永井龍雲の現在は全国ツアー中!68歳の今も新作を出し続ける沖縄からの活動

永井龍雲の現在は全国ツアー中!68歳の今も新作を出し続ける沖縄からの活動

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「道標ない旅」で知られる永井龍雲さん、最近テレビで見かけないけれど今どうしているんだろう、と気になっている方は多いのではないでしょうか。

調べてみると、実は活動が止まっていたどころか、68歳になった今も奄美大島や喜界島まで足を運んでコンサートを続けている現役アーティストでした。

この記事では、永井龍雲さんの現在の活動を、最新のツアー日程や新作アルバムの情報まで具体的にまとめていきます。

この記事を読むとわかること
・永井龍雲さんが現在も続けている全国コンサートの実態と2026年の日程
・2025年に発売した最新アルバム「私の一生」の内容
・1999年の沖縄移住が活動スタイルに与えた影響

永井龍雲の現在は全国を回る現役シンガー

「道標ない旅」で知られる永井龍雲さん、今どうしているのか気になりますよね。結論からいうと、現在も年間を通して全国でコンサートを続けている現役のシンガーソングライターです。

ここでは、最新のツアー日程や新作の情報まで、永井龍雲さんの現在を具体的に見ていきます。

現在も年間を通して全国でコンサートを続けている

まず一番知りたいところからいきますね。

永井龍雲さんは現在も第一線で歌い続けています

「昔の人」という印象を持っている方がいたら、それはかなり実態とズレています。

公式サイトのライブ情報を見ると、2026年だけで東京・福岡・兵庫・宮崎・熊本・福島・秋田・青森・長野・奄美大島・喜界島と、北から南まで公演が組まれています。

しかも単発ではなく、月に2〜4本というペースが年間を通して続いている状態です。

デビューは1978年ですから、2026年でキャリア48年目。

その年数で、離島まで含めた全国をこれだけ回っている歌手はそう多くありません。

正直、スケジュール表を見たときは驚きました。

懐メロ枠で年に数回顔を出すのではなく、ツアーを主戦場にしている現役アーティストというのが永井龍雲さんの現在です

主催はキャピタルヴィレッジ

公演の主催として名前が並ぶのはキャピタルヴィレッジという会社です。

コンサートの企画・制作からCDの発売元まで手がけていて、永井龍雲さんの活動を支える中心的な存在になっています。

自主的に活動の土台を持っている、というのが強みですね。

2025年5月にアルバム「私の一生」を発売

現在の永井龍雲さんは、歌うだけでなく新曲も出し続けています。

直近の作品が、2025年5月21日に発売されたアルバム「私の一生」です。

項目内容
タイトル私の一生
発売日2025年5月21日
発売元キャピタルヴィレッジ
品番CVOV-10089
価格3,000円(税抜)
作詞・作曲全曲 永井龍雲
編曲住友紀人

注目してほしいのは、全曲が本人の作詞作曲であるという点です。

68歳を迎えてなお、他人の書いた曲を歌うのではなく、自分の言葉と旋律で新しい作品を作っている。

「私の一生」というタイトルそのものが、現在の永井龍雲さんの立ち位置を表しているように思えます

このアルバム名はそのままツアータイトルにもなっていて、2026年の公演の多くが「永井龍雲2026『私の一生』」と銘打たれています。

新作を携えて全国を回るという、現役アーティストの王道の動き方ですね。

2026年のツアー日程と回っている地域

もう少し具体的に、現在の稼働ぶりを見てみましょう。

公式サイトに掲載されている2026年後半のスケジュールがこちらです。

時期地域公演タイトル
8月28日東京永井龍雲 歌花火2026
9月19日福岡・北九州永井龍雲2026「私の一生」
9月20日福岡・久留米永井龍雲2026「私の一生」
9月26日福岡まどかぴあ市民大学 おとなの楽校
9月27日兵庫永井龍雲2026「私の一生」
10月8日奄美大島永井龍雲2026「私の一生」
10月12日喜界島永井龍雲2026「私の一生」
10月24日宮崎永井龍雲2026「私の一生」
10月25日熊本永井龍雲2026「私の一生」
11月3日福島永井龍雲2026「私の一生」
11月5日秋田永井龍雲2026「私の一生」
11月7日青森永井龍雲2026「私の一生」
11月15日東京永井龍雲 コンサート2026「旅にしあれば」
11月22日長野永井龍雲2026「私の一生」

10月に奄美大島と喜界島が入っているのが目を引きます。

大きなホールのある都市だけを回るのではなく、島まで足を運んでいるんですね。

……こういうところに、この人の姿勢が出ている気がします。

現在の永井龍雲さんは、聴きたい人がいる場所へ自分から出向くスタイルで活動を続けています

講演やイベント出演もこなしている

9月26日の「まどかぴあ市民大学 おとなの楽校」のように、コンサート以外の場にも呼ばれています。

11月21日には長野で、音楽評論家・富澤一誠さんの活動55周年を記念したイベントにも名前が並んでいます。

歌手仲間や音楽業界からの信頼が今も厚いことがうかがえますね。

拠点は沖縄、1999年に移住していた

現在の永井龍雲さんを語るうえで欠かせないのが、拠点の話です。

1999年4月、永井龍雲さんは沖縄県へ移住しました

デビューから20年あまり、東京を中心に活動してきた人が、40代を前に南の島へ生活の場を移したわけです。

この移住は、その後の永井龍雲さんの音楽の色をはっきり変えた転機だったと考えられます

理由は単純で、移住後に発表される作品や活動の傾向が明らかに変わっているからです。

奄美大島や喜界島での公演がツアーに組み込まれているのも、南西諸島に生活の実感があるからこそでしょう。

東京在住のままなら、離島公演をここまで自然に組むのは難しいはずです。

なお、移住の理由について本人が詳しく語った記録は見つかりませんでした。

ただ、当時の音楽シーンの空気から距離を取り、自分のペースで作品と向き合うためだったと考えると、その後48年目まで走り続けている現状ともつながります。

現在の年齢は68歳、デビューから48年目

年齢も確認しておきましょう。

永井龍雲さんは1957年11月4日生まれなので、2026年8月時点では68歳です。

2017年に60周年ならぬ「デビュー40周年&還暦イヤー」を迎え、そのときも年間を通して全国を回っていました。

そこからさらに約10年、ペースを落とさずに続けているわけです。

出来事年齢
1957年福岡県京都郡豊津町(現・みやこ町)に生まれる
1978年シングル「想い」でデビュー20歳
1979年「道標ない旅」がヒット21歳
1989年五木ひろし「暖簾」で日本作詩大賞 優秀作品賞31歳
1999年沖縄県へ移住41歳
2016年「顧みて」で日本レコード大賞 企画賞59歳
2025年アルバム「私の一生」発売67歳
2026年全国ツアー継続中68歳

48年間、ほぼ途切れなく活動を続けているというのが永井龍雲さんの現在に至る歩みです

長い活動休止や引退期間がないというのは、実はかなり珍しいことなんですよ。

ラジオ番組のパーソナリティも務めてきた

歌手活動以外の顔も紹介しておきます。

永井龍雲さんは若い頃からラジオと縁の深い人でした。

  • 1979年10月〜1980年9月:FM東京「ひとつぶの青春」パーソナリティ
  • 1981年4月〜1982年4月:ニッポン放送「オールナイトニッポン」木曜2部パーソナリティ
  • 2016年1月〜:ミュージックバード/コミュニティFM56局ネット「旅、ふたたび〜」

特に近年の「旅、ふたたび〜」は、全国56局のコミュニティFMでネットされている番組です。

各地のコンサートに足を運ぶファンとの接点になっているのはもちろん、地方局とのつながりが全国ツアーを支える土台にもなっています。

歌う場所を自分で耕してきた人だ、というのが番組歴からも見えてきますね

2016年には日本レコード大賞の企画賞を受賞

現在に近いところでの受賞歴にも触れておきます。

2016年、永井龍雲さんは作品「顧みて」で第58回日本レコード大賞の企画賞を受賞しました。

デビューから約40年が経った時点での受賞です。

同じ年、テイチクの「Age Free Music」レーベルから作品をリリースしており、大人の音楽を届けるという方向性がはっきり形になった時期でもありました。

過去のヒット曲で食いつないでいるのではなく、59歳の時点で新作が評価されている点は押さえておきたいところです

永井龍雲の現在を調べる人向けの関連情報

ここからは、永井龍雲さんの代表曲や生い立ち、家族のことなど、現在とあわせて知りたくなる情報をまとめます。あの名曲がどう生まれたのかも見ていきますよ。

代表曲「道標ない旅」は金八先生の挿入歌だった

永井龍雲さんといえば、やはりこの曲です。

「道標(しるべ)ない旅」は1979年8月21日に発売された通算5枚目のシングル

グリコアーモンドチョコレートのCMソングに起用され、さらにTBS系ドラマ「3年B組金八先生」の挿入歌としても使われました。

CMとドラマの両方に乗ったことで一気に広まり、オリコンでも上位に食い込むヒットになっています。

歌われているのは、青春時代を前に向かって走っていく心情。

デビュー2年目、21歳の青年が書いた歌だと知ると、また違って聴こえてきませんか。

この1曲が、48年後の今も全国ツアーが成立している最大の理由です

五木ひろし「暖簾」の作詞作曲で受賞している

永井龍雲さんは、他の歌手へ曲を書く作家としても評価されてきました。

代表例が、1989年9月にリリースされた五木ひろしさんの「暖簾」です。

この曲で永井龍雲さんは作詞・作曲を担当し、第22回日本作詩大賞の優秀作品賞を受賞しました。

その後も五木ひろしさん、坂本冬美さん、島倉千代子さんといった歌謡界の大物に作品を提供しています。

フォーク畑の人が演歌・歌謡曲の世界で結果を出したわけで、これはなかなかできることではありません。

自分で歌うだけでなく、他人の声に合う歌を書ける。この二刀流が長い活動を支えてきたと言えます

出身は福岡県みやこ町、野球少年だった

生い立ちにも触れておきましょう。

永井龍雲さんの出身は福岡県京都郡豊津町(現・みやこ町)です。

中学時代にはフォーク愛好会を自分で立ち上げ、音楽活動を始めています。

一方で野球少年でもあり、ポジションは投手でした。

音楽と野球を掛け持ちしていた中学生、というのはなんだか想像しやすいですね。

その後、大学進学を目指して4校を受験するのですが、結果は全て不合格

この挫折が、本格的にミュージシャンを目指すきっかけになりました。

進学に失敗しなければ「道標ない旅」は生まれていなかったかもしれない、と考えると人生はわからないものです

「道標ない旅」の歌詞に流れる、先が見えないまま前へ進む感覚は、まさにこの時期の実感から出たものだったのかもしれません。

結婚と離婚、2人の娘がいる

家族についても簡単に触れておきます。

報道によると、永井龍雲さんは1994年、37歳のときに結婚しています。

新婚時代は神奈川県内のマンションで暮らしていたと伝えられています。

その後1999年に沖縄へ移住しましたが、結婚から約10年で離婚したとされています。

お子さんは娘さんが2人。

いずれもアメリカ・ロサンゼルスの大学を卒業したと伝えられています。

離婚の理由について本人が語った記録はなく、再婚したという情報も出ていません。

現在は音楽活動に軸足を置いて生活している、というのが公開情報から読み取れる姿です

なお、ご家族は一般の方であり、詳細な情報は公表されていません。

レコード会社を何度も移りながら活動を続けてきた

意外と知られていないのが、所属レーベルの変遷です。

  • 1978年:キャニオン・レコード(F-LABEL)でデビュー
  • 1992年:日本コロムビアへ移籍
  • 2001年以降:Mukau Records、FFA、NAYUTAWAVE RECORDS など複数のレーベルで活動
  • 2016年:テイチクの「Age Free Music」から「顧みて」をリリース
  • 現在:キャピタルヴィレッジを中心に作品を発表

これだけレーベルを移りながら、48年間リリースが途切れていないというのは相当なことです。

環境が変わっても歌い続ける場所を自分で確保してきた人、という見方ができます

世間の声

永井龍雲さんについては、リアルタイム世代からの支持の厚さが目立ちます。

「道標ない旅」を青春の1曲として挙げる声は今も多く、CMとドラマで繰り返し耳にした記憶とセットで語られることがほとんどです。

コンサートに足を運んだ人からは、声が当時とほとんど変わらないという感想がよく上がります。

一方で、テレビで見かける機会が減ったことから「今どうしているんだろう」と検索する人も多いようです。

ただ実態は、テレビに出ていないだけでライブの現場ではずっと活動が続いている状態でした。

知る人ぞ知る現役、というのが永井龍雲さんの現在に対する世間の受け止め方をまとめた姿だと思います

永井龍雲の現在のまとめ

  • 現在も現役のシンガーソングライターとして全国でコンサートを続けている
  • 2026年は東京・福岡・兵庫・宮崎・熊本・福島・秋田・青森・長野などで公演
  • 奄美大島や喜界島といった離島でもライブを行っている
  • 2025年5月21日にアルバム「私の一生」を発売
  • 「私の一生」は全曲が本人の作詞作曲
  • アルバム名がそのまま2026年のツアータイトルになっている
  • 1957年11月4日生まれで、2026年8月時点の年齢は68歳
  • 1978年デビューで、2026年はキャリア48年目
  • 1999年4月に沖縄県へ移住し、以降は南の島を拠点にしている
  • 代表曲「道標ない旅」は1979年発売でCMとドラマの両方に起用された
  • 1989年に五木ひろし「暖簾」の作詞作曲で日本作詩大賞 優秀作品賞を受賞
  • 2016年に「顧みて」で日本レコード大賞 企画賞を受賞
  • コミュニティFM56局ネットのラジオ番組「旅、ふたたび〜」を担当
  • 出身は福岡県みやこ町で、中学時代は投手を務める野球少年でもあった
  • 1994年に結婚し娘が2人いるが、その後離婚したと伝えられている

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