宮澤エマさんのお父さんって、実はとんでもない経歴の持ち主なんです。
アメリカ人外交官のクリストファー・ラフルアーさん、プリンストン大学卒業後に在日米国大使館首席公使や駐マレーシア大使を歴任したエリート中のエリートです。
この記事では、そんな父・ラフルアーさんのプロフィールから外交官キャリア、そして宮澤エマさんへの影響まで詳しくお伝えします。
・クリストファー・ラフルアーさんの学歴・プロフィールと外交官としての経歴
・在日米国大使館首席公使や駐マレーシア大使など要職の詳細
・宮澤エマさんの芸術的センスに影響した父と家族のエピソード
宮澤エマの父・クリストファー・ラフルアーとは
宮澤エマさんのお父さんといえば、アメリカ人の元外交官として知られていますよね。
いったいどんな人物で、どんな経歴を持っているのでしょうか。
プロフィールから外交官時代のキャリア、そして家族への影響まで詳しく紹介します。
父の基本プロフィールと出身
クリストファー・ジェームズ・ラフルアーさん。
1949年12月12日生まれのアメリカ人です。
名前の「ラフルアー(La Fleur)」はフランス語で「花」を意味する言葉。
宮澤エマさん自身もインタビューでこう語っています。
「英語にするとthe flower、”花”でして、父が1920年代にアメリカに移民したフランス系カナダ人の血筋なんです」
つまりラフルアーさんの祖先は1920年代にフランス系カナダ人としてアメリカへ渡った移民ということ。
ラフルアーさん自身はアメリカ国籍を持つアメリカ人ですが、ルーツをたどるとフランス系カナダ人の血が流れているんです。
ラフルアーという苗字の語源
「La Fleur」という苗字はフランス語の「la(定冠詞)+ fleur(花)」で「その花」「花」を意味します。
フランス語圏であるケベック州などのカナダ系フランス人が先祖のため、このようなフランス語由来の姓を持っているというわけです。
宮澤エマさんは日本の戸籍上は「宮澤エマ」ですが、本名はラフルアー宮澤エマ(Emma Miyazawa La Fleur)。
芸能界に入った当初は「ラフルアーさん」と呼ばれて新鮮だったとも語っており、後に「ラフルアー」を名前に入れることを選んだそうです。
名門2大学を卒業したエリート学歴
学歴もものすごいです。
まずアメリカのオハイオ州にあるオーバリン大学に進学しています。
オーバリン大学は1833年設立の歴史ある大学で、特に音楽教育の分野で全米屈指の名門校として知られています。
アメリカ国内でも芸術系の人材を多く輩出してきた大学です。
その後、さらに上を目指してプリンストン大学のウッドロー・ウィルソン・スクールへ進学しました。
プリンストン大学はアイビーリーグに属するアメリカ最高峰の大学の一つです。
ウッドロー・ウィルソン・スクールは公共政策と国際関係を専門に学べる学部で、政府や国際機関で活躍するエリートを育成することで知られています。
2つの名門大学で学んだ後、ラフルアーさんはアメリカ国務省でのキャリアをスタートさせることになります。
在日米国大使館首席公使など要職を歴任
外交官としてのキャリアが本当に輝かしいです。
1991年から1993年にかけては、米国国務省でベトナム・ラオス・カンボジア担当オフィスディレクターを務めました。
東南アジアの外交を担うという重要なポストです。
その後、1993年から1997年までは在台湾米国協会の副理事として台湾で活躍しています。
そして1997年から2001年には、日本でのキャリアの頂点ともいえる在日米国大使館首席公使に就任します。
首席公使といえば大使に次ぐナンバー2のポジション。
日米間の外交業務の最前線で活躍した時期です。
| 期間 | 役職 |
|---|---|
| 1991〜1993年 | 米国国務省 ベトナム・ラオス・カンボジア担当オフィスディレクター |
| 1993〜1997年 | 在台湾米国協会 副理事 |
| 1997〜2001年 | 在日米国大使館 首席公使 |
| 2001〜2003年 | 米国国務省 東アジア・太平洋地域担当首席次官補 |
| 2003〜2004年 | 米韓同盟協議チーム座長 |
2001年から2003年には米国国務省に戻り、東アジア・太平洋地域担当の首席次官補として活躍。
東アジア全体の外交政策の策定と実施に携わりました。
2003年から2004年には将来の日米・米韓同盟について協議するチームの座長を務めるなど、その活躍の幅は広かったです。
駐マレーシア大使も務めた外交官のキャリア
2004年から2007年にかけては、駐マレーシア米国大使に就任しています。
アメリカとマレーシアの関係強化に努めた期間です。
大使というのは国を代表する最高位の外交官。
ラフルアーさんは首席公使から大使へとキャリアを積み上げていったわけで、まさに外交官として最高峰のポジションに就いたことになります。
この時期にラフルアーさんがマレーシアを拠点にしていた一方、家族は日本に住んでいることも多く、宮澤エマさんが父との距離を感じながら成長した時期でもあったようです。
外交官という職業柄、家族と離れて暮らすことも多かったのではないかと感じますよね。
ただ宮澤エマさんは父について「雰囲気が柔らかで、言葉巧みに家族の調和を取っている人」と話しており、離れていても父の温かい存在感はしっかり感じていたようです。
JPモルガン証券副会長など外交後の活躍
外交官を退いた後も、ラフルアーさんの活躍は止まりませんでした。
2008年から2011年にはJPモルガン証券株式会社の副会長に就任し、政府関係・企業責任担当として活躍しています。
JPモルガンといえば世界最大級の金融機関の一つ。
そのような企業のトップに近いポジションにいたということは、外交官としての豊富な人脈と国際経験が高く評価された証といえます。
その後も在日米国商工会議所の特別アドバイザー、DTCCデータ・レポジトリージャパン株式会社の会長など、数多くの企業・団体でリーダーシップを発揮しています。
現在はモーリーン・アンド・マイク・マンスフィールド財団の副会長やLMアソシエイツの社長を務めており、外交官としての経験を活かした活動を続けています。
2019年に旭日中褒章を授与
2019年には、日米の交流促進への長年の貢献が評価され、日本政府から旭日中褒章を授与されました。
外国人に対して日本政府が贈るこの勲章を受章したことは、ラフルアーさんがいかに日米関係の発展に尽くしてきたかを物語っています。
長年の外交活動と民間での活躍が、日本でも高く評価された瞬間でした。
在日米国大使館の首席公使として日本に長く関わり、外交官退任後も日本で活動を続けてきたラフルアーさんにとって、この受章は特別な意味を持つものだったのではないでしょうか。
幼少期のエマへの教育と芸術的影響
宮澤エマさんは父について「雰囲気が柔らかで、言葉巧みに家族の調和を取っている人」と語っています。
また「父は音楽を愛し、祖母は市民劇団をやっていたそうで、そんな芸術的な部分を私は父方からもらったのかな」とも話していました。
外交官という職業柄、家族が日本とアメリカ、そしてマレーシアなど様々な国を行き来することも多かったようです。
宮澤エマさんが3歳の時に父の仕事の都合でアメリカへ渡ると、英語が全くできずに現地の子と3ヶ月間まったく会話できなかったという経験をしています。
帰国後には今度は日本語が出来なくなるという経験も。
こうした経験が、後のバイリンガル教育への思いにつながり、父と母は宮澤エマさんを聖心インターナショナルスクールへと進学させることを選んだそうです。
父方の祖母リディアと芸術への目覚め
芸術的な影響という点でもう一人触れておきたいのが、父方の祖母リディア・ラフルアーさんのことです。
リディアさんは1927年生まれで、若い頃からスターになる夢を持っていたとのこと。
その夢はかなわなかったものの、図書館に勤め、退職後には自ら市民劇団を立ち上げたほどの行動力のある女性でした。
宮澤エマさんは「初めて私にブロードウェーミュージカルを見せてくれたのもおばあちゃん」と語っており、リディアさんがエマさんを初めてブロードウェーに連れて行ったことが、後のミュージカル女優誕生に大きな影響を与えているといえます。
リディアさんは宮澤エマさんが2013年に初舞台に立った時にもアメリカからわざわざ来日して観劇してくれたそうです。
日本語が分からないにもかかわらず、エマさんの歌や演技を見て手放しで褒めてくれたとのこと。
「おちょやん」への出演が決まった時にも「これがしたかったのよね」と喜んでくれたリディアさんは、2020年に93歳で老衰のため亡くなっています。
父への世間の驚きと称賛の声
宮澤エマさんの父親がアメリカ人の元外交官だと知ったファンからは、驚きの声が多く上がっています。
「DAIGOと同レベルのすごさ」という言葉でネット上でも話題になったことがあります。
DAIGOさんが故・竹下登元首相の孫として知られているように、宮澤エマさんも祖父が元首相で父が元外交官というVIP一家であることが注目されているんです。
「父親も超エリートで祖父は総理大臣、どれだけすごい家族なんだ」「こんな家族環境で育ったのか、それは人格形成にも影響しそう」といったコメントが多く見られました。
またラフルアーさんが外交官時代に日本と東アジアの要職を多く担ったことから「日本にゆかりの深いアメリカ人外交官」として親しみを持って語られることも多いようです。
宮澤エマさん自身は芸能界に入った当初、「祖父の名前のおかげで出演できているのに、DAIGOさんみたいに面白く話せない」と悩んでいた時期もあったそう。
それだけ注目される家系の出身でありながら、本人は地道にミュージカル女優としてのキャリアを築いてきたんです。
宮澤エマの父を調べる人向けの関連情報
宮澤エマさんの父親について調べている方の多くが、同時に気になるのが祖父・母親・姉など他の家族のことではないでしょうか。
ここでは宮澤エマさんを取り巻くエリート一家と、その華麗な家系図について紹介します。
祖父は第78代総理大臣・宮沢喜一
母方の祖父は、第78代内閣総理大臣を務めた宮澤喜一さん。
1919年(大正8年)生まれで広島県の出身です。
東京帝国大学法学部を首席で卒業後、大蔵省に入省。
その後は政治家に転身し、外務大臣・蔵相など数々の大臣職を歴任しました。
1991年には72歳にして第78代内閣総理大臣に就任しています。
英語が堪能なことでも有名で、戦後の占領時代はGHQとの交渉役として大きな貢献をしたといいます。
サッカーファンでもあり、日韓ワールドカップの招致にも尽力しました。
宮澤さんとのエピソードも微笑ましいものが多く知られています。
宮澤エマさんが7歳の誕生日に「たまごっちが欲しい」と言うと、祖父は「今から買いに行こう」と言いだし、SPを引き連れて原宿のおもちゃ屋へ向かったという有名なエピソードがあります。
毎週日曜日には家族全員で夕飯を一緒に食べるのがルーティンで、祖父がNHKのニュースを見終わってから食卓に着き、みんなで大河ドラマを見るのが恒例だったとか。
トランプの神経衰弱でも遊んでもらったそうですが、姉が負けて泣いていても「負けて泣く子とは一緒に遊ばない」「泣けば良いと思うな」と孫にも容赦しない厳しい一面もあったそうです。
テストで92点を取っても「100点以外の点数なんてあるの?」と言われたというエピソードも残っています。
宮澤エマさんは高校時代にパレスチナ問題を学んだ際には、祖父から「生きた歴史」を直接教わる機会があったとも話していました。
宮澤喜一さんは2007年に87歳で逝去。
宮澤エマさんが18歳の時のことでした。
母親はCA出身の起業家
母親はラフルアー宮澤啓子さん。
1946年生まれで、宮澤喜一元首相の長女です。
学歴も申し分なく、偏差値79〜80ともいわれる慶應義塾大学法学部を卒業後、さらにアメリカのコロンビア大学ビジネススクールへ進学してMBA(経営学修士)を取得。
その後フランスへも留学するという徹底ぶりです。
帰国後はドイツのルフトハンザ航空でCAとして勤務し、後に広報部へ転身。
さらに外資系化粧品会社で広報・広告ディレクターを務めるなど、バリバリのキャリアウーマンとして活躍してきた方です。
1980年にクリストファー・ラフルアーさんと結婚後も仕事を続け、1992年には自らの会社「クラブ・サー」を設立しています。
日本初のトラベルジュエリー専門店として知られており、旅行や仕事の際に気軽に使える高品質な人造石を使ったジュエリーを提供しています。
幻冬舎から「セレブに学ぶ幸せの『マナー』入門」という著書も出版するなど、執筆活動も行っている多才な方です。
宮澤エマさんは母親について「正義感が強い人。
言いたいことを貫き通す姿はたまにめんどくさいとも思うんですけど、とてもリスペクトに値する」と語っています。
また芸能界入りについても「政治家として成功するより、もっと難しいと思う」と最初は否定的なことを言いながらも「それでもやりたいならやれば」と応援してくれたそうです。
姉はハーバード大卒でアパレルCEO
5歳年上の姉・ラフルアー宮澤沙羅さんも負けず劣らずのキャリアの持ち主です。
フランス・パリで生まれ、ハーバード大学を卒業後、不動産投資会社→世界的コンサルティング企業ベイン&カンパニーのマネジメントコンサルタント→金融機関と、輝かしいキャリアを積んできました。
金融機関で働く中で「ビジネスウーマン向けのいい服がない」という問題意識を持ち、2013年にニューヨークでアパレルブランド「エム・エム・ラフルアー(M.M.LaFleur)」を設立。
デザイナーの中村美也子さんと組んで、オフィスワーカーの女性のための着心地がよくプロフェッショナルに見える服を提供し始めました。
現在はニューヨーク・ボストンをはじめアメリカに8店舗を展開し、購入者は20万人を超えています。
最高経営責任者(CEO)として精力的に活動中です。
宮澤エマさんにとっての姉は「常に地に足を付けて物事を俯瞰して見なくてはいけないと思い出させてくれる存在」とのこと。
宮澤エマさんの舞台があるたびにアメリカから帰国して観劇してくれるそうで、演劇経験もある姉だから「ほめ方もひと工夫ある」と語っています。
また姉は結婚後に子どもを望みましたが不妊に悩み治療を続け、2020年8月に男の子のテオくんを出産。
同年9月には代理母出産でアストリッドくんとケントくんを授かり、3人の子の母親となっています。
家族構成はエリート揃いの4人家族
宮澤エマさんの家族は、父・母・姉・本人の4人構成です。
| 続柄 | 名前 | 特徴 |
|---|---|---|
| 父 | クリストファー・ラフルアー | 元アメリカ外交官、プリンストン大学卒 |
| 母 | ラフルアー宮澤啓子 | 慶應大学法学部卒、MBA取得、起業家 |
| 姉 | ラフルアー宮澤沙羅 | ハーバード大学卒、アパレルCEO |
| 本人 | 宮澤エマ | オクシデンタル大学・ケンブリッジ留学、ミュージカル女優 |
父はアメリカ人外交官、母は元CA・実業家、姉はハーバード大卒のCEO、そして本人もアメリカの大学でイギリスへも留学したミュージカル女優と、まさにエリート一家という言葉がぴったりな家族ですよね。
宮澤エマさんは「80点とってもそこそこ、みたいな家庭」と笑いながら語っており、かなりレベルの高い家庭環境で育ったことが伝わってきます。
それでも「勉強嫌いじゃないんだな、って大学で初めて気付いた」と話しており、競争意識よりも自分の好きなものを見つける自由さがある家庭でもあったようです。
一時期は祖父母との3世代同居もあり、大家族ならではのエピソードも多く残っています。
宮澤家の家系図と政治家の家柄
宮澤エマさんの家系をさかのぼると、政治家が多く登場します。
母方の祖父は第78代内閣総理大臣の宮澤喜一さん。
さらに曽祖父(宮澤喜一さんの父)の宮澤裕さんは政治家として活躍し、鉄道政務次官や商工省参与を務めました。
高祖父(宮澤喜一さんの祖父)の小川平吉さんは国勢院総裁や司法大臣を歴任しています。
まさに政治家のサラブレッドといえる家系です。
一方、父方はフランス系カナダ人の血を引くアメリカ人一家。
クリストファー・ラフルアーさんの母・リディアさんは市民劇団を立ち上げた芸術的センスのある女性でした。
日米の家系が融合した宮澤エマさんは、母方から「政治家・知性」の血を、父方から「芸術・表現」の血を受け継いでいるといえます。
自身がミュージカル女優の道を選んだのも、ある意味必然だったのかもしれません。
また宮澤家の親族には宮沢洋一氏(元経済産業大臣)もいて、宮澤喜一元首相とは甥・伯父の関係にあります。
宮澤エマさんは複数の政治家と繋がりを持つ家系の出身ということになります。
宮澤エマ父のまとめ
- 父の名前はクリストファー・ジェームズ・ラフルアーというアメリカ人外交官である
- 姓「ラフルアー」はフランス語で「花」の意味、フランス系カナダ人の血筋に由来する
- オーバリン大学とプリンストン大学という2つの名門大学を卒業したエリートである
- 国務省でベトナム・ラオス・カンボジア担当などを歴任後、在日米国大使館首席公使に就任した
- 2004年から2007年には駐マレーシア米国大使を務めた
- 外交官退任後はJPモルガン証券株式会社副会長など民間でも要職を歴任している
- 2019年に日米交流促進への貢献により日本政府から旭日中褒章を授与された
- 性格は柔らかな雰囲気で言葉巧みに家族の調和を保つ人物とされる
- 音楽を愛しており、芸術的センスを宮澤エマさんへ受け継いだとも言われる
- 父方の祖母リディアが市民劇団を立ち上げ、宮澤エマさんをブロードウェーへ連れて行った
- 母方の祖父は第78代内閣総理大臣・宮澤喜一である
- 母親・ラフルアー宮澤啓子さんは慶應大法学部卒、コロンビア大MBA取得の起業家である
- 姉・ラフルアー宮澤沙羅さんはハーバード大卒でアパレルブランド「M.M.ラフルアー」のCEOである
- 宮澤家は曽祖父・高祖父も政治家という政治名家のサラブレッドである
- 宮澤エマさんは日米両国のエリート家系が融合した希有な環境で育った女優である

