠山愛理さんはInstagramで家族との日常を発信しており、2025年6月には鈴木誠也さんと子どもたちの幸せあふれる親子ショットを公開して大きな反響を集めました。

MLBで戦うアスリートとしての顔と、子煩悩なパパとしての顔を持つ鈴木誠也さん。

荒川区町屋の下町で育ち、二松学舎大学附属高校で野球に打ち込み、プロを経てメジャーリーグという大舞台に立つ姿は、多くの人に夢と希望を与えていますね。

プロフィール内容
生年月日1994年8月18日
年齢31歳(2026年3月現在)
出身地東京都荒川区
身長180.3cm
血液型A型
畠山愛理(元新体操日本代表)
子供男の子2人(3歳、1歳)
所属シカゴ・カブス(MLB)

鈴木誠也の高校に関するまとめ

  • 出身高校は東京都の二松学舎大学附属高校(偏差値51〜55)
  • 40校以上の誘いを断り、小学生時代からの約束で二松学舎を選んだ
  • 高校時代は投手として最速148キロを記録した
  • 打者として高校通算43本塁打の長打力を誇った
  • 50m走5秒8の俊足も持ち合わせていた
  • 春夏通じて甲子園出場はかなわなかった
  • 2年夏・3年夏ともに東東京大会準決勝で敗退
  • 高校2年冬のロサンゼルス遠征で意識が大きく変化した
  • 恩師・市原勝人監督は「彼が勝手に育った」と評している
  • 出身中学は荒川区立第九中学校で、荒川シニアでは全国ベスト8
  • 荒川区町屋の実家で父・宗人さんから「平成の星親子」と呼ばれる猛特訓を受けた
  • 大学には進学せず2012年ドラフト2位で広島カープに入団
  • 2022年にシカゴ・カブスへ5年約101億円でMLB移籍
  • WBC 2026でも侍ジャパンメンバーに選出されている
  • 2019年に元新体操日本代表の畠山愛理さんと結婚し、2人の息子がいる

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