プリンセスプリンセスのボーカルとして80年代〜90年代を駆け抜けた岸谷香さん。
若い頃は「ベルトに腹が乗ってるぴちぴちの20代」だったと本人が振り返るポッチャリ体型ながら、アイドル級にかわいかったことでも知られています。
この記事では、広島生まれの生い立ちからDiamondsの大ブレイク、岸谷五朗さんとの結婚まで、岸谷香さんの若い頃を時系列でたっぷりお届けします。
・岸谷香の生い立ちや学歴、プリプリ結成までの経緯
・若い頃のかわいいルックスやDiamondsで大ブレイクした全盛期の活躍
・岸谷五朗との馴れ初めや現在の活動、子供の情報
岸谷香の若い頃を時系列で振り返る
プリンセスプリンセスのボーカルとして一時代を築いた岸谷香さんですが、若い頃はどんな人だったのでしょうか。
ここでは生い立ちから結婚までの軌跡を、時系列でたどっていきます。
広島生まれ東京育ちの生い立ちとピアノ少女時代
岸谷香さんは1967年2月17日、広島県広島市で生まれました。
ただし、広島で過ごしたのは本当に短い期間で、生まれてすぐに東京都へ引っ越しています。
育ったのは東京都渋谷区広尾で、都心のど真ん中ですね。
家族構成は父・母・弟の4人家族で、岸谷香さんは長女にあたります。
お父さんは滋賀県出身の方で、香さんが20歳の頃(1987年頃)に亡くなっています。
反抗期の余韻がまだ残っている時期だったこともあり、最後まで素直に「大好き」と伝えられなかったことを後悔していたそうです。
……これ、なんか分かりませんか?
思春期って、親に素直になれない時期ですよね。
ちなみに弟さんは現在、東京都中目黒で「奥居歯科」の院長を務めている歯科医です。
母親の影響でショパンに夢中になった幼少期
岸谷香さんが音楽の世界に足を踏み入れたきっかけは、実家にあったピアノでした。
お母さんが昔使っていたピアノが自宅にあり、首が据わるようになった頃にはもう鍵盤を触っていたというから驚きです。
最初はお母さんにバイエル(ピアノの初心者向けの教本)を教わり、その後はピアノの先生についてレッスンを受けるようになりました。
岸谷香さんはとにかくショパンが大好きで、ショパンばかり聴いていたそうです。
ただ、性格的にコンスタントに努力を続けるのが苦手だったらしく、ピアノの上達はなかなか思うようにいかなかったとのこと。
それでも小学校時代にはすでにピアノを弾きながら自分で曲を作っていたというのですから、作曲の才能は幼い頃から芽生えていたんですね。
学歴は学芸大附属中から玉川聖学院を経て中退
岸谷香さんの学歴を見ると、かなり波乱万丈です。
小学校は東京学芸大学附属世田谷小学校、中学校はそのまま東京学芸大学附属世田谷中学校に進学しています。
いわゆる国立の附属校ですから、かなりの進学校ですよね。
| 学校名 | 備考 |
|---|---|
| 東京学芸大学附属世田谷小学校 | 国立附属校 |
| 東京学芸大学附属世田谷中学校 | 内部進学 |
| 玉川聖学院高等部 | キリスト教系・中退 |
| 明治大学付属中野高等学校(定時制) | 編入後に再び中退 |
高校については、附属高校への内部進学に失敗しています。
岸谷香さん本人はこれを「人生で最初の挫折」と語っていて、かなりショックだったようです。
その後、玉川聖学院高等部に進学しましたが、キリスト教系の規則の厳しい校風が自由を好む岸谷香さんには合わず、早い段階で退学を考えていました。
さらに明治大学付属中野高等学校の定時制に編入しますが、こちらも音楽活動との両立が難しくなり中退。
結果として高校は卒業していません。
でも、この学歴が岸谷香さんの音楽人生にとってマイナスだったかというと、全くそんなことはなかったわけです。
中学でバンド漬けの日々と内部進学失敗
中学時代の岸谷香さんは、とにかくバンド活動に明け暮れていました。
キーボードとしてバンドに誘われたのがきっかけで、いろいろなバンドを掛け持ちして活動していたそうです。
本人いわく「勉強はほとんどやっていなかった」とのこと。
ただ、不良だったわけではなく、あくまで学校の中でのバンド活動でした。
面白いのは、進学校だったからこそ楽器に興味のある生徒が極端に少なく、楽器も音楽室も独占状態だったという話です。
勉強をしなかった結果が附属高校への内部進学失敗につながったわけですが、この時期にバンドに没頭した経験が、のちのプリンセスプリンセスでの活躍の土台になったのは間違いありません。
赤坂小町からプリンセスプリンセスへの道のり
1983年、岸谷香さんが16歳の時に人生を変える出来事が起こります。
オーディションで今野登茂子さん、渡辺敦子さん、中山加奈子さん、富田京子さんの4人と出会い、バンド「赤坂小町」を結成しました。
当時はまだアイドルバンドのような位置づけで、事務所主導の活動が中心だったようです。
1985年には所属事務所の移籍に伴い「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」に改名。
そして1986年、「PRINCESS PRINCESS」に2度目の改名を果たし、シングル「恋はバランス」でメジャーデビューを迎えます。
岸谷香さんはこの時まだ19歳です。
赤坂小町の結成から数えると約3年、名前を変えながらも着実にステップアップしていった道のりは、まさに下積み時代と呼ぶにふさわしいですよね。
若い頃のかわいいルックスとポッチャリ体型
岸谷香さんの若い頃を語る上で外せないのが、そのルックスの話です。
プリプリの全盛期、20代前半の岸谷香さんはアイドル級にかわいかったと評されています。
赤いスニーカーに赤と青の鮮やかなミニスカート、ウエストがあらわになった赤いノースリーブ姿でステージに立つ姿は、まさに80年代のガールズロックを象徴するビジュアルでした。
ただ、本人はかなり率直で、自身のブログでこんなことを書いています。
「もっと乗ってたよ、まじ。今の何千倍もの人が見ていたあの頃になんで私の腹は乗っていたのだろう、残念でしょうがない」
「ベルトに腹が乗ってるぴちぴちの20代」と当時を振り返っているんです。
そう、若い頃の岸谷香さんはいわゆるポッチャリ体型でした。
公称身長は157cmで、当時の体重は公表されていませんが、本人が「デブだった」と自覚するほどだったようです。
でも、そのポッチャリ感がむしろ「かわいい」「親しみやすい」とファンに愛されていたのも事実です。
ファンからは「ピチピチしてて可愛い」「20代も50代も輝いていますね」といった声が集まっていて、57歳になった現在も「うたコン」のオフショットを公開すれば「めちゃくちゃ若い」と話題になるほどです。
Diamondsで大ブレイクした全盛期の活躍
プリンセスプリンセスとしてデビューした後、最初から順風満帆だったわけではありません。
1988年、岸谷香さんが21歳の頃にリリースした「MY WILL」がスポーツ用品店「ヴィクトリア」のCMソングに起用され、注目を集め始めました。
そして1989年、「Diamonds〈ダイアモンド〉」がオリコンシングルチャート1位を獲得し、ミリオンセラーを達成。
一気にトップアーティストの仲間入りを果たします。
続く「M」もバンドを代表する名曲となり、プリプリは80年代〜90年代を代表するガールズバンドとしての地位を確立しました。
13年間の活動期間で190万人をライブに動員し、そのほとんどの楽曲を岸谷香さんが作曲しています。
ボーカルだけでなく作曲も手がけていたというのは、改めてすごいことですよね。
力強いボーカルとエネルギッシュなパフォーマンスで、当時のガールズバンドシーンを牽引した存在でした。
| 年 | 主な出来事 |
|---|---|
| 1983年 | 赤坂小町結成(16歳) |
| 1986年 | PRINCESS PRINCESSに改名・デビュー(19歳) |
| 1988年 | 「MY WILL」でCMタイアップ(21歳) |
| 1989年 | 「Diamonds」オリコン1位・ミリオン達成(22歳) |
| 1996年 | プリプリ解散(29歳) |
岸谷五朗との馴れ初めと29歳での結婚
岸谷香さんのプライベートで最も注目されるのが、俳優・岸谷五朗さんとの馴れ初めです。
2人の出会いはラジオ番組でした。
岸谷五朗さんがDJを務めていた「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」の事前番組「レディオクラブ発射寸前」に、プリプリのボーカルとしてゲスト出演したのがきっかけです。
ところが、初対面の印象は最悪だったそうです。
番組中に激しい口論を繰り広げ、岸谷五朗さんが思わず暴言を口にするほど険悪な雰囲気になったとか。
……え、そこから結婚まで行くんですか?って感じですよね。
しかし、その後も岸谷香さんは「レディクラ」に度々ゲスト出演するようになり、いつの間にか友人関係から交際へと発展していきました。
プロポーズもユニークで、ビールを飲みながら「オレと一緒に記者会見を開きませんか?」という一言だったそうです。
なんとも岸谷五朗さんらしいプロポーズですよね。
ソロ活動とプリプリ解散
岸谷香さんは27歳でソロデビューを果たし、ソロとしてのキャリアもスタートさせています。
そして1996年、29歳でプリンセスプリンセスは解散。同年、岸谷五朗さんと結婚しました。
バンドの解散と結婚という人生の大きな転機が同じ年に重なったわけです。
結婚後は「岸谷香」として活動し、音楽だけでなく子育てにも全力で取り組む生活が始まりました。
岸谷香の若い頃を調べる人向けの関連情報
岸谷香さんの若い頃に興味を持った方は、現在の活動やご家族のことも気になるのではないでしょうか。
ここからは、関連する情報をまとめてお届けします。
身長157cmで体重は昔より痩せた理由
岸谷香さんの公称身長は157cmで、ほぼ日本人女性の平均身長と同じくらいです。
テレビで見ても小柄な印象を受けますよね。
若い頃はポッチャリ体型だった岸谷香さんですが、現在はかなりスリムになっています。
プリプリ時代と比べると明らかに体型が変わっていて、ファンの間でも「昔より痩せた」と話題になることがあります。
本人は「昔は今以上に歌ってたのに、デブだったのはなぜだろう?」とブログに書いていますが、たくさん歌っていた当時より今のほうがスリムというのは不思議な話ですよね。
一つ考えられるのは、子育てを通じたライフスタイルの変化です。
岸谷香さんは「子育ては絶対に手を抜かない」と語るほどの教育ママとして知られていて、食事管理や栄養管理にもかなり気を配っている様子が公式ブログからうかがえます。
健康に気を使う生活習慣が、結果的にスリムな体型につながっているのかもしれません。
家族構成は父母弟の4人で弟は歯科医
岸谷香さんの実家の家族構成は、父・母・弟の4人家族です。
お父さんは滋賀県出身の方で、岸谷香さんが20歳の頃に亡くなっています。
お母さんは岸谷香さんにピアノを教えた方で、音楽への入り口をつくった恩人ともいえる存在ですが、2003年の桜が満開の頃に亡くなっています。
弟さんは東京都中目黒で「奥居歯科」の院長を務めている歯科医です。
旧姓「奥居」の名前がそのまま歯科医院の名前になっているわけですね。
| 続柄 | 情報 |
|---|---|
| 父 | 滋賀県出身・岸谷香が20歳の頃に死去 |
| 母 | ピアノを教えた人・2003年に死去 |
| 弟 | 歯科医・中目黒「奥居歯科」院長 |
岸谷香さんはご両親ともにすでに亡くされていますが、音楽の才能を育んだ家庭環境だったことがよくわかります。
子供は息子の岸谷蘭丸と娘の2人
岸谷香さんと岸谷五朗さんの間には、長男・岸谷蘭丸さん(2001年7月7日生まれ)と娘さんの2人のお子さんがいます。
蘭丸さんは幼い頃に重度の小児リウマチを患い、あまり学校に通えない時期があったそうです。
その間に多くの本を読み、知識を深めていったというエピソードがあります。
岸谷香さんは教育にとても熱心で、蘭丸さんには塾、ピアノ、水泳、英会話、サッカー、テニスなど多方面の習い事を体験させていました。
学歴も和光幼稚園からトキワ松学園小学校、早稲田実業中学校を経て、アメリカ・ニュージャージー州の名門高校に進学するという国際的な教育を受けています。
2024年12月5日には自身のYouTubeで、これまで「柚木蘭丸」名義で活動していたことを明かし、今後は本名の「岸谷蘭丸」として活動すると宣言しました。
現在は海外大学受験のサポートを行う「MMBH株式会社」を経営しており、将来は「30代前半ぐらいで政治家になりたい」と語っています。
親の七光りに頼らず自分の道を切り拓こうとしている姿勢は、岸谷香さん譲りの芯の強さを感じます。
現在も精力的に音楽活動を続ける59歳
岸谷香さんは現在59歳ですが、その活動ぶりは衰えるどころかますます精力的です。
2024年にはデビュー40周年を迎え、記念ツアー「KAORI KISHITANI 40th Anniversary LIVE TOUR 2024」を全国で開催しました。
毎年恒例の「岸谷香感謝祭」も欠かさず開催していて、豪華ゲストとのコラボレーションもファンの楽しみの一つになっています。
2025年にはEP「Unlock the girls 4 -ボディガード-」を発売し、全国ツアーも開催。
2026年2月にはBONNIE PINKさんや吉岡聖恵さん(いきものがかり)をゲストに迎えた感謝祭も行っています。
2012年プリプリ再結成と5億円の義援金
岸谷香さんの活動で特に注目すべきは、2012年のプリンセスプリンセス再結成です。
東日本大震災の復興支援を目的に、16年ぶりに1年限定で再結成しました。
メンバーが震災後に「大丈夫だった?」という一斉メールで連絡を取り合ったのがきっかけで、岸谷香さんは「ここで再結成しなかったら一生後悔する」という思いでプロジェクトに臨んだそうです。
仙台サンプラザホール、日本武道館、東京ドームなどの公演で13万人を動員し、5億円を超える義援金が集まりました。
そのうち1億円は医療関係に、1億円は福祉や施設に充てられ、残りの3億円で仙台にライブハウス「仙台PIT」が建設されています。
音楽の力で被災地を支援するという、岸谷香さんらしい行動力が光るエピソードです。
また、2024年2月にはエッセイ「岸谷香の東京MY STORY」を発売するなど、音楽以外の分野でも活躍の幅を広げています。
岸谷香の若い頃のまとめ
- 1967年2月17日、広島県広島市生まれで東京都渋谷区広尾育ち
- 家族構成は父・母・弟の4人家族で長女。弟は中目黒で歯科医を営んでいる
- 幼少期から母親の影響でピアノに親しみ、小学校時代から自作曲を作っていた
- 学歴は学芸大附属小中→玉川聖学院高等部中退→明大中野定時制中退で高校は未卒業
- 中学時代はバンド活動に没頭し、進学校で楽器も音楽室も独占状態だった
- 1983年に赤坂小町を結成し、1986年にPRINCESS PRINCESSとしてデビュー
- 若い頃はポッチャリ体型だったが、アイドル級にかわいいと評されていた
- 公称身長は157cmで、現在は若い頃よりスリムな体型になっている
- 1989年「Diamonds」がオリコン1位のミリオンセラーとなり大ブレイクを果たした
- 13年間の活動で190万人を動員し、ほとんどの楽曲の作曲を手がけた
- 岸谷五朗との出会いはラジオ番組で、最初は険悪な関係だった
- プロポーズの言葉は「オレと一緒に記者会見を開きませんか?」
- 1996年にプリプリ解散と岸谷五朗との結婚が同じ年に重なった
- 2012年に東日本大震災復興支援でプリプリを1年限定再結成し5億円超の義援金を集めた
- 現在59歳でデビュー40周年を超え、ツアーや感謝祭など精力的に音楽活動を続けている


