King Gnuのリーダーとして日本の音楽シーンを牽引する常田大希さん。
現在の独特なワイルドスタイルとはひと味違う、学生時代の素顔が気になっている人も多いのではないでしょうか。
この記事では、常田大希さんの卒アル画像の有無から中学・高校時代の驚きのエピソード、東京藝大中退の理由、音楽一家の家族構成まで徹底調査しました!
・常田大希の卒アル画像が流出していない理由と学生時代の実際の姿
・高校時代の毎日8時間練習や複数コンクール入賞など驚異的なエピソード
・東京藝術大学を中退した理由と現在に至るKing Gnu誕生の経緯
常田大希の卒アルと中高時代の素顔
King Gnuのリーダー・常田大希さんが高校や中学でどんな学生生活を送っていたのか、卒アル画像はあるのか、気になっている人は多いはず。
ここでは昔の写真や学生時代のエピソードを徹底調査しました!
中学・高校の卒アル画像は流出しているか
King Gnuのフロントマンとして絶大な人気を誇る常田大希さん。
そのイケメンぶりは現在も多くのファンを魅了していますが、「昔はどんな顔だったんだろう?」と気になっている人も多いはずですよね。
結論から言うと、常田大希さんの中学・高校時代の卒業アルバム(卒アル)画像は、現時点でインターネット上に一切流出していません。
多くのファンがSNSや掲示板、ブログなどで探しているにもかかわらず、「これが常田大希の卒アル写真」として明確に確認できる画像は存在していないのです。
ただし、まったく昔の写真がないわけではありません。
中学時代に出場したNHK全国学校音楽コンクールの映像・写真は現存しており、現在のファンの間で「イケメン」「清潔感がある」と話題になっています。
髭のない少年時代の常田大希さんは、現在のワイルドな雰囲気とは打って変わって、整った顔立ちがはっきりと見える端正な印象だったようですよ。
卒アル画像が流出していない理由として考えられるのは、常田大希さんが芸能人になる前から人気が出たわけではなく、地方の公立校出身であること、また個人情報保護の意識が広まっていることなどが挙げられます。
プライバシーが守られているという意味では、これは当然のことかもしれませんね。
NHKコンクールで見せた中学時代の姿
卒アル写真こそ流出していないものの、常田大希さんの中学時代の姿を垣間見られる貴重な記録があります。
それが2007年、長野県伊那市立東部中学校の合唱部として出場した「NHK全国学校音楽コンクール」の映像です。
当時中学3年生だった常田大希さんは、合唱部でマリンバを担当しており、コンクールではそのマリンバ演奏で伴奏を務めました。
この大会で東部中学校は地区大会・県大会・関東甲信越大会をすべて金賞で勝ち抜き、全国大会まで駒を進めています。
常田大希さん自身も「サバンナの大自然をイメージし、合唱に合った演奏を心がけたい」とコメントしており、当時から音楽への真剣な姿勢が伝わってきますよね。
ちなみに、コンクール出場の約1ヶ月前から初めてマリンバを手にしたというから驚きです。
短期間でここまで仕上げてしまうのは、もはや天才の所業と言うしかありません。
この映像を見たファンからは「若い頃の常田大希さんがめちゃくちゃかっこいい」「すでにオーラが半端ない」といった声が上がっており、中学時代の常田大希さんの姿はある意味”幻のレア映像”として語り継がれています。
ちなみに本人いわく、中学時代が一番のモテ期だったとのこと。
当時は気になった女子とは毎回付き合うことができたそうで、勉強も音楽も恋愛も充実していた中学時代だったようですね(笑)。
井口理との中学時代の関係
実はこのNHKコンクールの合唱部に、のちにKing Gnuのボーカルとなる井口理さんも在籍していました。
常田大希さんと井口理さんの縁は、なんと幼稚園の頃にまで遡ります。
小学校も中学校も同じ、地元の幼なじみという関係だったんですね。
2人は同じ東部中学校の合唱部に所属していましたが、井口さんは常田さんの1学年下の後輩でした。
常田さんは後輩の井口さんに「ガタイMAX(ガタイが最大)」というあだ名をつけていたというエピソードも残っており、中学時代から独特のセンスを発揮していたことが伝わってきます(笑)。
大学時代に再会するまでの間、2人は連絡先も交換しない程度の関係だったとのことですが、こんな音楽的才能を持つ2人が同じ中学の同じ合唱部に在籍していたというのは、今思うとすごい縁ですよね。
伊那北高校での音楽漬けの高校生活
中学卒業後、常田大希さんは地元長野県の長野県立伊那北高等学校に進学しました。
伊那北高校は、普通科の偏差値62、理数科の偏差値67を誇る、長野県内でもトップクラスの進学校です。
1970年には生徒会主導で制服の自由化を実現したという歴史もあり、生徒の自主性を重んじる自由な校風で知られています。
元防衛庁長官の宮下創平氏や元法相の野沢太三氏、東京大学名誉教授の芦部信喜氏など、各界で活躍する著名人を多数輩出している学校でもあります。
そんな難関進学校に通いながらも、常田大希さんの高校生活はほぼ「音楽漬け」だったと言われています。
授業にはほとんど出席せず、その時間をすべてチェロの練習に費やすという、ほかの生徒とはまったく異なるスタイルの高校生活を送っていました。
学校側からは何か言われなかったのかと心配になりますが、少なくとも卒業はしているので、最低限の単位は取得していたのだと思われます。
自由な校風の学校だったということも、こうした個性的な生活を許容してもらえた一因かもしれませんね。
毎日8時間の猛練習とコンクール入賞
常田大希さんの高校時代の凄さを語る上で欠かせないのが、その練習量です。
高校に入ってから本格的にチェロの練習を再開した常田さんは、なんと毎日8時間ものチェロ練習を行っていたといいます。
1日8時間というのは、学校以外のほぼすべての時間を練習に費やすような量です。
こうした圧倒的な練習量が実を結び、高校3年生の時に「第20回日本クラシック音楽コンクール チェロ部門 高校の部」で3位に入賞しています。
クラシック音楽の全国コンクールで入賞するというのは、それだけで相当なレベルの実力者であることの証明です。
しかも高校3年生というタイミングで、しかも東京藝術大学への現役合格を目前に控えた状況での入賞ですから、そのすごさは計り知れません。
高校1年生の頃からコンクールに出始めていたというので、入賞するまでには地道な努力の積み重ねがあったのだとわかります。
こうした経験が今の常田大希さんの「どんなジャンルも器用にこなせる底力」につながっているのかもしれません。
高校時代のバンド活動とオリジナル曲制作
チェロの練習だけに留まらず、常田大希さんは高校時代からバンド活動にも積極的に取り組んでいました。
しかも高校1年生からというかなり早い段階で、コピー曲ではなくオリジナル曲を制作・演奏していたというから驚きです。
ベースにも相当力を入れており、高校在学中(2009年)には「最強プレイヤーズコンテスト ベース部門」で準グランプリを受賞しています。
チェロで全国3位、ベースでも準グランプリという実績は、音楽の才能がいかに並外れていたかを如実に示していますよね。
さらに高校生の時点でレコード会社にデモテープを送ったり、コンテストに積極的に参加したりと、すでにプロを意識した行動を取っていたようです。
地方の公立高校に通う一高校生が、授業に出ながら(ほとんど出ていなかったようですが)、チェロで全国コンクール入賞、ベースで準グランプリ、さらにバンドでオリジナル曲制作とデモテープ送付まで行っていたわけです。
このエネルギーと行動力が、のちのKing Gnu誕生につながっていったことは間違いありませんね。
常田大希の卒アルを調べる人向けの関連情報
常田大希さんの学歴や家族、チェロの実力など、卒アルを調べながら一緒に気になっている情報をまとめました。
学歴まとめ:中学高校から東京藝大まで
常田大希さんの学歴は、以下のようになっています。
| 学校名 | 備考 |
|---|---|
| 伊那市立伊那北小学校 | 野球に打ち込む普通の少年時代 |
| 伊那市立東部中学校 | 野球部→合唱部。NHKコンクール全国大会出場 |
| 長野県立伊那北高等学校 | 偏差値62〜67の進学校。チェロ・バンド活動に専念 |
| 東京藝術大学音楽学部器楽科チェロ専攻 | 現役合格後、1年足らずで中退 |
東京藝術大学への現役合格という経歴は特筆に値します。
東京藝大は日本の芸術系大学の最高峰として知られており、毎年多くの受験生が複数回の挑戦を重ねてやっと入学するケースが多い難関校です。
現役合格者は全体の3割にも満たないとも言われており、そこに一発で合格したというのは、チェロの実力が本物だったことを証明しています。
授業よりも音楽練習を優先していた高校生が、日本一難しい芸術大学に現役合格するというのは、才能の次元が違うとしか言えませんよね。
チェロとベースで複数コンクール入賞
常田大希さんのコンクール入賞歴をあらためてまとめると、以下のようになります。
| 年度 | コンクール名 | 賞 |
|---|---|---|
| 2009年 | 最強プレイヤーズコンテスト ベース部門 | 準グランプリ |
| 2010年(高校3年) | 第20回日本クラシック音楽コンクール チェロ部門 高校の部 | 3位 |
チェロとベースという、まったく異なる楽器で両方ともコンクール入賞しているのは本当に驚異的です。
しかも、チェロは5〜6歳の頃から長年続けてきた楽器であるのに対し、ベースはバンド活動で本格的に取り組んだ楽器です。
それぞれのジャンルで全国レベルの評価を得ているというのは、常田大希さんが単なる「クラシック音楽の秀才」ではなく、ジャンルを超えた音楽的才能の持ち主だということを示していますね。
現在King Gnuではギター・ベース・チェロ・キーボードなど多数の楽器を操る常田さんの「マルチプレイヤーぶり」の原点は、すでにこの高校時代にあったと言えるでしょう。
小澤征爾アカデミーに抜擢された経緯
高校3年生という早い段階から、常田大希さんは世界レベルの音楽教育の場にも足を踏み入れています。
世界的な指揮者・小澤征爾さんが主宰する「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」に、チェロ奏者として参加したのです。
このアカデミーは、長野県の奥志賀高原を舞台に開催される若手音楽家のための室内楽特訓プログラムで、世界トップレベルの講師陣による指導が特徴です。
参加するためにはオーディションによる選抜が必要であり、常田大希さんはそのオーディションをパスして参加資格を得ました。
アカデミーへの参加は高校3年から大学1年にかけての約2年間にわたり、その活動は国内だけにとどまらず、上海などアジアの地でもコンサートを行いました。
常田大希さんは当時の経験についてこう語っています。
「アジアツアーを回るような活動をしていたんですけど、中国のオーディエンスがかなり生き生きとしていて、熱を帯びた感じだったことは、特に印象に残っていますね」
一般の高校生・大学生がほとんど経験できないような場を踏んでいたわけですね。
また、大学進学後は東京・祖母の自宅で約7年間一緒に暮らした常田大希さん。
祖母は耳が悪かったこともあり、バンドのリハーサルや楽器演奏をしても怒るどころか、近所の人に自慢して回っていたという微笑ましいエピソードも伝わっています。
毎日マクドナルドを一緒に食べていたという話もあり、祖母との時間はKing Gnuとしての活動の礎になった大切な時期だったのかもしれません。
大学中退を決意した理由と経緯
東京藝術大学に現役合格した常田大希さんですが、在学からわずか1年足らずで大学を中退するという大胆な決断をしています。
大学を辞めた理由について、常田大希さんは次のように語っています。
「クラシック音楽は再現芸術の世界。自分とはマインドが根本的に違うから、やりたいこととはちょっと違う」
さらに「社会と結びついた音楽をしたい」という強い思いも中退の大きな理由として挙げています。
クラシック音楽では、作曲家の意図を正確に解釈し、楽譜に忠実に演奏することが求められます。
しかし常田大希さんが目指していたのは、演奏会場という特別な空間だけでなく、現代を生きる人々の日常と直接結びついた音楽の創造だったのです。
実はこの中退の意思は、入学当初からすでに固まっていたと言われています。
東京藝大に進学した理由についても「芸大という肩書があった方が音楽を聴いてもらいやすいから」と、戦略的な面があったことを明かしています。
大学を辞めた後は、1〜2ヶ月ほどバックパッカーとしてインドを旅したそうです。
空港で密輸を疑われたりとトラブルもあったようですが(笑)、帰国後には東京藝大の学園祭に出演した際に、中学の後輩だった井口理さんと偶然再会。
当時2人は連絡先も交換していない仲でしたが、この再会がのちのKing Gnu結成につながっていきます。
東京藝大に現役合格しておきながら1年で中退し、音楽プロデューサーとして日本の音楽シーンを席巻するまでに至った常田大希さんの軌跡は、なんとも痛快ですよね。
父親はロボットエンジニア、母親はピアノ教師
常田大希さんは、音楽と知性に溢れた家庭環境で育ちました。
父親は「ロボットエンジニア」という専門性の高い職業に就いており、年収は一般的に400万円〜1,000万円以上に及ぶこともある職種です。
さらに若い頃はジャズバーでピアノ演奏をしたり、ジャズバンドを組んでいたりと、音楽も嗜む多才な人物だったようです。
母親の名前は常田理恵さんといい、ピアノ教室の先生として長年活動されています。
元々は小学校の音楽教師として勤務していたこともあり、2019年頃には地元・伊那市のニューイヤーコンサートで演奏を披露するなど、現在も地元の音楽シーンで活躍されています。
常田大希さんが中学時代にNHK全国学校音楽コンクールに出場した際には、お母さんがピアノ伴奏を担当したという情報もあり、家族ぐるみで音楽活動を支えていたことが伺えます。
兄・常田俊太郎は東大卒ヴァイオリニスト
常田大希さんの2歳上の兄、常田俊太郎さんもまた、驚くべきキャリアの持ち主です。
4歳の頃からバイオリンを始め、中学時代は毎日5〜6時間という猛練習でヴァイオリンコンクールに2度入賞。
その後「東大を目指す」という理由でヴァイオリンを一時辞め、見事東京大学に合格。
東大卒業後は現役のヴァイオリニストとして活動しながら、株式会社ユートニックの代表取締役も務めるという、まさにスーパーエリートです。
常田俊太郎さんはKing Gnuのライブでもストリングス隊として参加しており、米津玄師さんの「KICK BACK」でのバイオリン演奏や、Vaundyさんの楽曲にも関わるなど、音楽プロデューサーとしても存在感を発揮しています。
King Gnuのサウンドの特徴のひとつであるストリングスの美しさは、常田大希さんのチェロと俊太郎さんのヴァイオリンによるところが大きいんですよね。
実家は金持ちと言われる根拠
常田大希さんの実家が「お金持ち」と言われることが多いですが、その根拠はいくつかあります。
まず一番わかりやすいのが、幼少期から楽器を習わせてもらえた環境です。
チェロは初心者向けのセットでも20〜40万円程度かかるとされており、個人レッスンも月1〜1.5万円ほど。
さらに防音室を設置するには最低でも200万円以上の費用がかかります。
兄・常田俊太郎さんのヴァイオリンも含めると、子どもたちの音楽教育にかけた費用は相当な額になるはずです。
また、チェロやベースのコンクールへの参加費、遠征費、楽器のメンテナンス費なども積み重なれば、一般家庭ではなかなか捻出できない額になりますね。
| 費用の種類 | 目安 |
|---|---|
| チェロ(初心者向け) | 20〜40万円 |
| 個人レッスン代 | 月1〜1.5万円 |
| 防音室設置費 | 200万円以上 |
| コンクール参加費 | 1回2万円前後 |
祖父・常田朝秀の経歴
実家が「裕福」と言われるもうひとつの要因が、家系そのものの凄さです。
常田大希さんの祖父にあたる常田朝秀さんは、日本国内初のカラーテレビ開発に携わった工学博士です。
この功績により昭和53年(1978年)に紫綬褒章を受章しており、まさに日本の映像技術史に名を刻む人物と言えます。
常田大希さん自身も「じーちゃんは夜間働きながら大学(東大)へ行っていた」と語っており、祖父の努力と知性が一族全体のDNAとして受け継がれているように感じます。
現在、祖父母の実家があった神奈川県川崎市の土地は駐車場になっているようですが、常田大希さんは大学進学後の約7年間、この祖母の家で一緒に暮らしていたという縁深いエピソードも残っています。
常田大希の卒アルのまとめ
- 常田大希さんの中学・高校時代の卒アル画像はネット上に一切流出していない
- 卒アルは存在しないが、NHK全国学校音楽コンクールの映像・写真(中学時代)は現存している
- 中学時代は髭なしで端正な顔立ちがはっきりわかり、ファンの間で「イケメン」と話題
- 出身中学は長野県伊那市立東部中学校で、合唱部でマリンバを担当
- 2007年にNHKコンクールで地区・県・関東甲信越をすべて金賞で突破し全国大会へ
- 出身高校は長野県立伊那北高等学校(偏差値62〜67)で、長野県内トップクラスの進学校
- 高校時代は毎日8時間のチェロ練習に費やし、授業よりも音楽を優先していた
- 2009年・最強プレイヤーズコンテスト ベース部門で準グランプリを受賞
- 2010年・第20回日本クラシック音楽コンクール チェロ部門 高校の部で3位入賞
- 高校3年から小澤征爾主宰のアカデミーにチェロ奏者として参加し、アジアツアーも経験
- 東京藝術大学音楽学部器楽科チェロ専攻に現役合格するも、1年足らずで中退
- 中退理由は「クラシック音楽は再現芸術で自分とはマインドが違う」「社会と結びついた音楽をしたい」
- 父親はロボットエンジニア、母親・常田理恵さんはピアノ教室の先生
- 兄・常田俊太郎さんは東大卒のヴァイオリニスト兼会社経営者というエリート
- 祖父・常田朝秀さんはカラーテレビ開発の功績で紫綬褒章を受章した工学博士


