俳優の萩原流行さんについて調べていると、必ずと言っていいほど「息子」というワードが一緒に出てきます。
ワイルドな見た目と個性的な役どころで昭和・平成のドラマを支えた人ですから、跡を継いだ息子さんがいるのでは、と思った方も多いのではないでしょうか。
ところが調べてみると、萩原流行さんに息子はいません。
しかも「なんとなく授からなかった」のではなく、本人がはっきりとした理由を語ったうえで、子供を持たないという選択をしていたんです。
その理由をたどっていくと、ギタリストだった父親の存在と、夫婦で長く向き合ってきた病気の話にたどり着きます。
・萩原流行に息子も娘もいない理由と、本人が語った言葉
・子供を持たない決断の背景にあった父親との関係
・妻・萩原まゆ美との夫婦2人の暮らしと、2015年の事故まで
萩原流行に息子はいないと語った理由
まずは一番知りたいところ、息子や子供がいるのかどうかからお伝えしますね。ここには、本人がインタビューで語った言葉がはっきり残っています。
息子どころか子供は一人もいない
結論からお伝えします。
萩原流行さんに息子はおらず、娘を含めて実の子供は一人もいません。
Wikipediaの人物欄にも子供に関する記載はなく、家族として名前が出てくるのは妻の萩原まゆ美さんだけです。
1975年に結婚してから、2015年に亡くなるまでのおよそ40年間、ずっと夫婦2人きりの家庭でした。
芸能人の家族を扱う複数のメディアも、そろって子供はいないと書いています。
ここは情報が割れていない部分なので、安心して受け取っていいところですね。
ではなぜ、萩原流行の息子という検索がこれだけされているのか。
理由はいくつか考えられますが、ひとつは名字と芸名の印象です。
同じ萩原姓で同時代に活躍した俳優が複数いて、そちらの家族の話と混ざってしまうケースが実際にあります(この点は記事の後半でくわしく触れますね)。
もうひとつは、萩原流行さんが2008年に自身のアクターズスタジオを立ち上げ、若手を育てていたこと。
弟子や後継者という言葉が息子に置き換わって伝わることも珍しくありません。
いずれにしても、血のつながった息子さんは存在しないというのが答えです。
子供を持たない選択をした理由
ここからが、この記事でいちばんお伝えしたい部分です。
萩原流行さんは、子供を授からなかったのではなく、自分で持たないと決めていました。
女性自身のインタビューで、本人がこう語っています。
僕のDNAがあり、そしてカミサンも僕もうつ病だと、子供は大変だろうなぁって
短い言葉ですが、ここには2つの理由が同時に入っていますよね。
ひとつは、自分の父親から受け継いだものへの恐れ。
もうひとつは、夫婦そろってうつ病を抱えていたという現実です。
生まれてくる子が大変な思いをするのではないかという一点で、萩原さんは自分の代で線を引く決断をしたということになります。
この言葉を読んだとき、正直、胸が詰まりました。
子供が嫌いだったわけでも、家庭に興味がなかったわけでもない。
むしろ子供の人生を考えたからこその結論だったわけです。
妻・まゆ美さんの受け止め方
この決断について、妻のまゆ美さんは反対しなかったと伝えられています。
女性自身の記事によれば、まゆ美さんは「10月10日もおなかに赤ちゃんがいると大変だもの」と笑顔で受け止めたそうです。
重い話を重いまま抱え込まず、少し軽くして返す。
……なんだか、この夫婦の40年が見える一言だなと思いませんか。
父の暴力と断ち切りたかったDNA
萩原さんが口にした僕のDNAという言葉。
これが何を指しているのかは、生い立ちをたどるとはっきりします。
萩原流行さんの父親は、名の知れたギタリストでした。
ただし、その父には別に家庭がありました。
萩原さんの母親は愛人という立場で、萩原さんと兄を育てることになります。
そして父親は、母や兄に暴力をふるう人だったと伝えられています。
女性自身のインタビューでも、暴力をふるい続ける父の姿が脳裏に焼きついていた、という趣旨が語られています。
これはきつかったでしょうね……。
幼い頃から見続けた光景が、そのまま自分の中にも同じものが流れているのではないかという恐れになった。
萩原さんが断ち切りたかったのは、才能でも血筋でもなく、暴力の連鎖そのものだったと考えるのが自然です。
ここは本人が理由を明言しているわけではないので断定はできませんが、語られている順番、つまり父の暴力の記憶があり、そのうえで僕のDNAと言っているという流れを素直に追えば、そう読むのが一番無理がないと思います。
ちなみに、母親についても少し情報が残っています。
東京下町の大工の棟梁の家に後妻の娘として生まれ、棟梁が亡くなったあとに家を出て、ダンスホールの踊り子になった。
そこで父親であるギタリストと出会ったとされています(この経緯は1つのメディアにしか見当たらないため、参考程度に受け取ってくださいね)。
夫婦2人がともに向き合ったうつ病
もうひとつの理由が、夫婦そろってのうつ病でした。
時系列にすると、こうなります。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1972年 | 19歳のころ、劇団でまゆ美さんと出会う |
| 1975年 | 結婚 |
| 1988年 | まゆ美さんが強迫神経症・不安神経症・抑うつ神経症と診断される |
| 1991年 | 萩原流行さんが気分変調症・そううつ病と診断される |
| 2009年 | 共著『Wうつ〜うつが、ふたりを本当の夫婦にした。』を出版 |
妻が先に発症し、その3年後に夫も診断を受けています。
本のタイトルにあるWうつは、まさに夫婦2人ともという意味ですね。
サブタイトルが「うつが、ふたりを本当の夫婦にした。」というのも、なかなか重い言葉です。
看病する側とされる側が固定されず、どちらも当事者。
その状態で子供を迎えることの負荷を、萩原さんは現実的に考えたのだと思います。
子供を持たないという選択は、生い立ちの記憶と目の前の病気、その2つを両方見たうえでの結論だったわけです。
妻が子供を望んだ30代後半のやりとり
この話には、少し切ない続きがあります。
あるメディアによると、まゆ美さんは20代のころは子供を産みたくないという考えだったそうです。
ところが30代後半になって、子供を産みたいという気持ちを萩原さんに伝えた時期があったと伝えられています。
そのとき断ったのが、萩原さん本人でした。
理由は、これまで見てきたとおりの幼少期の記憶です。
妻が気持ちを変えた側で、夫が変えなかった側。
逆になっていてもおかしくない話なのに、実際にはこの順番だったんですね。
ちょっと胸が痛くなる話です。
ただしこのエピソードは1つのメディアにしか確認できなかった情報なので、そういう時期があったらしい、くらいの温度で受け取っておくのがよさそうです。
後進を育てたアクターズスタジオ
子供を持たなかった萩原流行さんですが、次の世代に何かを渡すこと自体を諦めていたわけではありません。
2008年12月、萩原流行アクターズスタジオを開設しています。
俳優としての自分が積み上げてきたものを継承する場、という位置づけでした。
亡くなる7年前、55歳のときの立ち上げです。
血縁で残せないものを、育てることで残そうとした。
息子はいないけれど、渡す相手を自分で作りにいった人だった、という見方もできます。
……こういう話、個人的にすごく好きなんですよね。
萩原流行の息子を調べる人向けの関連情報
ここからは、萩原流行さんの息子や家族を調べている方が続けて気になるポイントをまとめていきます。妻・まゆ美さんのことや、2015年の事故についても触れていきますね。
妻・萩原まゆ美はどんな人か
萩原流行さんの家族といえば、やはり妻のまゆ美さんです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 萩原まゆ美 |
| 生年月日 | 1952年12月25日 |
| 出会い | 劇団「ザ・スーパーカムパニイ」 |
| 結婚 | 1975年 |
| 元の職業 | 舞台女優 |
まゆ美さんは萩原さんより1学年上で、2人が出会ったのは同じ劇団でした。
萩原さんが1973年に初舞台を踏んだのもこの劇団です。
結婚後、まゆ美さんは女優業を退いています。
その後は闘病しながら、萩原さんを支える側に回りました。
共著『Wうつ』では、夫婦それぞれの視点から病気との向き合い方が語られています。
40年にわたって、俳優としての萩原流行さんをいちばん近くで見ていた人がまゆ美さんです。
家族構成は父・母・兄の4人
萩原流行さん自身が育った家族についても整理しておきますね。
本名は萩原光男さん。
1953年4月8日、東京都世田谷区の生まれです。
家族構成は、父・母・兄・本人の4人。
ただし前半で触れたとおり、父には別の家庭があったため、一般的な4人家族とは事情がかなり違います。
兄については名前などの詳細は公表されていませんが、後年、妻のまゆ美さんが闘病していた時期に良き相談相手になったと伝えられています。
父の暴力を一緒に見てきた兄弟ですから、他の誰にも言えないことを話せる相手だったのかもしれませんね。
学歴は世田谷高等学校卒業。
卒業後の1973年に劇団で初舞台を踏み、その後つかこうへい事務所に参加、1982年の映画『蒲田行進曲』で映画デビューを果たしています。
死因となった2015年の事故
萩原流行さんは2015年4月22日、62歳で亡くなりました。
亡くなった経緯は事故です。
東京都杉並区の青梅街道で、運転していたバイクが転倒し、後方から来た乗用車に胸部をひかれました。
バイクが転倒したきっかけには、警視庁の護送車の車線変更が関係していたと報じられています。
その後、警視庁は護送車を運転していた警部補を書類送検しました。
運転していた警部補のその後
護送車を運転していた高井戸署の警部補は、2016年8月に自動車運転処罰法違反(過失致死)で略式起訴され、罰金70万円の処分となりました。
亡くなる前年の2014年10月にも接触事故、2015年3月にもバイクの転倒事故を起こしていたことが報じられており、うつ病との関係を心配する声もありました。
ただしこれはあくまで一部メディアの見方で、事故との因果関係が確認されたわけではありません。
妻が抱いた死因への不信感
この事故については、死因の発表をめぐって説明が変わった経緯があります。
事故直後に報じられた死因は心房破裂でした。
ところが司法解剖のあと、死因は不詳と変更されています。
妻のまゆ美さんは2015年5月に会見を開き、事故から1カ月経っても死因が不詳のままであることへの不信感を語りました。
夫を突然亡くしたうえに、何が起きたのかの説明がはっきりしない。
これは……さすがに納得できないですよね。
息子も娘もいない夫婦だったからこそ、この局面でまゆ美さんはひとりで会見の場に立つことになりました。
萩原健一の息子と混同されやすい
最後に、検索でよくある取り違えについて触れておきます。
萩原姓の俳優といえば、ショーケンこと萩原健一さんがいます。
同じ時代に活躍した同姓の俳優なので、家族の話がまざってしまうことがあるんですね。
ちなみに萩原健一さんにも息子はおらず、子供は娘がひとりです。
つまり萩原流行の息子も萩原健一の息子も、どちらも存在しないということになります。
2人はまったくの別人で、萩原流行さんは1953年生まれで本名は萩原光男さん、萩原健一さんは1950年生まれです。
萩原と息子で検索して情報が食い違って見えるときは、まずどちらの萩原さんの話なのかを確認すると整理しやすくなります。
萩原流行の息子のまとめ
- 萩原流行に息子はおらず、娘を含めて実子は一人もいない
- 1975年の結婚から2015年の死去まで、妻と2人だけの家庭だった
- 子供を持たないのは授からなかったのではなく本人の選択だった
- 本人は僕のDNAがあり、そしてカミサンも僕もうつ病だと、子供は大変だろうなぁって、と語っている
- 父は名の知れたギタリストで、別に家庭を持っていた
- 父は母や兄に暴力をふるっており、その記憶が決断の背景にあったとされる
- 妻・まゆ美は1988年に強迫神経症などと診断された
- 萩原流行自身も1991年に気分変調症・そううつ病と診断された
- 2009年に夫婦の共著『Wうつ』を出版している
- 妻が30代後半に子供を望んだ時期があったとされるが、本人が断ったと伝えられる
- 2008年に萩原流行アクターズスタジオを開設し後進を育てた
- 本名は萩原光男、1953年4月8日生まれの東京都世田谷区出身
- 家族構成は父・母・兄・本人の4人で、兄は妻の闘病時の相談相手だった
- 2015年4月22日に杉並区の青梅街道でバイクが転倒し、乗用車にひかれて死去
- 同姓の萩原健一にも息子はおらず、子供は娘がひとりで別人である


