氷雨の歌手・佳山明生さんは、今どうしているのでしょうか。
実は74歳になった今も新曲を出し、ラジオ番組のパーソナリティや高齢者施設での歌謡ショーまでこなす現役ぶりなんです。
その一方で、氷雨の大ヒット後には耳を悪くして歌から離れた時期もあったというから驚きですよね。
・現在の新曲・ラジオ・施設訪問などの活動内容
・氷雨のヒット後に歌手活動から離れた時期と病気の噂の出どころ
・奥さん・子供の公表状況と若い頃の経歴
佳山明生の現在は74歳で現役の演歌歌手
佳山明生さんは今どうしているのか、気になって調べた方も多いと思います。結論から言うと、74歳になった今も新曲を出し、ラジオやステージで歌い続けている現役の演歌歌手です。
現在も徳間ジャパンから新曲を出し続けている
佳山明生さんは、2026年9月時点で74歳です。
1951年9月19日生まれなので、もうすぐ75歳の誕生日を迎えます。
テレビの歌番組で見る機会は減りましたが、歌手活動はまったく止まっていません。
2006年から徳間ジャパンコミュニケーションズに所属していて、今もほぼ毎年のようにシングルを出しています。
直近のリリースをまとめると、こんな感じです。
| 発売日 | タイトル | ポイント |
|---|---|---|
| 2024年9月18日 | ぼっちの女だから | 甘くソフトな歌声が味わえる新作として発売 |
| 2025年12月3日 | 泣きながら夢を見て | デュエット歌手を一般から募集して録音した作品 |
新曲の泣きながら夢を見てはデュエット相手を一般募集
いちばん新しいシングルは、2025年12月3日発売の泣きながら夢を見てです。
作詞はちあき哲也さん、作曲は杉本真人さんという名曲で、これを佳山明生さんが一般から選んだデュエット相手と歌っています。
2025年6月に「佳山明生とデュエットしませんか?」という募集がかかり、DAMカラオケを使ったオーディションの合格者と一緒に録音されました。
カップリングには新曲も入っています。
74歳のベテランがファンと同じ目線でマイクを握るなんて、なんだかいいですよね。
2025年末には徳フェスにも出演
2025年12月24日には、所属レコード会社の合同コンサート「徳間ジャパン歌謡フェスティバル(徳フェス)vol.8」の開催が告知されていました。
スターデジオの歌謡演歌の特集チャンネルにも、2024年と2025年の新曲発売のタイミングで出演しています。
新曲の発売、コンサート、音楽専門チャンネルへの出演と、佳山明生さんの現在は「現役そのもの」と言っていい状態です。
現在はラジオ番組のパーソナリティも務めている
歌と並ぶ、もうひとつの柱がラジオです。
佳山明生さんは「佳山明生のナイスキャッチ・ミュージック!」という自分の冠番組を持っています。
RKC高知放送などで放送されている歌謡曲の番組で、radikoでも番組ページが用意されています。
番組には毎回のように演歌・歌謡曲の歌手がゲストでやってきます。
公式ブログで紹介されているだけでも、ゲストはこれだけいます。
| ゲスト | 紹介された新曲 |
|---|---|
| 川中美幸さん | 恋情歌 |
| 中村美津子さん | あんずの夕陽に染まる街 |
| 島津悦子さん | 俺と生きような |
| 田中収さん(ニック・ニューサウス) | 追想 |
| 清水節子さん | ごめんね大丈夫 |
川中美幸さんがゲストに来たときには、ブログで「同じ歌手として尊敬します」と書き、「体の続く限り50周年に向けて謙虚に唄って行こう」とつづっていました。
後輩や仲間の新曲を、ベテランの立場から応援している姿が伝わってきますよね。
ラジオでは「歌う側」だけでなく「仲間の歌を届ける側」としても活動しているのが、今の佳山明生さんです。
現在はYouTubeやDAMチャンネルでも歌を届けている
佳山明生さんは、ネットでの発信にも取り組んでいます。
2021年4月からは、徳間ジャパンのYouTubeで「佳山明生、斎藤功の東京デラックス、フライデーナイト」という番組が配信されました。
ギターの第一人者である斎藤功さんと2人で、昭和の名曲をじっくり聴かせる大人向けの内容です。
歌われた曲には、夜の銀狐、夜霧よ今夜もありがとう、ベサメムーチョ、北の旅人、街のあかりなどがあります。
同じ時期に「佳山明生のなんてったって、歌でしょう」というYouTubeもスタートしています。
2024年のインタビューでは、現在の活動としてコンサートやイベント、DAMチャンネル演歌、YouTube配信、ラジオ出演を挙げていました。
X(旧Twitter)のアカウントも2010年から続けていて、プロフィールには「まだまだ頑張ります!!」と書かれています。
この一言に、今の佳山明生さんの気持ちが全部詰まっている気がします。
現在は高齢者施設の訪問やチャリティーコンサートにも力を入れる
佳山明生さんの現在の活動で、個人的にいちばんグッときたのがこの話です。
テレビ朝日の高齢者福祉のレポートでは、佳山明生さんが調布市の特別養護老人ホーム「仙川くぬぎ園」を9月26日に訪問し、歌謡ショーを行った様子が紹介されています。
ちょうど施設が5周年を迎えたタイミングでの訪問でした。
氷雨をリアルタイムで聴いていた世代の方々にとって、目の前でご本人が歌ってくれるのは特別な時間だったはずです。
東日本大震災から10年のチャリティーコンサート
2021年3月には、池袋西口の芸術劇場前にある野外ステージで、東日本大震災から10年を記念したチャリティーコンサートを開いています。
寒い日でしたが、たくさんのお客さんが集まったそうです。
このとき佳山明生さんは、好きな言葉として「他を生かせ、自らも生きる」を挙げていました。
2024年のインタビューでも、人生のこだわりは「愛」と「やさしさ」だと話しています。
ヒット曲を持つ歌手として、その歌を必要としている人のところへ届けに行く――それが佳山明生さんの今のスタイルです。
一時は歌手活動から離れていた時期もあった
「最近テレビで見ないな」と感じた方もいると思います。
実は佳山明生さんには、歌手活動から大きく遠ざかっていた時期があります。
氷雨の大ヒット後、長年の不摂生がたたって耳を悪くし、活動を休まざるをえなくなったと伝えられています。
耳の不調については、次の「病気」の見出しでくわしく書きます。
一部のサイトでは、1989年に演歌歌手としての活動をいったんやめ、居酒屋の厨房で皿洗いなどのアルバイトをしていたと紹介されています。
あの氷雨の歌手が皿洗いをしていたと思うと……正直、胸が痛くなりますよね。
ただ、所属レコード会社の記録を見ると、少し違う姿も見えてきます。
| 期間 | レコード会社 |
|---|---|
| 1977年〜1987年 | 日本コロムビア |
| 1991年〜1993年 | ビクター |
| 1999年〜2005年 | ガウス |
| 2006年〜現在 | 徳間ジャパンコミュニケーションズ |
1991年〜1993年にもビクターから作品が出ているので、ブランクの長さは伝える媒体によって幅があります。
いずれにしても、1990年代に表舞台から離れていた時期があり、そこから戻ってきたのは確かです。
一部では、有線で流れていた氷雨を聴いたことが再起のきっかけになったとも伝えられています。
2004年には地元の函館観光大使に就任し、2006年からは徳間ジャパンに移って、今に至るまで新曲を出し続けています。
一度どん底を見たからこそ、今の「体の続く限り唄う」という言葉に重みがあるのだと思います。
佳山明生の現在を調べる人向けの関連情報
ここからは、佳山明生さんの現在と一緒によく調べられている、病気や奥さん、若い頃のことをまとめていきます。
病気の噂は鼓膜の破裂と中耳炎が発端
佳山明生さんの病気について調べる人が多いのは、ヒット後に耳を悪くした話が知られているからです。
伝えられている内容を整理すると、こうなります。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1983年前後 | 氷雨が大ヒットし、多忙な日々に |
| ヒット後 | 酒浸りと不摂生が続き、耳から出血して救急搬送されたと伝えられる |
| その後 | 鼓膜が破れて中耳炎を起こし、歌手活動を休む |
歌手にとって耳は命ですから、これはきつかったでしょうね……。
音程を取るのも、伴奏を聴くのも耳です。
歌いたくても歌えない時期があったことは、容易に想像がつきます。
一方で、現在は重い病気で活動を休んでいるという情報は見当たりません。
2024年のインタビューではステージで大切にしていることを語り、2025年12月にも新曲を出しています。
病気の噂の出どころは過去の耳の不調で、現在の佳山明生さんは元気に歌手活動を続けています。
奥さんとの結婚や子供は公表されている?
佳山明生さんの奥さんや結婚について気になる方も多いようです。
Wikipediaのプロフィールでは、佳山明生さんは既婚と書かれています。
ただし、奥さんの名前や職業、いつ結婚したのか、馴れ初めといった具体的なことは、ご本人から公表されていません。
演歌の情報サイトの中には「奥さんがいると公式に発表はしていない」と書いているところもあり、結婚の事実そのものについても表立って語られることはほとんどないようです。
子供がいるかどうかも、公表されている情報は見当たりませんでした。
ブログやXでも家族の話題はほとんど出てこないので、プライベートは大切に守っているタイプなのかもしれませんね。
既婚とされているものの、奥さんや子供の詳しい情報は非公表というのが現状です。
若い頃は古賀政男の最後の門下生だった
佳山明生さんの若い頃をたどると、かなりの苦労人です。
北海道函館市の生まれで、本名は長谷茂浩さんです。
1970年、作曲家・古賀政男さんの門を叩き、古賀政男さん最後の門下生になりました。
入門を許されたのは3回目に訪ねたときだったそうです。
東京ではアルバイトに明け暮れる日々が続き、22歳のときに那須高原のホテルの専属歌手として歌手の第一歩を踏み出しました。
芸名は美輪明宏がつけた
1973年、那須高原で歌っていたころに、当時は丸山明宏と名乗っていた美輪明宏さんから芸名をもらいます。
丸山明宏の「山明」を取り、那須高原のイメージの字を足したのが「佳山明生」です。
ご本人は、加山雄三さんのファンだったこともあり、響きが似ていてとても嬉しかったと話しています。
え、あの芸名は美輪明宏さんがつけたの!?って驚きませんか?
氷雨がヒットするまで5年かかった
1977年12月1日、日本コロムビアから氷雨でデビューします。
作詞・作曲は、当時まだ無名だったとまりれんさんです。
ところが発売当初はまったく売れず、宣伝費も限られていたため、全国のスナックなど3500軒を回って手売りするキャンペーンを続けました。
ついたキャッチフレーズは「キャンペーンの星」です。
氷雨は1980年、1981年、1982年と何度も再発売され、1982年には箱崎晋一郎さんと日野美歌さんもカバーして競作になりました。
これが追い風になり、1983年に大ブレイクします。
| 項目 | 記録 |
|---|---|
| 売上 | 佳山明生さん版だけで約80万枚(3人の合計で約150万枚) |
| ザ・ベストテン | 最高3位、12週連続でランクイン |
| 受賞 | 旭川有線大賞、全日本有線放送大賞グランプリ、第25回日本レコード大賞ロングセラー賞 |
氷雨は、天皇陛下が学生時代にカラオケでよく歌われた曲としても知られています。
日野美歌との関係は今はリスペクトし合う仲
同じ氷雨を歌った日野美歌さんとの関係も、よく調べられています。
佳山明生さんが耳を悪くして休んでいた時期に日野美歌さんが氷雨を歌い続けていたことから、当時は複雑な思いを抱えていたとも伝えられています。
それでも今は、テレビでデュエットするほどの仲です。
佳山明生さんは「彼女が歌ってくれたからこそ、曲がここまで大きくなった」と語っています。
……なんか、じんわりしますよね。
5年がかりの手売りで氷雨を育てた若い頃があるから、今も「歌唱力より歌唱味」と言える歌手なのだと思います。
佳山明生の現在のまとめ
- 佳山明生の現在は74歳(2026年9月時点)で現役の演歌歌手
- 2006年から徳間ジャパンコミュニケーションズに所属
- 2024年9月に新曲ぼっちの女だからを発売
- 2025年12月に一般公募のデュエット相手と歌う泣きながら夢を見てを発売
- 2025年12月の徳間ジャパン歌謡フェスティバルvol.8にも名を連ねた
- ラジオ番組佳山明生のナイスキャッチ・ミュージック!でパーソナリティを務める
- 番組には川中美幸や中村美津子など多くの歌手がゲスト出演
- YouTubeで斎藤功と昭和の名曲を届ける番組を配信
- 高齢者施設の訪問やチャリティーコンサートにも取り組む
- 氷雨のヒット後に耳を悪くし、歌手活動から離れた時期があるとされる
- 病気の噂は過去の鼓膜の破裂と中耳炎が発端とされる
- Wikipediaでは既婚とされるが、奥さんや子供の詳細は非公表
- 若い頃は古賀政男の最後の門下生で、芸名は美輪明宏が命名
- 氷雨はデビューから約5年、3500軒の手売りを経て約80万枚のヒット
- 日野美歌とは今ではリスペクトし合う関係

