「若いってすばらしい」のヒットで知られる槙みちるさん、今どうしているのか気になりますよね。
実は名前を平仮名に変えて、79歳の今もジャズのステージに立ち続けています。
72歳でニューヨークに渡り、海外の一流ジャズメンと録音したアルバムの話は、きっと驚くと思いますよ。
・槙みちるが「まきみちる」として続けている現在の活動
・2019年のニューヨーク録音アルバムと2025年のライブ
・テレビで見なくなった理由と1970年の引退のいきさつ
槙みちるの現在は「まきみちる」の名でジャズを歌う日々
「若いってすばらしい」の槙みちるさんは、今もステージに立ち続けている現役の歌手です。
名前の表記を変えた理由から、ニューヨーク録音のアルバム、最近のライブまで、いまの姿を順に見ていきますね。
現在の名前は平仮名の「まきみちる」
槙みちるさんを今の活動で探すと、少し見つけにくいかもしれません。
というのも、2006年に芸名を平仮名の「まきみちる」に改めているからです。
ちなみに1960年代のレコードでは「槇」の字が使われていて、検索では「槙」「槇」の両方が打たれています。
改名のきっかけになったのが、同じ2006年に出した自身初のアルバム『マキズ・バック・イン・タウン』です。
トランペッターのエリック・ミヤシロさんが率いるビッグバンドと組み、敬愛するフランク・シナトラの曲を歌い上げた作品でした。
1960年代にはアイドル的な存在だった人が、還暦を目前にして初のジャズアルバム。
ちょっと意外ですよね。
ただ本人の話を読むと、実は若い頃からずっとジャズが軸にあった人なんです。
16歳で出会ったジャズが原点
関西のジャズ喫茶で歌っていた10代の頃、マイルス・デイヴィスを聴いて衝撃を受けたと語っています。
給料が1万円ほどの時代に、1枚1650円ほどのLPをお金を貯めて買い集め、そのレコードは今も何千枚と手元に残しているそうです。
現在の「まきみちる」名義の活動は、アイドル時代にやりたくてもできなかったジャズへの回帰と言っていいと思います。
2019年にニューヨーク録音のアルバムを発表
いまの槙みちるさんを語るうえで欠かせないのが、2019年11月に出たアルバム『My Songs from New York』です。
録音は2019年7月、ニューヨーク・クイーンズにある「サムライ・ホテル・レコーディングスタジオ」で行われました。
伴奏に迎えたのは、ベテランのジャズピアニストケニー・バロンさんです。
| 担当 | ミュージシャン |
|---|---|
| ピアノ | ケニー・バロン |
| ベース | 北川潔 |
| ドラムス | ジョナサン・ブレイク |
| ギター | 直居隆雄 |
選曲は「蘇州夜曲」「見上げてごらん夜の星を」「黄昏のビギン」「君をのせて」など、日本の作曲家の曲が中心です。
本人は、ジャズの匂いを持った先輩たちの名曲を紡いだアルバムにしたかったと話しています。
最初はいい返事がもらえなかった
ケニー・バロンさんへのオファーは、はじめは色よい返事ではなかったそうです。
相手は日本の歌手のことを知らないので、当然といえば当然ですよね。
そこでビッグバンドと録った音源を送って聴いてもらったところ、これなら楽しめるとお墨付きをもらい、実現したといいます。
録音はほぼ一発録りで、2日目には「抱かれているような感じの中で歌えた」と振り返っていました。
72歳でニューヨークに乗り込んで、海外の一流ジャズメンと同時録音。
……かっこよすぎませんか、これ。
2019年のニューヨーク録音盤は、現在の槙みちるさんの代表作といえる1枚です。
2025年もビッグバンドとのライブに出演
アルバムを出したあとも、ライブ活動は続いています。
2025年4月23日には、東京・めぐろパーシモンホール小ホールで「まき みちる MICHIRU with Big Band」という公演が開かれました。
金城組Big Bandと組んだジャズのステージで、料金は全席指定7,500円でした。
ほかにも、2025年は次のような出演が確認できます。
| 時期 | 内容 |
|---|---|
| 2025年4月23日 | MICHIRU with Big Band(めぐろパーシモンホール小ホール) |
| 2025年9月14日 | 島英二&Men’s Club+まきみちる(ライブ配信あり) |
| 2025年11月18日 | Poppin’4 presents まきみちる’de Night |
本人のFacebookやXでは、次のライブの告知も続けて出ています。
2022年ごろには「新しい活動の発表がない」と書いたブログもありましたが、今はそうではありません。
79歳になった今も、槙みちるさんは東京のライブハウスやホールで歌い続けているのが実際のところです。
本業は2000曲超のCMソングを歌うスタジオ歌手
「最近テレビで見ないけど、何をしていたの?」と気になる方も多いと思います。
実は引退後の槙みちるさんは、ずっと歌の仕事をしていました。
表に顔を出さない、スタジオ・ミュージシャンとしてです。
歌ったCMソングは2000曲以上にのぼります。
AGF、コカ・コーラ、ムーニー、ビオレ、ケンタッキーフライドチキン、ヨコハマタイヤなど、誰もが一度は耳にしている企業ばかりです。
ディズニーランドの園内音楽も
東京ディズニーランドや東京ディズニーシー、サンリオピューロランドなど、テーマパークで流れる曲も歌っています。
ディズニーランドの仕事は25年ほど続いたそうです。
さらに、伊集加代子さんのコーラスグループの一員としてバックコーラスにも参加していました。
岩崎宏美さん「ロマンス」、山口百恵さん「しなやかに歌って」、沢田研二さん「サムライ」、ピンク・レディー「モンスター」などがその一例です。
本人いわく、当時は朝から夜までスタジオを掛け持ちしていて、何の曲をやったかは忙しすぎて覚えていないとのこと。
テレビのCMで自分の声に気づくことも多いそうです。
仕事の量はバブル期から減った
2016年の日刊ゲンダイの取材では、バブルのころは月に2本あったスタジオの仕事が、今は年に数本に減ったとも話していました。
顔は見えなくても、声はずっとテレビから流れていた。
これが「見なくなった」あとの槙みちるさんの素顔です。
自宅で歌を教えるボーカル・アドバイザーの顔も
もうひとつの今の仕事が、歌の指導です。
2016年の取材では、自宅でボーカル・アドバイザーをしていると話していました。
生徒には歌手志望の若い女性だけでなく、定年後に昔やりたかった歌を本格的に習いたいという人も結構いるそうです。
定年後に、あの「若いってすばらしい」の歌手に歌を習えるなんて、ちょっとうらやましいですよね。
当時の取材では、年に1回は本格的なコンサートを開き、音楽仲間のステージにもよくゲストで出ているとも語っていました。
歌う側と教える側、その両方で今も歌の世界にいるというのが、槙みちるさんの現在です。
テレビにはもう出ないと決めた理由
ライブは続けているのに、テレビではまず見かけない。
これにははっきりした理由があります。
引退後、テレビのオファーはすべて断っていたそうです。
ところが両親が晩年を迎えたころ、弟さんから「お父さんお母さんへの一番の親孝行だよ」と言われ、出演を決めました。
そうして出たのが、2005年のテレビ東京『年忘れにっぽんの歌』、2010年の『NHK歌謡コンサート』、2012年の『思い出のメロディー』などです。
2005年の出演では、引退後はじめて「若いってすばらしい」をフルコーラスで披露しました。
両親はとても喜んでくれたそうです。
……なんか、じんわりしますよね。
父の七回忌のあとに出した答え
その後お母さんが亡くなり、追いかけるようにお父さんも亡くなりました。
2019年のインタビューでは、父の七回忌を終えたばかりだと話し、その後もオファーはあったものの「もう父もいませんし今後は一切出ません」と伝えたと明かしています。
テレビで見なくなったのは、両親のための出演を終えて本人が区切りをつけたからなんですね。
1970年に芸能界を引退したいきさつ
そもそも、なぜ人気絶頂からわずか数年で芸能界を離れたのでしょうか。
「若いってすばらしい」がヒットしたころは、1か月のうち「オフ」が1日あればいいほうという忙しさでした。
ドラマ『いとはんと丁稚どん』のレギュラーや、歌番組『みんなで歌おう!』、番組の司会まで務めています。
ただ、本人がやりたかったのは歌、それもジャズでした。
18、19歳のころにはアメリカのバークリー音楽院に留学したかったものの、お父さんに許してもらえなかったそうです。
歌だけやりたかった
クイズ番組に出たりする仕事が苦痛で、「私には全然合わない世界だな、歌だけやりたい」と思うようになったと振り返っています。
ご両親は仲の良い夫婦でしたが、娘を応援するために別居してまで、お母さんを東京に付き添わせてくれていました。
その思いに応えなきゃと頑張ったものの、最後はもうアップアップだったといいます。
そんなときに出会った男性と結婚し、1970年に芸能界を引退しました。
引退は「歌をやめる」ではなく「アイドルをやめる」決断だったことが、その後の歩みを見るとよく分かります。
槙みちるの現在を調べる人向けの関連情報
ここからは、槙みちるさんの現在とあわせてよく調べられている年齢や結婚、代表曲の話をまとめました。
年齢は79歳で大阪府出身
槙みちるさんは1947年3月7日生まれで、2026年9月時点で79歳です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 芸名 | まきみちる(2005年までは槇みちる) |
| 生年月日 | 1947年3月7日 |
| 出身地 | 大阪府 |
| 旧姓 | 岩村 |
| デビュー | 1965年「可愛いマリア」 |
| 代表曲 | 若いってすばらしい、片想い |
小さいころから「のど自慢荒らし」で、出れば優勝していたそうです。
2016年の取材では、叔母さんが内緒でラジオの音楽番組に応募し、6歳で合格したとも話しています。
2019年のインタビューでは、93歳で現役だったトニー・ベネットさんを挙げて、まだ20年以上頑張れると語っていました。
年齢を重ねても、声が出なくなる日に備えて、人の気持ちに伝わる歌い方を身につけておきたいそうです。
Wikipediaに載っている本名と経歴
Wikipediaでは「槇みちる」の項目で紹介されていて、現在の本名は分家真理子さん、旧姓は岩村と記載されています。
経歴を年表にすると次のとおりです。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1962年 | 大阪のジャズ喫茶に出演 |
| 1963年 | 上京、米軍キャンプやジャズ喫茶で歌う |
| 1965年 | 渡辺プロダクションに所属、「可愛いマリア」でレコードデビュー |
| 1966年 | 「若いってすばらしい」が大ヒット、ドラマ『ウルトラマン』第5話にも出演 |
| 1969年 | 「片想い」を発表 |
| 1970年 | 芸能界を引退 |
| 引退後 | スタジオ・ミュージシャンとしてCMソング2000曲以上 |
| 2006年 | 「まきみちる」に改名、初アルバム発表 |
| 2019年 | 『My Songs from New York』を発表 |
米軍キャンプ時代には横田や横須賀、座間、さらに三沢や佐世保まで歌いに行っていたそうです。
元夫とは1年半で離婚
最初の結婚は、芸能界を引退するきっかけにもなりました。
相手は一般の男性で、2016年の取材によると結婚生活はわずか1年半で終わっています。
元夫の名前や職業は公表されていません。
離婚後、槙みちるさんはスタジオ・ミュージシャンとして歌の仕事を再開しました。
元夫との離婚が、裏方の歌手として歩む第二のキャリアの出発点になったともいえます。
結婚相手の夫はCM音楽プロデューサー
2度目の結婚相手は、CM音楽プロデューサーの男性です。
2016年の取材では、1976年に再婚したと語っています。
CMソングを歌う槙みちるさんにとって、仕事でも近い世界の人でした。
2人の間には娘が2人生まれました。
ところが次女がお腹にいるときに夫が病に倒れ、5年後に39歳の若さで亡くなっています。
病名は大腸がんでした。
正直、読んでいて胸が痛くなりました。
しかも偶然、槙みちるさん自身も同じ病気になったそうです。
幸い早期発見で、取材では「今では元気すぎるほど元気です」と笑っていました。
2人の娘のその後
長女は、『ひらけ!ポンキッキ』で「おっぱいがいっぱい」「ねむねむのひつじ」などを歌ったぶんけかなさんです。
「ねむねむのひつじ」「てんしのおしっこ」では母娘で共演もしています。
次女は子どものころから料理が好きで、2016年当時は商社で創作料理の開発を担当していたそうです。
暮らしについては、2016年の記事で「都内のマンションに次女と2人暮らし」とされた一方、同じ年に本人のメールをもとに「次女も独立し、今は独り暮らし」と補足した記録もあり、情報が分かれています。
代表曲と若いってすばらしいの歌詞が生まれた背景
槙みちるさんの曲でいちばん知られているのは、1966年の「若いってすばらしい」です。
作詞は安井かずみさん、作曲・編曲は宮川泰さんでした。
もともとはNHKの番組『若い十代』の“今月のテーマソング”で、評判が良くてもう1か月流れたそうです。
歌詞ができたのは、フジテレビ『かくし芸大会』のリハーサル中でした。
宮川さんと安井さんがリハーサル室に来て、30分もかからずに書き上げたといいます。
本人は、ミニスカートにブーツ姿の元気な女の子だった自分のイメージがそのまま詞になったのだと思う、と話しています。
若い人だけの歌ではない
宮川泰さんは何千曲も作った中で、この曲が一番好きだと言っていたそうです。
自身の著書のタイトルにもしたほどでした。
本人は、この歌は若い人だけのことじゃない、と語っています。
ミッツ・マングローブさんが歌手デビュー曲としてカバーしたことで、今の世代にも知られるようになりました。
そのほかの主な曲
| 発売 | 曲名 |
|---|---|
| 1965年3月 | 可愛いマリア |
| 1965年10月 | トマト・ジュース乾杯 |
| 1967年5月 | 恋ってすてきよ |
| 1967年7月 | シュガータウンは恋の街 |
| 1969年11月 | 鈴の音がきこえる/片想い |
片想いを最初に歌ったのは槙みちる
中尾ミエさんや中森明菜さんの歌で知られる「片想い」ですが、最初に歌ったのは槙みちるさんです。
1969年、第1回合歓ポピュラーフェスティバルで披露し、同じ年の11月1日にシングル『鈴の音がきこえる』のB面として発表されました。
作詞は安井かずみさん、作曲は川口真さんです。
その後、中尾ミエさんがカバーし、発売から数年たって有線放送からロングヒットになりました。
河合奈保子さんや香坂みゆきさんなど、多くの歌手に歌い継がれています。
スタンダードになった「片想い」の原曲の歌い手が、槙みちるさんだというのは、意外と知られていないかもしれません。
槙みちるの現在のまとめ
- 2006年から芸名を平仮名の「まきみちる」に改めて活動している
- 2006年にシナトラ曲のアルバムを出し、ジャズ歌手として再出発した
- 2019年にニューヨークでケニー・バロンらと録音したアルバムを発表した
- 2025年もビッグバンド公演やライブハウスへの出演を続けている
- 2026年9月時点で79歳、大阪府出身
- 1970年の引退後はスタジオ・ミュージシャンとして活動した
- 歌ったCMソングは2000曲以上にのぼる
- 東京ディズニーランドの園内音楽も約25年担当した
- 岩崎宏美や山口百恵らのヒット曲でバックコーラスに参加した
- 自宅でボーカル・アドバイザーとして歌を教えている
- 両親のためにテレビへ出たが、父の没後は出演しないと決めた
- 引退の背景はアイドル扱いが合わず、ジャズをやりたかったこと
- 最初の結婚は約1年半で離婚したと本人が話している
- 再婚したCM音楽プロデューサーの夫は大腸がんで他界した
- 長女は『ひらけ!ポンキッキ』で歌ったぶんけかな
- 「片想い」を最初に歌ったのは槙みちる


